カテゴリ:ボランティア
心が折れそうなとき
日常の耳納連山の景色です。
美しい、地域に愛される風景です。
久留米市は、7/10の大雨で街の至る所が泥水に覆われ、大変な被害が出ました。
10日の未明から恐ろしい雷雨が続き、夜も眠れないほどでした。
幸い、教会の敷地に被害はありませんでしたが、老朽化した部分からの雨漏りがひどくなってきました。
信徒会館も同様です。
被災された方に、心からお見舞いの気持ちを表します。
わたしの住む地域では、ほぼ毎年この時期の大雨で浸水被害が出ます。
毎年床上浸水し、「もうここから引っ越すことを考えている」とおっしゃる方。
会社の機械類が全て水没し、「もう再建する気力も資金もない。」と肩を落としていた方。
何もできない無力感に苛まれますが、わたしに今できるのは、そうした心が折れそうになっている方々のことを気遣い、お声をかけることだと思っています。
新聞記者の友人と話していて、「山間部や川のすぐそばに住む人だけが会う被害ではないということ、心が折れそうになっている地域の零細企業の現状なども書いてほしい」と伝え、「自分にできるのは、記事にして多くの人に伝えることだ。お互い、できることをやって行こう!」と言ってくれました。
田主丸町の友人は、会社が浸水して大変な被害だったにも関わらず、「片付けが一段落したらすぐにボランティアに参加して他の人の手伝いをするつもり」と話していました。
まことに、天から雨や雪が降れば、地を潤し、これに生えさせ、芽を出させ、種蒔く者に種を、食べる者に糧を与えずに天に戻ることはないように、わたしの口から出る言葉は、わたしが望むことを行い、わたしが託した使命を成し遂げずにむなしくわたしに戻ることはない。
(イザヤ55・10〜11)
わたしの神、主よ、わたしを顧みて、わたしに答え、目に光を与えてください。
わたしは、あなたの慈しみに寄り頼み、わたしの心は、あなたの救いを喜びます。
(詩編13・4、6)
涙のうちに種蒔く者は、喜びのうちに刈り取る。
種を携え、泣きながら出ていく者は、
束を携え、喜びながら帰ってくる。
(詩編126・5〜6)
あなたは地を訪れて、潤わせ、それを大いに豊かにされました。
天の水路には水が満ちています。
あなたは彼らに麦を用意されました。
あなたはこのように大地を整えられました。
畝間を豊かに潤し、土塊をならし、芽生えたものを祝福されました。
あなたは年に実りの冠をかぶらせ、あなたの通った跡には豊かさが滴っています。
(詩編65・10〜12)
神様が天から降らせてくださる雨は、わたしたちを養うための恵みであることを忘れないようにしたいものです。
自分が実際に被害にあっていないから、そう言えるのだと分かっています。
このことを伝えるのは、わたしの使命だと感じています。
自分に出来ることをする。
気にかけている気持ちを素直に伝える。
実際に出来ることは少ないのですが、心が折れそうになっているときに、自分のことを心に思い浮かべてくれる人がいるということは本当に嬉しいことです。
人の心は自分の道を思い巡らす。
しかし、その歩みを導くのは主である。
(箴言16・9)
国際カリタスは「総合的エコロジー」に関するキャンペーン『TOGETHER WE』 (ともに私たちは の意)に取り組んでいます。
過去半世紀にわたり、世界は力強い経済成長を遂げてきました。
しかし、その代償として、気候変動、森林伐採、海洋酸性化、大気・水質汚染などの環境悪化が広がっています。
また、最近の新型コロナウイルス感染症の蔓延は、社会的疎外などの分断を生み、移動や自由の制限、雇用や自立の喪失など、多くの人々の尊厳を奪ってきました。
これらの環境の変化によって最も被害を受けるのは、弱い立場においやられた人々、最も貧しい人々です。
現に、極度の貧困、過疎化、移民など、弱い立場の人々のいのちを脅かし、尊厳を踏みにじる事態をも生み出してきました。
(カリタスジャパンホームページより)
ケアの文化をともにはぐくむ祈り
-“Together We” キャンペーン推進のために-
わたしたちの父である神よ、
あなたはすべてを良いものとして造られました。
わたしたちはあなたの似姿とされ、
ともに創造のわざを大切にする使命を受けています。
神よ、ともに暮らす家である地球を
傷つけてしまったわたしたちをあわれんでください。
あなたとともにケアの文化をはぐくむことができますように
御子イエスの貧しさによって、
創造のたまものを分かち合い、豊かになることができますように。
あなたの愛によって隔たりを乗り越え、
人類が一つの家族になれますように。
神よ、聖霊を遣わしてください。
わたしたちが無関心にならないよう愛の火によって強めてください。
あなたの愛と正義によって
わたしたちを新たな連帯へと向かわせてください。
いのちが聖なるものであることをすべての人と理解し合い、
