行事風景

七つの秘跡:Part5

最終回は、叙階の秘跡についてです。

3/21に大名町教会において叙階式が執り行われ、船津亮太助祭が誕生しました。
久留米教会出身ということで、わたしたち久留米の信徒も大勢でお祝いのため参列させていただきました!

叙階、これは召しだされた本人はもちろん、わたしたち信徒にとっても大きな大きなお恵みと喜びです。
まずは、今回のように助祭となり、次に司祭へ叙階され、3つ目は司教叙階です。

昨日のごミサでは船津助祭として、とてもキリッとした様子でジュゼッペ神父様の横でお手伝いされていました。

助祭は、ミサと告解はできませんが、洗礼を授けること、結婚式、葬儀の司式は執り行えます。

21日の様子を、たくさんの写真とともにお伝えします。

 

福岡教区の司祭団の入場

親族席も設けられ、ご両親はやや緊張の面持ち。
まさに、息子が神様と結婚する式!の様でした。

久留米教会の聖歌隊のみなさんも、朝早くから練習を重ね、上の階から素晴らしい歌声を響かせてくれました。
中には、感極まって涙ぐみながら歌われていた方もいらしたそうです。

宮原司教様の按手によって、助祭に叙階されます。

最初に船津助祭に神学校を勧め、召命のきかっけを作ってくださった
浦川神父様によってストラを着せてもらう様子。

引き続きミサが行われ、久留米教会の可愛い3人によって奉納の儀式が。

船津助祭、最初のごミサです!

最初にご聖体を拝領されたのは、ご両親。感無量だったのではないでしょうか。

馬渡島から駆けつけられたおばあ様のお手製の紅白まんじゅうが振る舞われました!

ご家族のみなさま、本当におめでとうございます!!

 

結婚の秘跡の際にも書きましたが、叙階は教会共同体と受階者の絆を確固たるものにするので、
結婚の秘跡とともに「交わりの秘跡」と呼ばれています。

宮原司教様が司式の際におっしゃった言葉が心に響きました。

「仕えられる者ではなく、仕える者として来られたキリストの
真の弟子としてのお恵みをお与えくださいました。」

「信者にも、信者でない者にも良い知らせを伝えて行ってください。
福音に奉仕しなければなりません。」

船津助祭がごあいさつで言われました。

「日曜学校の子どもが言った、『助祭は神様へのあといっこ』という言葉が、
なるほど、と心に残っています。

神様に少し劣るものとして作られたわたしが、
少しでも神様に近づけるように奉仕していかなけれはならないと思っています。」

叙階の秘跡を受けた司教や司祭たちは、教会の頭であるキリストの代理者として行動します。
キリストの現存を現す司教、司祭という役務を果たすからといっても、
これら役務者が完全無欠の人になるということではなく、
人間的な弱さもかかえながら神の民の奉仕のために尽力するのです。

https://www.pauline.or.jp/catechism/catechism107.php

 

本当に素晴らしいお恵みの一日でした。

召命を願って祈りましょう。

七つの秘跡:Part4

今回は、結婚の秘跡についてです。
3月10日に結婚式が執り行われました。
わたしも参列させていただきましたが、やはり教会の結婚式は素敵です。

最近は結婚式場に教会のようなチャペルが併設されている場合が多いので、
多くの方がキリスト教的な式を挙げられるのが普通のことになっていますね。
若い方々が教会での式に憧れるのは当然です。

だって、こんなに美しい!!

 

結婚は男女の交わりを強めるものであることから、叙階の秘跡とともに「交わりの秘跡」と呼ばれています。
結婚の秘跡を授けるのは、司祭ではなく夫婦同士です。
司祭は司式を執り行う立会人です。

式次第の後半に、誓約の儀の一連の流れがあり、誓いの言葉ののち、
指輪の祝福と交換が行われます。


新郎は司祭から新婦の指輪を取り、「この指輪は私たちの愛と忠実のしるしです」と唱えながら
新婦の左手の薬指にはめます。
続いて新婦も同様にして、新郎の左手の薬指に指輪をはめます。

指輪の円は継ぎ目なく続く永遠のシンボル。
それを神様の前で交換し、誓いをたてることで永遠の愛情を互いに約束するのです。

 

この、結婚指輪の風習は、カトリックが起源であることをご存知でしたか?
古くは、神様との誓いをたてた証しとして指に紐を結んだことに由来するそうです。

また、カトリック教会における結婚の秘跡は、どちらか一方だけが信者の場合、準秘跡とされています。
ヨーロッパなどのカトリック国では、信者が未信者と結婚することは原則としては認められておらず、
日本のように布教国である場合は認められています。
その場合、司祭が特別に許可をする『ディスペンザチオ』(ラテン語)=特別の免除が与えられます。

以前ご紹介した、ジブランの『預言者』に書かれている結婚について。

◆二人のあいだにも、自由な空間を置きなさい。
 そして、そこに、天からの風をそよがせなさい。

◆愛し合っていなさい。しかし、愛が足かせにならないように。
 むしろ二人の魂の岸辺と岸辺のあいだに、動く海があるように。

◆おたがいの杯を満たし合いなさい。
 しかし、同じひとつの杯からは飲まないように。

◆一緒に歌い、一緒に踊り、共に楽しみなさい。
 しかし、おたがいに相手をひとりにさせなさい。

◆一緒に立っていなさい。しかし、近づき過ぎないように。

深いですね。 

 

ここで、宮﨑神父様からのお願いです。
教会で結婚式をしたいと思われている方は、

①日程を決める前に神父様に相談に行ってください
②必ず、お二人揃って数回の結婚講座に参加してください。

大輝さん、綾乃さん、ご結婚おめでとうございます!

 

「信仰」とは何か。

四旬節が始まり、第一主日のごミサは、3人の司祭と2人の神学生と共にという贅沢なものでした。

 

神父様がたの祭服、ストラも、ご聖体が安置されている 祭壇の幕も紫色です。

カトリックに限らず、その行いの尊さ、素晴らしさ、社会に及ぼした影響などから、尊敬され続けている人は本当に多くいらっしゃいます。そこで、現在バチカンに正式に聖人として登録されている聖者は何人いるのだろう、と思い調べてみました。

結論。
「カトリック、ギリシャ正教合わせて1万人以上の聖人・福者がいるが、厳密に数え上げられてはいない」

ちょっと驚きでした。
聖人ではありませんが、今日はある一人の日本人についてです。

杉原千畝さんについては、ご存知の方が多いかと思います。
「数千人の命を救った男」というタイトルのホームページ、そして実際に記念館もあります。

http://www.sugihara-museum.jp/

リトアニアの日本領事館に押し寄せた、ナチスに追われて逃げてきたユダヤ難民たち。
日本政府が認めなかったのに、6千人もの難民にビザを発給した杉原千畝。

そこまではよく知られている話しだと思います。
でも、杉原が発給したビザは、あくまでも「日本を通過するためのビザ」であり、長くても10日間ほどしか日本に滞在できないものでした。
難民たちは、アメリカなどを最終目的地としており、その10日間の間に日本で目的地と交渉し、船便を確保するのは実際には不可能でした。

杉原の「命のビザ」を引き継ぎ、難民たちの日本での窓口となり、日本政府と様々な形で交渉し、ビザの延長を実現した日本人がいました。

小辻節三という人です。

杉原千畝と違い、彼のことはあまり知られていないようですし、記念館もありません。
かれは、のちにユダヤ教に改宗し、現在はイスラエルに埋葬されています。

「命のビザ」を繋いだ彼に興味を持ち、ほとんど日本には資料がない中、イスラエルやアメリカで資料を集め、取材を重ねて本にしたのは俳優の山田純大さん。
そう!
杉様(スギちゃんではなく、杉良太郎さん)の息子さんです!

命のビザを繋いだ男(NHK出版)

こうした背景があったことを、わたしは全く知りませんでしたので、大変興味深くこの本を読みました。

一見、カトリックとは関係のない話しのようにも感じられるかもしれません。
ですが、信仰を持つ人の行動はやはり何かが違う、と思ったのです。
プロテスタントの教育を受けて育った小辻氏でしたが、ユダヤ教に興味を持ち、実際にユダヤ人たちのために働いた彼の強い信念は、やはり「信仰」からくるものだったのではないでしょうか。

 

昨日のミサでは、来月受洗される方々の洗礼志願式が行われました。
信仰を持つことを決められた方々です。

 

わたしたち自らの信仰について考えを深める良い機会です。
「わたしの信仰とは何か。」
「何のためか。」
思い返してみましょう。

 

七つの秘跡:part3

今回は、洗礼の秘跡についてです。
みなさんは、いつ洗礼を受けられましたか?幼児洗礼?大人になって?結婚を機に?
よく、ミサの際に思うのです。
ここにいらっしゃる信者さんは、どんなきっかけで受洗されたのだろう?
どのようなエピソード、ストーリーをお持ちなのだろう?と。

そう思われたことはありませんか?

わたしの場合について、今日は書いてみたいと思います。
洗礼、これは本当に素晴らしい秘跡です。

キリスト教の入信の秘跡と呼ばれるものには3つの秘跡があります。
洗礼、堅信、聖体の秘跡です。
この3つの入信の秘跡が、私たちキリストを信じる者の生活全体の土台となっているものです。

 

これは、わたしが27年前のご復活の際に洗礼を受けた時の写真です。

平成3年、まだ昭和の香りがしますね!

代母は、出身高校のシスターにお願いしました。

今よりもずっと、ヴェールを着用している方が多いですね。

当時は久留米教会のステンドグラスもシンプルなカラーのガラスです。

わたしの隣は亡くなった母です。今のわたしの年齢よりも若いです!
(間瀬先生もお若い!!)

