行事風景
音楽による祈り
どのような時に音楽を聴きますか?
わたしは、家事をしながらクラシック音楽をスピーカーから流すのが好きで、いろいろな楽曲が携帯に入っています。
その中でも、詩編を歌ったものや、バッハのマタイ受難曲、ヨハネ受難曲をこの四旬節には毎日聴いています。
マタイ受難曲は、マタイによる福音書の26-27章のイエス様の受難を題材に、
ヨハネ受難曲は、ヨハネによる福音書の18-19章のイエス様の受難を題材にした曲です。
スターバト・マーテル(ラテン語: Stabat Mater、「悲しみの聖母」「聖母哀傷」)をご存知でしょうか。
13世紀に生まれたカトリック教会の聖歌の1つだそうです。
Stabat mater dolorosa 「悲しみの聖母は立ちぬ」から歌詞が始まります。
中世以来、西洋音楽の多くの作曲家がこの詩に曲を付けていて、わたしはドボルザーク、ペルゴレージ、アルヴォ・ペルトのものが好きでよく聴いています。
カトリックでは、マリア様への信仰も大切にしています。
ヨハネによる福音書にだけ、イエス様のご受難に際し母としての悲しみの中にあっても最期に立ち会う姿が書かれています。
ヨハネだけが、十字架のすぐそばで「立っていた」マリア様の姿を書いています。
スターバト・マーテル=母は立っていた
東京のカテドラル関口教会には、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるピエタの同寸大のレプリカがあります。
数年前に訪れた時に撮った写真です。
ピエタとは、イエス様が十字架上で亡くなられた後、
マリア様がそのご遺骸を膝に受けてご苦難のあとを偲んだ、
その限りない母の愛を瞑想する姿を現したものです。
http://cathedral-sekiguchi.jp/cathedral/pieta/
十字架から降ろされた息子を膝に乗せて嘆いた、という記述は聖書にはありませんが、
ピエタに表現されているように、苦しんで亡くなった息子を抱いた母の姿は、
幼子イエスを抱く若い母の姿という正反対のイメージとともに、マリア様への信仰の象徴になっています。
詩はラテン語の強弱四歩格で書かれています。
少しご紹介します。
悲しみの母は立っていた
十字架の傍らに、涙にくれ
御子が架けられているその間
呻き、悲しみ
歎くその魂を
剣が貫いた
ああ、なんと悲しく、打ちのめされたことか
あれほどまでに祝福された
神のひとり子の母が
涙をこぼさないものがあるだろうか
キリストの母が、これほどまでの
責め苦の中にあるのを見て
悲しみを抱かないものがあるだろうか
キリストの母が御子とともに
歎いているのを見つめて
さあ、御母よ、愛の泉よ
私にもあなたの強い悲しみを感じさせ
あなたと共に悲しませてください
私の心を燃やしてください
神なるキリストへの愛で、
その御心にかなうように
どうかキリストの死を私に負わせ、
どうかその受難を共にさせ、
そしてその傷に思いを馳せさせてください
肉体が滅びる時には
どうか魂に、栄光の天国を
与えてください
アーメン
ご受難を扱った音楽を静かに流しながらお祈りするのも、お勧めです。
御復活祭まであと20日となりました。
イエス様のご受難と聖母マリア様の悲しみに心を寄せ、心静かに過ごしたいと思います。
七つの秘跡:Part5
最終回は、叙階の秘跡についてです。
3/21に大名町教会において叙階式が執り行われ、船津亮太助祭が誕生しました。
久留米教会出身ということで、わたしたち久留米の信徒も大勢でお祝いのため参列させていただきました!
叙階、これは召しだされた本人はもちろん、わたしたち信徒にとっても大きな大きなお恵みと喜びです。
まずは、今回のように助祭となり、次に司祭へ叙階され、3つ目は司教叙階です。
昨日のごミサでは船津助祭として、とてもキリッとした様子でジュゼッペ神父様の横でお手伝いされていました。
助祭は、ミサと告解はできませんが、洗礼を授けること、結婚式、葬儀の司式は執り行えます。
21日の様子を、たくさんの写真とともにお伝えします。
福岡教区の司祭団の入場
親族席も設けられ、ご両親はやや緊張の面持ち。
まさに、息子が神様と結婚する式!の様でした。
久留米教会の聖歌隊のみなさんも、朝早くから練習を重ね、上の階から素晴らしい歌声を響かせてくれました。
中には、感極まって涙ぐみながら歌われていた方もいらしたそうです。
宮原司教様の按手によって、助祭に叙階されます。
最初に船津助祭に神学校を勧め、召命のきかっけを作ってくださった
浦川神父様によってストラを着せてもらう様子。
引き続きミサが行われ、久留米教会の可愛い3人によって奉納の儀式が。
船津助祭、最初のごミサです!
最初にご聖体を拝領されたのは、ご両親。感無量だったのではないでしょうか。
馬渡島から駆けつけられたおばあ様のお手製の紅白まんじゅうが振る舞われました!
ご家族のみなさま、本当におめでとうございます!!
結婚の秘跡の際にも書きましたが、叙階は教会共同体と受階者の絆を確固たるものにするので、
結婚の秘跡とともに「交わりの秘跡」と呼ばれています。
宮原司教様が司式の際におっしゃった言葉が心に響きました。
「仕えられる者ではなく、仕える者として来られたキリストの
真の弟子としてのお恵みをお与えくださいました。」
「信者にも、信者でない者にも良い知らせを伝えて行ってください。
福音に奉仕しなければなりません。」
船津助祭がごあいさつで言われました。
「日曜学校の子どもが言った、『助祭は神様へのあといっこ』という言葉が、
なるほど、と心に残っています。
神様に少し劣るものとして作られたわたしが、
少しでも神様に近づけるように奉仕していかなけれはならないと思っています。」
叙階の秘跡を受けた司教や司祭たちは、教会の頭であるキリストの代理者として行動します。
キリストの現存を現す司教、司祭という役務を果たすからといっても、
これら役務者が完全無欠の人になるということではなく、
人間的な弱さもかかえながら神の民の奉仕のために尽力するのです。
https://www.pauline.or.jp/catechism/catechism107.php
本当に素晴らしいお恵みの一日でした。
召命を願って祈りましょう。
七つの秘跡:Part4
今回は、結婚の秘跡についてです。
3月10日に結婚式が執り行われました。
わたしも参列させていただきましたが、やはり教会の結婚式は素敵です。
最近は結婚式場に教会のようなチャペルが併設されている場合が多いので、
多くの方がキリスト教的な式を挙げられるのが普通のことになっていますね。
若い方々が教会での式に憧れるのは当然です。
だって、こんなに美しい!!
結婚は男女の交わりを強めるものであることから、叙階の秘跡とともに「交わりの秘跡」と呼ばれています。
結婚の秘跡を授けるのは、司祭ではなく夫婦同士です。
司祭は司式を執り行う立会人です。
式次第の後半に、誓約の儀の一連の流れがあり、誓いの言葉ののち、
指輪の祝福と交換が行われます。
新郎は司祭から新婦の指輪を取り、「この指輪は私たちの愛と忠実のしるしです」と唱えながら
新婦の左手の薬指にはめます。
続いて新婦も同様にして、新郎の左手の薬指に指輪をはめます。
指輪の円は継ぎ目なく続く永遠のシンボル。
それを神様の前で交換し、誓いをたてることで永遠の愛情を互いに約束するのです。
この、結婚指輪の風習は、カトリックが起源であることをご存知でしたか?
古くは、神様との誓いをたてた証しとして指に紐を結んだことに由来するそうです。
また、カトリック教会における結婚の秘跡は、どちらか一方だけが信者の場合、準秘跡とされています。
ヨーロッパなどのカトリック国では、信者が未信者と結婚することは原則としては認められておらず、
日本のように布教国である場合は認められています。
その場合、司祭が特別に許可をする『ディスペンザチオ』(ラテン語)=特別の免除が与えられます。
以前ご紹介した、ジブランの『預言者』に書かれている結婚について。
◆二人のあいだにも、自由な空間を置きなさい。
そして、そこに、天からの風をそよがせなさい。
◆愛し合っていなさい。しかし、愛が足かせにならないように。
むしろ二人の魂の岸辺と岸辺のあいだに、動く海があるように。
◆おたがいの杯を満たし合いなさい。
しかし、同じひとつの杯からは飲まないように。
◆一緒に歌い、一緒に踊り、共に楽しみなさい。
しかし、おたがいに相手をひとりにさせなさい。
◆一緒に立っていなさい。しかし、近づき過ぎないように。
深いですね。
ここで、宮﨑神父様からのお願いです。
教会で結婚式をしたいと思われている方は、
①日程を決める前に神父様に相談に行ってください
②必ず、お二人揃って数回の結婚講座に参加してください。
大輝さん、綾乃さん、ご結婚おめでとうございます!
「信仰」とは何か。
四旬節が始まり、第一主日のごミサは、3人の司祭と2人の神学生と共にという贅沢なものでした。
神父様がたの祭服、ストラも、ご聖体が安置されている 祭壇の幕も紫色です。
カトリックに限らず、その行いの尊さ、素晴らしさ、社会に及ぼした影響などから、尊敬され続けている人は本当に多くいらっしゃいます。そこで、現在バチカンに正式に聖人として登録されている聖者は何人いるのだろう、と思い調べてみました。
結論。
「カトリック、ギリシャ正教合わせて1万人以上の聖人・福者がいるが、厳密に数え上げられてはいない」
ちょっと驚きでした。
聖人ではありませんが、今日はある一人の日本人についてです。
杉原千畝さんについては、ご存知の方が多いかと思います。
「数千人の命を救った男」というタイトルのホームページ、そして実際に記念館もあります。
http://www.sugihara-museum.jp/
リトアニアの日本領事館に押し寄せた、ナチスに追われて逃げてきたユダヤ難民たち。
日本政府が認めなかったのに、6千人もの難民にビザを発給した杉原千畝。
そこまではよく知られている話しだと思います。
でも、杉原が発給したビザは、あくまでも「日本を通過するためのビザ」であり、長くても10日間ほどしか日本に滞在できないものでした。
難民たちは、アメリカなどを最終目的地としており、その10日間の間に日本で目的地と交渉し、船便を確保するのは実際には不可能でした。
杉原の「命のビザ」を引き継ぎ、難民たちの日本での窓口となり、日本政府と様々な形で交渉し、ビザの延長を実現した日本人がいました。
小辻節三という人です。
杉原千畝と違い、彼のことはあまり知られていないようですし、記念館もありません。
かれは、のちにユダヤ教に改宗し、現在はイスラエルに埋葬されています。
「命のビザ」を繋いだ彼に興味を持ち、ほとんど日本には資料がない中、イスラエルやアメリカで資料を集め、取材を重ねて本にしたのは俳優の山田純大さん。
そう!
杉様(スギちゃんではなく、杉良太郎さん)の息子さんです!
命のビザを繋いだ男(NHK出版)
こうした背景があったことを、わたしは全く知りませんでしたので、大変興味深くこの本を読みました。
一見、カトリックとは関係のない話しのようにも感じられるかもしれません。
ですが、信仰を持つ人の行動はやはり何かが違う、と思ったのです。
プロテスタントの教育を受けて育った小辻氏でしたが、ユダヤ教に興味を持ち、実際にユダヤ人たちのために働いた彼の強い信念は、やはり「信仰」からくるものだったのではないでしょうか。
昨日のミサでは、来月受洗される方々の洗礼志願式が行われました。
信仰を持つことを決められた方々です。
わたしたち自らの信仰について考えを深める良い機会です。
「わたしの信仰とは何か。」
「何のためか。」
思い返してみましょう。
七つの秘跡:part3
今回は、洗礼の秘跡についてです。
みなさんは、いつ洗礼を受けられましたか?幼児洗礼?大人になって?結婚を機に?
よく、ミサの際に思うのです。
ここにいらっしゃる信者さんは、どんなきっかけで受洗されたのだろう?
どのようなエピソード、ストーリーをお持ちなのだろう?と。
そう思われたことはありませんか?
わたしの場合について、今日は書いてみたいと思います。
洗礼、これは本当に素晴らしい秘跡です。
キリスト教の入信の秘跡と呼ばれるものには3つの秘跡があります。
洗礼、堅信、聖体の秘跡です。
この3つの入信の秘跡が、私たちキリストを信じる者の生活全体の土台となっているものです。
これは、わたしが27年前のご復活の際に洗礼を受けた時の写真です。
平成3年、まだ昭和の香りがしますね!
代母は、出身高校のシスターにお願いしました。
今よりもずっと、ヴェールを着用している方が多いですね。
当時は久留米教会のステンドグラスもシンプルなカラーのガラスです。
わたしの隣は亡くなった母です。今のわたしの年齢よりも若いです!
(間瀬先生もお若い!!)
この時、21歳でした。
20歳の時、骨肉腫を患いました。
苦しい抗がん剤の治療も、大手術も、長い入院生活も、義足での困難なリハビリも、全く苦ではありませんでした。
なぜだかうまく説明できないのですが、若さと、単純で楽天的な性格のわたしは、「退院したら新しい楽しみを見つけなければ!」と考えていました。
それよりも、新宿の都庁の隣の高層病院の窓から見える大都会の景色の中に、どれだけの病院があって、どれだけの病気の方が苦しい思いをされているのだろう、とよく思っていました。
そんなわたしを、東京の姉妹校のシスター方がよくお見舞いに来てくださり、
「あなたは神様の子です。神様の子に間違いない!」
と、何度も言ってくださり、退院と同時に洗礼を受けるのはごく当然の流れでした。
わたしが小さいころから信仰を持っていた母の喜びは大変なものだったようです。
ギリシア語で「洗礼を行う」という「バプティゼイン」という言葉は、「沈める」という意味をもっている言葉です。
洗礼は、「聖霊によって、新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗い」とも呼ばれるものです。
また、洗礼は、「照らし」とも呼ばれています。
洗礼を受けることによって、このキリストご自身のみことばを受け、照らされ、今度は洗礼を受けた人自身が、「光の子」となり、「世の光」となるのです。
参考
https://www.pauline.or.jp/catechism/catechism072.php
わたしは、本当に生まれ変わりました。
義足での新しい生活と、信者としての新しい人生が、同時に始まったのです。
あのような大きな病気をしてなければ、信者として生きる今のわたしはなかったと確信をもって言えます。
「世の光」「神のインフルエンサー」として生きる喜びは、秘跡としか言いようがありません。
数年前には、洗礼を受ける友人の代母となることもできました!
