行事風景
七つの秘跡:part3
今回は、洗礼の秘跡についてです。
みなさんは、いつ洗礼を受けられましたか?幼児洗礼?大人になって?結婚を機に?
よく、ミサの際に思うのです。
ここにいらっしゃる信者さんは、どんなきっかけで受洗されたのだろう?
どのようなエピソード、ストーリーをお持ちなのだろう?と。
そう思われたことはありませんか?
わたしの場合について、今日は書いてみたいと思います。
洗礼、これは本当に素晴らしい秘跡です。
キリスト教の入信の秘跡と呼ばれるものには3つの秘跡があります。
洗礼、堅信、聖体の秘跡です。
この3つの入信の秘跡が、私たちキリストを信じる者の生活全体の土台となっているものです。
これは、わたしが27年前のご復活の際に洗礼を受けた時の写真です。
平成3年、まだ昭和の香りがしますね!
代母は、出身高校のシスターにお願いしました。
今よりもずっと、ヴェールを着用している方が多いですね。
当時は久留米教会のステンドグラスもシンプルなカラーのガラスです。
わたしの隣は亡くなった母です。今のわたしの年齢よりも若いです!
(間瀬先生もお若い!!)
この時、21歳でした。
20歳の時、骨肉腫を患いました。
苦しい抗がん剤の治療も、大手術も、長い入院生活も、義足での困難なリハビリも、全く苦ではありませんでした。
なぜだかうまく説明できないのですが、若さと、単純で楽天的な性格のわたしは、「退院したら新しい楽しみを見つけなければ!」と考えていました。
それよりも、新宿の都庁の隣の高層病院の窓から見える大都会の景色の中に、どれだけの病院があって、どれだけの病気の方が苦しい思いをされているのだろう、とよく思っていました。
そんなわたしを、東京の姉妹校のシスター方がよくお見舞いに来てくださり、
「あなたは神様の子です。神様の子に間違いない!」
と、何度も言ってくださり、退院と同時に洗礼を受けるのはごく当然の流れでした。
わたしが小さいころから信仰を持っていた母の喜びは大変なものだったようです。
ギリシア語で「洗礼を行う」という「バプティゼイン」という言葉は、「沈める」という意味をもっている言葉です。
洗礼は、「聖霊によって、新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗い」とも呼ばれるものです。
また、洗礼は、「照らし」とも呼ばれています。
洗礼を受けることによって、このキリストご自身のみことばを受け、照らされ、今度は洗礼を受けた人自身が、「光の子」となり、「世の光」となるのです。
参考
https://www.pauline.or.jp/catechism/catechism072.php
わたしは、本当に生まれ変わりました。
義足での新しい生活と、信者としての新しい人生が、同時に始まったのです。
あのような大きな病気をしてなければ、信者として生きる今のわたしはなかったと確信をもって言えます。
「世の光」「神のインフルエンサー」として生きる喜びは、秘跡としか言いようがありません。
数年前には、洗礼を受ける友人の代母となることもできました!
今年のご復活の前夜祭でも、久留米教会では数名の方が受洗されます。来週のごミサでは洗礼志願式が行われます。
新しく生まれ変わって「光の子」として歩まれる方々のために祈りましょう。
祈りの必需品
みなさまは、一日の中でいつ、どのように「祈り」をされているでしょうか。
リビングに祭壇を設けていらっしゃるお宅もあるでしょう。
ロザリオを手に祈るというかたもいらっしゃるでしょう。
わたしは昔、「祈り」の仕方がわからず、模索していた時期がありました。
「祈り方」を説いた本を読み漁りましたが、自分の祈りのスタイルを、
確信をもって「こうやって祈っています」と言えるようになったのは、つい最近の様な気がします。
思いついたらいつでも、どこででもお祈りはしますが、寝る前にベッドで祈る時の必需品はこれ!