この時、21歳でした。
20歳の時、骨肉腫を患いました。
苦しい抗がん剤の治療も、大手術も、長い入院生活も、義足での困難なリハビリも、全く苦ではありませんでした。
なぜだかうまく説明できないのですが、若さと、単純で楽天的な性格のわたしは、「退院したら新しい楽しみを見つけなければ!」と考えていました。
それよりも、新宿の都庁の隣の高層病院の窓から見える大都会の景色の中に、どれだけの病院があって、どれだけの病気の方が苦しい思いをされているのだろう、とよく思っていました。

そんなわたしを、東京の姉妹校のシスター方がよくお見舞いに来てくださり、
「あなたは神様の子です。神様の子に間違いない!」
と、何度も言ってくださり、退院と同時に洗礼を受けるのはごく当然の流れでした。
わたしが小さいころから信仰を持っていた母の喜びは大変なものだったようです。

ギリシア語で「洗礼を行う」という「バプティゼイン」という言葉は、「沈める」という意味をもっている言葉です。
洗礼は、「聖霊によって、新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗い」とも呼ばれるものです。
また、洗礼は、「照らし」とも呼ばれています。
洗礼を受けることによって、このキリストご自身のみことばを受け、照らされ、今度は洗礼を受けた人自身が、「光の子」となり、「世の光」となるのです。

参考

https://www.pauline.or.jp/catechism/catechism072.php

わたしは、本当に生まれ変わりました。
義足での新しい生活と、信者としての新しい人生が、同時に始まったのです。
あのような大きな病気をしてなければ、信者として生きる今のわたしはなかったと確信をもって言えます。

「世の光」「神のインフルエンサー」として生きる喜びは、秘跡としか言いようがありません。
数年前には、洗礼を受ける友人の代母となることもできました!

今年のご復活の前夜祭でも、久留米教会では数名の方が受洗されます。来週のごミサでは洗礼志願式が行われます。
新しく生まれ変わって「光の子」として歩まれる方々のために祈りましょう。

 

祈りの必需品

みなさまは、一日の中でいつ、どのように「祈り」をされているでしょうか。

リビングに祭壇を設けていらっしゃるお宅もあるでしょう。

ロザリオを手に祈るというかたもいらっしゃるでしょう。

わたしは昔、「祈り」の仕方がわからず、模索していた時期がありました。

「祈り方」を説いた本を読み漁りましたが、自分の祈りのスタイルを、
確信をもって「こうやって祈っています」と言えるようになったのは、つい最近の様な気がします。

思いついたらいつでも、どこででもお祈りはしますが、寝る前にベッドで祈る時の必需品はこれ!

 

この、手のひらにすっぽり収まる木製の十字架。

 

 

絶妙なカーブがあって、握りしめると心地よく手に収まるのです。
数年前に、仲良しのおば様にプレゼントしていただきました。

(大名町教会のサンパウロでお求めいただけます。)

祈りの助けになっています。
手の中でギュ~っと握りしめていると、とても心が落ち着き、
神様と天国の母に心とからだを明け渡して話しかけることができるような気がするのです。

「神様に全てを明け渡す」

これが、わたしの祈りのスタイルです。
これは、教会の大切な友人が言ってくれた言葉です。

いろいろと悩んでいた時期に、彼女に相談しました。
同じように、彼女もその時悩んでいることを抱えていて、
その結論として自分で導いたのが、「神様に全てを明け渡す」ということだったと話してくれました。

 

パパ様の本、使徒的勧告「喜びに喜べ」の中に書いてあります。

自分の中にある攻撃的で利己的な傾きと闘い、そうした傾向が根づかないうように用心しなさい。
「怒ることがあっても、罪を犯してななりません。
日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」
エフェソ4・26

流され沈みそうになっても、わたしたちはいつだって、祈りという錨(いかり)にすがることができます。
祈りの錨は、わたしたちを神の腕の中に、平和の源のそばに、引き戻してくれます。

 

神の腕の中に引き戻してもらえるように、神様に全幅の信頼を寄せ、今日も、いつも祈りましょう。

 

イエス様はどのようなお顔をしていたのか⁈

みなさんそれぞれにイエス様のお顔のイメージをお持ちだと思います。

それは、馴染みのある教会のご像、見たことのある絵画や映画で演じた俳優の顔など、実は多くの連想させるお顔から各人が確固たるイメージを持っているのではないでしょうか。

久留米教会のイエス様

(十字架のイエス様を左右から照らす照明の位置と光の具合が変わったことにお気付きですか⁈)


その中でも、十字架上のイエス様のイメージについて考えてみました。

12世紀までのイタリアのキリスト像は苦痛や苦悩を超越した表情で描かれていました。
「勝利のキリスト」と言われています。

13世紀になると、首をうなだれ、苦痛と悲しみの表情を浮かべた「苦悩のキリスト」が主流となってきます。
それは、アッシジの聖フランチェスコが要因を作ったとされています。

フランチェスコの体に聖痕が現れたと言われるほど厳格な生活を徹底していたその姿勢は、イエス様の受難について語る際にも反映されます。
聖フランチェスコの説教には鳥も耳を傾けたというエピソードのとおり、人々への共感が広がり、絵画においても人間的な苦悩が強調されることにつながったのです。


グリューネヴァルトは16世紀に活動したドイツの画家。

ドイツ絵画史上最も重要な作品の1つであるのが、このイーゼンハイム祭壇画

 

 

磔刑図は数多く描かれていますが、肉体的な苦痛をここまで表現したものとしてはこの作品に匹敵するものはない、と言われています。
イーゼンハイムの聖アントニウス会修道院付属の施療院の礼拝堂にあったもので、患者が自らの苦痛を十字架上のキリストの苦痛と感じ、救済を得るために、このような凄惨な磔刑像が描かれたと言われているそうです。

 
グリューネヴァルトの絵の背景の闇をさらに濃密にし、風景も他の人物も排除して祈りのための「像」として描かれたのが、スルバラン1627年作の『十字架のキリスト』

 

 

その5年後に描かれたのが、同じくスペインのベラスケスの『十字架のキリスト』

 

 

闇に浮かび上がる十字架によって、神の子としてのイエス様の崇高さを表現すると同時に、リアルな描写で人間イエスの肉体の痛みをも描き出しています。
ちなみに、頭上に書かれているのは、3か国語での「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」
前述のグリューネバルトのように、16世紀ごろまでは「INRI」(ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語)と書き表すのが普通でしたが、このころから絵画も世界的な広がりを見せてきたことを反映し、3か国語表記が主流となったそうです。


わたしたちの持つイエス様のイメージは、このあたりの作品が近いのでは⁈ 

 

ここで告白!!
すべて、わたしが調べたのではなく、種明かしはこの本!!

 

 

西岡文彦さんの「名画でみる聖書の世界」新約編
(旧約編、は書かれていないようです。)

創世記から最後の審判までの世界中の名画の背景と解説が書かれていて、とっても読み応えがあります!

少し古い本なので、残念ながら本屋さんに新品はありませんが、アマゾンで中古本をお求めいただけます。

(久留米教会の方はわたしにお申し付けください!)


四旬節に向け、十字架上のイエス様に思いをはせ、穏やかに過ごしていきたいと思います。

 

神のインフルエンサー

今年の11月に広島、長崎、東日本大震災の被災地を訪問されることを表明されているパパ様。
もちろんお目にかかったことはないのですが、以前もご紹介したように、ツイッタ―でのお言葉を毎日聞いているので、とても身近に感じているのはわたしだけではないのではないでしょうか。

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その「はい」という答えで、マリアは史上もっとも影響力のある女性となりました。
ソーシャル・ネットワークなしで、マリアは最初の「インフルエンサー」、神の「インフルエンサー」となりました 。
With her “yes”, Mary became the most influential woman in history.
Without social networks, she became the first “influencer”: the “influencer” of God.

神のインフルエンサー!!
このツイートはとても印象的でした。
わたしが目指しているのはこれだ!と。

1/30 
人生を上手に航海する秘けつは、イエスが船に乗ってくれるよう招くことです。
イエスに、人生の舵を渡すべきです。
そうすればイエスは道を示してくださいます。
The secret to navigating life well is to invite Jesus on board.
The helm of life should be given to Him, so that He can direct the route.

イエス様に人生の舵を渡す。
なんとわかり易い言い回しでしょうか。

 

久留米教会の信徒の中にいろいろな奉仕活動をされている方がいることは度々ご紹介していますが、
炊き出しボランティアに参加していらっしゃる方も。
NPOホームレス支援久留米越冬活動の会というNPO法人が主催するボランティアで、代表はプロテスタントの信者の方です。
キリスト教の各教会、仏教のお寺が持ち寄り(すべて寄付された食材)で炊き出しされています。
シスター、若い信愛学院学生、元ホームレスの方の参加もあるそうです。

 

「人生を上手に航海する」

その航海することそのものが困難な方が多くいらっしゃるのも現実です。
炊き出しボランティアのことを伺うまで、久留米にそんなに多くのホームレス生活の方がいるとは全く知らず、大変なショックを受けました。
4~11月は月1回の炊き出し(小頭町公園にて)とパトロールの夜回り、12~3月は月2回の炊き出しと夜回りが行われています。


上智大学が2017年12月に主催した「教皇フランシスコと話そう」という企画でのパパ様のご発言を、少し抜粋してご紹介します。

「宗教というのは、創造された『劇』ではないということです。
宗教というのは、もともと人間の心が持っているもの。
あらゆる宗教は人を成長させます。他者のために奉仕しない人は、宗教的な人とは言えない。
ただ単純に何かの見返りを求める人なのでしょう」
そして、ガンジーや、長崎で被爆しながらも救援活動を行ったクリスチャン医師の永井隆博士、多くのユダヤ人を救った杉原千畝を例にあげ、
「これらの人々は、宗教によって成長した人々。
宗教は人を、他者に奉仕する人に成長させる。
キリスト教の啓示とは、神を信じ、他者のために奉仕するということ」

https://www.christiantoday.co.jp/articles/24986/20171226/sophia-university-pope-francis.htm