今年のご復活の前夜祭でも、久留米教会では数名の方が受洗されます。来週のごミサでは洗礼志願式が行われます。
新しく生まれ変わって「光の子」として歩まれる方々のために祈りましょう。
祈りの必需品
みなさまは、一日の中でいつ、どのように「祈り」をされているでしょうか。
リビングに祭壇を設けていらっしゃるお宅もあるでしょう。
ロザリオを手に祈るというかたもいらっしゃるでしょう。
わたしは昔、「祈り」の仕方がわからず、模索していた時期がありました。
「祈り方」を説いた本を読み漁りましたが、自分の祈りのスタイルを、
確信をもって「こうやって祈っています」と言えるようになったのは、つい最近の様な気がします。
思いついたらいつでも、どこででもお祈りはしますが、寝る前にベッドで祈る時の必需品はこれ!
この、手のひらにすっぽり収まる木製の十字架。
絶妙なカーブがあって、握りしめると心地よく手に収まるのです。
数年前に、仲良しのおば様にプレゼントしていただきました。
(大名町教会のサンパウロでお求めいただけます。)
祈りの助けになっています。
手の中でギュ~っと握りしめていると、とても心が落ち着き、
神様と天国の母に心とからだを明け渡して話しかけることができるような気がするのです。
「神様に全てを明け渡す」
これが、わたしの祈りのスタイルです。
これは、教会の大切な友人が言ってくれた言葉です。
いろいろと悩んでいた時期に、彼女に相談しました。
同じように、彼女もその時悩んでいることを抱えていて、
その結論として自分で導いたのが、「神様に全てを明け渡す」ということだったと話してくれました。
パパ様の本、使徒的勧告「喜びに喜べ」の中に書いてあります。
自分の中にある攻撃的で利己的な傾きと闘い、そうした傾向が根づかないうように用心しなさい。
「怒ることがあっても、罪を犯してななりません。
日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」
エフェソ4・26
流され沈みそうになっても、わたしたちはいつだって、祈りという錨(いかり)にすがることができます。
祈りの錨は、わたしたちを神の腕の中に、平和の源のそばに、引き戻してくれます。
神の腕の中に引き戻してもらえるように、神様に全幅の信頼を寄せ、今日も、いつも祈りましょう。
イエス様はどのようなお顔をしていたのか⁈
みなさんそれぞれにイエス様のお顔のイメージをお持ちだと思います。
それは、馴染みのある教会のご像、見たことのある絵画や映画で演じた俳優の顔など、実は多くの連想させるお顔から各人が確固たるイメージを持っているのではないでしょうか。
久留米教会のイエス様
(十字架のイエス様を左右から照らす照明の位置と光の具合が変わったことにお気付きですか⁈)
その中でも、十字架上のイエス様のイメージについて考えてみました。
12世紀までのイタリアのキリスト像は苦痛や苦悩を超越した表情で描かれていました。
「勝利のキリスト」と言われています。
13世紀になると、首をうなだれ、苦痛と悲しみの表情を浮かべた「苦悩のキリスト」が主流となってきます。
それは、アッシジの聖フランチェスコが要因を作ったとされています。
フランチェスコの体に聖痕が現れたと言われるほど厳格な生活を徹底していたその姿勢は、イエス様の受難について語る際にも反映されます。
聖フランチェスコの説教には鳥も耳を傾けたというエピソードのとおり、人々への共感が広がり、絵画においても人間的な苦悩が強調されることにつながったのです。
グリューネヴァルトは16世紀に活動したドイツの画家。
ドイツ絵画史上最も重要な作品の1つであるのが、このイーゼンハイム祭壇画
磔刑図は数多く描かれていますが、肉体的な苦痛をここまで表現したものとしてはこの作品に匹敵するものはない、と言われています。
イーゼンハイムの聖アントニウス会修道院付属の施療院の礼拝堂にあったもので、患者が自らの苦痛を十字架上のキリストの苦痛と感じ、救済を得るために、このような凄惨な磔刑像が描かれたと言われているそうです。
グリューネヴァルトの絵の背景の闇をさらに濃密にし、風景も他の人物も排除して祈りのための「像」として描かれたのが、スルバラン1627年作の『十字架のキリスト』
その5年後に描かれたのが、同じくスペインのベラスケスの『十字架のキリスト』
闇に浮かび上がる十字架によって、神の子としてのイエス様の崇高さを表現すると同時に、リアルな描写で人間イエスの肉体の痛みをも描き出しています。
ちなみに、頭上に書かれているのは、3か国語での「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」
前述のグリューネバルトのように、16世紀ごろまでは「INRI」(ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語)と書き表すのが普通でしたが、このころから絵画も世界的な広がりを見せてきたことを反映し、3か国語表記が主流となったそうです。
わたしたちの持つイエス様のイメージは、このあたりの作品が近いのでは⁈
ここで告白!!
すべて、わたしが調べたのではなく、種明かしはこの本!!
西岡文彦さんの「名画でみる聖書の世界」新約編
(旧約編、は書かれていないようです。)
創世記から最後の審判までの世界中の名画の背景と解説が書かれていて、とっても読み応えがあります!
少し古い本なので、残念ながら本屋さんに新品はありませんが、アマゾンで中古本をお求めいただけます。
(久留米教会の方はわたしにお申し付けください!)
四旬節に向け、十字架上のイエス様に思いをはせ、穏やかに過ごしていきたいと思います。
神のインフルエンサー
今年の11月に広島、長崎、東日本大震災の被災地を訪問されることを表明されているパパ様。
もちろんお目にかかったことはないのですが、以前もご紹介したように、ツイッタ―でのお言葉を毎日聞いているので、とても身近に感じているのはわたしだけではないのではないでしょうか。
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その「はい」という答えで、マリアは史上もっとも影響力のある女性となりました。
ソーシャル・ネットワークなしで、マリアは最初の「インフルエンサー」、神の「インフルエンサー」となりました 。
With her “yes”, Mary became the most influential woman in history.
Without social networks, she became the first “influencer”: the “influencer” of God.
神のインフルエンサー!!
このツイートはとても印象的でした。
わたしが目指しているのはこれだ!と。
1/30
人生を上手に航海する秘けつは、イエスが船に乗ってくれるよう招くことです。
イエスに、人生の舵を渡すべきです。
そうすればイエスは道を示してくださいます。
The secret to navigating life well is to invite Jesus on board.
The helm of life should be given to Him, so that He can direct the route.
イエス様に人生の舵を渡す。
なんとわかり易い言い回しでしょうか。
久留米教会の信徒の中にいろいろな奉仕活動をされている方がいることは度々ご紹介していますが、
炊き出しボランティアに参加していらっしゃる方も。
NPOホームレス支援久留米越冬活動の会というNPO法人が主催するボランティアで、代表はプロテスタントの信者の方です。
キリスト教の各教会、仏教のお寺が持ち寄り(すべて寄付された食材)で炊き出しされています。
シスター、若い信愛学院学生、元ホームレスの方の参加もあるそうです。
「人生を上手に航海する」
その航海することそのものが困難な方が多くいらっしゃるのも現実です。
炊き出しボランティアのことを伺うまで、久留米にそんなに多くのホームレス生活の方がいるとは全く知らず、大変なショックを受けました。
4~11月は月1回の炊き出し(小頭町公園にて)とパトロールの夜回り、12~3月は月2回の炊き出しと夜回りが行われています。
上智大学が2017年12月に主催した「教皇フランシスコと話そう」という企画でのパパ様のご発言を、少し抜粋してご紹介します。
「宗教というのは、創造された『劇』ではないということです。
宗教というのは、もともと人間の心が持っているもの。
あらゆる宗教は人を成長させます。他者のために奉仕しない人は、宗教的な人とは言えない。
ただ単純に何かの見返りを求める人なのでしょう」
そして、ガンジーや、長崎で被爆しながらも救援活動を行ったクリスチャン医師の永井隆博士、多くのユダヤ人を救った杉原千畝を例にあげ、
「これらの人々は、宗教によって成長した人々。
宗教は人を、他者に奉仕する人に成長させる。
キリスト教の啓示とは、神を信じ、他者のために奉仕するということ」
https://www.christiantoday.co.jp/articles/24986/20171226/sophia-university-pope-francis.htm
キリスト者として生きるわたしたちは、他者への思いやり、奉仕の精神を実践することが大切だと改めて気づかされます。
本当の意味での「神のインフルエンサー」としての生き方を目指していきたいものです。
七つの秘跡:part2
教会は「病人を癒やす」という務めをとても大切にしています。
『病者の塗油の秘跡』は、7つの秘跡のうち、
病気に苦しむ人を励ますことを目指した秘跡です。
重病の人に授けられ、祝福された油を額と手に塗り
「この聖なる塗油により、慈しみ深い主キリストが聖霊の恵みであなたを助け、
罪から解放してあなたを救い、起き上がらせてくださいますように」
と唱えられます。
「あなた方のうちに、病人がいるなら、その人は教会の長老たちを呼び、
主の名によって油を塗って祈ってもらうようにしなさい。
信仰による祈りは、病人を救います。
主はその人を立ち上がらせ、もしその人が罪を犯しているなら、その罪は赦されます。」
ヤコブの手紙5・14~15
これは、当時すでに行われていた病者の塗油のしきたりについて、
公式に説明した箇所とされています。(フランシスコ会訳聖書の注釈より)
イエス様は12人の使徒を2人ずつ宣教に遣わされます。
「そこで弟子たちは出ていき、人々に悔い改めるようにと宣べ伝え、
また多くの悪霊を追い出し、多くの病人に油を塗って癒やした。」
マルコ6・12~13
先日、久留米教会のある信者さんがお亡くなりになりました。
奥様にお話を伺いました。
意識はあるものの意思表示は出来ない状態で、食事も流動食しか食べられなかったのが、宮﨑神父さまがお見舞いに来てくださったあとじわじわと元気を取り戻し、固形物を自分でお箸を使って食べれるようになられたそうです。
最後は眠るように安らかで、主人なりにその時を選んで迎えたのだと思います、とおっしゃっていました。
「病人を見舞う」という奉仕をされている方々がいらっしゃいます。
宮﨑神父様と聖体奉仕者の研修を受けた4名の信者の方が月に数回、信者さんが入院されている病院や施設を訪問してお見舞いし、希望があればご聖体を授けられています。
わたしは東京の大学に行っていた二十歳の時に大病をし、
飛行機に乗ることも出来ない状況でしたので、そのまま東京の病院に入院しました。
家族は頻繁に久留米から来てくれましたが、それ以上にほぼ毎日のように入れ代わり立ち代わりお見舞いに来てくださったのは
出身高校の東京にある姉妹校の修道院のシスター方でした。
このルルドのお水はその時にいただいた(28年前!)ものです。
病気で心細い思いをしている信者にとって、
励ましと祈ってくださる方の存在はとても大きなお恵みです。
宮﨑神父様に届いたお手紙を少し抜粋してご紹介します。
(ご了解をいただいています。)
「4月に癌がわかり、リンパ節と脳に転移、ステージ4と言われました。
手術ですべて切除、転移も消え、脳腫瘍も消えました。
昨日、再発なし、抗がん剤も必要なし、今後は定期的に検査をするだけでよいと言われました。
おおいなる奇跡でしかありません。
しみじみと、人の祈りと宮﨑神父様が送ってくださったルルドの水の偉大さに感じ入っています。
神様はきっと患者本人の心も、人のために祈る人の心と祈りも、
何か力になろうとする人の心も行いも、すべてをご覧になっておられると思いました。」
病気で入院している方、
施設や自宅で療養をされていて教会に来られない方のために祈りましょう。
久留米教会:七つの秘跡part1
久留米教会に入ると、すぐ右手にゆるしの秘跡(告解)のための小部屋があります。
毎週日曜日の朝は、優しい笑顔のジュゼッペ神父さまが、わたしたちのために祈り、待っていて下さっています。
この笑顔、癒されます。
許可を頂いて写真を撮りましたので、今朝は優しい笑顔も120%です!