この、手のひらにすっぽり収まる木製の十字架。
絶妙なカーブがあって、握りしめると心地よく手に収まるのです。
数年前に、仲良しのおば様にプレゼントしていただきました。
(大名町教会のサンパウロでお求めいただけます。)
祈りの助けになっています。
手の中でギュ~っと握りしめていると、とても心が落ち着き、
神様と天国の母に心とからだを明け渡して話しかけることができるような気がするのです。
「神様に全てを明け渡す」
これが、わたしの祈りのスタイルです。
これは、教会の大切な友人が言ってくれた言葉です。
いろいろと悩んでいた時期に、彼女に相談しました。
同じように、彼女もその時悩んでいることを抱えていて、
その結論として自分で導いたのが、「神様に全てを明け渡す」ということだったと話してくれました。
パパ様の本、使徒的勧告「喜びに喜べ」の中に書いてあります。
自分の中にある攻撃的で利己的な傾きと闘い、そうした傾向が根づかないうように用心しなさい。
「怒ることがあっても、罪を犯してななりません。
日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」
エフェソ4・26
流され沈みそうになっても、わたしたちはいつだって、祈りという錨(いかり)にすがることができます。
祈りの錨は、わたしたちを神の腕の中に、平和の源のそばに、引き戻してくれます。
神の腕の中に引き戻してもらえるように、神様に全幅の信頼を寄せ、今日も、いつも祈りましょう。
イエス様はどのようなお顔をしていたのか⁈
みなさんそれぞれにイエス様のお顔のイメージをお持ちだと思います。
それは、馴染みのある教会のご像、見たことのある絵画や映画で演じた俳優の顔など、実は多くの連想させるお顔から各人が確固たるイメージを持っているのではないでしょうか。
久留米教会のイエス様
(十字架のイエス様を左右から照らす照明の位置と光の具合が変わったことにお気付きですか⁈)
その中でも、十字架上のイエス様のイメージについて考えてみました。
12世紀までのイタリアのキリスト像は苦痛や苦悩を超越した表情で描かれていました。
「勝利のキリスト」と言われています。
13世紀になると、首をうなだれ、苦痛と悲しみの表情を浮かべた「苦悩のキリスト」が主流となってきます。
それは、アッシジの聖フランチェスコが要因を作ったとされています。
フランチェスコの体に聖痕が現れたと言われるほど厳格な生活を徹底していたその姿勢は、イエス様の受難について語る際にも反映されます。
聖フランチェスコの説教には鳥も耳を傾けたというエピソードのとおり、人々への共感が広がり、絵画においても人間的な苦悩が強調されることにつながったのです。
グリューネヴァルトは16世紀に活動したドイツの画家。
ドイツ絵画史上最も重要な作品の1つであるのが、このイーゼンハイム祭壇画
磔刑図は数多く描かれていますが、肉体的な苦痛をここまで表現したものとしてはこの作品に匹敵するものはない、と言われています。
イーゼンハイムの聖アントニウス会修道院付属の施療院の礼拝堂にあったもので、患者が自らの苦痛を十字架上のキリストの苦痛と感じ、救済を得るために、このような凄惨な磔刑像が描かれたと言われているそうです。
グリューネヴァルトの絵の背景の闇をさらに濃密にし、風景も他の人物も排除して祈りのための「像」として描かれたのが、スルバラン1627年作の『十字架のキリスト』
その5年後に描かれたのが、同じくスペインのベラスケスの『十字架のキリスト』
闇に浮かび上がる十字架によって、神の子としてのイエス様の崇高さを表現すると同時に、リアルな描写で人間イエスの肉体の痛みをも描き出しています。
ちなみに、頭上に書かれているのは、3か国語での「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」
前述のグリューネバルトのように、16世紀ごろまでは「INRI」(ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語)と書き表すのが普通でしたが、このころから絵画も世界的な広がりを見せてきたことを反映し、3か国語表記が主流となったそうです。
わたしたちの持つイエス様のイメージは、このあたりの作品が近いのでは⁈
ここで告白!!