抑圧から平和に向かう、新しい生き方へと導かれますように。
あなたの愛といつくしみの道を歩むわたしたちが、
より良い明日のために、貧しい人々の叫びと地球の叫びを聞き、
ともに今日、行動することができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。
『TOGETHER WE』については↓
子どもたちへの福音
昨年、宮﨑神父様は毎月第4日曜日を「子どもたちと共に捧げるミサにする」とお決めになり、準備をされていました。
感染症対策でごミサが中止になったり、いろいろな制約で子どもたちの参列が減ってしまったこともあり延期になっている子どもミサ。
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今月こそは開催できる!と日曜学校の先生方と、誰に聖書朗読をお願いする?とワクワクしていたのですが、久留米でのコロナウィルス感染者が急増してきたことで、今月も中止になってしまいました。
久留米教会は子どもたちのミサへの参列が多く、それが自慢の一つでもありました。
しかし昨年からのこの事態の中で、仕事上の影響を考えてミサへの参列を控えていらっしゃるご家庭も少なくないため、子どもたちも少なくなっていることはとても寂しい状況です。
日常が以前のような状態に戻るとは思いませんが、教会に子どもたちが戻ってきてくれることだけは願いたいと思います。
大人たちがもっとしっかりしなくては。
お中元・お歳暮などでいただいたけど食べないもの
まとめ買いしてしまったけど余っているもの
そうした食品などを持ち寄り、必要としている方々に届ける活動が、フードドライブです。
1960年代にフードドライブが盛んになったアメリカでは、食品以外にも「Paper Drive(古紙回収)」や「Book Drive(本の寄付)」「Toy Drive(おもちゃの寄付)」「Clothing Drive(衣類の寄付)」「Uniform Drive(着なくなった制服の寄付)」「Blood Drive(献血)」など様々な「ドライブ」、つまり寄付活動があるそうです。
フードバンクという言葉もご存知かもしれません。
フードドライブの違いは、参加対象です。
フードバンクは、例えばエフコープなど、企業が食品ロス削減のためにも食品などを提供します。
一方、フードドライブはわたしたち一般個人が家庭のものなどを提供します。
久留米でもフードドライブの活動が数年前から行われており、久留米教会には毎月第4土曜日にメンバーが集って受け付けています。
食品だけではなく、タオルや粉ミルク洗剤といった日用品も持ち込まれていました。
カトリック久留米教会、久留米と鳥栖のプロテスタントの教会と仏教のお寺に持ち寄られた品を一箇所に集めて仕分けし、毎月必要とされている個人にお届けされています。
4月から久留米教会で司牧実習に来てくれている、笑顔が素敵な池田裕輝神学生(神学科の1年生!)です。
29日には、久留米教会に司牧実習に来てくださっていた古市助祭の司祭叙階式が東京のカテドラルで執り行われます。
近しくしてくださっていた神学生の召命による叙階。
大人たちのフードドライブの活動。
若い神学生と過ごし、学ぶ日曜学校。
そうしたこと全てが子どもたちの信仰生活へのよい励みになるはずです。
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教皇様は25日にバチカンでローマ教区の司祭の叙階式をとり行われました。
出身や経歴も様々な9人の助祭が司祭に叙階されました。
バチカンニュースに掲載されていた、9人の召命について書かれていた記事がとても興味深かったのでご紹介します。
死者への祈り
久留米には2か所の教会墓地があるのをご存じでしょうか。
新しいお墓の設置が中止され、教会内に納骨堂が増設されたこともあり、今は皆さま納骨堂をお選びになっています。
久留米教会の宣教100年を記念して作られた本によると、歴代宣教師のうち初代のソーレ神父様(1917年没)、3代目のフレスノン神父様(1936年没)、チリ司教様が眠っておられたのです。
(現在は和田墓地に移されていらっしゃいます。)
野中町の墓地の様子です。
遺骨はすべて納骨堂に移設されています。ほとんどのお墓は傾き、訪問者もほとんどないそうですが、こうしてお花を添えに通われているかたもいらっしゃいます。
次は、鳥飼にあるもう一か所の墓地です。
(墓地跡、というほうが正確かも。)
マリアの墓、と墓石にはありました。
こちらは、もうどなたも通ってこられている気配はありません。
それでも2か所とも久留米教会の有志の信者さんが定期的に草を刈り、除草剤をまき、通路を整備し、清掃してくださっていることで管理されているのが実情です。
みなさんはご自分の死後、遺骨をどうしてほしいか、ご家族などにお伝えになっていますか?
