2019年7月の記事一覧

イエス様の時代の聖書

夏休みに入り、船津助祭と横山神学生が久留米に帰ってきてくれています。彼らの姿を見ると、いつもとても嬉しい気持ちになります。

 

宮﨑神父さまがよくおっしゃいます、「聖書を読みなさい」と。
前主任司祭の森山神父様は、「毎週日曜日のミサに聖書を持ってきてください!」とおっしゃっていました。

聖書はいつも、ダイニングに置いています。
信仰に関連した本を読むのが好きなので、気になる箇所があれば聖書を開きます。


ルネサンス期に印刷技術を発明したグーテンベルク、
彼が最初に印刷したのは聖書でした。

カトリックでは旧約聖書46巻と新約聖書27巻をまとめて「聖書」の正典としていますが、
ご存知のように、ユダヤ教では「聖書」といえば旧約(わたし達がそう呼ぶところの)のみを指しています。
そして、その旧約聖書には原本というものは存在せず、
10世紀ごろに筆写された『レニングラード写本』というものが最古の写本とされていました。

ところが、1947~1956年にかけて死海近くのクムラン洞窟で発見された旧約聖書などの宗教書は、
BC200年からAD68年ごろにかけて作られた写本だったのです!
クムラン以外から発見されたものも含め、死海文書と呼ばれる写本の断片は800以上もあります。

この写本は述べ数百人のユダヤ教エッセネ派の人々によって書かれた(諸説あり)、
との研究結果もあり、ほぼ誤字もないそうです。
その時代にこれほどの知性と能力のあった人々が祈りながら共同生活をしていたのかと思うと、
驚きを通り越し、畏敬の念しかありません。

それらはほとんどすべて、イエス様とその弟子たちが生きていた時代に、
彼らが生きていた地の近くで書き写されたものなのです。

 

http://dss.collections.imj.org.il/

Googleとイスラエル博物館(IMJ)が、デジタル版「死海文書」のオンライン公開をしています。
(サイトは、英語、アラビア語、スペイン語、そして中国語で読むことができます。)

写真は、イザヤ書の一部です。
子どものころから考古学に興味があったわたしにとっては、興奮の映像です。

「デジタル死海文書」は、ユダヤ・キリスト教関連の貴重な考古学的資料として著名な死海文書 (dead sea scrolls) を
高解像度カメラでスキャンし、誰でもアクセスできる形でオンライン公開するプロジェクトです。

https://japanese.engadget.com/2011/09/26/google/

もちろん、わたしもヘブライ語は読めません。
ですが、イエス様が生きていた時代に書かれた文字、
聖書の写本の筆跡を目に刻むだけでも、
4000年以上もの間受け継がれてきた信仰者たちの思いを感じることができると思います。

 

森山神父様に薦めていただいた、和田神父様の著書からの記事でした。

面白くて、一気に読みました。
とてもお薦めです!!

 

 

落穂拾いにみる憐れみ

ミレーの落穂拾いという絵をご存知でしょう。

 

刈り入れが終わった後の畑に残った麦の穂を拾い集める3人の貧しい農婦が描かれており、背景には穀物がうず高く積まれ、豊かな地主が馬に乗って監督するもとでのにぎやかな収穫風景と対比して描いている。(wikipediaより)

レビ記19・9~にはこう書かれています。

お前たちが自分の土地の刈り入れをするとき、お前は畑の隅まで刈り尽くしてはならない。
またお前の刈り入れの落ち穂を拾ってはならない。
お前のぶどう畑の実を取り尽くしてならない。
お前のぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。
それらは貧しい人や他国の者のために、残して置かなければならない。
わたしはお前たちの神、主である。

去年の刈り入れの時期に、我が家の近くの田んぼの一角に、
刈り取られないまま残された束がありました。
もしかして、聖書の教えを守ってるの?!ととても気になり、
作業されている方に聞いてみました。
「特に意味はありません」と言われ、一人で笑ってしまいましたが。。。

 

miserere nobis

【我らをあわれみたまえ】

 

ミレーは同時期に、ルツ記2・6~に由来する『刈り入れ人たちの休息(ルツとボアズ)』も描いています。

 

 