キリスト者として生きるわたしたちは、他者への思いやり、奉仕の精神を実践することが大切だと改めて気づかされます。
本当の意味での「神のインフルエンサー」としての生き方を目指していきたいものです。

 

七つの秘跡:part2

教会は「病人を癒やす」という務めをとても大切にしています。
『病者の塗油の秘跡』は、7つの秘跡のうち、
病気に苦しむ人を励ますことを目指した秘跡です。

重病の人に授けられ、祝福された油を額と手に塗り
「この聖なる塗油により、慈しみ深い主キリストが聖霊の恵みであなたを助け、
罪から解放してあなたを救い、起き上がらせてくださいますように」
と唱えられます。

 

「あなた方のうちに、病人がいるなら、その人は教会の長老たちを呼び、
主の名によって油を塗って祈ってもらうようにしなさい。
信仰による祈りは、病人を救います。
主はその人を立ち上がらせ、もしその人が罪を犯しているなら、その罪は赦されます。」
ヤコブの手紙5・14~15

これは、当時すでに行われていた病者の塗油のしきたりについて、
公式に説明した箇所とされています。(フランシスコ会訳聖書の注釈より)


イエス様は12人の使徒を2人ずつ宣教に遣わされます。

「そこで弟子たちは出ていき、人々に悔い改めるようにと宣べ伝え、
また多くの悪霊を追い出し、多くの病人に油を塗って癒やした。」
マルコ6・12~13

先日、久留米教会のある信者さんがお亡くなりになりました。
奥様にお話を伺いました。

意識はあるものの意思表示は出来ない状態で、食事も流動食しか食べられなかったのが、宮﨑神父さまがお見舞いに来てくださったあとじわじわと元気を取り戻し、固形物を自分でお箸を使って食べれるようになられたそうです。

最後は眠るように安らかで、主人なりにその時を選んで迎えたのだと思います、とおっしゃっていました。


「病人を見舞う」という奉仕をされている方々がいらっしゃいます。
宮﨑神父様と聖体奉仕者の研修を受けた4名の信者の方が月に数回、信者さんが入院されている病院や施設を訪問してお見舞いし、希望があればご聖体を授けられています。

わたしは東京の大学に行っていた二十歳の時に大病をし、
飛行機に乗ることも出来ない状況でしたので、そのまま東京の病院に入院しました。
家族は頻繁に久留米から来てくれましたが、それ以上にほぼ毎日のように入れ代わり立ち代わりお見舞いに来てくださったのは
出身高校の東京にある姉妹校の修道院のシスター方でした。
このルルドのお水はその時にいただいた(28年前!)ものです。

 


病気で心細い思いをしている信者にとって、
励ましと祈ってくださる方の存在はとても大きなお恵みです。

宮﨑神父様に届いたお手紙を少し抜粋してご紹介します。
(ご了解をいただいています。)

「4月に癌がわかり、リンパ節と脳に転移、ステージ4と言われました。
手術ですべて切除、転移も消え、脳腫瘍も消えました。
昨日、再発なし、抗がん剤も必要なし、今後は定期的に検査をするだけでよいと言われました。
おおいなる奇跡でしかありません。

しみじみと、人の祈りと宮﨑神父様が送ってくださったルルドの水の偉大さに感じ入っています。
神様はきっと患者本人の心も、人のために祈る人の心と祈りも、
何か力になろうとする人の心も行いも、すべてをご覧になっておられると思いました。」

 

病気で入院している方、
施設や自宅で療養をされていて教会に来られない方のために祈りましょう。

 

 

久留米教会:七つの秘跡part1

久留米教会に入ると、すぐ右手にゆるしの秘跡(告解)のための小部屋があります。

毎週日曜日の朝は、優しい笑顔のジュゼッペ神父さまが、わたしたちのために祈り、待っていて下さっています。

 

 

この笑顔、癒されます。

許可を頂いて写真を撮りましたので、今朝は優しい笑顔も120%です!

 

ゆるしの秘跡とは、司祭のもとで自分の犯した罪(SinとCrime)を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神様からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。
罪がゆるされ、癒しと慰めをいただくことで、これからの生き方の勇気と力になります。

和解の秘跡ともいい、罪を犯したことで神様を悲しませたことを反省し、神様と和解する、ということだそうです。


わたしたちカトリック信者は、少なくとも年に一回はゆるしの秘跡に与ります。

「神様から離れた生活をしてしまった」という気持ちを感じたら、そのことを告解するのも信仰生活の助けになります。


わたしの場合、初めてゆるしの秘跡をいただいたときに神父さまが仰った聖書の言葉は、その後のわたしの信仰生活の指針となり、今でも大切にしています。

『あなたはキリストの良い香りです。あなたの姿が周りを照らしますように。』

20歳の時に神父さまからそう言われ、そのことをずっと心に刻んできました。

 

今日は、神父さまから特別に許可を頂き、もう1つの秘跡についても写真撮影させていただきました。

ご聖体の秘跡

 


このご聖体、ホスチアは洗礼を受けた者だけがいただく、『キリストのからだ』です。


3種類のチボリウム(ラテン語で、食べ物を入れる器)があります。

 

どれがどのように使うもの、という細かい区別はないそうですが、久留米ではこの3種類を使っています。

今年からホスチアの歯ざわり(味も‼︎)が変わったのにお気づきですか⁈

種明かしは、次週、宮﨑神父さまからのお話をお楽しみなさってください。

 

 

 

「聖書に全て書いてある。」

今日は、本をご紹介します。
世界的なベストセラーなので、ご存知の方が多いかと思いますが、
わたしは最近知って買い求め、没頭して一気に読みました。

 

 

1923年に英語で出版されたこの詩集、30数か国語に翻訳されているそうです。
文が美しい。
この携帯サイズの小さな本の中に、カトリックの教えが美しい散文になって凝縮されている気がします。
愛、結婚、自由についてなど26個のテーマに沿って預言者が語る、という設定になっています。

美智子皇后さまもご愛読されているようです。

「レバノンの詩人・哲学者・画家である著者のカリール・ジブラン。
20世紀のウィリアム・ブレイクとも称され、多くの詩人・思想家・政治家のみならず、
サブカルチャーにも影響を及ぼした偉人が、人間の普遍的テーマ…愛、労働、喜びと悲しみ、友情など
26の項目について深く語りかける詩集。」
(amazonの内容紹介より)

本の装丁も美しく、いつもバッグの中に入れて持ち歩くことにしました。
いつでも人に勧められるように。

箴言
好きなのです。
この本を読んでいて、箴言を深く掘り下げて咀嚼されているような気がしたのです。
箴言は、読んでいて心に刺さる言葉が多いし、
何よりも読みやすい。


心を尽くして主に寄り頼み、
自分の聡明さに頼るな(3・5)

口数が多ければ罪は避けられない
しかし、口を慎むものは賢い人(10・19)

寛大な人は満たされる
人を潤すものは自分も潤される(11・25)

心が楽しいと、顔色も晴れやかになり、
心に憂いがあると、気も沈む(15・13)

率直な戒めは、ひそかな愛に勝る(27・5)


『ソロモンの箴言』と言われる10章~22章、25章~29章は
さらりと読めるこうした名言ばかりでお勧めです。

曽野綾子さんの本に書いてありました。

「人生に必要なことは、聖書に全て書いてある。」

本当にそうなのです。

もう一か所、聖書の好きな箇所を。

ぶどう酒は程よく飲めば人にとって命に等しい。
ぶどう酒のない人生とは何であろうか。
時に応じて程よく飲むぶどう酒は、
心の楽しみであり、魂の喜びである。

シラ書31・27~28

 

佐久間神父様の翻訳の『預言者』の中から、一部ご紹介します。

愛があなたがたをさし招いたなら、愛に従いなさい。
たとえ、その道がどんなに厳しく険しくても。
愛があなたがたに語りかけたなら、愛を信じなさい。
たとえ、その声が、庭を荒らす北風のように、あなたがたの夢を打ち砕いても。
なぜなら、愛は、あなたがたに栄冠を与えると同様に、あなたがたを十字架につけるのです。
愛はあなたがたを育て、また刈り込みます。

夜明けに目覚め、飛び立つ思いで、愛のあたらしい一日のために感謝をささげること。
昼下がりには静かに休らい、愛の恍惚を思い出して味わうこと。
夕暮れには、感謝に満ちて家路をたどること。
そして、心では愛するひとのために祈り、
唇では賛美の歌を歌いながら眠りにつくこと。

とてもとてもお勧めの本です。

オルガンと聖歌

信徒会館のオルガンを修理に出していたのが戻ってきました。

このオルガン、1880年製のフランスのもので、日本には3台しか残っていない貴重なものです。
この、職人さんの手作りのオルガンは、これまでも何度も修理を重ねて大切に使われてきました。
今回は、長野県の吉倉オルガン工房の吉倉さんが長い時間をかけて丁寧に修理してくださいました。
職人の技が見える素晴らしいオルガンのようです。
長年にわたり何度も修理してきているため、元の状態がどのようであったかもわからず、
埃を取ることだけでも、とても大変な作業だったそうです。

 

 

 

早速、ごミサの演奏に使われています。

 

ミサで聖歌の伴奏をしてくださっているのは彼女たちです。


いつも、素敵な演奏でわたしたちの歌声をリードしてくれている、幸子さんと望さんです。(お名前も素敵!)