亡くなった母は生前、「教会の納骨堂に入れてほしい」と言っていましたが、実際には(仏教のお寺にある)我が家のお墓に眠っています。
理由は「父の希望」です。
父は毎朝、愛犬を連れてお墓にお線香を上げに行っています。
カトリック信者ではない父が「母に手を合わせる場所が欲しいから」として、お寺のお墓に納骨したのです。
(罪滅ぼしです)
この場合、母の希望よりも残された父の気持ちを優先したことは間違っていないと思っています。
長年連れ添った愛する妻サラを葬るために、アブラハムがお墓を造るための土地を買った話があります。
私はあなたがたのもとでは寄留者であり、滞在者です。
あなたがたが所有している墓地を譲っていただきたいのです。
そうすればこのなきがらを移して葬ることができます。
(創世記23・4)
残された者の義務として、私有の墓地にこだわったアブラハムの気持ちがよくわかります。
ローマ教皇庁では「遺骨を親族などで分骨してはならない」としているのですが、日本のカトリック協議会では風習も勘案して許可しているようです。
(注:最下段にリンク)
わたしは、NYと横浜に住んでいる妹たちに少し分骨して渡してあります。
彼女たちも「毎朝お茶を供えて祈る対象として」の分骨を希望したのです。
死者への祈りは、生者の務めであると同時にわたしたちの希望する追悼の形でもある気がします。
死者はそこにはいない、いつもわたしたちとともにいるとわかっていても、わたしたちはどこか定位置を決めて手を合わせることで心が落ち着くのを感じることが出来るし、死者を「追悼している雰囲気」を大切にしているのです。
遺骨のないお墓、聖墳墓教会では毎日ものすごい数の巡礼者が『お墓参り』に来て祈っていました。
(今は閑散としているのでしょうか。)
毎日、それぞれの宗派が決められた時間にミサや礼拝を捧げています。
(ほとんど一日中、次々と、です!)
カトリック、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会の複数教派による共同管理の「イエス様のお墓」なのです。
お墓(納骨堂)という場所は、死者のためではなく残された生者のために必要なものであることが実感できます。
草が生い茂って苔が生えたまま放置されている墓石では、眠っている死者に失礼だ、というよりも、わたしたちがいたたまれない、落ち着かない気持ちになります。
こうして教会の墓地を管理してくださっているボランティアの方がいらっしゃること、心に留め於いてくださいませ。
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*現在、久留米教会の納骨堂は、ご入場いただける時間と人数が決まっています。
蜜をさけるため土日はお入りいただけません。
平日の開館時間に、一度に2人まで(もしくはひと家族のみ)でお祈りをお願いしています。
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参考:教皇庁教理省『死者の埋葬および火葬の場合の遺灰の保管に関する指針 (Ad resurgendum cum Christo)』の日本の教会での適応について
https://www.cbcj.catholic.jp/2017/07/20/14105/
知ることと実践
25日のミサの中で、9人の赤ちゃんの幼児洗礼式が執り行われました。
この子たちのためにも、真に平和な世界を求めて行動できる大人でありたいものです。
10/20にローマで諸宗教指導者らによる平和の集いが行われました。
この集いは、1986年、聖教皇ヨハネ・パウロ2世が招集したアッシジでの平和祈祷集会の精神にのっとり、平和のために祈り、諸宗教間の対話を促進するために、聖エジディオ共同体が毎年開催地を変えながら行っているもの。
教皇フランシスコをはじめ、エキュメニカル総主教府のバルトロメオス総主教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンズー教など、諸宗教の指導者が参加されました。
インスタグラムで見て知ったのですが、バチカンニュースとインスタグラムの他はテレビなどで報道されたのかどうかわかりません。
こうした様々な宗教指導者の連帯の言動に大変興味があります。
この意義深い集いは「誰も一人では救われない‐平和と兄弟愛」をテーマに開催されました。
このニュースはぜひ多くの方に見て知っていただきたい!