レビ記19・33~

もし他国の者がお前とともに、お前たちの土地に在留するなら、その人を虐げてはならない。
お前たちのもとに在留している他国の者を、お前たちの国に生まれた者と同じようにみなし、お前自身のように愛さなければならない。
お前たちもエジプトの地において他国の者であったからである。
わたしはお前たちの神、主である。

 

miserere nobis

【我らをあわれみたまえ】

 

われらが主にあわれみを受けたように、貧しい人、他国の者をあわれみなさい。

ユダヤ教の人々は、モーセ五書のなかでも特にこのレビ記を規範としています。

モーセ五書のなかには、落穂拾いの原則、ユダヤ人がエジプトで他国の者であったことを忘れるな、という記述が何か所もあります。
ユダヤ教徒でなくても、こうした考え方を世界中の人々が心に留めているなら、難民や国境の壁といった問題は現在のようにこじれることはないのに、と思ってしまいます。

 

前田万葉枢機卿様と高山右近

7/7に、今村カトリック教会において、筑後地区信徒研修会として前田万葉枢機卿様の講演会が開催されました。

 

今村教会は、本当に美しい聖堂です。
レンガ造りの建物と、美しい木製の内部、これぞ日本の教会!!だと誇らしく思います。

 

 

テーマは、「福者ユスト高山右近 列福から列聖へ」

この写真からも伝わるように、前田枢機卿様はとても優しいお人柄の方でした。
枢機卿、というととても遠い存在のように感じるのですが、
以前、久留米教会のフィリピンコミュニティの皆さんが招いてくださったタグレ枢機卿様も
とても親しみやすい、明るくて優しい方でした。

高山右近については、皆様もご存知かと思います。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦国大名による天下取りの時代の中で、
「主君はイエス」の生き方を通して神の国を目指した生涯を送って殉教したのが、高山右近でした。

1630年に、右近が流されて亡くなったフィリピンのマニラ大司教によってバチカンに列聖の申請がなされました。
そして昨年、ようやく列福されたのです。

右近忌の 主君はイエス 平和かな

剣に代え 十字架を手に 右近忌や

前田枢機卿様が、右近の命日である2月3日にちなんで詠まれた俳句です。
この句を聞いたとき、とてもあたたかい気持ちになりました。
講演会の最後には、司会の方からの「参加者の家庭の平和のために祝福をお願いします」というリクエストに応えて、
わたしたち全員に祝福を授けてくださいました。
その時は、目から涙が溢れそうになりました。


参加者からの「司教と枢機卿としての仕事の両立はいかがですか?」との問いに
「大変ありがたいことに、補佐司教を2人もつけていただいて、
今までは一人で決断しなければならなかったことも、3人で相談しながら進めることができています。
ですが、一人だったころに比べ、司教の仕事は3倍に増えています。(笑)
枢機卿になったから依頼された仕事は、できる範囲で何でも引き受けるようにしています。
このようなチャンスはなかなかない、と思っているからです。
ですが、中には「フランシスコ教皇様が来た時にこの手紙を渡してください。」とか
「教皇様に直接会わせてほしい」といった申し出がたくさんあります。。。(苦笑)」

「長崎や大阪の信徒だけでなく、皆さんのお祈りがあるから、
こうして大きな病気もせずに役割を果たしていけていると思います。」
ともおっしゃっていました。

神学校時代の先輩後輩の間柄の宮﨑神父様と前田枢機卿様が
これからもお元気でお働きになれますよう、お祈りしましょう。 

 

 

キリスト教とワインの関係

宮﨑神父様は無事にフランス・イタリア聖地巡礼の旅から戻られました!!
ローマにも立ち寄られた、宮﨑神父様と巡礼団のお話は、おいおい伺ってみたいと思います。

NHKと共同通信は、ローマ教皇フランシスコの来日について、11月23~26日の3泊4日の日程で最終調整していると伝えた。
教皇は23日午後に東京に到着。
24日は朝から被爆地の長崎と広島に向かい、被爆後再建された長崎の浦上天主堂や、4月にリニューアルオープンした広島平和記念資料館を訪問する。
25日は東京に戻り、天皇や安倍晋三首相と会談し、東京ドームで大規模なミサを行う。
そして26日に離日する予定だという。

11/25の東京ドーム、行きたいです。

イスラエルはワイン発祥の地で、その歴史は5000年以上とも言われています。
また、最初にワインを作った人は「ノアの方舟」のノアという説も。
創世記には、ノアがぶどう畑を作って、自分で作ったぶどう酒で酔って裸になっていた、という箇所がありますね。
(創世記9・20~21)