すべて、わたしが調べたのではなく、種明かしはこの本!!
西岡文彦さんの「名画でみる聖書の世界」新約編
(旧約編、は書かれていないようです。)
創世記から最後の審判までの世界中の名画の背景と解説が書かれていて、とっても読み応えがあります!
少し古い本なので、残念ながら本屋さんに新品はありませんが、アマゾンで中古本をお求めいただけます。
(久留米教会の方はわたしにお申し付けください!)
四旬節に向け、十字架上のイエス様に思いをはせ、穏やかに過ごしていきたいと思います。
神のインフルエンサー
今年の11月に広島、長崎、東日本大震災の被災地を訪問されることを表明されているパパ様。
もちろんお目にかかったことはないのですが、以前もご紹介したように、ツイッタ―でのお言葉を毎日聞いているので、とても身近に感じているのはわたしだけではないのではないでしょうか。
1/26
その「はい」という答えで、マリアは史上もっとも影響力のある女性となりました。
ソーシャル・ネットワークなしで、マリアは最初の「インフルエンサー」、神の「インフルエンサー」となりました 。
With her “yes”, Mary became the most influential woman in history.
Without social networks, she became the first “influencer”: the “influencer” of God.
神のインフルエンサー!!
このツイートはとても印象的でした。
わたしが目指しているのはこれだ!と。
1/30
人生を上手に航海する秘けつは、イエスが船に乗ってくれるよう招くことです。
イエスに、人生の舵を渡すべきです。
そうすればイエスは道を示してくださいます。
The secret to navigating life well is to invite Jesus on board.
The helm of life should be given to Him, so that He can direct the route.
イエス様に人生の舵を渡す。
なんとわかり易い言い回しでしょうか。
久留米教会の信徒の中にいろいろな奉仕活動をされている方がいることは度々ご紹介していますが、
炊き出しボランティアに参加していらっしゃる方も。
NPOホームレス支援久留米越冬活動の会というNPO法人が主催するボランティアで、代表はプロテスタントの信者の方です。
キリスト教の各教会、仏教のお寺が持ち寄り(すべて寄付された食材)で炊き出しされています。
シスター、若い信愛学院学生、元ホームレスの方の参加もあるそうです。
「人生を上手に航海する」
その航海することそのものが困難な方が多くいらっしゃるのも現実です。
炊き出しボランティアのことを伺うまで、久留米にそんなに多くのホームレス生活の方がいるとは全く知らず、大変なショックを受けました。
4~11月は月1回の炊き出し(小頭町公園にて)とパトロールの夜回り、12~3月は月2回の炊き出しと夜回りが行われています。
上智大学が2017年12月に主催した「教皇フランシスコと話そう」という企画でのパパ様のご発言を、少し抜粋してご紹介します。
「宗教というのは、創造された『劇』ではないということです。
宗教というのは、もともと人間の心が持っているもの。
あらゆる宗教は人を成長させます。他者のために奉仕しない人は、宗教的な人とは言えない。
ただ単純に何かの見返りを求める人なのでしょう」
そして、ガンジーや、長崎で被爆しながらも救援活動を行ったクリスチャン医師の永井隆博士、多くのユダヤ人を救った杉原千畝を例にあげ、
「これらの人々は、宗教によって成長した人々。
宗教は人を、他者に奉仕する人に成長させる。
キリスト教の啓示とは、神を信じ、他者のために奉仕するということ」