ゆるしの秘跡とは、司祭のもとで自分の犯した罪(SinとCrime)を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神様からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。
罪がゆるされ、癒しと慰めをいただくことで、これからの生き方の勇気と力になります。
和解の秘跡ともいい、罪を犯したことで神様を悲しませたことを反省し、神様と和解する、ということだそうです。
わたしたちカトリック信者は、少なくとも年に一回はゆるしの秘跡に与ります。
「神様から離れた生活をしてしまった」という気持ちを感じたら、そのことを告解するのも信仰生活の助けになります。
わたしの場合、初めてゆるしの秘跡をいただいたときに神父さまが仰った聖書の言葉は、その後のわたしの信仰生活の指針となり、今でも大切にしています。
『あなたはキリストの良い香りです。あなたの姿が周りを照らしますように。』
20歳の時に神父さまからそう言われ、そのことをずっと心に刻んできました。
今日は、神父さまから特別に許可を頂き、もう1つの秘跡についても写真撮影させていただきました。
ご聖体の秘跡
このご聖体、ホスチアは洗礼を受けた者だけがいただく、『キリストのからだ』です。
3種類のチボリウム(ラテン語で、食べ物を入れる器)があります。
どれがどのように使うもの、という細かい区別はないそうですが、久留米ではこの3種類を使っています。
今年からホスチアの歯ざわり(味も‼︎)が変わったのにお気づきですか⁈
種明かしは、次週、宮﨑神父さまからのお話をお楽しみなさってください。
「聖書に全て書いてある。」
今日は、本をご紹介します。
世界的なベストセラーなので、ご存知の方が多いかと思いますが、
わたしは最近知って買い求め、没頭して一気に読みました。
1923年に英語で出版されたこの詩集、30数か国語に翻訳されているそうです。
文が美しい。
この携帯サイズの小さな本の中に、カトリックの教えが美しい散文になって凝縮されている気がします。
愛、結婚、自由についてなど26個のテーマに沿って預言者が語る、という設定になっています。
美智子皇后さまもご愛読されているようです。
「レバノンの詩人・哲学者・画家である著者のカリール・ジブラン。
20世紀のウィリアム・ブレイクとも称され、多くの詩人・思想家・政治家のみならず、
サブカルチャーにも影響を及ぼした偉人が、人間の普遍的テーマ…愛、労働、喜びと悲しみ、友情など
26の項目について深く語りかける詩集。」
(amazonの内容紹介より)
本の装丁も美しく、いつもバッグの中に入れて持ち歩くことにしました。
いつでも人に勧められるように。
箴言
好きなのです。
この本を読んでいて、箴言を深く掘り下げて咀嚼されているような気がしたのです。
箴言は、読んでいて心に刺さる言葉が多いし、
何よりも読みやすい。
心を尽くして主に寄り頼み、
自分の聡明さに頼るな(3・5)
口数が多ければ罪は避けられない
しかし、口を慎むものは賢い人(10・19)
寛大な人は満たされる
人を潤すものは自分も潤される(11・25)
心が楽しいと、顔色も晴れやかになり、
心に憂いがあると、気も沈む(15・13)
率直な戒めは、ひそかな愛に勝る(27・5)
『ソロモンの箴言』と言われる10章~22章、25章~29章は
さらりと読めるこうした名言ばかりでお勧めです。
曽野綾子さんの本に書いてありました。
「人生に必要なことは、聖書に全て書いてある。」
本当にそうなのです。
もう一か所、聖書の好きな箇所を。
ぶどう酒は程よく飲めば人にとって命に等しい。
ぶどう酒のない人生とは何であろうか。
時に応じて程よく飲むぶどう酒は、
心の楽しみであり、魂の喜びである。
シラ書31・27~28
佐久間神父様の翻訳の『預言者』の中から、一部ご紹介します。
愛があなたがたをさし招いたなら、愛に従いなさい。
たとえ、その道がどんなに厳しく険しくても。
愛があなたがたに語りかけたなら、愛を信じなさい。
たとえ、その声が、庭を荒らす北風のように、あなたがたの夢を打ち砕いても。
なぜなら、愛は、あなたがたに栄冠を与えると同様に、あなたがたを十字架につけるのです。
愛はあなたがたを育て、また刈り込みます。
夜明けに目覚め、飛び立つ思いで、愛のあたらしい一日のために感謝をささげること。
昼下がりには静かに休らい、愛の恍惚を思い出して味わうこと。
夕暮れには、感謝に満ちて家路をたどること。
そして、心では愛するひとのために祈り、
唇では賛美の歌を歌いながら眠りにつくこと。
とてもとてもお勧めの本です。
オルガンと聖歌
信徒会館のオルガンを修理に出していたのが戻ってきました。
このオルガン、1880年製のフランスのもので、日本には3台しか残っていない貴重なものです。
この、職人さんの手作りのオルガンは、これまでも何度も修理を重ねて大切に使われてきました。
今回は、長野県の吉倉オルガン工房の吉倉さんが長い時間をかけて丁寧に修理してくださいました。
職人の技が見える素晴らしいオルガンのようです。
長年にわたり何度も修理してきているため、元の状態がどのようであったかもわからず、
埃を取ることだけでも、とても大変な作業だったそうです。
早速、ごミサの演奏に使われています。
ミサで聖歌の伴奏をしてくださっているのは彼女たちです。
いつも、素敵な演奏でわたしたちの歌声をリードしてくれている、幸子さんと望さんです。(お名前も素敵!)
ごミサにおける聖歌、カトリックではとても大切にしている祈りのひとつです。
上手に歌うことが大切なのではなく、みんなが声をひとつにして心を込めて
「祈り」として歌うことを心がけたいと思っています。
ニューヨークに住む妹に会いに行くと、近くのカトリック教会のミサに行くのですが、
その教会では参列者はあまり歌いません。
なんと、プロ(?音大の学生?)の男女2名がミサの間ずっと、
立派なパイプオルガンの演奏に合わせてオペラ歌手のように聖歌を歌ってくれるのです。
侍者もたいてい、女の子が務めています。
旅先で現地の教会を訪ねるのは、旅の楽しみのひとつです。
久留米教会にもそうした方がごミサに参列されているのかもしれませんね。
正しい者たちよ
主の故に喜び歌え
心のまっすぐな者たちよ
主を賛美するのは麗しい
新しい歌を主に歌い
喜びの声に合わせて
巧みに琴をかき鳴らせ
詩編33・1~3
オルガンに合わせて、心を込めて祈り、歌いましょう。
今年の祈り
新しい一年が始まりました。
今年はどんなお恵みや出会いがあるでしょうか。
考えるとワクワクします。
以前読んだ祈りの本に書いてありました。
「朝起きて1番最初に心に浮かぶ考えで1日が決まる」
一年の始まりも同じではないかと思うのです。
どんな一年にしようか
どんなふうに過ごしていこうか
前向きな明るい気持ちで始めるほうが、お恵みが多くなる気がします。
パパ様カレンダーの1月のメッセージは
『澄んだ目と、信頼や希望に満たされた顔でわたしたちを見つめる子どもたちの笑顔を守るために、わたしたちは何をしているでしょうか?』
わたしには4人の姪、甥がいます。
毎日、彼女たちのことはお祈りしていますが、
今年はこのパパ様のメッセージを心に刻み、
いつも以上に子供たちのために祈ろう、と誓いました。
皆さまは、今年はどんなお祈りを抱負とされますか?
教会にしばらく来れていないという方を誘いませんか?
教会に行ってみたいというお知り合いを誘いませんか?
久留米教会は今年も、開かれた活気ある、お恵みの象徴のような共同体でありたいと思います。
未来の教会
今年も残すところ数時間となってしまいました。
みなさま、どのような一年をお過ごしになったと感じていらっしゃいますか?
わたしは、幸せを感じることばかりではなく、大変なことや辛いこともあった2018年でした。
それでも、大晦日を迎えた朝、心の底から
「神様、今年も一年、本当にどうもありがとうございました。」とお祈りですることができました。
『すべての思い煩いを神に委ねなさい。
神があなた方を、顧みてくださるからです。』
1ペトロ5・7
何かトラブルが起きた時などは、この聖書のことばを呪文のように唱えています。
馬小屋での出来事について、宮﨑神父様から説明を聞く子どもたちの様子です。
彼らの姿を見ているだけで、幸せを感じることができます。
未来の久留米教会を担ってくれる子どもたちです。
子どもたちのクリスマスパーティの準備をしてくださった、若いお母様方。
そして、進行してくれたのは青年会の若いメンバーたち。
この一年、子どもたち、若い信者さんたちが久留米教会の力となってくれていることに、
広報の取材を通して接する機会が多かったのは、わたしにとっても大きなお恵みでした。
パーティに参加させていただいたわたしの甥も、
「とっても楽しかった!」と喜んでくれ、
それだけで幸せいっぱいの気持ちになることができました。
未来の久留米教会は彼らがいるからきっと大丈夫!と
この記事を書くために写真を見返していて、改めて確信しています。
『酒盛りで大騒ぎしたり、酔いつぶれたり、
身を持ち崩したり、争ったり、妬んだりすることなく、
日中歩くように、慎み深く生活しましょう。
主イエス・キリストを身にまといなさい。』
ローマ人への手紙13・13~14
お正月、大人はこのことばを呪文のように唱えましょう!
皆様、良いお年をお迎えください。
久留米のクリスマスミサ
クリスマスおめでとうございます。
昨夜のイブのごミサと今朝の降誕ミサには、とても多くの参列者がありました。
毎年とても盛大にご降誕のお祝いができることは大きな喜びです。
日曜学校を卒業した青年たち、おなかの大きな子、、お母さんになった子
あか抜けした新社会人、普段の日曜日のごミサにはなかなか与れないという信者だけでなく、
ミサはクリスマスだけは必ず!という信者さん、
初めて教会を訪れる方も大変多いのがクリスマスミサの醍醐味ではないでしょうか。
イエス様がお生まれになった意味を、すべての人と分かち合う時間です。
宮﨑神父様は
「信じる者はすべてを神にゆだねるのです。
クリスマスを、信じることの喜びを改めて見つめなおす機会にしてください。」
とおっしゃいました。
昨夜のミサまでの間、多くの方がいろいろな役割を担って準備に取り組んできました。
この祭壇のお花もそのひとつです。
女性の会のみなさんが、丁寧に活けてくださいました。
信徒会館の中の飾りつけは、ベトナムの青年たちの手によるものです。
イブのミサのあとに振る舞われた軽食も、女性の会のみさなんのお手製です。
ミサの中で演奏されたハンドベル
猛練習の成果を発揮してくれた青年会のみんな!
こんなに多くの若者までもが、積極的に教会での役割、使命に喜んで応えてくれている久留米教会、
自画自賛ですが、とても素敵な自慢の教会です。
昨夜のミサのあと、敷地内の木の下でベトナムの青年たちが
クリスマスソングに合わせてダンスをしていた姿もとても素敵な光景でした。
クリスマス会の子どもたちの様子も、また改めてご紹介します!
今夜は、恒例となった、筑後地区のプロテスタントの各教会と合同でのキャロリング
(久留米市内を歩きながら聖歌を披露します。)が行われます。
喜びの主日
なんてステキな呼び名でしょう!
喜びの日に相応しく、待降節第3のロウソクはピンクが灯されました。
今日に合わせ、ピンクの実が追加されています。
みこころレターのこと、ホームページの記事のことを褒めてくださったり感想を聞かせてくださる方が何人も声をかけてくださり、嬉しい日曜日の朝だわ、と思っていたら。
ジュゼッペ神父様の最初のお言葉が
「今日は喜びの日曜日です。
主があなたたちの内に、あなたたちと一緒におられ歩んでおられることを喜びなさい。」
喜びその1
日曜学校の子どもたちが、いつも神父様に教わっていることをいつくか、わたしたちにも聞かせてくれました。
「朝昼晩、神様に感謝しましょう!」
「毎日何回も、ありがとうを言いましょう!」
大人も大切にしなければならない習慣ですね。
喜びその2
青年会という20名ほどのグループがあります。高校生以上の若者たちが、クリスマスミサで披露するハンドベル演奏の猛練習中です!
(メンバーのIさんは、わたしが洗礼を受けたときに一緒に幼児洗礼を受けたのです。
こんなにステキな女性に成長して、感無量です(涙))
今日は、ミサの後、馬小屋の飾り付けをしてくれました。
そして、完成‼︎
喜びはいつも、そこにあります。
神様がいつも横にいてくださるのと同じように。
神様とインターネット
久留米教会にはこのホームページと、「みこころレター」という広報誌、
2つの広報ツールがあります。
みこころレターの第8号を発行しました。
この半年の久留米教会の活動だけではなく、
4つの国出身の信徒によるアドベントの過ごし方の記事、
神学生2名のご家族による「わが子の召命」についての寄稿、
海外で活動する信徒の報告など、
いろいろとお伝えしたいこと盛りだくさんの内容です。
クリスマスは多くの場合、ハロウィンの様にイベント化し、
新聞を取るのをお止めになるご家庭も多くなり、
来年からは年賀状出すのをどうしようかと考えていらっしゃる方もいるようです。
現代は紙離れ?神離れ?なのでしょうか。
広報誌、つまり手に取っていつでも好きな時にゆっくり読める媒体と、
ホームページのように、情報を得るために自主的に検索してから見る媒体とでは、
その役割は全く違います。
たとえば、わたしもこのホームページに聖書の言葉を引用したいと思った時、
それが、どの福音書の何章だったか知りたい場合、
すぐにインターネットで検索します。
そのあと、自分で聖書を開いてその箇所を読み返します。(ここ大事!)
神様はインターネットで自分のことを検索されるなど、
想像もされなかったでしょう!
先日、ある神父様がおっしゃっていました。
「信仰は、”神と、神に祈るわたし” だけの関係だけではありません。
わたしたちをとりまく社会、家庭の問題など、
さまざまなことが絡まっているのが現代社会の信仰の姿です。
たとえば、現教皇は、カテキズムから『死刑制度容認』の文言を削除したのです。
長年、カトリック教会は死刑制度を容認してきましたが、
今、教会は反対の立場へ変わったのです。」
聖書の教えは本質的には変わらないはずなのに、
信仰も、時代とともに変化している、ということなのでしょうか。
世界中、わたしたちの身近なところでさえ、いろいろな問題が起こっています。
他者の意見に耳を傾け、インターネットにあふれる「だれか、個人」の意見に振り回されず、
検索するよりも、日常に神様を感じた暮らしをしたいものです。
広報誌は、近隣教会の信者さん、教会を初めて訪れる方にも手に取っていただきたく、
たくさん印刷しておいてあります。
(近隣教会にはお送りしています。)
どうぞ、遠慮なくどんどんお持ち帰りください!
