美しい祈り
毎日、主の祈りを唱えています。
わたしの場合は、亡くなった母の習慣をまねて、湯船の中で唱えています。
一番、心を落ち着けて、一人静かに祈れるのです。
天にまします われらの父よ
願わくは 御名の尊まれんことを
御国の来たらんことを
御旨の天に行わるるごとく
地にも行われんことを
われらの日用の糧を 今日われらに与え給え
われらが人に赦す如く われらの罪を赦し給え
われらを試みに引き給わざれ
われらを悪より救い給え
アーメン
この、昔の主の祈りの方が、音も響きも美しいと思っているのはわたしだけではないと思います。
主よ あわれみたまえ
キリスト あわれみたまえ
「給え」
「世の罪をのぞきたもう主」
この、日本語のもつ美しい響き、ことばにこもった敬いの心、これは今の若い方々には通じないのですか⁈
通じなくしてしまっているのではないですか⁈
創世記の第1章、天地創造の話の31節に
「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて善かった。」
とあります。
「善かった」と訳されている言葉は、ヘブライ語の訳なのだそうです。
(ちなみに、新共同訳は「良かった」、フランシスコ会は「善かった」となっており、
この違いもまた絶妙ですね。)
旧約聖書がBC3~1の間に古代ギリシャ語に訳されたときには、この言葉が「美しい」と訳されたそうです。
「神によって創造された全世界は極めて美しかった。」
なんと美しい世界観でしょうか。
主の祈りは、現代語で簡単に、意味が分かりやすいようにと変えられたために、日本人にとっての古語の美しい響きがなくなってしまったのは残念に思います。
美しい日本語を後世に残したい。
ベトナムの若者たちとジュゼッペ神父様と神学生です。信仰が繋がっている、続いていく希望を感じ、思わず写真を撮らせてもらいました。
これからも毎晩、お風呂の中で祈るときは、美しいく心に届く、全身で感じて頭にも心にもしみついている「天にまします」をこれからも唱え続けたいと思います。
今日、初聖体を受けた7人の子どもたちにも、美しい祈りを教えてあげたいです。
挨拶してくれたとき、「よろしくおねがいします!」 と言ってくれました。
こちらこそ!