https://www.christiantoday.co.jp/articles/24986/20171226/sophia-university-pope-francis.htm
キリスト者として生きるわたしたちは、他者への思いやり、奉仕の精神を実践することが大切だと改めて気づかされます。
本当の意味での「神のインフルエンサー」としての生き方を目指していきたいものです。
七つの秘跡:part2
教会は「病人を癒やす」という務めをとても大切にしています。
『病者の塗油の秘跡』は、7つの秘跡のうち、
病気に苦しむ人を励ますことを目指した秘跡です。
重病の人に授けられ、祝福された油を額と手に塗り
「この聖なる塗油により、慈しみ深い主キリストが聖霊の恵みであなたを助け、
罪から解放してあなたを救い、起き上がらせてくださいますように」
と唱えられます。
「あなた方のうちに、病人がいるなら、その人は教会の長老たちを呼び、
主の名によって油を塗って祈ってもらうようにしなさい。
信仰による祈りは、病人を救います。
主はその人を立ち上がらせ、もしその人が罪を犯しているなら、その罪は赦されます。」
ヤコブの手紙5・14~15
これは、当時すでに行われていた病者の塗油のしきたりについて、
公式に説明した箇所とされています。(フランシスコ会訳聖書の注釈より)
イエス様は12人の使徒を2人ずつ宣教に遣わされます。
「そこで弟子たちは出ていき、人々に悔い改めるようにと宣べ伝え、
また多くの悪霊を追い出し、多くの病人に油を塗って癒やした。」
マルコ6・12~13
先日、久留米教会のある信者さんがお亡くなりになりました。
奥様にお話を伺いました。
意識はあるものの意思表示は出来ない状態で、食事も流動食しか食べられなかったのが、宮﨑神父さまがお見舞いに来てくださったあとじわじわと元気を取り戻し、固形物を自分でお箸を使って食べれるようになられたそうです。
最後は眠るように安らかで、主人なりにその時を選んで迎えたのだと思います、とおっしゃっていました。
「病人を見舞う」という奉仕をされている方々がいらっしゃいます。
宮﨑神父様と聖体奉仕者の研修を受けた4名の信者の方が月に数回、信者さんが入院されている病院や施設を訪問してお見舞いし、希望があればご聖体を授けられています。
わたしは東京の大学に行っていた二十歳の時に大病をし、
飛行機に乗ることも出来ない状況でしたので、そのまま東京の病院に入院しました。
家族は頻繁に久留米から来てくれましたが、それ以上にほぼ毎日のように入れ代わり立ち代わりお見舞いに来てくださったのは
出身高校の東京にある姉妹校の修道院のシスター方でした。
このルルドのお水はその時にいただいた(28年前!)ものです。
病気で心細い思いをしている信者にとって、
励ましと祈ってくださる方の存在はとても大きなお恵みです。
宮﨑神父様に届いたお手紙を少し抜粋してご紹介します。
(ご了解をいただいています。)
「4月に癌がわかり、リンパ節と脳に転移、ステージ4と言われました。
手術ですべて切除、転移も消え、脳腫瘍も消えました。
昨日、再発なし、抗がん剤も必要なし、今後は定期的に検査をするだけでよいと言われました。
おおいなる奇跡でしかありません。
しみじみと、人の祈りと宮﨑神父様が送ってくださったルルドの水の偉大さに感じ入っています。
神様はきっと患者本人の心も、人のために祈る人の心と祈りも、
何か力になろうとする人の心も行いも、すべてをご覧になっておられると思いました。」
病気で入院している方、
施設や自宅で療養をされていて教会に来られない方のために祈りましょう。
久留米教会:七つの秘跡part1
久留米教会に入ると、すぐ右手にゆるしの秘跡(告解)のための小部屋があります。
毎週日曜日の朝は、優しい笑顔のジュゼッペ神父さまが、わたしたちのために祈り、待っていて下さっています。
この笑顔、癒されます。
許可を頂いて写真を撮りましたので、今朝は優しい笑顔も120%です!