待降節、新しい1年の始まり。
典礼暦では、待降節から新しい1年がスタートします。
久留米教会でも、アドベントの飾りつけを始めました。
これは、待降節の間、毎週1本づつ灯すロウソクを立てるためのもので、
ラテン語で、アドベントゥス クラントゥスと言います。
毎年、一人の有志の方が素敵なものを作ってくださっていたのですが、
今年からは、わたしたち(Team40代!)が担当させていただくことになりました。
こちらは、去年のもの。
完成度が高く、とてもこんな風にはできませんでした。(^_^;)
それでも、神様を感じながら、戴いた役割を楽しみました。
「どんなことであれ、あなた方のうち二人が心を一つにして地上で願うなら、
天におられるわたしの父はそれをかなえてくださる。
二人また、三人がわたしの名によって集まっているところには、わたしもその中にいる。」
マタイ18・18~20
この聖書の言葉を思い出さずにはいられませんでした。
「今年から、作るのをお願いできない?」と言われた時、わたしたちはとても嬉しく、
「ほかにもお手伝いできることがあれば、なんでも言ってください!」
と、誰もが口を揃えて言うことができました。
久留米教会にはいろいろな役割があり、お手伝いしてくださる方が必要です。
力仕事は20代の「青年会」のみなさんにお願いしています。
バザーをして、収益を支援が必要なところへ送ってくださる
「ピースナインの会」「女性の会」「フィリピンコミュニティ」の方々。
掃除やイベントの裏方をやってくださる「ヨゼフ会」の男性方。
花壇のお手入れをしてくださっている「女性の会」の方。
ごミサの時、初めて来られる方に案内をしてくださる「教会学校保護者会」の方。
教会の備品を管理してくださっている「役員」の方。
教会学校担当、納骨堂委員、営繕委員、広報委員など。
いろいろな方が、快く役割を担ってくださっていることで成り立っているのが教会です。
その方々すべてに、神様のお導きがあります。
「主は彼らの前を行き、彼らが昼も夜も進むことができるよう、
昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされた。
昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。」
出エジプト13・21~22
モーセが民を率い、エジプトから紅海に向かう時の様子を書いた箇所ですが、
わたしはこのくだりがとても好きです。
誰もが、神の導きによって、昼も夜も迷うことなく前に進めるように、
という神様の愛を連想します。
わたしたちは、教会、家庭、職場、地域社会などでさまざまな役割を担っています。
待降節の期間、今年の残りの日々、周囲の人々への優しさと感謝の気持ちを大切に。
そして、どんな時も神が導いてくださっている、ということを忘れないように過ごしたいものです。
神学院祭、召命。
少し前のことになりますが、11/3 福岡キャンパスでの開催は今年で最後となった、神学院祭に久留米教会からも大勢で参加してきました。
恵まれた敷地!
素晴らしい環境で、17名の神学生が学んでいます。
われらが誇り、船津神学生もその一人です。
丘の上から神学生の挨拶があり、開会しました。
各教区の神父様方も勢揃いし、美しい秋晴れの空の下、
贅沢なごミサに与ることができました。
企画ももりだくさんで、大人も子供もとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
丘を利用した草スキー(?ソリ?)、神学生を探してシールを集めてお菓子をもらったり、
神学生によるマジックショー、ウッドビーズでのロザリオ作りなど。
各教会ごとのいろいろな食事やお菓子の露店も出ていました。
こんな面白いランキングも!
日本の神学生の数は、年々減少しています。
わたしたち信徒にとっても、カトリック教会全体にとっても、とても深刻な問題です。
聖アウグスティヌスは、自身の放蕩生活やマニ教への入信を振り返り、苦悩していたさなか、
隣りの家の子どもが遊びながら歌う声にハッとします。
「とれ、よめ」
そこにあった聖書を手にし、どこを読むとも意識せずに開いたページが、パウロの回心するくだりでした。
「主イエス・キリストを身にまとえ、肉欲をみたすことに心を向けてはならない」
ローマ人への手紙13・13~14
そして洗礼を受け、修道生活へと入っていきます。
ひとりでも多くの若者が、神の招きに気づき、導かれるように祈りたいと思います。
この中に、将来の神学生がいるかも!?!
バザーと聖書
11/18〜25は聖書週間となっています。
みなさん、聖書はどのくらいのペースで手にしますか?
聖書に親しんでいますか?
今日はごミサの後、バザーが開催されました。このバザーも、聖書の教えを実践しているのだわ、と感じました。
今日のバザーの収益金は、震災後続けられている福島家族支援のプログラム「博多にきんしゃ〜い」への支援金として充てられます。
久留米教会には女性の会というグループがあり、定期的にコーヒーバザーが開催されます。
ごミサの後、教会前の広場で皆がコーヒーを片手に語り合う、貴重な親睦の場でもあります。その収益は、例えば教会の空調献金に充てられたりしているのです。
なぜ、バザーをするのか。
答えは、聖書のいたるところに書かれています。
これは、わたしの聖書、フランシスコ会翻訳です。
このように、気に入っている箇所や大事にしている言葉のページには付箋を貼っていて、時折読み返しています。
今日のごミサの箇所。
『天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。』マルコ13・31
共同訳が採用されている聖書と典礼はこう訳されていますが、フランシスコ会だと。
『天地は過ぎ去る。しかし、わたしの言葉は過ぎ去ることはない。』
どうでしょうか。
この微妙なニュアンスの違いを楽しむのも、わたしが聖書を開く理由のひとつです。
宮﨑神父様がおっしゃいました。
「聖書は神様からのラブレターです。
ラブレターをもらったら、それに答えようとしませんか?
神からの教えに応えなければなりません。
教会は、人の言葉、聖書の教えの上に成り立っています。
聖書に書かれた、使徒たちの苦難に満ちた宣教の旅のことを知らなければ、本当の意味でのイエス様の教えを知ることはできません。」
この期間のうちに、ぜひ聖書を開いてみましょう。
どこを読んでもいいのです。気負わず、気軽に。
先週の神学生たちと久留米の子供たちの集合写真です。
みんな、素敵な笑顔‼︎
七五三のお祝いとお恵みの子どもたち
11日のごミサでは、七五三のお祝いがありました。
そして、長崎の神学校から13名の神学生と3名の神父様がたもお越しになり、
お恵み溢れる素晴らしい日曜日のミサとなりました。
現在、14名の神学生が在籍していて、そのうち12名が長崎教区の出身とのこと!
2名は、われらが福岡教区の誇り、久留米の横山神学生と、今村教会出身の鈴木神学生です。
5人の神父様による贅沢なごミサ。
そして、お恵みに満ちた神学生たちと七五三の祝福を受けるたくさんの子どもたち。
みなさん、教会中に満ち溢れる聖霊のパワーを感じられたのではないでしょうか。
特別のお恵みを受けた子どもたち&青年たちからのおすそ分けをいただいたような気持ちで、
息を吸い込むたびに、体内に良いエネルギーが入ってくるのを感じました。
ごミサのあと、何人もの方が「今日は素晴らしいごミサだった!」とおっしゃっていました。
最後に神学生たちがギターの演奏付きで素敵な歌声を披露してくれました。
3曲目は自らのアンコールによって。(笑)
♪聖霊きてください
あなたの光の力で
わたしたちを照らしてください♪
♪わが主イエス
わたしを包む、わたしを満たす♪
横山神学生の挨拶がとても心に響きました。
「わたしたちも皆さんのために日々お祈りしています。
来週末に大学受験を控えている2名の神学生のために、わたしたち神学生のためにもお祈りください。」
彼らがこれから、高校へ進学し、大学生となりコレジオで学び、その後に神学院で6年学び、
助祭、司祭となっていく長い道のり。
彼らのためにも、わたしたち信徒のためにも、心を込めて祈り続けて行きましょう。
死者の月に想う。
3日の秋晴れの美しい空の下、盛大に行われた神学院祭については、また次回!
今月は、死者の月です。
「死について黙想し、周囲の亡くなられた方が永遠の命に招かれるように祈ることは、
私たちがよりよく生きることに繋がります。」
宮﨑神父様がミサでおっしゃった言葉です。
今日のミサで撮影した写真。
朝日の偶然による光の屈折が美しく、聖霊が、天と教会のなかのわたしたちを結んでいるような気がしました。
こちらは、ボリビアの死者の日の様子。
ボリビアでは死者の日から数日、お仕事はお休みだそうです。
「みなさん、お墓参りに行ったり、もし今年亡くなった方が家族にいたら、その方が好きだったものを準備して、お祈りに来て下さる方々とそれらを分かち合う日となっています。
わたしも、知り合いの家にお祈りに行き、パンとワインをいただいてきました。」
ボリビアのAkikoさんより。
日本のお盆のような感じですね。
午後3時から、久留米教会の全ての死者の追悼のためのごミサが捧げられました。
聖アウグスティヌスは、母モニカが亡くなったとき、悲しみにくれていました。
「私は終日、心の奥底においては、重いかなしみに沈んでいました。
そして、精神をかきみだされ、このかなしみをいやしたまえと、あなたにむかってなしうるかぎり乞いもとめましたが、あなたはその願いを聞きとどけてくださらなかった。」
告白 第9巻 第13章
紛らわすため、入浴したり眠ってみたり、いろいろ試してみます。
そして、アンブロシウスの”夕の讃美歌”を想い出し、敬虔な母の想い出にひたるのです。
かみよ、すべてのつくりぬし
あまつそらを しろしめす
ひるは あかるきひかりもて
よるは めぐみのねむりもて
よそおいたまえば もろびとは
ゆるみしからだ よこたえて
あすのちからを やしなえり
つかれしこころ かろやかに
なやみはとけて あともなし
わたしも、母が亡くなったとき、神様にながいあいだ問い続けました。
なぜ、こんなに早く母を召されたのですか?と。
簡単には哀しみは癒えませんでした。
神様からお返事が聞こえたような気がしたのは 随分時間が経ってからでしたが、いまでも鮮明に覚えています。
「亡くなった人のことを祈るより、
残った家族や友人のために祈るのです。
亡くなった人は神様の元へ行ったのだから、
何も心配することはありませんよ。」
と神父様から言われ、とても心が軽くなりました。
死者の月に、周囲で大切な方が神様の元へ召された全ての方のために祈りましょう。
幼児洗礼式ー洗礼と信仰のことー
2人の赤ちゃんの洗礼式が執り行われました。幼児洗礼式は年に2回行われますが、ご復活祭の洗礼式と同様に、自分の信仰を改めて見つめ直すよい機会である、と宮﨑神父様が仰っていました。
クララ西坂香怜(かれん)ちゃん
マリア松尾柴織(しおり)ちゃんがわたしたちの共同体に迎え入れられました。
信仰とは何か。
人に聞かれたら、何と答えるでしょうか。わたしの場合、教会に行って静かに座っていると、スラスラっと感謝の気持ちが湧き上がり、事前に考えていた以外の想いまで自然と祈りとなることがよくあります。
わたしの場合の『信仰の現象』です。
信仰とは、望んでいることを確信し、見えない事実を確証することです。
ヘブライ人への手紙11.1
信仰は、いつ洗礼を受けたか(長さ)や、どのくらい熱心か(深さ)ではかれるものではないと思うのです。
このご家族は、今年のご復活祭に親子3人同時に受洗されました。信仰とは、を考えた時に真っ先に彼らのことが浮かびました。
彼女はわたしの入院中のゴーストライター(笑)でもある、大切な友人です。
家族で色々な教会の行事に参加し、聖歌隊にも入り、娘さんも日曜学校の活動を楽しんでいるようです。神様からのお恵みをものすごい勢いで吸収しているように見えて、わたしまで幸せな気持ちにしてくれるファミリーです。
あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ
詩編2.7
やすらぎの集いin聖マリア病院ルルド
爽やかな秋晴れの19日土曜日に、聖マリア病院のルルドの広場でやすらぎの集いがありました。
「やすらぎの集い」とは、ご病気で療養中の方々とご家族、ご友人の皆さんのこころとからだの安らぎを願って一緒に祈る集いで、今年で18年目になるそうです。
久留米教会の子ども聖歌隊『チェチリア聖歌隊』が聖歌を歌ってくれ、青空に可愛らしく透き通る様な声が響きわたりました。みなさん、天使の歌声だったねと喜んでおられました。
患者さんだけでなく、病院関係者、学生、久留米教会の参列者が、こころとからだの安らぎを頂きました。
8週間程の入院生活を終え、自宅療養しています。
この間、こうして教会のホームページの記事を更新できているのも、教会の友人たちの協力があってのことです。
彼女たちから、こんなことがあったよ、と写真と文章が送られてきたり、気にかけてくださる方々が優しい励ましのメッセージを下さったり、どれだけ心のやすらぎを得られたことか。
入院生活というのは、本当に心細く、時に滅入ることもあります。
携帯のメールでもいいのです。
身近にご病気やケガで入院している方がいらっしゃる方は、その方に「想ってるよ、祈ってるよ」とメッセージを伝えてください。
まず、自分自身を平安に保ちなさい。そうすれば、他人にも平和を分け与えることができる。
平和を愛する人は、全てを善に変える。
心を平和に保つ人は誰をも疑わないが、しかし不平を言い激昂しやすい人は、いろいろな邪推に振り回され、自分も落ち着かないばかりか、他人をも苛立たせる。
あなたはまず、自分の霊魂について真剣でありなさい。そうすれば自然に、隣人のことについても正しく、熱心に注意できるだろう。
キリストを生きる 第二巻 第三章 1
トマス•ア•ケンピス
パパ様からのメッセージ
久留米教会の金木犀も美しく咲き、心地よい秋の香りを放つ季節となりました。
毎年10月になると、サンパウロの出張販売があり、皆さんも楽しみにしていらっしゃいます。
わたしも必ず買い求めるのが、この2つのカレンダーです。
アッシジの美しい風景と、(イケメンの)パパ様のカレンダーです。
ちなみに、こちらは今年の。
月初の楽しみは、このカレンダーをめくった時に読むパパ様からの今月のメッセージです。
「神にすべてを委ねるとき、困難に対して正しい態度で、勇敢に向かい合うことができるようになります。」
フランシスコ教皇様は、SNSも積極的に活用されますので、わたしたちは毎日のようにパパ様からのメッセージを見聞きすることができます。
例えば、ツイッター。
他にも、最近のツイートで心に刺さり、手帳にメモしているのは、
“生活の中における守護の天使の存在は、単にわたしたちの歩みを支えるためだけではなく、どこに向かうべきかを示すためでもあるのです。”
“毎日、少なくとも5分、福音書を読んでみてください。生活がどう変化するかが分かるでしょう。”
カトリック中央協議会が邦訳しているパパ様のツイートです。
https://mobile.twitter.com/chuokyo_pope
ごミサで神父様のお話にハッとしたこと、人との会話で心に残ったこと、パパ様のメッセージなど、大切に記憶したい言葉は手帳にメモするようにしています。
時に読み返して、心の糧にしています。
島原教会への巡礼の旅
世界文化遺産に指定された原城跡と島原教会への巡礼旅行に行ってきました。
なんと、船旅です!