 

ごミサにおける聖歌、カトリックではとても大切にしている祈りのひとつです。
上手に歌うことが大切なのではなく、みんなが声をひとつにして心を込めて
「祈り」として歌うことを心がけたいと思っています。

ニューヨークに住む妹に会いに行くと、近くのカトリック教会のミサに行くのですが、
その教会では参列者はあまり歌いません。
なんと、プロ(?音大の学生?)の男女2名がミサの間ずっと、
立派なパイプオルガンの演奏に合わせてオペラ歌手のように聖歌を歌ってくれるのです。
侍者もたいてい、女の子が務めています。

 

 

 

旅先で現地の教会を訪ねるのは、旅の楽しみのひとつです。
久留米教会にもそうした方がごミサに参列されているのかもしれませんね。

正しい者たちよ
主の故に喜び歌え
心のまっすぐな者たちよ
主を賛美するのは麗しい
新しい歌を主に歌い
喜びの声に合わせて
巧みに琴をかき鳴らせ
詩編33・1~3

オルガンに合わせて、心を込めて祈り、歌いましょう。

 

今年の祈り

新しい一年が始まりました。

今年はどんなお恵みや出会いがあるでしょうか。

考えるとワクワクします。

 


以前読んだ祈りの本に書いてありました。

「朝起きて1番最初に心に浮かぶ考えで1日が決まる」

一年の始まりも同じではないかと思うのです。

どんな一年にしようか

どんなふうに過ごしていこうか

前向きな明るい気持ちで始めるほうが、お恵みが多くなる気がします。

 

パパ様カレンダーの1月のメッセージは

『澄んだ目と、信頼や希望に満たされた顔でわたしたちを見つめる子どもたちの笑顔を守るために、わたしたちは何をしているでしょうか?』

 

わたしには4人の姪、甥がいます。

毎日、彼女たちのことはお祈りしていますが、

今年はこのパパ様のメッセージを心に刻み、

いつも以上に子供たちのために祈ろう、と誓いました。

皆さまは、今年はどんなお祈りを抱負とされますか?

 

 

教会にしばらく来れていないという方を誘いませんか?

教会に行ってみたいというお知り合いを誘いませんか?

久留米教会は今年も、開かれた活気ある、お恵みの象徴のような共同体でありたいと思います。

 

 

未来の教会

今年も残すところ数時間となってしまいました。
みなさま、どのような一年をお過ごしになったと感じていらっしゃいますか?
わたしは、幸せを感じることばかりではなく、大変なことや辛いこともあった2018年でした。

それでも、大晦日を迎えた朝、心の底から
「神様、今年も一年、本当にどうもありがとうございました。」とお祈りですることができました。

『すべての思い煩いを神に委ねなさい。
神があなた方を、顧みてくださるからです。』
1ペトロ5・7

何かトラブルが起きた時などは、この聖書のことばを呪文のように唱えています。

 

 

馬小屋での出来事について、宮﨑神父様から説明を聞く子どもたちの様子です。
彼らの姿を見ているだけで、幸せを感じることができます。

未来の久留米教会を担ってくれる子どもたちです。

 

 

 

 

子どもたちのクリスマスパーティの準備をしてくださった、若いお母様方。
そして、進行してくれたのは青年会の若いメンバーたち。

この一年、子どもたち、若い信者さんたちが久留米教会の力となってくれていることに、
広報の取材を通して接する機会が多かったのは、わたしにとっても大きなお恵みでした。

パーティに参加させていただいたわたしの甥も、
「とっても楽しかった!」と喜んでくれ、
それだけで幸せいっぱいの気持ちになることができました。

未来の久留米教会は彼らがいるからきっと大丈夫!と
この記事を書くために写真を見返していて、改めて確信しています。

 

『酒盛りで大騒ぎしたり、酔いつぶれたり、
身を持ち崩したり、争ったり、妬んだりすることなく、
日中歩くように、慎み深く生活しましょう。
主イエス・キリストを身にまといなさい。』

ローマ人への手紙13・13~14

 

お正月、大人はこのことばを呪文のように唱えましょう!

皆様、良いお年をお迎えください。

 


 

久留米のクリスマスミサ

クリスマスおめでとうございます。

昨夜のイブのごミサと今朝の降誕ミサには、とても多くの参列者がありました。
毎年とても盛大にご降誕のお祝いができることは大きな喜びです。

日曜学校を卒業した青年たち、おなかの大きな子、、お母さんになった子
あか抜けした新社会人、普段の日曜日のごミサにはなかなか与れないという信者だけでなく、
ミサはクリスマスだけは必ず!という信者さん、
初めて教会を訪れる方も大変多いのがクリスマスミサの醍醐味ではないでしょうか。

 

イエス様がお生まれになった意味を、すべての人と分かち合う時間です。

宮﨑神父様は
「信じる者はすべてを神にゆだねるのです。
クリスマスを、信じることの喜びを改めて見つめなおす機会にしてください。」
とおっしゃいました。

 

 

昨夜のミサまでの間、多くの方がいろいろな役割を担って準備に取り組んできました。
この祭壇のお花もそのひとつです。
女性の会のみなさんが、丁寧に活けてくださいました。

 

 

 

信徒会館の中の飾りつけは、ベトナムの青年たちの手によるものです。

イブのミサのあとに振る舞われた軽食も、女性の会のみさなんのお手製です。

 

ミサの中で演奏されたハンドベル
猛練習の成果を発揮してくれた青年会のみんな!

 

こんなに多くの若者までもが、積極的に教会での役割、使命に喜んで応えてくれている久留米教会、
自画自賛ですが、とても素敵な自慢の教会です。

昨夜のミサのあと、敷地内の木の下でベトナムの青年たちが
クリスマスソングに合わせてダンスをしていた姿もとても素敵な光景でした。

クリスマス会の子どもたちの様子も、また改めてご紹介します!

今夜は、恒例となった、筑後地区のプロテスタントの各教会と合同でのキャロリング
(久留米市内を歩きながら聖歌を披露します。)が行われます。

 

喜びの主日

なんてステキな呼び名でしょう!

喜びの日に相応しく、待降節第3のロウソクはピンクが灯されました。

 

今日に合わせ、ピンクの実が追加されています。

  

みこころレターのこと、ホームページの記事のことを褒めてくださったり感想を聞かせてくださる方が何人も声をかけてくださり、嬉しい日曜日の朝だわ、と思っていたら。

ジュゼッペ神父様の最初のお言葉が

「今日は喜びの日曜日です。

主があなたたちの内に、あなたたちと一緒におられ歩んでおられることを喜びなさい。」

 

喜びその1

 

日曜学校の子どもたちが、いつも神父様に教わっていることをいつくか、わたしたちにも聞かせてくれました。

「朝昼晩、神様に感謝しましょう!」

「毎日何回も、ありがとうを言いましょう!」

大人も大切にしなければならない習慣ですね。

 

喜びその2

 

 

青年会という20名ほどのグループがあります。高校生以上の若者たちが、クリスマスミサで披露するハンドベル演奏の猛練習中です!


(メンバーのIさんは、わたしが洗礼を受けたときに一緒に幼児洗礼を受けたのです。

こんなにステキな女性に成長して、感無量です(涙))


今日は、ミサの後、馬小屋の飾り付けをしてくれました。


 

そして、完成‼︎

 

 

喜びはいつも、そこにあります。

神様がいつも横にいてくださるのと同じように。 

 

 

神様とインターネット

久留米教会にはこのホームページと、「みこころレター」という広報誌、
2つの広報ツールがあります。

みこころレターの第8号を発行しました。

 

 

この半年の久留米教会の活動だけではなく、
4つの国出身の信徒によるアドベントの過ごし方の記事、
神学生2名のご家族による「わが子の召命」についての寄稿、
海外で活動する信徒の報告など、
いろいろとお伝えしたいこと盛りだくさんの内容です。

 


クリスマスは多くの場合、ハロウィンの様にイベント化し、
新聞を取るのをお止めになるご家庭も多くなり、
来年からは年賀状出すのをどうしようかと考えていらっしゃる方もいるようです。

現代は紙離れ?神離れ?なのでしょうか。

 

広報誌、つまり手に取っていつでも好きな時にゆっくり読める媒体と、
ホームページのように、情報を得るために自主的に検索してから見る媒体とでは、
その役割は全く違います。

たとえば、わたしもこのホームページに聖書の言葉を引用したいと思った時、
それが、どの福音書の何章だったか知りたい場合、
すぐにインターネットで検索します。

そのあと、自分で聖書を開いてその箇所を読み返します。(ここ大事!)

神様はインターネットで自分のことを検索されるなど、
想像もされなかったでしょう!

 

先日、ある神父様がおっしゃっていました。

「信仰は、”神と、神に祈るわたし” だけの関係だけではありません。
わたしたちをとりまく社会、家庭の問題など、
さまざまなことが絡まっているのが現代社会の信仰の姿です。
たとえば、現教皇は、カテキズムから『死刑制度容認』の文言を削除したのです。
長年、カトリック教会は死刑制度を容認してきましたが、
今、教会は反対の立場へ変わったのです。」

聖書の教えは本質的には変わらないはずなのに、
信仰も、時代とともに変化している、ということなのでしょうか。

 

世界中、わたしたちの身近なところでさえ、いろいろな問題が起こっています。

他者の意見に耳を傾け、インターネットにあふれる「だれか、個人」の意見に振り回されず、
検索するよりも、日常に神様を感じた暮らしをしたいものです。

 

広報誌は、近隣教会の信者さん、教会を初めて訪れる方にも手に取っていただきたく、
たくさん印刷しておいてあります。
(近隣教会にはお送りしています。)

どうぞ、遠慮なくどんどんお持ち帰りください!