「ぶどう酒」(ヘブライ語で「ヤイン」)は旧約聖書に141回も出てくる言葉です。
新約聖書に書かれている、イエス様が水をワインに変えたカナの婚礼の様子からもわかるように、
当時も民衆に愛飲されていたのです。


キリスト教の聖餐式でワインが使われるのは、ユダヤ教の伝統にのっとってイエス様が
「わたしの記念として行いなさい」とおっしゃったことを受け継いでいます。

 

 

ミサで使われるワインは、教皇様の認証を受けた特別なものです。

 7世紀にイスラム教徒の支配下に入ったことによりイスラエルでのワイン造りは禁止され、その後600年間のアラブ支配によって土着品種はすべて引き抜かれてしまいました。
その後も第一次世界大戦が終わるまでの400年に渡ってオスマン帝国(イスラム教)に支配されていましたので、ワイン製造はできませんでした。

大戦後に移住したユダヤ人は、トルコ人の地主から荒れ果てた荒野を買って開墾し、ワイン畑を作っていきました。
その資金援助をしたのが、ユダヤ人の富豪であるロスチャイルド男爵でした。
「イスラエルの気候がボルドーの気候に似ていて、ワイン生産の為のブドウ園の開拓が向いている」との調査結果を受けて援助を決めたそうです。
近代のイスラエルのワイン造りは、1882年にロスチャイルド男爵の援助によって作られたワイナリーから広まりました。
今では300を超すワイナリーがワインを製造し、世界中に輸出しています。
なかには、イエス様が生きた時代のワインを復刻させて、当時と同じ製法で作っているワイナリーもあるそうです。

ワイン好きのわたしとしては、飲んでみたくてたまりません!


先週の、森山神父様withコレジオ神学生のごミサでは、最後に生演奏付きで聖歌を歌ってくださいました。

神学生、コレジオ生のためにお祈りしましょう。

 

イエス様のみ心とは?

久留米教会はイエスのみ心に捧げられた教会であり、
その創設を祝って6月の最後の金曜日、イエスのみ心の日に合わせてミサを捧げています。

今年は、ルルドへ巡礼中の宮﨑神父様に代わり、前主任司祭であった森山信三(心臓!)神父様が28日金曜日に司式してくださいました。

 

夜の久留米教会も素敵ですね!

この日のごミサではすべてラテン語で聖歌を歌いました。


イエスのみ心は全人類に対する神の愛の象徴としてイエスの心臓を表し、
その信心はイエスのみ心に表される神の愛を思い起こし、
その無限の愛のしるしであるみ心をたたえるものとして中世に始まりました。

https://www.cbcj.catholic.jp/faq/mikokoro/

我が家のみ心のイエス様です。

森山神父様がおっしゃいました。

「血はすべての命の象徴です。十字架上のイエス様が脇腹を槍で刺されたとき、血と水が流れ出ました。

血は聖霊を象徴し、水は洗礼を象徴しています。

神のみ心とは何か。

イエス様が何を大事にされていたのか。

そのことを思い起こし、置かれた日常で聖性を目指しましょう。」


以前にもご紹介した本、パパ様の使徒的勧告『喜びに喜べ』から少し引用します。

7
わたしは、神の民の忍耐の中に聖性を見るのが好きです。
あふれるほどの愛を注いで子育てにあたる親、
家族の生活の糧のために働く人、
笑顔を絶やさない、病にある人や高齢の修道者です。
日々歩み続けるこの根気の道に、
わたしは闘う教会の聖性を見ます。

聖性

わたしたちは神様に「聖なる者」となるよう導かれています。
サレジオ会の阿部神父様は「人間は独りでは聖なる者にはなれません。
誰かと一緒に歩むときに聖なる者に成長してゆけます。」とおっしゃっています。
「真剣に生きている誠実な大人がそばにいれば、子どもたちもおのずとからだ全体で学んでレベルの高い生き方を目指せるようになります。
大人のほうも、子どもから見られていることを意識して気を抜かずに過ごします。
おたがいに影響を及ぼし合って、気づかないうちに聖なる者になることができます。」

イエス様のみ心は、わたしたちが聖性を高める努力を怠らず聖なる者となることではないでしょうか。