皆さん、秋の好天に恵まれたこともあり、とても楽しそうです。
とても印象的な聖堂です。
聖パウロ修道会のホームページに、詳細な説明があります。
https://www.pauline.or.jp/visitingchurches/200808_shimabara.php
島原市のホームページ
http://www.city.shimabara.lg.jp/page2911.html
この教会は、1612年~1658年の間に島原半島で殉教した数万人のキリシタンのために、日本26聖人殉教400周年と島原天草の乱から360年の節目にあたる1997年に献堂されました。
50名ほどの参加者があり、 豊かな祈りの旅となりました。
アバ•父への祈り
私事ですが、骨折して入院しています。
とても時間があるのに、以前のように祈りが出来なくなっていることに気付きました。
その理由として、「ストレスのない穏やかな生活」だからではないかという、贅沢な結論に達しました。
子どもの頃から、空を見上げると神様がそこにいらっしゃるのを感じます。
台風の後の空がとても美しく、祈りを捧げなければという気持ちで目覚めた10月最初の朝です。
犬養道子さんが、フランス語版共同訳の訳文を交えながら解きほぐされた『主の祈り』をご紹介します。
父よ。われらの父よ。天にいます。
あなたがどのような方であるかが、みなに知られますように。
みくにを来させてください。
あなたの御計画が全うされますように!
人の眼に見えない天のリアリティ(神の国)の中でもはやすでに全うされているあなたの御望み(計画)の似姿が、この地上にも実現されてゆきますように。
わたくしたちが必要とする糧をこんにち、お与えください。
あなたに対しわたくしたちがつくってしまった負債をおゆるしください。わたくしたちもまた、負債をわたくしたちに対してつくった人々をゆるしますから。
わたくしたちを誘惑にひきこまないでくださいませ。
わたくしたちを悪の力から解き放ってくださいませ。
わたくしたちもせいいっぱいつとめますから。
他人をゆるし、父であるあなたに信を置き、父よと呼びかけて、みくにの到来、成就を日々求めますから。
(このシリーズの本は既に廃盤となっており、Amazonなどで中古本をお探しになることになります。)
今週も皆様にとって素晴らしいお恵みの日々となりますように。
反対側から考える。
これは、わたしたちが普段見ている景色の反対側からの様子です。
日曜日の朝、教会に集まり、ミサ前に祈るわたしたち。
日々への感謝の祈り、病床の家族への祈り、死者の安息のための祈り、様々な気持ちで目を閉じ、手を合わせて祈る信徒の姿。
普段この様子を祭壇側から見ている司祭は、どう感じていらっしゃるのでしょうか。
侍者の子どもたちは何かを感じているでしょうか。
今日は、一枚の絵をご紹介します。
『十字架上のキリストが見たもの』
と題された、19世紀後半の画家、ジェイムズ•ティソの作品です。
この絵は、ニューヨークのブルックリン美術館にあります。
初めて見たときの衝撃は忘れられません。
十字架上のイエス様の絵は多く描かれていますし、磔刑のご像はよく目にしているわたしたちですが、イエス様が十字架上から見た景色を想像したことはあるでしょうか。
イエス様の足元にすがりつくマグダラのマリア、後ろに聖母マリア、若い使徒ヨハネ、馬に乗った祭司長たち、鎧姿のローマ兵
「絶望する者、嘆く者、見物しにきた者、、、愚かで救いがたい哀れな人間たち。
だからこそ救わねばならぬ人間たち。
彼らをイエスは慈愛の眼差しで見下ろしていたのだろうか。」
中野京子 著
名画の謎 旧約新約聖書篇(文春文庫)より
普段の生活の中で、相手の立場に立って物事を考えたり、人の気持ちを推し量ったりすることはわたしたちにも出来ます。
誰かのために祈るだけではなく、実際に目の前の家族や友人の立場から見た景色を想像して、優しい気持ちで接することができますように。
筑後地区の信徒親睦
第3回筑後地区信徒親睦レクレーション大会が、太刀洗勤労者体育センターで開催されました。
小教区毎に分かれて並び、主の祈り、被災者のための祈りを唱え、開会しました。
ご覧の通り、シスターもスニーカーでやる気満々です。
総勢約180名の参加者が汗を流しました。
小郡、大牟田、二日市から各10~20名
久留米、本郷からは各30~40名
何と今村からは、場所が近いと言う事もありますが、90名近くの方が参加されていました。
各教区の方々がバラバラに4チームに分かれて競技が始まりました。
普段見ることのできない出で立ち、赤いキャップの宮崎神父様も健闘されました。
左の紫色のTシャツは二日市の竹内神父様です。
オレンジポロシャツが小郡の山元神父様。
水色シャツが本郷•今村の竹森神父様です。
残念ながら出張中の大牟田の神父様は欠席でした。
(説明がなければ、この写真に4人も司祭が写ってるとは気づかないでしょう!貴重な写真です!)
大牟田教区から来られたシスターと信徒の方々が生演奏で歌を披露してくださいました。
休憩中に、子供たちvs大牟田のシスター+二日市の神父様チームでバドミントン対決して遊んでいたりして、嬉しくなる親睦の一コマ。
最後は福引き大会があり、幸運の右手と言う事で、神父様方がくじを引いて下さいました。
1等は大牟田教区、特賞は久留米教区の信徒に引き当てられました!
敬老の皆様にもお祝いが配られ、最後まで楽しく交流することができました。
今村、本郷、大牟田からは子どもの参加多かったのが印象的でした。
来年は、久留米教区からももっとたくさんの参加者で臨みたいと思います。
祝!:万寿会で先輩方とお祝い
9日のミサの後、75歳以上の信徒(先輩方)の健康を祝して、万寿会が開催されました。
先輩方はもちろん、参加させてもらうわたしたち全員が楽しいひと時を過ごすことができる、毎年恒例の行事のひとつです。
ジュゼッペ神父様ももちろん、対象者です!!
子どもたちからのお祝いの言葉とお菓子のレイをかけてもらい、
食事を楽しんでもらいながら、聖歌隊の歌やフィリピングループのバンブーダンスを鑑賞してもらいました。
宮﨑神父様、ジュゼッペ神父様、出席者やスタッフもバンブーダンスに参加し、大変な盛り上がりとなりました。
ホールに集まった全員で、唱歌も楽しみました。
信徒全員でこの日を祝い、久留米教会がひとつになってお恵みをともに分かち合え、
心の底から楽しむことができた万寿会でした。
日曜学校始業式とカキ氷
子どもたちにとっては、あっという間の夏休みも終わり、日曜学校の始業式にも日焼けした笑顔が揃いました。
聖歌の練習とジュゼッペ神父さまからのお話の後には、ヨゼフ会の方々がカキ氷を振舞ってくれ、子どもたちは大喜び‼︎
涼しくなってきたとはいえ、まだまだ照りつける太陽から木陰へと移動し、2.3杯お代わりする子もいて大盛況でした。
業務用の本格的なカキ氷製造機です!
トルコには「ブドウはお互いを見ながら熟す」という諺があるそうです。今月からは新入生も加わり、益々子どもたちの成長が楽しみです。
子どもたちの笑い声が響く日曜の風景は、わたしたちに幸せを感じさせてくれます。神の恵みがみんなの上に豊かに注がれますように。
教会でのさまざまな役割
久留米市は、全国ニュースでもよく取り上げられるほどの猛暑が続いています。
教会の中は空調が効いていてとても過ごしやすいのですが、秋の訪れが待ち遠しいですね。
昨日も、ギラギラとした日差しを浴びて、教会が美しい夏の姿をしていました。
毎月第4日曜日のごミサの後に、教会委員会が開催されています。
久留米教会も、他の組織、会社などと同様に、様々な役割を担ってくださっている信徒がいて、運営されています。
耳が不自由な方のために新しいイヤホンシステムを作って導入してくださった営繕委員会や、
納骨堂を管理してくださる委員会などがあります。
その中で、昨日議題として上がったのが、納骨堂の管理規約をタガログ語に翻訳したい、という件。
納骨堂の購入を検討しているフィリピン人信徒が多くなり、「ルールをきちんと理解できるようにわたしが翻訳したいのですが、いいですか」とフィリピン人のある女性から申し出があったと。
みなさんがそれぞれの役割を自覚し、対応されている姿に感動しました。
久留米は耳納連山と筑後川に囲まれた地形のために暑さが厳しいようですが、
その大自然の恵みに感謝したくなる風景です。
素敵なゲスト:山頭神父様
久しぶりに、日曜日のごミサに山頭 原太郎神父様がお越しくださいました。
いつも、大人気の神父様です。
大正13年9月20日生まれで、来月で94歳になられます!!!
若い頃、ローマに留学されていたので、イタリア語が堪能。
「ホームページに載せるから神父様の周りに集まって~!」
と声を掛けたら、あっという間にたくさんの子どもたちが集まってくれました。
普段は福岡市浄水通りの司祭の家にお住まいですが、
久留米教会には時々来てくださいます。
昨日も、家から最寄りのバス停まで歩き→バスで駅→電車で久留米駅→駅から教会まで歩き!という長旅をお一人で。
何度も書きますが、もうすぐ94歳です。杖もお使いになっていません。
「神父様は時々いろいろな教会へこうして行かれるのですか?」と伺ったら
「最近は人気がなくなってきて、どこにも呼んでもらえないんです。。。。」と。
「久留米教会はいつもお待ちしていますし、涼しくなってきましたからまたいらしてください!」とみんなでお伝えしました。
昨日のごミサで歌った聖歌はまさに、神父様とその周りに集まった信者たちの様子を表しているような気がしました。
『幸せな人
神の恵みを受け
その喜びに
生きる人』
恒例:夏の大納涼祭!
毎年恒例の、皆さんが楽しみにしている日がやってきました。
この夏の大納涼祭には、神父様の思いも込められています。
「土曜の夜のミサ、日曜の早朝ミサ、9時のミサ、この3つの主日ミサに参加している信者同士の親睦の場になれば、と思っています。
横のつながり、わたしたち久留米教会共同体のコミュニケーションの場に。」
と宮﨑神父様がおっしゃっていました。
日本人、フィリピン人、インドネシア人、ベトナム人、そして我らがイタリアン・ジュゼッペ神父様。
グローバルな集いとなりました。
ベトナム出身のピーター神父様による歌とダンスもあり、
ジュゼッペ神父様は手品と歌、お得意のサンタルチーアとオーソレミーヨを熱唱してマイクを握り続け。(笑)
コレジオの学生と船津神学生も駆けつけてくださり、歌を披露してくれたり、子どもたちも大喜びでした。
ヨゼフ会と女性の会が企画から準備、買い出しと大活躍で、酷暑の中、いろいろな国と年齢の信者同士の素晴らしい親睦の場となりました。
久留米教会:海外通信~ボリビアより~
久留米教会の信徒には、海外でボランティア活動や仕事をしながら
布教活動の一端を担っている方が数名いらっしゃいます。
そのお一人である、ボリビア在住の女性からの海外通信をお届けします。
ボリビアは、信仰の自由を認めた上でカトリックを国教に制定し、
国民の9割がカトリックを信仰していると言われています。
コチャバンバという町で、ボリビアで最も重要な宗教的な祭典、
ウルクピーニャが8/14~16まで開催されます。
聖母マリアを讃えるお祭りで、もともとは土地の肥沃さを象徴する
聖母カウィリャカというアンデスの女神を祝うもので、
この地に入ったカトリック、聖母マリアへの信仰と結びついたのが、
現在のウルクピーニャなのだそうです。
まだ本番まで日があるのですが、7月末からすでにマリア行列などが始まり、
町はお祭りムードに包まれているそうです。
8/15本番の際には、前の日から町が歩行者天国になり、
歌に踊りに、と夜通しパレードが盛大に行われるようです。
日本カトリック平和旬間と子どもたち
平和を守るために、願望としてだけでなく行動することを勧めるため、もっとも身近で忘れることのできない、広島や長崎の事実を思い起こすのに適した8月6日から15日までの10日間は「日本カトリック平和旬間」と定められています。
日本カトリック平和旬間とは?