 

 

待降節、新しい1年の始まり。

典礼暦では、待降節から新しい1年がスタートします。

久留米教会でも、アドベントの飾りつけを始めました。

 

 

 

これは、待降節の間、毎週1本づつ灯すロウソクを立てるためのもので、
ラテン語で、アドベントゥス クラントゥスと言います。

毎年、一人の有志の方が素敵なものを作ってくださっていたのですが、
今年からは、わたしたち(Team40代!)が担当させていただくことになりました。

 

こちらは、去年のもの。

 

完成度が高く、とてもこんな風にはできませんでした。(^_^;)

それでも、神様を感じながら、戴いた役割を楽しみました。

 

「どんなことであれ、あなた方のうち二人が心を一つにして地上で願うなら、
天におられるわたしの父はそれをかなえてくださる。
二人また、三人がわたしの名によって集まっているところには、わたしもその中にいる。」

マタイ18・18~20

 

この聖書の言葉を思い出さずにはいられませんでした。

「今年から、作るのをお願いできない?」と言われた時、わたしたちはとても嬉しく、
「ほかにもお手伝いできることがあれば、なんでも言ってください!」
と、誰もが口を揃えて言うことができました。

 

 


 

久留米教会にはいろいろな役割があり、お手伝いしてくださる方が必要です。

 

力仕事は20代の「青年会」のみなさんにお願いしています。

バザーをして、収益を支援が必要なところへ送ってくださる
 「ピースナインの会」「女性の会」「フィリピンコミュニティ」の方々。

掃除やイベントの裏方をやってくださる「ヨゼフ会」の男性方。

花壇のお手入れをしてくださっている「女性の会」の方。

ごミサの時、初めて来られる方に案内をしてくださる「教会学校保護者会」の方。

教会の備品を管理してくださっている「役員」の方。

教会学校担当、納骨堂委員、営繕委員、広報委員など。

いろいろな方が、快く役割を担ってくださっていることで成り立っているのが教会です。

その方々すべてに、神様のお導きがあります。

 

「主は彼らの前を行き、彼らが昼も夜も進むことができるよう、
昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされた。
昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。」

出エジプト13・21~22

 

モーセが民を率い、エジプトから紅海に向かう時の様子を書いた箇所ですが、
わたしはこのくだりがとても好きです。

誰もが、神の導きによって、昼も夜も迷うことなく前に進めるように、
という神様の愛を連想します。

 

わたしたちは、教会、家庭、職場、地域社会などでさまざまな役割を担っています。

待降節の期間、今年の残りの日々、周囲の人々への優しさと感謝の気持ちを大切に。

そして、どんな時も神が導いてくださっている、ということを忘れないように過ごしたいものです。

 

 

神学院祭、召命。

少し前のことになりますが、11/3 福岡キャンパスでの開催は今年で最後となった、神学院祭に久留米教会からも大勢で参加してきました。

恵まれた敷地!

 

 

 

素晴らしい環境で、17名の神学生が学んでいます。
われらが誇り、船津神学生もその一人です。

丘の上から神学生の挨拶があり、開会しました。

 

 

 

各教区の神父様方も勢揃いし、美しい秋晴れの空の下、
贅沢なごミサに与ることができました。

 

 

企画ももりだくさんで、大人も子供もとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
丘を利用した草スキー(?ソリ?)、神学生を探してシールを集めてお菓子をもらったり、
神学生によるマジックショー、ウッドビーズでのロザリオ作りなど。

各教会ごとのいろいろな食事やお菓子の露店も出ていました。

こんな面白いランキングも!

 

 

 

 

日本の神学生の数は、年々減少しています。
わたしたち信徒にとっても、カトリック教会全体にとっても、とても深刻な問題です。

聖アウグスティヌスは、自身の放蕩生活やマニ教への入信を振り返り、苦悩していたさなか、
隣りの家の子どもが遊びながら歌う声にハッとします。
「とれ、よめ」
そこにあった聖書を手にし、どこを読むとも意識せずに開いたページが、パウロの回心するくだりでした。


「主イエス・キリストを身にまとえ、肉欲をみたすことに心を向けてはならない」
ローマ人への手紙13・13~14


そして洗礼を受け、修道生活へと入っていきます。

ひとりでも多くの若者が、神の招きに気づき、導かれるように祈りたいと思います。

 

 

この中に、将来の神学生がいるかも!?!

 

バザーと聖書

11/18〜25は聖書週間となっています。

みなさん、聖書はどのくらいのペースで手にしますか?

聖書に親しんでいますか?

今日はごミサの後、バザーが開催されました。このバザーも、聖書の教えを実践しているのだわ、と感じました。

 

 

 

今日のバザーの収益金は、震災後続けられている福島家族支援のプログラム「博多にきんしゃ〜い」への支援金として充てられます。

久留米教会には女性の会というグループがあり、定期的にコーヒーバザーが開催されます。

ごミサの後、教会前の広場で皆がコーヒーを片手に語り合う、貴重な親睦の場でもあります。その収益は、例えば教会の空調献金に充てられたりしているのです。

なぜ、バザーをするのか。

答えは、聖書のいたるところに書かれています。

 

これは、わたしの聖書、フランシスコ会翻訳です。

 

 

このように、気に入っている箇所や大事にしている言葉のページには付箋を貼っていて、時折読み返しています。

 

今日のごミサの箇所。

『天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。』マルコ13・31

共同訳が採用されている聖書と典礼はこう訳されていますが、フランシスコ会だと。

『天地は過ぎ去る。しかし、わたしの言葉は過ぎ去ることはない。』

 

どうでしょうか。

この微妙なニュアンスの違いを楽しむのも、わたしが聖書を開く理由のひとつです。

 

宮﨑神父様がおっしゃいました。

「聖書は神様からのラブレターです。

ラブレターをもらったら、それに答えようとしませんか?

神からの教えに応えなければなりません。

教会は、人の言葉、聖書の教えの上に成り立っています。

聖書に書かれた、使徒たちの苦難に満ちた宣教の旅のことを知らなければ、本当の意味でのイエス様の教えを知ることはできません。」

 
この期間のうちに、ぜひ聖書を開いてみましょう。

どこを読んでもいいのです。気負わず、気軽に。

 

 

先週の神学生たちと久留米の子供たちの集合写真です。

みんな、素敵な笑顔‼︎

 

 

 

七五三のお祝いとお恵みの子どもたち

11日のごミサでは、七五三のお祝いがありました。

そして、長崎の神学校から13名の神学生と3名の神父様がたもお越しになり、
お恵み溢れる素晴らしい日曜日のミサとなりました。

 

 

 

現在、14名の神学生が在籍していて、そのうち12名が長崎教区の出身とのこと!

2名は、われらが福岡教区の誇り、久留米の横山神学生と、今村教会出身の鈴木神学生です。


5人の神父様による贅沢なごミサ。

そして、お恵みに満ちた神学生たちと七五三の祝福を受けるたくさんの子どもたち。

 

 

 

みなさん、教会中に満ち溢れる聖霊のパワーを感じられたのではないでしょうか。

特別のお恵みを受けた子どもたち&青年たちからのおすそ分けをいただいたような気持ちで、
息を吸い込むたびに、体内に良いエネルギーが入ってくるのを感じました。

ごミサのあと、何人もの方が「今日は素晴らしいごミサだった!」とおっしゃっていました。

 


最後に神学生たちがギターの演奏付きで素敵な歌声を披露してくれました。

3曲目は自らのアンコールによって。(笑)


♪聖霊きてください

あなたの光の力で

わたしたちを照らしてください♪


♪わが主イエス

わたしを包む、わたしを満たす♪


横山神学生の挨拶がとても心に響きました。

「わたしたちも皆さんのために日々お祈りしています。
来週末に大学受験を控えている2名の神学生のために、わたしたち神学生のためにもお祈りください。」

 

 


彼らがこれから、高校へ進学し、大学生となりコレジオで学び、その後に神学院で6年学び、
助祭、司祭となっていく長い道のり。

彼らのためにも、わたしたち信徒のためにも、心を込めて祈り続けて行きましょう。

 

死者の月に想う。

3日の秋晴れの美しい空の下、盛大に行われた神学院祭については、また次回!

 

今月は、死者の月です。

「死について黙想し、周囲の亡くなられた方が永遠の命に招かれるように祈ることは、

私たちがよりよく生きることに繋がります。」

宮﨑神父様がミサでおっしゃった言葉です。

 


今日のミサで撮影した写真。

朝日の偶然による光の屈折が美しく、聖霊が、天と教会のなかのわたしたちを結んでいるような気がしました。

 

こちらは、ボリビアの死者の日の様子。

 

 

ボリビアでは死者の日から数日、お仕事はお休みだそうです。

「みなさん、お墓参りに行ったり、もし今年亡くなった方が家族にいたら、その方が好きだったものを準備して、お祈りに来て下さる方々とそれらを分かち合う日となっています。

わたしも、知り合いの家にお祈りに行き、パンとワインをいただいてきました。」

ボリビアのAkikoさんより。

日本のお盆のような感じですね。

 

午後3時から、久留米教会の全ての死者の追悼のためのごミサが捧げられました。

 


聖アウグスティヌスは、母モニカが亡くなったとき、悲しみにくれていました。


「私は終日、心の奥底においては、重いかなしみに沈んでいました。

そして、精神をかきみだされ、このかなしみをいやしたまえと、あなたにむかってなしうるかぎり乞いもとめましたが、あなたはその願いを聞きとどけてくださらなかった。」


告白 第9巻 第13章


紛らわすため、入浴したり眠ってみたり、いろいろ試してみます。

そして、アンブロシウスの”夕の讃美歌”を想い出し、敬虔な母の想い出にひたるのです。

 

かみよ、すべてのつくりぬし

あまつそらを しろしめす

ひるは あかるきひかりもて

よるは めぐみのねむりもて

よそおいたまえば もろびとは

ゆるみしからだ よこたえて

あすのちからを やしなえり

つかれしこころ かろやかに

なやみはとけて あともなし

 