日本からも曹洞宗の指導者の方が参加され、スピーチをされています。
世界には様々な宗教が存在します。
同時に、世の中には「なんの宗教も信じていない」人が多く存在します。
だとしても、こうした試みがあることを知ることも大切なことだと思います。
https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2020-10/incontro-per-la-pace-in-campidoglio-20201020.html
集まったことに意味があるのではありません。
この集いに参加された各指導者たちが、どのようにそのことを各信徒たちに伝え、ともに実践していくかにかかっていると思います。
なぜなら、「真に平和な世界」は実現されたことがないからです。
人々の間に諍いがなかった時代はあるでしょうか。
戦争やテロだけではなく、わたしたちの日常にはいつも祈りと争いが併存しています。
平和は取り戻すものではない、人間が真に求めているのは争いのない世界のはずなのに。
「Enough!」
フードドライブという活動があります。
カトリック教会、プロテスタントの教会、仏教のお寺の信徒が協力して、家庭で眠っている食材を毎月第4金曜・土曜に集め、コロナで生活が困窮している方やホームレスの方など必要としている方々に配布する、という実践活動です。
今月は10/23.24の2日間、食材を持ち寄っていただく活動が開催されました。
知ることが、まず大切ですね。
知らなければ、なにも始まりません。
そして、自分にできることを実践することができたら。
神のインフルエンサー
今年の11月に広島、長崎、東日本大震災の被災地を訪問されることを表明されているパパ様。
もちろんお目にかかったことはないのですが、以前もご紹介したように、ツイッタ―でのお言葉を毎日聞いているので、とても身近に感じているのはわたしだけではないのではないでしょうか。
1/26
その「はい」という答えで、マリアは史上もっとも影響力のある女性となりました。
ソーシャル・ネットワークなしで、マリアは最初の「インフルエンサー」、神の「インフルエンサー」となりました 。
With her “yes”, Mary became the most influential woman in history.
Without social networks, she became the first “influencer”: the “influencer” of God.
神のインフルエンサー!!
このツイートはとても印象的でした。
わたしが目指しているのはこれだ!と。
1/30
人生を上手に航海する秘けつは、イエスが船に乗ってくれるよう招くことです。
イエスに、人生の舵を渡すべきです。
そうすればイエスは道を示してくださいます。
The secret to navigating life well is to invite Jesus on board.
The helm of life should be given to Him, so that He can direct the route.
イエス様に人生の舵を渡す。
なんとわかり易い言い回しでしょうか。
久留米教会の信徒の中にいろいろな奉仕活動をされている方がいることは度々ご紹介していますが、
炊き出しボランティアに参加していらっしゃる方も。
NPOホームレス支援久留米越冬活動の会というNPO法人が主催するボランティアで、代表はプロテスタントの信者の方です。
キリスト教の各教会、仏教のお寺が持ち寄り(すべて寄付された食材)で炊き出しされています。
シスター、若い信愛学院学生、元ホームレスの方の参加もあるそうです。
「人生を上手に航海する」
その航海することそのものが困難な方が多くいらっしゃるのも現実です。
炊き出しボランティアのことを伺うまで、久留米にそんなに多くのホームレス生活の方がいるとは全く知らず、大変なショックを受けました。
4~11月は月1回の炊き出し(小頭町公園にて)とパトロールの夜回り、12~3月は月2回の炊き出しと夜回りが行われています。
上智大学が2017年12月に主催した「教皇フランシスコと話そう」という企画でのパパ様のご発言を、少し抜粋してご紹介します。
「宗教というのは、創造された『劇』ではないということです。
宗教というのは、もともと人間の心が持っているもの。
あらゆる宗教は人を成長させます。他者のために奉仕しない人は、宗教的な人とは言えない。
ただ単純に何かの見返りを求める人なのでしょう」
そして、ガンジーや、長崎で被爆しながらも救援活動を行ったクリスチャン医師の永井隆博士、多くのユダヤ人を救った杉原千畝を例にあげ、
「これらの人々は、宗教によって成長した人々。
宗教は人を、他者に奉仕する人に成長させる。
キリスト教の啓示とは、神を信じ、他者のために奉仕するということ」
https://www.christiantoday.co.jp/articles/24986/20171226/sophia-university-pope-francis.htm
キリスト者として生きるわたしたちは、他者への思いやり、奉仕の精神を実践することが大切だと改めて気づかされます。
本当の意味での「神のインフルエンサー」としての生き方を目指していきたいものです。
熊本地震の復興支援・田植え
熊本地震から2年が経ちました。それ以来、福岡教区でも、当時の久留米教会主任司祭であった森山信三神父様を筆頭に復興支援ボランティアが続けられてきました。
昨年に引き続き西原村にて、久留米教会の信徒も参加して70名ほどで田植えのお手伝いをしてきました。
地元の方がいろいろと準備をしてくださり、心温まるおもてなしまで受け、子どもたちとともに賑やかに楽しい一日でした。