https://www.cbcj.catholic.jp/faq/heiwajunkan/
久留米教会では、ミサの聖体拝領の時、子どもたちが聖歌を歌ってくれます。
子どものための聖歌集もあり、子どもたちは、歌い終わってからご聖体をいただきます。
平和を子どもたちに残したい、そう強く思います。
平和旬間の期間に久留米教会では、広島の原爆で被爆し、12歳で亡くなった佐々木禎子さんにちなんで、千羽鶴を折ることにしました。
佐々木禎子さんについて
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0107/exh01071.html
女性の会が折り紙を準備します。
みなさん、心を込めて祈りを込めて、千羽鶴に平和を託しましょう。
久留米教会における召命
久留米教会から、2人の神学生が召しだされています。
☆船津 亮太さん(35) 久留米市長門石出身
日本カトリック神学院 福岡キャンパス 神学科3年
「2年の哲学科を終え、神学科に進んで3年になりました。
このままうまくいけば、あと半年で助祭に叙階されることになります。
いつもお祈りいただき、ありがとうございます。」
☆横山 智さん(17) 久留米市善導寺町出身
長崎カトリック神学院在籍(高校3年生)
「まだまだ道のりは長いですが、
これからもよろしくお願いします。」
召命は、わたしたち久留米教会のみならず、日本のカトリック信徒にとって
素晴らしい、大きなお恵みです。
これからも、一人でも多くの志願者が神の招きに応えることができるよう、
祈りを捧げましょう。
(どうしても一緒に写りたかったジュゼッペ神父様)
『召命を求める祈り』
主イエス・キリスト、魂の牧者よ
この困難の多い現代社会の中に生きる若者が
内と外のさまざまな声の中から、
「わたしに従いなさい」という優しく力強いあなたの呼び声を
聞き分けることができるよう彼らの心を開いてください
一人ひとりの心をあなたで満たしてください
人生における真に善いこと、美しいことへのあこがれ、
福音を完全に生きたいとの望み、人々の救いを求める情熱を、
多くの若者の中に燃え立たせてください
おとめマリア、特にあなたの御子により近くから従うようにと
招かれている若者を委ねます
あなたが天使のお告げを受けた時になさったように、
彼らが神の招きに「はい」と言えるよう助けてください
(ヨハネ・パウロ2世教皇様の祈りより、福岡司教認可)
西日本豪雨 被災者のための祈り
いつくしみ深い神よ、
平成30年7月に起こった豪雨とその二次災害によって、
いのちを奪われた方々を、あなたの家に迎え、永遠の安息を与えてください。
あなたは、また、苦しみの中にある人々とともにいて、慰めてくださいます。
すべての被災者を顧み、必要な助けの手を差し伸べ、
遭遇している困難を乗り越える勇気と力で強めてください。
そして、周りの善意の人々が互いに協力して、
支援の輪を広げていくことができるよう、助け導いてください。
すべての被災者が一日も早く平穏な生活に戻ることができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
(広島教区 白浜司教 認可)
神と自然の営み~災害時に思う~
この度の西日本豪雨で被害にあわれた方々のために祈ります。
(わたしたちの多くがこうした災害時に感じることについて、宮﨑神父様にお話を伺いました。)
このような自然災害に襲われた時、「神はなぜ人々にこのような苦難を」という気持ちを抱いてしまいます。
自然は神が造られました。自然の営みは神の計らいのうちにあります。
ですが、神はご自分が介入されるのではなく、自然に任せておられるのです。
わたしたち人間は、人工的快適さを過度に求める生活を見直し、
これまでの多くの災害から学び、被害を最小限にとどめる知恵を得る努力を重ねていく以外ないのです。
『シオンは言った、「主はわたしを見捨てられた。主はわたしを忘れてしまわれた」と。
女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の腹にいた子を憐れまないだろうか。
たとえこの女たちが忘れても、このわたしはお前を忘れない。』
イザヤ書 49・14~15
女性の会の有志によって手入れが行き届いた久留米教会の花壇。
わたしたちの心を癒してくれます。
自然の営みと人間の共存を思い起こさせる風景でもあります。
女性の会巡礼の旅『福者ペトロ・カスイ岐部』
年に2回、女性の会で巡礼の旅に出かけます。今年1回目の巡礼は、日本人で初めて聖地・エルサレムに行き、ローマで司祭となった福者ペトロ・カスイ岐部の出身地である国東市。
その後、城下町・杵築に佇む杵築カトリック教会を訪れ、ごミサを捧げました。ここには、世界に5体しかないと言われている、聖ピオ神父様が聖別したマリア像の1体があります。
日常の喧騒から離れ、こうして他の教会で祈りを捧げる機会は豊かな信仰の糧となります。
苦難の時代に信仰を深めて殉教した、多くの先人たちのためにも祈りました。
ペトロ岐部と187殉教者(カトリック中央協議会HP)
https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/kibe187/
熊本地震の復興支援・田植え
熊本地震から2年が経ちました。それ以来、福岡教区でも、当時の久留米教会主任司祭であった森山信三神父様を筆頭に復興支援ボランティアが続けられてきました。
昨年に引き続き西原村にて、久留米教会の信徒も参加して70名ほどで田植えのお手伝いをしてきました。
地元の方がいろいろと準備をしてくださり、心温まるおもてなしまで受け、子どもたちとともに賑やかに楽しい一日でした。
父の日とヨゼフ会
「ヨゼフ会」という、40歳以上の壮年男性のグループがあります。
ヨゼフ様の生き方に学び、奉仕と会員同士の親睦を深めることが目的です。
昨日は父の日でした。わたしたちはいつも「父である神を信じます」と唱えています。
わたしたちにとっては父とは神様です。そして、神父様方もまた、お父さんです。
日頃、感謝を上手に表せないことを反省し、父である神、家族であるお父さんのために祈りました。
ヨゼフ会のお父さんたちが、お茶やお菓子をふるまってくれることもあります。
さまざまなミサのかたち。
毎月第2日曜日の9時のミサでは、手話通訳が行われています。
現在、「主和の会」として5名の方が従事してくださっています。
また、毎月第2日曜日の15時からはベトナム語で、
毎月第3日曜日の15時からは英語で、ミサが捧げられています。
久留米教会には、さまざまなかたちで、そして多くの方々に参列していただけるミサがあります。
『キリストの聖体』主日ミサ・聖体拝領の様子
カトリック信者は、ミサでご聖体をいただきます。
日曜日ごとに心を一つにしてご聖体をいただくことは、キリストの愛をいただくことです。
久留米教会は900名を超える信徒数の教会で、主日のミサは毎週400名ほどが参列します。
三位一体の主日の聖母祭
5/27(日)のミサの後、幼稚園の園庭にあるマリア像を囲んで、
大勢の信徒が共にロザリオを唱えて祈りを捧げました。
ミサの中で宮﨑神父様から、三位一体の神との一致の大切さについてお話がありました。
「信仰は一人ではぐくみ生かすものではなく、教会共同体の繋がりの中で深まるものです。」
共同体の多くの信徒とともにロザリオを唱えながら、このことを深く考えることが出来ました。
フィリピンコミュニティの聖母マリア祭
多くのフィリピン出身の方々が参列し、盛大にマリア祭とミサが捧げられました。
天候にも恵まれ、素晴らしい祈りの日曜日となりました。
祭壇奉仕者選任式
祭壇奉仕者の選任にあたって
ペトロ 船津 亮太
「自分をささげる」神学院の授業で耳にしてメモしていた言葉である。これを黙想し、その意味を深められたなら、わたしは祭壇奉仕者選任を前にして準備万端、安心だろうと思っていた言葉である。
考えてみたら、信徒の皆さんはすでに教会に自分をささげておられ、先輩信者としてキリスト者の道を歩んでおられることに、すぐに気づかされた。わたしたちは皆、飼い主であるイエス・キリストに従って歩むのだ。そうであるなら、イエス様がわたしのことも導いてくれるから、わたしは行く。飼い主イエス様が自分をささげたように、わたしも自分をささげてみたい。この一生を賭けてみたい。わたしはご聖体をあずかることの尊さ、その重みをひしひしと感じつつ、選任にあたってこのように決意を固めた。
祭壇奉仕者の選任まで来られたのは、自分の力ではなく、常日頃、祈り、ささえてくださった方々のお陰だとあらためて感じる。その祈りに応えたいと思い、わたしはまた一歩、歩みを進める。選任式で「奉仕にふさわしい人になってください」とお願いされ、わたしは「アーメン」、つまり「そうなりますように」と答える。これからもふさわしい者となれるよう、努力していきたい。しかしイエス様のように「自分をささげる」ためには自分の力だけでは限界があり、充分ではないとも感じている。そんなわたしのために、これからもお祈りいただければ幸いです。
ヨゼフ会の発足式
久留米教会の壮年男性(40歳以上)で構成される「ヨゼフ会」は、ヨゼフ様の生き方に学び、教会共同体の中で積極的に奉仕し、祈りと会員同士の親睦を深めることを目的に発足しました。これら使命と役割を遂行していくために『ヨゼフ会会則』も作りました。たくさんの壮年男性の方々が参加し、久留米教会の発展のために尽力してくださることを心より期待しています。
神学院祭
マイクロバス2台で毎年恒例の神学院祭(旧「召命の集い」)に参加しました。
今年の野外ミサは京都教区の大塚司教様が司式されました。
司教様は講演会され、神学生の劇まで御覧になっていました。
九州だけの集いから全国規模にまで拡大されたようで歴史を感じます。
懐かしい神父様たちに逢える楽しみが、また来年も!・・・という気持ちにさせてくれました。
大分トラピスト修道院巡礼
月曜日の秋晴れの朝、湯布院ICを降りて由布岳の裏手にある大分トラピスト修道院を訪ねました。
山奥の静けさの中でミサに与り癒されました。
売店では、ここでしか買えない「超レアなお土産」をたくさん購入しました。
「お告げの祈り」の時間になり、院長様のご厚意で聖堂へ移動し、修道士たちが座られる席で祈ることが出来ました。
たくさんのお恵みを頂いた小巡礼でした。
敬老会
台風のため司祭館で開催しました。
ヨゼフ・ゴーバンタン神父様(ヴェトナム人司祭)の初ミサ
ヨゼフ・ゴーバンタン神父様(ヴェトナム人司祭)の初ミサ
大納涼会
今年も、大納涼会が行われました。
ポルチウンクラ全免償ミサ
夕刻、ミサの前に告解をする人の列が見られ、告解の時間が足りずに、ミサ後に告解する人もいた程みな熱心でした。
全免償が得られる貴重なこの日は、75名程が7時からミサに与りました。
免償について
主任司祭 宮崎 保司
教会は伝統的に赦しの秘跡を受ける信者に対して罪を許す代償として、償いの祈りを課しています。そして、それらの償いを定められた善行や祈りに変えてもらうこともできます。一部とか全部を免除されることを免償と呼びます。通称、部分免償と全免償と呼びます。全免償は果たすべき償いを全部ゆるされ、部分免償は一部ゆるされます。但し、免償を受けるには3つの条件が必要です。
第一には大罪を犯していないこと。犯していれば赦しの秘跡が必要です。
第二には免償を受けたいという強い意志が必要です。
第三には教会が定めた事柄を果たすことが必要です。
以上の三つの条件を踏まえた上で、例えば叙階された新司祭の初ミサに与ったり、銀祝、金祝、60周年ミサに与るなどすれば、全免償がいただけます。また、小教区の保護の聖人祝日ミサや8月2日のポルチウンクラの祝日にミサに与るなどがそうです。部分免償は、聖体訪問や司祭からの祝別されたロザリオやスカプラリオの信心用具を使って祈ったり、十字架の道行の祈りを唱えることがそうです。罪が許されるのではなく、償いの一部や全部が免除されることを意味しますので、間違いのないようにご注意ください。
※久留米教会で受けられる全免償は、ポルチウンクラ全免償ミサと6月30日の至聖なるイエズスの聖心の祝日です。
信徒総会
宮崎保司神父の祈りと挨拶があり、議長、書記が選出され議事が進行しました。
教会委員長が挨拶され、新役員、監査役が紹介され宮崎保司神父により承認と認証がなされました。
審議事項として2016年度の教会行事活動報告と決算報告及び監査報告がなされ、2017年度の教会行事活動予定と会計予算案が提出され、承認。ほか、新納骨堂の案内と納骨堂管理規則の一部改定が説明されました。
信徒より、若者の悩みに対応することが教会としてできないだろうかという旨の発言がありました。
「より活発な教会を目指して」と題した文章を配布され、日本の信者数が伸びていない現状を鑑み、教会を活性化する様々な提案をされた。この中で、初めて教会を訪れる人に対応できるように受付を置いていただきたいと提言があった。
宮崎師の霊名ペトロ記念日
祝辞 信徒会長
宮崎神父様、6 月29 日(木)は聖ペトロ聖パウロ使徒の記念日でした。遅ればせながら、御祝い申し上げます。この聖人の霊名を頂いている人は、久留米教会内にもたくさんおられると思いますが今日は、宮崎神父様が代表されてお受け下さい。
久留米教会に赴任されて2ヶ月ほど過ぎましたが、印象は如何でしょうか?都会の組織的な教会運営から見れば、久留米教会はまだまだの状況でしょう。私たち久留米教会の信徒は、急激な変化に付いて行けないところがあり、少しもどかしいかもしれませんが、ゆっくりでも御指導に従って付いて行きます。
毎日、久留米教会信徒のためにお祈りを捧げて下さっている宮崎神父様、本当にありがとうございます。私たち久留米教会は「祈る共同体を目指す」というコンセプトを持っています。宮崎神父様と共に祈って行けば、これからドンドン良くなって行く事でしょう。
蛇足ではございますが、神父様が赴任されると知った人たちの中に、ネットで検索して「私に良く似ている」と言って話題になりました。メガネを外してミサをしていても解らないんじゃないか?・・・等と冗談を言っていました。来られる前から神父様に親近感を持っていた事は確かです。宮崎神父様、どうぞ信徒の中にどんどん入って来て下さい。
後は、神父様の健康が心配です。独自の健康管理術をお持ちのようですが、早めの受診または、信者さんの中におられる医療関係の方々に御相談下さい。
宮崎神父様、これからもどうぞ宜しくお願いします。
至聖なるイエズスの聖心の祝日