わたしも、母が亡くなったとき、神様にながいあいだ問い続けました。

なぜ、こんなに早く母を召されたのですか?と。

簡単には哀しみは癒えませんでした。

神様からお返事が聞こえたような気がしたのは 随分時間が経ってからでしたが、いまでも鮮明に覚えています。

 


「亡くなった人のことを祈るより、

残った家族や友人のために祈るのです。

亡くなった人は神様の元へ行ったのだから、

何も心配することはありませんよ。」


と神父様から言われ、とても心が軽くなりました。


死者の月に、周囲で大切な方が神様の元へ召された全ての方のために祈りましょう。

 

幼児洗礼式ー洗礼と信仰のことー

2人の赤ちゃんの洗礼式が執り行われました。幼児洗礼式は年に2回行われますが、ご復活祭の洗礼式と同様に、自分の信仰を改めて見つめ直すよい機会である、と宮﨑神父様が仰っていました。

クララ西坂香怜(かれん)ちゃん

マリア松尾柴織(しおり)ちゃんがわたしたちの共同体に迎え入れられました。

 

 

 

 

信仰とは何か。

人に聞かれたら、何と答えるでしょうか。わたしの場合、教会に行って静かに座っていると、スラスラっと感謝の気持ちが湧き上がり、事前に考えていた以外の想いまで自然と祈りとなることがよくあります。

わたしの場合の『信仰の現象』です。

 

 

信仰とは、望んでいることを確信し、見えない事実を確証することです。

ヘブライ人への手紙11.1

 

 

信仰は、いつ洗礼を受けたか(長さ)や、どのくらい熱心か(深さ)ではかれるものではないと思うのです。

 

このご家族は、今年のご復活祭に親子3人同時に受洗されました。信仰とは、を考えた時に真っ先に彼らのことが浮かびました。

 

 

彼女はわたしの入院中のゴーストライター(笑)でもある、大切な友人です。

家族で色々な教会の行事に参加し、聖歌隊にも入り、娘さんも日曜学校の活動を楽しんでいるようです。神様からのお恵みをものすごい勢いで吸収しているように見えて、わたしまで幸せな気持ちにしてくれるファミリーです。

 

あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ

詩編2.7

 

 

 

やすらぎの集いin聖マリア病院ルルド

爽やかな秋晴れの19日土曜日に、聖マリア病院のルルドの広場でやすらぎの集いがありました。

 

 

 

「やすらぎの集い」とは、ご病気で療養中の方々とご家族、ご友人の皆さんのこころとからだの安らぎを願って一緒に祈る集いで、今年で18年目になるそうです。

 

久留米教会の子ども聖歌隊『チェチリア聖歌隊』が聖歌を歌ってくれ、青空に可愛らしく透き通る様な声が響きわたりました。みなさん、天使の歌声だったねと喜んでおられました。

 

 

 

 

患者さんだけでなく、病院関係者、学生、久留米教会の参列者が、こころとからだの安らぎを頂きました。

 

  

8週間程の入院生活を終え、自宅療養しています。

この間、こうして教会のホームページの記事を更新できているのも、教会の友人たちの協力があってのことです。

彼女たちから、こんなことがあったよ、と写真と文章が送られてきたり、気にかけてくださる方々が優しい励ましのメッセージを下さったり、どれだけ心のやすらぎを得られたことか。

 
入院生活というのは、本当に心細く、時に滅入ることもあります。

携帯のメールでもいいのです。

身近にご病気やケガで入院している方がいらっしゃる方は、その方に「想ってるよ、祈ってるよ」とメッセージを伝えてください。

 

 

まず、自分自身を平安に保ちなさい。そうすれば、他人にも平和を分け与えることができる。

平和を愛する人は、全てを善に変える。

心を平和に保つ人は誰をも疑わないが、しかし不平を言い激昂しやすい人は、いろいろな邪推に振り回され、自分も落ち着かないばかりか、他人をも苛立たせる。

あなたはまず、自分の霊魂について真剣でありなさい。そうすれば自然に、隣人のことについても正しく、熱心に注意できるだろう。


キリストを生きる 第二巻 第三章 1

トマス•ア•ケンピス

 

 

パパ様からのメッセージ

久留米教会の金木犀も美しく咲き、心地よい秋の香りを放つ季節となりました。

 

 

毎年10月になると、サンパウロの出張販売があり、皆さんも楽しみにしていらっしゃいます。

 

 

わたしも必ず買い求めるのが、この2つのカレンダーです。

 

 

アッシジの美しい風景と、(イケメンの)パパ様のカレンダーです。

ちなみに、こちらは今年の。

 

 

月初の楽しみは、このカレンダーをめくった時に読むパパ様からの今月のメッセージです。


「神にすべてを委ねるとき、困難に対して正しい態度で、勇敢に向かい合うことができるようになります。」

 

フランシスコ教皇様は、SNSも積極的に活用されますので、わたしたちは毎日のようにパパ様からのメッセージを見聞きすることができます。

例えば、ツイッター。

 

 

他にも、最近のツイートで心に刺さり、手帳にメモしているのは、


“生活の中における守護の天使の存在は、単にわたしたちの歩みを支えるためだけではなく、どこに向かうべきかを示すためでもあるのです。”


“毎日、少なくとも5分、福音書を読んでみてください。生活がどう変化するかが分かるでしょう。”


カトリック中央協議会が邦訳しているパパ様のツイートです。

https://mobile.twitter.com/chuokyo_pope

 

ごミサで神父様のお話にハッとしたこと、人との会話で心に残ったこと、パパ様のメッセージなど、大切に記憶したい言葉は手帳にメモするようにしています。

時に読み返して、心の糧にしています。 

 

島原教会への巡礼の旅

世界文化遺産に指定された原城跡と島原教会への巡礼旅行に行ってきました。

なんと、船旅です!

 

皆さん、秋の好天に恵まれたこともあり、とても楽しそうです。

 

 

とても印象的な聖堂です。

聖パウロ修道会のホームページに、詳細な説明があります。

https://www.pauline.or.jp/visitingchurches/200808_shimabara.php

島原市のホームページ

http://www.city.shimabara.lg.jp/page2911.html


この教会は、1612年~1658年の間に島原半島で殉教した数万人のキリシタンのために、日本26聖人殉教400周年と島原天草の乱から360年の節目にあたる1997年に献堂されました。

50名ほどの参加者があり、 豊かな祈りの旅となりました。

 

 

 

 

 

 

アバ•父への祈り

 私事ですが、骨折して入院しています。

とても時間があるのに、以前のように祈りが出来なくなっていることに気付きました。

その理由として、「ストレスのない穏やかな生活」だからではないかという、贅沢な結論に達しました。

 

 

子どもの頃から、空を見上げると神様がそこにいらっしゃるのを感じます。

台風の後の空がとても美しく、祈りを捧げなければという気持ちで目覚めた10月最初の朝です。

 

犬養道子さんが、フランス語版共同訳の訳文を交えながら解きほぐされた『主の祈り』をご紹介します。

 

 

父よ。われらの父よ。天にいます。

あなたがどのような方であるかが、みなに知られますように。

みくにを来させてください。

あなたの御計画が全うされますように!

人の眼に見えない天のリアリティ(神の国)の中でもはやすでに全うされているあなたの御望み(計画)の似姿が、この地上にも実現されてゆきますように。

わたくしたちが必要とする糧をこんにち、お与えください。

あなたに対しわたくしたちがつくってしまった負債をおゆるしください。わたくしたちもまた、負債をわたくしたちに対してつくった人々をゆるしますから。

わたくしたちを誘惑にひきこまないでくださいませ。

わたくしたちを悪の力から解き放ってくださいませ。

わたくしたちもせいいっぱいつとめますから。

他人をゆるし、父であるあなたに信を置き、父よと呼びかけて、みくにの到来、成就を日々求めますから。

 

 

(このシリーズの本は既に廃盤となっており、Amazonなどで中古本をお探しになることになります。)

 

今週も皆様にとって素晴らしいお恵みの日々となりますように。

反対側から考える。

 

 

これは、わたしたちが普段見ている景色の反対側からの様子です。

日曜日の朝、教会に集まり、ミサ前に祈るわたしたち。

日々への感謝の祈り、病床の家族への祈り、死者の安息のための祈り、様々な気持ちで目を閉じ、手を合わせて祈る信徒の姿。

 

普段この様子を祭壇側から見ている司祭は、どう感じていらっしゃるのでしょうか。

侍者の子どもたちは何かを感じているでしょうか。

 

今日は、一枚の絵をご紹介します。

『十字架上のキリストが見たもの』

と題された、19世紀後半の画家、ジェイムズ•ティソの作品です。

 

 

この絵は、ニューヨークのブルックリン美術館にあります。

初めて見たときの衝撃は忘れられません。

 

十字架上のイエス様の絵は多く描かれていますし、磔刑のご像はよく目にしているわたしたちですが、イエス様が十字架上から見た景色を想像したことはあるでしょうか。

イエス様の足元にすがりつくマグダラのマリア、後ろに聖母マリア、若い使徒ヨハネ、馬に乗った祭司長たち、鎧姿のローマ兵

「絶望する者、嘆く者、見物しにきた者、、、愚かで救いがたい哀れな人間たち。

だからこそ救わねばならぬ人間たち。

彼らをイエスは慈愛の眼差しで見下ろしていたのだろうか。」

 

中野京子 著

名画の謎  旧約新約聖書篇(文春文庫)より

 

 

普段の生活の中で、相手の立場に立って物事を考えたり、人の気持ちを推し量ったりすることはわたしたちにも出来ます。

誰かのために祈るだけではなく、実際に目の前の家族や友人の立場から見た景色を想像して、優しい気持ちで接することができますように。

 

筑後地区の信徒親睦

第3回筑後地区信徒親睦レクレーション大会が、太刀洗勤労者体育センターで開催されました。

 

 


小教区毎に分かれて並び、主の祈り、被災者のための祈りを唱え、開会しました。

ご覧の通り、シスターもスニーカーでやる気満々です。

  


総勢約180名の参加者が汗を流しました。

小郡、大牟田、二日市から各10~20名

久留米、本郷からは各30~40名

何と今村からは、場所が近いと言う事もありますが、90名近くの方が参加されていました。

 

 

 


各教区の方々がバラバラに4チームに分かれて競技が始まりました。

 


普段見ることのできない出で立ち、赤いキャップの宮崎神父様も健闘されました。

左の紫色のTシャツは二日市の竹内神父様です。

オレンジポロシャツが小郡の山元神父様。

水色シャツが本郷•今村の竹森神父様です。

残念ながら出張中の大牟田の神父様は欠席でした。

(説明がなければ、この写真に4人も司祭が写ってるとは気づかないでしょう!貴重な写真です!)

 

大牟田教区から来られたシスターと信徒の方々が生演奏で歌を披露してくださいました。

 

 


休憩中に、子供たちvs大牟田のシスター+二日市の神父様チームでバドミントン対決して遊んでいたりして、嬉しくなる親睦の一コマ。

 


最後は福引き大会があり、幸運の右手と言う事で、神父様方がくじを引いて下さいました。
1等は大牟田教区、特賞は久留米教区の信徒に引き当てられました!

敬老の皆様にもお祝いが配られ、最後まで楽しく交流することができました。 

 
今村、本郷、大牟田からは子どもの参加多かったのが印象的でした。

来年は、久留米教区からももっとたくさんの参加者で臨みたいと思います。

祝!:万寿会で先輩方とお祝い

9日のミサの後、75歳以上の信徒(先輩方)の健康を祝して、万寿会が開催されました。
先輩方はもちろん、参加させてもらうわたしたち全員が楽しいひと時を過ごすことができる、毎年恒例の行事のひとつです。

 

万寿会2018-1

 

万寿会2018-2

ジュゼッペ神父様ももちろん、対象者です!!

 

万寿会2018-6

 

 

万寿会2018-5


子どもたちからのお祝いの言葉とお菓子のレイをかけてもらい、
食事を楽しんでもらいながら、聖歌隊の歌やフィリピングループのバンブーダンスを鑑賞してもらいました。

 

万寿会2018-7


宮﨑神父様、ジュゼッペ神父様、出席者やスタッフもバンブーダンスに参加し、大変な盛り上がりとなりました。
ホールに集まった全員で、唱歌も楽しみました。

信徒全員でこの日を祝い、久留米教会がひとつになってお恵みをともに分かち合え、
心の底から楽しむことができた万寿会でした。

 

日曜学校始業式とカキ氷

子どもたちにとっては、あっという間の夏休みも終わり、日曜学校の始業式にも日焼けした笑顔が揃いました。

聖歌の練習とジュゼッペ神父さまからのお話の後には、ヨゼフ会の方々がカキ氷を振舞ってくれ、子どもたちは大喜び‼︎

 

 

涼しくなってきたとはいえ、まだまだ照りつける太陽から木陰へと移動し、2.3杯お代わりする子もいて大盛況でした。

 

 

業務用の本格的なカキ氷製造機です!

 

 

 


トルコには「ブドウはお互いを見ながら熟す」という諺があるそうです。今月からは新入生も加わり、益々子どもたちの成長が楽しみです。

子どもたちの笑い声が響く日曜の風景は、わたしたちに幸せを感じさせてくれます。神の恵みがみんなの上に豊かに注がれますように。

教会でのさまざまな役割

久留米市は、全国ニュースでもよく取り上げられるほどの猛暑が続いています。

教会の中は空調が効いていてとても過ごしやすいのですが、秋の訪れが待ち遠しいですね。

 

教会外観2018.8.26-1

 

教会外観2018.8.26-4

 

教会外観2018.8.26-2

 

昨日も、ギラギラとした日差しを浴びて、教会が美しい夏の姿をしていました。

毎月第4日曜日のごミサの後に、教会委員会が開催されています。
久留米教会も、他の組織、会社などと同様に、様々な役割を担ってくださっている信徒がいて、運営されています。

耳が不自由な方のために新しいイヤホンシステムを作って導入してくださった営繕委員会や、
納骨堂を管理してくださる委員会などがあります。

その中で、昨日議題として上がったのが、納骨堂の管理規約をタガログ語に翻訳したい、という件。
納骨堂の購入を検討しているフィリピン人信徒が多くなり、「ルールをきちんと理解できるようにわたしが翻訳したいのですが、いいですか」とフィリピン人のある女性から申し出があったと。

みなさんがそれぞれの役割を自覚し、対応されている姿に感動しました。

 

久留米は耳納連山と筑後川に囲まれた地形のために暑さが厳しいようですが、
その大自然の恵みに感謝したくなる風景です。

素敵なゲスト:山頭神父様

久しぶりに、日曜日のごミサに山頭 原太郎神父様がお越しくださいました。
いつも、大人気の神父様です。

大正13年9月20日生まれで、来月で94歳になられます!!!
若い頃、ローマに留学されていたので、イタリア語が堪能。

「ホームページに載せるから神父様の周りに集まって~!」

と声を掛けたら、あっという間にたくさんの子どもたちが集まってくれました。

 

山頭神父2018.8.20-1

 

山頭神父2018.8.20-2

 

山頭神父2018.8.20-3

 

普段は福岡市浄水通りの司祭の家にお住まいですが、
久留米教会には時々来てくださいます。

昨日も、家から最寄りのバス停まで歩き→バスで駅→電車で久留米駅→駅から教会まで歩き!という長旅をお一人で。

何度も書きますが、もうすぐ94歳です。杖もお使いになっていません。

「神父様は時々いろいろな教会へこうして行かれるのですか?」と伺ったら

「最近は人気がなくなってきて、どこにも呼んでもらえないんです。。。。」と。

「久留米教会はいつもお待ちしていますし、涼しくなってきましたからまたいらしてください!」とみんなでお伝えしました。

 昨日のごミサで歌った聖歌はまさに、神父様とその周りに集まった信者たちの様子を表しているような気がしました。

  『幸せな人
   神の恵みを受け
     その喜びに
         生きる人』

山頭神父2018.8.20-4

 

 

恒例:夏の大納涼祭!

毎年恒例の、皆さんが楽しみにしている日がやってきました。

この夏の大納涼祭には、神父様の思いも込められています。

「土曜の夜のミサ、日曜の早朝ミサ、9時のミサ、この3つの主日ミサに参加している信者同士の親睦の場になれば、と思っています。
横のつながり、わたしたち久留米教会共同体のコミュニケーションの場に。」

と宮﨑神父様がおっしゃっていました。

 

納涼祭2018-1

納涼祭2018-2

 

日本人、フィリピン人、インドネシア人、ベトナム人、そして我らがイタリアン・ジュゼッペ神父様。

グローバルな集いとなりました。

ベトナム出身のピーター神父様による歌とダンスもあり、

ジュゼッペ神父様は手品と歌、お得意のサンタルチーアとオーソレミーヨを熱唱してマイクを握り続け。(笑)

 

納涼祭2018-3

納涼祭2018-4

納涼祭2018-5

 

コレジオの学生と船津神学生も駆けつけてくださり、歌を披露してくれたり、子どもたちも大喜びでした。

ヨゼフ会と女性の会が企画から準備、買い出しと大活躍で、酷暑の中、いろいろな国と年齢の信者同士の素晴らしい親睦の場となりました。

久留米教会:海外通信~ボリビアより~

久留米教会の信徒には、海外でボランティア活動や仕事をしながら
布教活動の一端を担っている方が数名いらっしゃいます。
そのお一人である、ボリビア在住の女性からの海外通信をお届けします。

 

ボリビアマリア1

 

ボリビアは、信仰の自由を認めた上でカトリックを国教に制定し、
国民の9割がカトリックを信仰していると言われています。

コチャバンバという町で、ボリビアで最も重要な宗教的な祭典、
ウルクピーニャが8/14~16まで開催されます。
聖母マリアを讃えるお祭りで、もともとは土地の肥沃さを象徴する
聖母カウィリャカというアンデスの女神を祝うもので、
この地に入ったカトリック、聖母マリアへの信仰と結びついたのが、
現在のウルクピーニャなのだそうです。

 

ボリビアマリア2

 

まだ本番まで日があるのですが、7月末からすでにマリア行列などが始まり、
町はお祭りムードに包まれているそうです。

 

ボリビアマリア3

 

ボリビアマリア4

8/15本番の際には、前の日から町が歩行者天国になり、
歌に踊りに、と夜通しパレードが盛大に行われるようです。

 

日本カトリック平和旬間と子どもたち

平和を守るために、願望としてだけでなく行動することを勧めるため、もっとも身近で忘れることのできない、広島や長崎の事実を思い起こすのに適した8月6日から15日までの10日間は「日本カトリック平和旬間」と定められています。

日本カトリック平和旬間とは?
https://www.cbcj.catholic.jp/faq/heiwajunkan/

久留米教会では、ミサの聖体拝領の時、子どもたちが聖歌を歌ってくれます。

 

子ども聖歌隊2018.7.29-1

子どものための聖歌集もあり、子どもたちは、歌い終わってからご聖体をいただきます。

子ども聖歌隊2018.7.29-2

子ども聖歌隊2018.7.29-3

 

平和を子どもたちに残したい、そう強く思います。

平和旬間の期間に久留米教会では、広島の原爆で被爆し、12歳で亡くなった佐々木禎子さんにちなんで、千羽鶴を折ることにしました。

佐々木禎子さんについて
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0107/exh01071.html

女性の会が折り紙を準備します。
みなさん、心を込めて祈りを込めて、千羽鶴に平和を託しましょう。

 