夜7時より至聖なるイエズスの聖心に奉献された久留米教会の献堂62周年を記念しミサがささげられました。
80名程の信徒が参加されましたが、久留米教会の特別な記念日ですので来年度は多くの信徒の方の参加をお待ちしています。
天草へ日帰り巡礼
快晴に恵まれたこの日(月曜日)、女性の会では恒例の日帰り巡礼へ行ってきました。
今年は、熊本県天草の教会を巡ってきました。
崎津教会でミサをささげ、大江教会を訪ねて、渡辺神父様から教会について迫害時代の信仰の歴史などについてお話を伺いました。
明治時代から大正時代にかけて、九州の教会建築史にその名を馳せた鉄川与助氏作の両教会は、ゴシック建築様式の崎津教会とロマネスク様式の大江教会と、違った建築法であることを学びました。また、教会堂の支柱が地上と天国を結ぶ重要な意味を持っていることの説明に一同感動を覚えました。
当日は宮崎神父様と森山神父様も参加され、総勢35名の巡礼団となりました。予定通り無事に楽しく巡礼ができたことを、神に感謝しました。
女性の会会長
聖母行列 2017/5/28
カトリック久留米教会で今年も聖母行列が行われました。
復活徹夜祭 2017/4/15
復活徹夜祭
また、5名の方が洗礼を受けられました。
教会学校の黙想会
3月26〜27日に「かみさまの愛」というテーマで教会学校の黙想会が行われた。森山神父様により、神の愛を証したコルベ神父様やダミアン神父様、オスカー・ロメロ司教様の話がなされた。子ども達は「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネ15:13)」や「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことである(マタイ25:40)」などの聖書の言葉を覚え、神様の愛について黙想し、学びを深める良い機会となった。
四旬節黙想会(3月22日~24日)
指導:十時伸治神父(武雄、多久教会)
今年の黙想会のテーマは【教会は神様の家族】でした。
やはり、お手本となるのは聖家族ですが聖書に詳細な記述はありません。そこで神父様は、聖書の文言から書かれていない部分を思いめぐらし、イエス様の御言葉に耳を傾け、「祈り」という共に対話する時間を黙想するよう勧めておられます。家族には父親的、また母親的な役割に加えて、祖父母といった熟練者の知恵も必要であると聖書から引用されました。
核家族が増え、仕事に追われる現代の家族が病んでいる要因の一つに家庭の崩壊があります。母親が子供に教える最初の言葉が「祈り」であったらどんなに良いことでしょう。しかし、様々な問題が山積する現代の家庭は複雑で、混沌としています。
教会は信仰を共にするものが集い、共に祈り、分かち合い、御聖体を頂いて光を受け、そして主に派遣されていく処・・・すなわち【教会は神様の家族】だったのですネ。
ニューヨークという人種の坩堝・・・現代は人種のサラダボールという表現を使うそうですが・・・その傷ついた街、傷ついた人々、国家や宗教そしてマスコミなどのフィルターを通して見ることよりも、人として、同じ人間として心から触れ合う大切さを、聖書を通してお話くださいました。
そして3日目の夜の今夜・・・「ありがとう」、「ごめんなさい」・・・このシンプルな言葉を心から素直に言えているだろうか? 特に神様に対して・・・この気持ちを持ってミサに与ります。そして力を頂き、また明日から頑張りたいと思います。十時神父様、お疲れ様でした。(謝辞より)
洗礼おめでとうございます
四旬節第3主日のミサで3名の幼児洗礼式が行われました。
日本の信徒発見の聖母ミサ
夜7時から荘厳なラテン語聖歌とともにミサが捧げられた。
森山神父様の説教の中に殉教も厭わなかった禁制時代のキリシタンに思いが込められていた。
船津亮太神学生朗読奉仕者選任式
四旬節に入った3月5日、宮原司教の司式のもと、二人の助祭、神学生も奉仕者として駆けつけ、ペトロ船津亮太神学生の朗読奉仕者選任式が行われました。
式の中で名前を呼ばれた船津神学生は、前に進み出て、司教の訓話を受け、さらに聖書を手渡され、正式に朗読奉仕者として選任されました。司教は説教の中で、「神さまは、その民の中から、民のためによろこんで奉仕する人を求めておられる。日々聖書を読み、よきみ言葉の奉仕者となってください」と励まされました。また、船津神学生は、式後の挨拶の中で、「久留米に帰ってくる度に、この教会に守られていると感じる。3年間ここまでやってこられたのは、皆さんのお祈りに尽きる」と述べました。さらに選任にあたり以下ようにその思いが寄せられました。「朗読奉仕者として新たな一歩を始めるにあたり、これまでわたしとともに歩んできた一人ひとりのお顔が思い浮かんでいる。頼るべき親や家族と別れ、ひとり孤独の悲しみにうちひしがれる方。自分にはどうしようもない現実を前にただ泣き叫ぶしかない子。病の苦しみの中にあって生きる希望が見出せない人。子の命の危機にあってただ一心に祈りをささげる親。選任式でわたしは名前を呼ばれ『はい』と返事する。それはラテン語で“adsum”。『わたしはここにいます』。そのとき神はわたしを民の中から呼ばれ、みことばをゆだねられる。ここにいるわたしたちが神のことばによって生きる力を得るために、わたしはみことばを黙想し、それを生きる朗読奉仕者として一歩を踏み出す」と。式後は、信徒会館に場所を移して、なごやかに茶話会が催されました。
今村信徒発見150周年ミサ
この日に今村でカトリック信徒が発見されて150 年を迎える。記念ミサ(祝賀行事)に参列することが出来、感謝の気持ちで心高ぶるものがありました。記念ミサ司式は駐日教皇大使チェノットゥ大司教、宮原司教様、竹森主任司祭ら6名ほどの共同ミサで盛大に催されました。ミサ前に地元の大刀洗混声合唱団による宗教音楽で花を添えて下さいました。
長崎の大浦天主堂の信徒発見から2年後に、4名の浦上地区の信徒が商売人になりすまして会話する中で、宗教の話題に触れた時に同じ信仰に通じる点を発見されるお恵みをお互いに見出しました。
今村カトリック教会は長崎県内の国指定の教会群の設計者である鉄川与助氏の設計で最大級の建立物であります。私達も近郊の久留米市に在住していますが今村カトリック教会を全国に誇れる教会と自負しています。
ペトロ 浦
命の尊厳についての講演会
9時の主日ミサ後に生命山シュバイツアー寺(玉名市)の僧侶、古川龍樹氏による講演が行われた。古川龍樹氏は1947 年の福岡事件のような冤罪を訴える死刑囚の再審請求運動を、父であり僧侶である古川泰龍氏から引き継いで活動しておられる。講演では半世紀の歴史を熱情込めて話されていた。死刑となった人の名誉を回復するために粘り強く行動されている。寺の名は感銘を受けた方よりシュバイツアーの遺髪を贈られたことによる。
ベトナム語によるミサ
12時よりベトナム語によるミサが捧げられ、久留米地区及び福岡県内から約100名の青年が参加して交流を深めた。
司式は、茶山教会主任のドミニコ会司祭のピーター師によるものであった。福岡地区は浄水通教会にて月一回ベトナム語ミサがあげられており、今回はそのコミュニティが久留米地区のベトナム人にインターネットのフェイスブックなどを通じて呼びかけ、実現したものである。
ベトナム人の青年は20代前半の若者ばかりであり、就労研修として来日している人や、日本の大学に留学するために日本語学校に通っている方などがいた。3~5年のビザ期間中に就学や就労で学び、帰国後のキャリアに生かすようだ。
縁あって来日中の彼らに何かできることはないだろうか?ととりあえず笑顔で挨拶しようと思う。
幼児洗礼式
2月5日のミサの中で、2名の幼児洗礼式が行われました。
森山師の霊名のお祝い
1月15 日(日)のミサにて森山師の霊名スルピスのお祝いが行われた。森山師は今年叙階29 周年を迎える。今後の師の健康と司祭職の完遂を願い、霊的花束が贈られた。森山師からは若い人達への「司祭職への呼びかけ」があり、終始和やかなセレモニーとなった。
韓国より巡礼団ミサ
司祭を含め13名の信徒が来られ、韓国語によるミサが捧げられた。回心の祈りで胸を3度打つ伝統的なしぐさを見ることができた。日本人の方も数名参加し、国は違えども、ともに同じ信仰を共有し、ミサを祝う貴重な機会となった。
神の母マリア 成人のお祝い
6名の新成人が祝福された。新成人の中には学生として勉強している方や、社会人として働いている方がおられた。主任司祭から「現在興味のあることは何か」と質問されると、それぞれに大学で勉強していることや、将来のことについて語られていた。看護師など医療系の職を選んでいる方が数人おられ、それぞれに自分の道を堅実に歩んでおられる印象を受け、たのもしく心強い思いがした。ミサの中で新成人のこれからの歩みに神様の豊かな祝福があることをお祈りした。
ミサ後は信徒会館で茶話会を開き、おのおの懐かしい面々と顔を合わせ、昔の教会学校のときの思い出話や、近況などについて会話がはずみ、皆で新成人との交わりのひと時を楽しんだ。
夜半のミサ
クリスマスの夜半ミサが12 月24 日19 時より行われた。聖母幼稚園の園児達は聖歌を大きな声で歌い、教会学校の聖歌隊も幼子イエス像の前でお祝いの聖歌を捧げるなど、子ども達とともに主の降誕をお祝いする御ミサとなった。祭壇前に置かれた飼い葉桶のなかに、すやすやと眠るその幼子は、私たち一人ひとりに「幼子のようになる」ことがどんなことかを今一度思い起こさせるようであった。クリスマス以降も降誕節中は御子像が祭壇前に置かれており、御子様に向かって静かに黙想のひと時を過ごす信徒の姿もたびたび見られた。
タグレ枢機卿をお迎えして
11 月30 日、国際カリタス会長並びにマニラ大司教のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿が、久留米教会英語ミサ参加者の聖書分かち合いグループ(KPEMP-BSG)の創立15 周年をお祝いするため久留米教会を訪問された。12 時半頃に久留米教会に到着され、まるでスターの到着のような熱狂的な歓迎を受け、祭壇の前に跪いて会衆と一緒に祈られる姿は印象的だった。そして、13 時から講演会が始まって、その後英語で10 名ほどの司祭とともに主日ミサを司式された。
タグレ枢機卿の講演会は2 つの大きな部分に分けられている。第一部は、「あらゆる場でキリストの福音を告げ知らせる」というわたしたちの共通の使命で、第二部は、「神のいつくしみの良い知らせ(福音)をもたらす」ことであった。
第一部では、枢機卿は「洗礼を受けたすべてのキリスト者はみんな宣教師だ」と語り、イタリアで働くフィリピン人の出稼ぎ労働者たちのお話をされた。海外で働くフィリピン人たちにとって、家族のために働くことはもちろんのことだが、実はもう一つの使命が一人ひとりに与えられている。その使命は「自分の信仰を周りの人(特に現地の人々)に伝える」ことである。信仰を伝えるために絶対不可欠なこと、それはキリストを知り、キリストに出会い、キリストを体験していなければならない。福音では、イエスとサマリアの女の出会いがそのモデルとなっている。イエスと出会った後、イエスとのかかわりを深めるために、祈りの生活を育む必要がある。
また、キリスト者であることをキリストをまだ知らない人々に伝える必要がある。しかし、キリスト者って何?病院で働くある韓国人の女性が、いつも明るく、あふれる笑顔で昼食をとるフィリピン人の医師と看護師たちの姿を見て、興味を持った。彼らがキリスト者だと分かって、韓国人の女性は「キリスト者であることがこんなに幸せなら、わたしも信者になりたい」と言い、勉強をして、洗礼を受けた。現在、この女性は自分の所属教区の神学的相談役(lay theological consultant)として活躍している。
タグレ枢機卿はネーパル地震の後、国際カリタスの会長として、現地に赴き救急活動に参加された。食べ物がないかと待っていたとき、現地のネーパル人たちは自分で作曲した歌を歌っていた。「地震が起きたばかりで、食料が全くなくて、キリスト者の皆さんに歌しかあげられない」と現地の人々は言った。キリスト者が一人もいない現地の人たちにとって、キリスト者とは、「他人を愛してくれる人で、たとえ、キリスト者でない人も愛してくれる人」だと認識されていると、枢機卿は涙を流しながら、皆に分かち合ってくださった。
第二部では、神のいつくしみについてお話をなさった。「優しさがなければ、人間は人間らしさを失ってしまう」と述べ、国際カリタスで扱った人身売買の事例の一つについて語られた。「お金のために、他人を商品のように売ることができる人たちは、もはや人間ではない」と、厳しく指摘された。
家庭でも、夫婦間あるいは、親と子どもたちの間で、優しさが欠けていないかどうか、確かめる必要がある。家族の一人ひとりを課題として見るより、みんなが賜物だと認識すれば、家庭に優しさ、いつくしみなどを取り戻すことができる。
「他人に責められないために、人間は自分の強さを見せる」という考え方が多くの人々に普通だと思われるが、これは神の道ではない。実は、神のやさしさは十字架にある。旧約聖書では、神のいつくしみは「はらわたがちぎれるほど」の思いを表す言葉であり(MV 6)、子どもに対する母の本能的な愛情に例えられる。例えば、海外でベビーシッターの仕事をしているフィリピン人の母は、雇い主の子どもたちのお弁当を作りながら、フィリピンにいる自分の子どもたちのお弁当を誰が作っているだろうと考えている。だから、自分の子どもに対する愛をもって、雇い主の子どものお弁当を一所懸命このお母さんは作るだろう。彼女が自分の子どものことを忘れたとしても、神様はわたしたちのことを決して忘れることはない。神様のやさしさは、わたしたちの頑な心を和らげることができるでしょう。
最後に、「どうやって人のために宣教師になるだろう?」と枢機卿は問いかけた。同情だけでは十分ではない。「わたしは助けている貧しい人々の一人ひとりに、イエスの顔が見える」と言うマザー・テレサのように、全世界に特に、病気をしている、あるいはけがをしている人たちに、行いを通して、イエスの優しさといつくしみを示す必要がある。
(エリック神学生翻訳)
七五三おめでとう
11 月13 日、七五三のお祝いがありました。7 歳以下の子どもたちが招待され、30 人ほどが両親に連れられて、ミサに与りました。和服姿の子どももいて、お祝いに花を添えました。司祭は説教の中で、両親を大切にすること、毎日の祈りを欠かさないことなどをユーモアを交えて話しました。共同司式した山頭神父様とジョゼッペ神父様からメダイをかけられ、飴を頂いた子どもたちの顔は天使のように見えました。
受堅おめでとう!
10 月23 日、小雨模様の日となりましたが、宮原司教様をお迎えして、堅信式及び公式訪問がありました。小雨の中、信徒一同、マリア様の前で、ロザリオを唱えながら、司教様をお迎えしました。13 名の中学生及び3 名の大人の方も一緒に受堅しました。聖霊の恵みを豊かに受けて、キリストの証人として福音を伝える者となるように、信徒一同祈りを捧げました。
以下は受堅者たちの声です。
中学生になって堅信式の準備をエリック神学生に手伝っていただきながら、ほかの中学生といっしょに主日のミサ後、2 時間ほどいたしました。はじめはめんどうくさくてあまり行きたくなかったです。しかし、「堅信を受けると7 つの賜物を得ることが出来る」と聞いてその中の「知識」というものは、今も将来も大切なものなので、出来るだけ一生懸命準備して堅信式に臨もうと思いました。いざ、堅信式となると意外とやることが少なく、簡単だなと思いました。それから結構時間が経ったのにまだ実感が湧いてきていません。今回の経験を生かして、自分の将来に役立てればいいなと思いました。(パウロ青木)
私は堅信を受けて、あんまり何も変わっていないと思います。でも堅信を受ける前に神様について勉強して、もっと教会に行こうと思いました。毎週は行けないけれども、家でお祈りすることはできるので、毎日しています。しかし、神父様はもっとお祈りをしろと言いそうなので、言われる前にしようと思います。勉強した中で一番心に残ったのは、「シンプルに生きましょう。人生はいつもシンプルなのです」というマザー・テレサの言葉をこころにシンプルに生きようと思います。(マリア中島 )
堅信を受けましたが、正直実感はありません。しかし、堅信という大きな秘跡受けたことはとても誇らしく、嬉しく思います。私の目の前は、高校受験という大きな壁がありましたが、受験勉強も、教会に行くことも大事にしていきたいです。これからもイエス様とともに同じ道を歩めるように頑張ります。(マリア・テレジア古賀)
熊本地震支援ボランティアへの想い
平成28 年5 月14 日突然起こった熊本大地震は、熊本県の県庁所在地熊本市その近郊益城町、西原村、南阿蘇地域に多大の被害をもたらしました。日本カトリック教会もカリタス・ジャパンが中心となって支援活動に取り組みはじめ、熊本市近郊の菊池カトリック教会の建物をお借りしてカリタス福岡熊本支援センター(くまセンと略)を立ち上げ、全国へ支援ボランティアを呼びかけました。福岡教区も当教会の森山神父様が責任者として5月から9月末まで、多忙なスケジュールの中で週に2~3回菊池市のくまセンへ移動され、カトリック教会、病院、学校等被害状況を聖堂内に掲示して、信者達への物質的支援、被災者のためにお祈りするように呼びかけられました。私も6月から週1回水曜日に車で1時間半かけて被災地へ8 回ほど行きました。くまセンには高校生から70 代ぐらいの方々が全国から参加していました。ここからカリタスの送迎車で各地域の社会福祉協議会のボランティアセンターまで移動し、支援の必要な被災者のお宅へ10 人ぐらいのグループで向かいました。第1回目のボランティアは建物の被害も半壊の状況でしたが、道路側のブロック塀が50mほど崩落しており、大変な状況でした。
またボランティア活動後のミーティングの前にカトリック信者としての意識をもってお祈りなり、静かに被災者への想いの時間が必要ではないかと感じました。最後に心残りだったのはカトリック教会や信者さんの被災された方のボランティアが出来なかったことです。久留米カトリック教会からも支援センターを立ち上げる前に私の知人が健軍カトリック教会へボランティアに行かれたと聞き、胸の熱くなる気持ちになりました。久留米カトリック教会から支援ボランティア参加者は少なかったようです。被災者は先の見えない生活がまだ続きますが私達はこれからも支援とお祈りによって被災者を支えていきたい気持ちでいっぱいです。
(ペトロ 浦)
敬老のお祝い
今年の敬老のお祝いは、130 名の対象者でしたが、ミサに参加されたのは50 名ほどの方々でした。説教の後、森山神父は、参加者に聖水を注ぎ、祝福しました。ミサ後は、信徒会館に場所を移して茶話会が開かれ、昨年に続いて、茶人の点てた抹茶が振る舞われました。お一人お一人、自己紹介と、近況あるいは、受洗のきっかけなどをお話しされる方もありました。聖歌隊の歌声も美しく響き、和やかな雰囲気で閉会し、来年も元気で再会することを約束しました。
みんなで一つになって
平和旬間の始まった8月7日、連日続いている夕立を気にしながら、納涼会がありました。雷は鳴るものの雨にはいたらず、150 名ほどが参加して、和やかな雰囲気の中での開催となりました。
今年は子どもたちのためにかき氷や金魚すくいなどもあって、人だかりが出来ていました。納涼会は、子どもたちの聖歌に始まり、楽しいバンブーダンスさらに、ジョゼッペ神父様のカンツオーネ?まで飛び出し、会を盛り上げてくださいました。酷暑の中、汗だくとなって焼き肉や焼きそばを焼いてくださった皆さん、ありがとうございました。最後は華やかに花火を打ち上げて閉会となりました。
共同体の皆さんが、もっと親しくそして仲良くなれますように。
「神さまの夢」について考えた3 日間
教会学校では、恒例の夏の練成会が7月25 日から27 日の3日間、酷暑のなかで行われました。今年は、初日の参加者が非常に少なかったのですが、例年通り、リーダーの連絡攻勢によって、徐々に参加者が増え、2日目は、30 人ほどの子どもたちが参加してくれました。今年は船津神学生、また横山神学生をはじめ、初日には今村から小神学生がお手伝いくださり、子どもたちと親しく関わってくれました。テーマは「神さまのゆめ」でした。神さまは私たち人間にどんな夢を持っておられるのか、ツツ司教の絵本を基調として3日間、分かち合い、遊び、よく祈った3日間でした。
~4年生の作文より~
私はこの3日間で「神さまのゆめ」について勉強しました。1日目は神さまに対して出来ることと、人に対して出来ることについて考えました。神さまに出来ることは互いによろこびを分かち合うことだと思いました。人に出来ることは、お祈りをすることだと思いました。
2日目は自分の将来の夢について考えました。私は歌手になって、聞いている人が笑顔になってほしいと思います。3日目は生き物の幸せについて考えました。3日間で勉強したことを忘れず、神さまが喜んでくれることをいっぱいしたいです。
ボランティアに行ってきました!
僕たち高校生4人と神父様は早朝、教会を出て菊池のカリタスジャパンのセンターに行きました。そこからボランティアの方々が集うボランティアセンターに行き、被災者からの依頼ごとのボランティアメンバーが召集され、僕たちはコンクリートの塀を壊してそれを撤去するという依頼を受けました。資材を手に、車で依頼人のお宅に行ってすぐに作業開始しました。コンクリートの塀は鉄筋が入っていたので重いハンマーを振るって何度も叩きましたが、びくともしません。しかし大人の方々が叩くとヒビが入り、見事に崩れました。休憩を適度に取りながら交代交代にハンマーを振るって塀を全て崩し終えました。
その後、鉄筋とコンクリートを分解して、トラックに瓦礫を積み何度も往復して瓦礫を集める場所に持って行き、炎天下での4 時間にわたる作業が終わりました。ボランティアの中では力仕事の依頼だったので非常に疲れましたが、やり終えたあとに達成感がとてもありました。他の高校生にも経験してほしい体験でした。
吉良
信徒総会
6月26 日、2016 年度の信徒総会が行われました。今年度の活動報告と決算報告があり、承認されました。
鐘楼の建設が終わり、次は納骨堂の増設が予定されています。収支報告は、信徒が理解しやすいように、収支差額の標記の仕方を再考すること、また司教団メッセージを多くの信徒に読んでいただけるよう、配慮してほしいという意見などが出されました。
倉庫の2階の部屋をヨゼフ館と命名
献堂61 周年ミサ
6月3日、イエスの聖心の祭日に当教会献堂61 周年記念ミサが行われました。ミサに先立って、18 時から聖体が顕示され、シスター方とともに晩の祈りを捧げました。
19 時からのミサでは、100 名程参加され、グレゴリオ聖歌によるミサ曲が歌われ、とても厳かなミサとなりました。
聖母の取次ぎを願って
5月29 日、雨のため聖母行列は中止となったためマリア様を祭壇前に運び、子どもたちが先唱してロザリオ一環を捧げました。
子どもたちの元気な声でロザリオが捧げられ、聖堂のマリア様も微笑んでおられるようでした。
復活祭
3 月26 日、復活徹夜祭には、16 人が受洗され、復活の主日(27 日)には11 人の子どもたちがはじめて、キリストのおん体をいただきました。皆様、おめでとうございます!またミサでは、障がいのある方々に配慮して、手話通訳がなされました。
初聖体おめでとう!
3月26 日、復活祭のミサの中で、11 名の子どもたちが初聖体をいただきました。
はじめてイエス様をいただいた感想は?「おいしかった」「イエス様の味がした」。いつまでも神さまの味を忘れない子どもたちでありますように。
子どもの黙想会
3 月20 日、21 日の二日間にわたり、子どもの黙想会が行われました。船津神学生のお話し、ゆるしの秘跡、十字架の道行きと沢山のお祈りがささげられました。
~子どもたちの決心カードから~
・いい子にする、おいのりをする、まじめにする、いじめいじわるをしない、神さまと1 日何回もおはなしをする、しょうじきに言う、十字架のみちゆきを「えー!!」と言わずにやる。(J.T)
枝の主日
3 月20 日、いよいよ聖週間です。鶯の鳴く春の澄み渡った青空のもと、聖堂前に集まった信徒は、棕櫚の葉を手に取って主のエルサレム入城を記念しました。また、この日の3時半からは英語のミサが行われ、聖堂一杯のフィリピンの方々も、手に手をとって、平和の王をお迎えしました。
聖遺物安置
3 月8日(火)~17 日(木)の十日間、ポーランドより運ばれた聖ヨハネ・パウロII 世と聖ファウスティナの聖遺物が当教会に安置され、午前9時から午後5時まで、のべ100 人近くの人々が時間を割り当て、交代で祈りを捧げました。福岡教区では久留米教会に一番早く安置されました。
ヨセフ神学生助祭叙階式
昨年の4 月から1 年間、当教会で司牧実習をしたヨセフ呉文成(ゴーヴァンタイン)神学生の助祭叙階式が3 月13 日に高松教区で執り行われました。
久留米教会からも信徒有志が十数名ほど参加し、叙階をお祝いいたしました。ストラを斜めにかけ、ダルマチカを身にまとった新助祭は凛々しく引き締まった表情を見せていました。ヨセフ助祭は4 月から神学院の東京キャンパスで助祭コースを一年間過ごされます。司祭叙階に向けてお祈りしてまいりましょう。
共同回心式
3 月13 日、7名の司祭が来られ、共同回心式が行われました。聖堂いっぱいに集った信徒は、すべての人のゆるしの秘跡が終わるまで、ほぼ一時間半にわたって熱心なロザリオの祈りを捧げました。共同体全体で回心の恵みに与ることが出来ました。
黙想会
3 月9 日から11 日までの3 日間、久留米教会で四旬節黙想会が行われました。
テーマは「父なる神のいつくしみと私たち」。
講師は、カトリック手取教会の櫻井尚明神父様をお招きしました。櫻井神父様は、とてもユーモアのある温かいお人柄の神父様です。身振り手振りを交えて、聖書をわかりやすく丹念に解き明かしてくださいました。聖書を読んで「みことば」を味わい、神様の働きかけを思い、私たちにどのように働きかけてくださっているかを深く考えることができました。
神様が、いつも私たちをいつくしみ溢れる愛情で見守って下さっていることを、聖書を通じて感じました。神様から愛を受ける喜びをたくさんの人に感じてほしいです。そのためには、相手を思いやることと、親切をすることから始めようと思います。
教会で待つのではなく、教会から出ること、自ら出向く姿勢を大切にすること、困っている人や苦しんでいる人がいたら、寄り添い、その人の隣人になって助けること、私たちにできることは、たくさんあります。深いいつくしみに包まれた黙想会でした。櫻井神父様、本当にありがとうございました。
ルチア上村
ペトロ船津亮太神学生認定式・鐘楼祝福式
2 月14 日、宮原司教様司式のミサの中で、沢山の皆さんのお祈りにより、船津亮太神学生の認定式が行われました。認定式の中で、船津神学生は、「自分は久留米教会で洗礼を受け、この教会で信仰を育まれてきた。多くの信徒の皆様のお祈りに支えられて今後も司祭職の道を歩んで行きたい」と力強くその決意を表明されました。これからもお祈りしていきましょう。
またミサが始まる前に教会左側に完成した鐘楼の祝福式が同司教によって行われました。「神のいつくしみの鐘」と命名され、ラテン語の祈りがなされ、参加した信徒で聖歌を歌って祝われました。
灰の水曜日
2 月10 日、昨年の枝の主日に使われた棕櫚の葉を燃やして作られた灰の祝福が森山神父様により行われ、皆の額に灰をいただき、イエスの40 日間断食の黙想をしました。この日より、四旬節が始まります。皆さんの額には灰によって記された十字のしるしがしっかりと残っていました。
神の母聖マリア
1月1日午前0 時、寒い中多くの人がミサに参加し、新年の挨拶をしました。続いて、10 時のミサでは成人を迎えたの8 名が新成人の祝福を受けました。ミサの中でろうそくを灯し成人としての決意と信仰宣言が高らかになされました。