久留米教会における召命

久留米教会から、2人の神学生が召しだされています。

神学生2名2018.7.22

 

☆船津 亮太さん(35) 久留米市長門石出身
日本カトリック神学院 福岡キャンパス 神学科3年
「2年の哲学科を終え、神学科に進んで3年になりました。
このままうまくいけば、あと半年で助祭に叙階されることになります。
いつもお祈りいただき、ありがとうございます。」

☆横山 智さん(17) 久留米市善導寺町出身
長崎カトリック神学院在籍(高校3年生)
「まだまだ道のりは長いですが、
これからもよろしくお願いします。」

召命は、わたしたち久留米教会のみならず、日本のカトリック信徒にとって

素晴らしい、大きなお恵みです。

これからも、一人でも多くの志願者が神の招きに応えることができるよう、

祈りを捧げましょう。

神学生2人2018.7.22-2

(どうしても一緒に写りたかったジュゼッペ神父様)

 

『召命を求める祈り』
主イエス・キリスト、魂の牧者よ
この困難の多い現代社会の中に生きる若者が
内と外のさまざまな声の中から、
「わたしに従いなさい」という優しく力強いあなたの呼び声を
聞き分けることができるよう彼らの心を開いてください
一人ひとりの心をあなたで満たしてください
人生における真に善いこと、美しいことへのあこがれ、
福音を完全に生きたいとの望み、人々の救いを求める情熱を、
多くの若者の中に燃え立たせてください
おとめマリア、特にあなたの御子により近くから従うようにと
招かれている若者を委ねます
あなたが天使のお告げを受けた時になさったように、
彼らが神の招きに「はい」と言えるよう助けてください

(ヨハネ・パウロ2世教皇様の祈りより、福岡司教認可)

 

西日本豪雨 被災者のための祈り

いつくしみ深い神よ、

平成30年7月に起こった豪雨とその二次災害によって、

いのちを奪われた方々を、あなたの家に迎え、永遠の安息を与えてください。

あなたは、また、苦しみの中にある人々とともにいて、慰めてくださいます。

すべての被災者を顧み、必要な助けの手を差し伸べ、

遭遇している困難を乗り越える勇気と力で強めてください。

そして、周りの善意の人々が互いに協力して、

支援の輪を広げていくことができるよう、助け導いてください。

すべての被災者が一日も早く平穏な生活に戻ることができますように。

わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

(広島教区 白浜司教 認可)

神と自然の営み~災害時に思う~

この度の西日本豪雨で被害にあわれた方々のために祈ります。

(わたしたちの多くがこうした災害時に感じることについて、宮﨑神父様にお話を伺いました。)

 

このような自然災害に襲われた時、「神はなぜ人々にこのような苦難を」という気持ちを抱いてしまいます。

自然は神が造られました。自然の営みは神の計らいのうちにあります。

ですが、神はご自分が介入されるのではなく、自然に任せておられるのです。

わたしたち人間は、人工的快適さを過度に求める生活を見直し、

これまでの多くの災害から学び、被害を最小限にとどめる知恵を得る努力を重ねていく以外ないのです。

 

『シオンは言った、「主はわたしを見捨てられた。主はわたしを忘れてしまわれた」と。

女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の腹にいた子を憐れまないだろうか。

たとえこの女たちが忘れても、このわたしはお前を忘れない。』

イザヤ書 49・14~15

 

女性の会の有志によって手入れが行き届いた久留米教会の花壇。

わたしたちの心を癒してくれます。

自然の営みと人間の共存を思い起こさせる風景でもあります。

久留米教会の花壇1

久留米教会の花壇2

女性の会巡礼の旅『福者ペトロ・カスイ岐部』

年に2回、女性の会で巡礼の旅に出かけます。今年1回目の巡礼は、日本人で初めて聖地・エルサレムに行き、ローマで司祭となった福者ペトロ・カスイ岐部の出身地である国東市。
その後、城下町・杵築に佇む杵築カトリック教会を訪れ、ごミサを捧げました。ここには、世界に5体しかないと言われている、聖ピオ神父様が聖別したマリア像の1体があります。
日常の喧騒から離れ、こうして他の教会で祈りを捧げる機会は豊かな信仰の糧となります。
苦難の時代に信仰を深めて殉教した、多くの先人たちのためにも祈りました。

 

 

ペトロ岐部と187殉教者(カトリック中央協議会HP)
https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/kibe187/

熊本地震の復興支援・田植え

熊本地震から2年が経ちました。それ以来、福岡教区でも、当時の久留米教会主任司祭であった森山信三神父様を筆頭に復興支援ボランティアが続けられてきました。

昨年に引き続き西原村にて、久留米教会の信徒も参加して70名ほどで田植えのお手伝いをしてきました。

地元の方がいろいろと準備をしてくださり、心温まるおもてなしまで受け、子どもたちとともに賑やかに楽しい一日でした。

 

田植え20180610-1

田植え20180610-2

 

田植え20180610-3

父の日とヨゼフ会

「ヨゼフ会」という、40歳以上の壮年男性のグループがあります。

ヨゼフ様の生き方に学び、奉仕と会員同士の親睦を深めることが目的です。

昨日は父の日でした。わたしたちはいつも「父である神を信じます」と唱えています。

わたしたちにとっては父とは神様です。そして、神父様方もまた、お父さんです。

日頃、感謝を上手に表せないことを反省し、父である神、家族であるお父さんのために祈りました。

 

ヨゼフ会のお父さんたちが、お茶やお菓子をふるまってくれることもあります。

ヨゼフ会のお茶

 

ヨゼフ会のお茶2

 

さまざまなミサのかたち。

毎月第2日曜日の9時のミサでは、手話通訳が行われています。

現在、「主和の会」として5名の方が従事してくださっています。

また、毎月第2日曜日の15時からはベトナム語で、

毎月第3日曜日の15時からは英語で、ミサが捧げられています。

久留米教会には、さまざまなかたちで、そして多くの方々に参列していただけるミサがあります。

 

手話によるミサ

 

手話によるミサ2

『キリストの聖体』主日ミサ・聖体拝領の様子

カトリック信者は、ミサでご聖体をいただきます。

日曜日ごとに心を一つにしてご聖体をいただくことは、キリストの愛をいただくことです。

久留米教会は900名を超える信徒数の教会で、主日のミサは毎週400名ほどが参列します。

 

6/3/2018聖体拝領に並ぶ信徒

 

 

6/3/2018聖体拝領の様子

三位一体の主日の聖母祭

5/27(日)のミサの後、幼稚園の園庭にあるマリア像を囲んで、

大勢の信徒が共にロザリオを唱えて祈りを捧げました。

ミサの中で宮﨑神父様から、三位一体の神との一致の大切さについてお話がありました。

「信仰は一人ではぐくみ生かすものではなく、教会共同体の繋がりの中で深まるものです。」

共同体の多くの信徒とともにロザリオを唱えながら、このことを深く考えることが出来ました。

 

いつくしみの聖母像

 

祭壇奉仕者選任式

祭壇奉仕者の選任にあたって

ペトロ 船津 亮太

  

 「自分をささげる」神学院の授業で耳にしてメモしていた言葉である。これを黙想し、その意味を深められたなら、わたしは祭壇奉仕者選任を前にして準備万端、安心だろうと思っていた言葉である。
 考えてみたら、信徒の皆さんはすでに教会に自分をささげておられ、先輩信者としてキリスト者の道を歩んでおられることに、すぐに気づかされた。わたしたちは皆、飼い主であるイエス・キリストに従って歩むのだ。そうであるなら、イエス様がわたしのことも導いてくれるから、わたしは行く。飼い主イエス様が自分をささげたように、わたしも自分をささげてみたい。この一生を賭けてみたい。わたしはご聖体をあずかることの尊さ、その重みをひしひしと感じつつ、選任にあたってこのように決意を固めた。
 祭壇奉仕者の選任まで来られたのは、自分の力ではなく、常日頃、祈り、ささえてくださった方々のお陰だとあらためて感じる。その祈りに応えたいと思い、わたしはまた一歩、歩みを進める。選任式で「奉仕にふさわしい人になってください」とお願いされ、わたしは「アーメン」、つまり「そうなりますように」と答える。これからもふさわしい者となれるよう、努力していきたい。しかしイエス様のように「自分をささげる」ためには自分の力だけでは限界があり、充分ではないとも感じている。そんなわたしのために、これからもお祈りいただければ幸いです。

 

ヨゼフ会の発足式

 久留米教会の壮年男性(40歳以上)で構成される「ヨゼフ会」は、ヨゼフ様の生き方に学び、教会共同体の中で積極的に奉仕し、祈りと会員同士の親睦を深めることを目的に発足しました。これら使命と役割を遂行していくために『ヨゼフ会会則』も作りました。たくさんの壮年男性の方々が参加し、久留米教会の発展のために尽力してくださることを心より期待しています。

神学院祭

 マイクロバス2台で毎年恒例の神学院祭(旧「召命の集い」)に参加しました。

今年の野外ミサは京都教区の大塚司教様が司式されました。

司教様は講演会され、神学生の劇まで御覧になっていました。

九州だけの集いから全国規模にまで拡大されたようで歴史を感じます。

懐かしい神父様たちに逢える楽しみが、また来年も!・・・という気持ちにさせてくれました。

大分トラピスト修道院巡礼

 月曜日の秋晴れの朝、湯布院ICを降りて由布岳の裏手にある大分トラピスト修道院を訪ねました。

山奥の静けさの中でミサに与り癒されました。

売店では、ここでしか買えない「超レアなお土産」をたくさん購入しました。

「お告げの祈り」の時間になり、院長様のご厚意で聖堂へ移動し、修道士たちが座られる席で祈ることが出来ました。

たくさんのお恵みを頂いた小巡礼でした。