ゆるしの秘跡とは、司祭のもとで自分の犯した罪(SinとCrime)を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神様からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。
罪がゆるされ、癒しと慰めをいただくことで、これからの生き方の勇気と力になります。
和解の秘跡ともいい、罪を犯したことで神様を悲しませたことを反省し、神様と和解する、ということだそうです。
わたしたちカトリック信者は、少なくとも年に一回はゆるしの秘跡に与ります。
「神様から離れた生活をしてしまった」という気持ちを感じたら、そのことを告解するのも信仰生活の助けになります。
わたしの場合、初めてゆるしの秘跡をいただいたときに神父さまが仰った聖書の言葉は、その後のわたしの信仰生活の指針となり、今でも大切にしています。
『あなたはキリストの良い香りです。あなたの姿が周りを照らしますように。』
20歳の時に神父さまからそう言われ、そのことをずっと心に刻んできました。
今日は、神父さまから特別に許可を頂き、もう1つの秘跡についても写真撮影させていただきました。
ご聖体の秘跡
このご聖体、ホスチアは洗礼を受けた者だけがいただく、『キリストのからだ』です。
3種類のチボリウム(ラテン語で、食べ物を入れる器)があります。
どれがどのように使うもの、という細かい区別はないそうですが、久留米ではこの3種類を使っています。
今年からホスチアの歯ざわり(味も‼︎)が変わったのにお気づきですか⁈
種明かしは、次週、宮﨑神父さまからのお話をお楽しみなさってください。
「聖書に全て書いてある。」
今日は、本をご紹介します。
世界的なベストセラーなので、ご存知の方が多いかと思いますが、
わたしは最近知って買い求め、没頭して一気に読みました。
1923年に英語で出版されたこの詩集、30数か国語に翻訳されているそうです。
文が美しい。
この携帯サイズの小さな本の中に、カトリックの教えが美しい散文になって凝縮されている気がします。
愛、結婚、自由についてなど26個のテーマに沿って預言者が語る、という設定になっています。
美智子皇后さまもご愛読されているようです。
「レバノンの詩人・哲学者・画家である著者のカリール・ジブラン。
20世紀のウィリアム・ブレイクとも称され、多くの詩人・思想家・政治家のみならず、
サブカルチャーにも影響を及ぼした偉人が、人間の普遍的テーマ…愛、労働、喜びと悲しみ、友情など
26の項目について深く語りかける詩集。」
(amazonの内容紹介より)
本の装丁も美しく、いつもバッグの中に入れて持ち歩くことにしました。
いつでも人に勧められるように。
箴言
好きなのです。
この本を読んでいて、箴言を深く掘り下げて咀嚼されているような気がしたのです。
箴言は、読んでいて心に刺さる言葉が多いし、
何よりも読みやすい。
心を尽くして主に寄り頼み、
自分の聡明さに頼るな(3・5)
口数が多ければ罪は避けられない
しかし、口を慎むものは賢い人(10・19)
寛大な人は満たされる
人を潤すものは自分も潤される(11・25)
心が楽しいと、顔色も晴れやかになり、
心に憂いがあると、気も沈む(15・13)
率直な戒めは、ひそかな愛に勝る(27・5)
『ソロモンの箴言』と言われる10章~22章、25章~29章は
さらりと読めるこうした名言ばかりでお勧めです。
曽野綾子さんの本に書いてありました。
「人生に必要なことは、聖書に全て書いてある。」
本当にそうなのです。
もう一か所、聖書の好きな箇所を。
ぶどう酒は程よく飲めば人にとって命に等しい。
ぶどう酒のない人生とは何であろうか。
時に応じて程よく飲むぶどう酒は、
心の楽しみであり、魂の喜びである。
シラ書31・27~28
佐久間神父様の翻訳の『預言者』の中から、一部ご紹介します。
愛があなたがたをさし招いたなら、愛に従いなさい。
たとえ、その道がどんなに厳しく険しくても。
愛があなたがたに語りかけたなら、愛を信じなさい。
たとえ、その声が、庭を荒らす北風のように、あなたがたの夢を打ち砕いても。
なぜなら、愛は、あなたがたに栄冠を与えると同様に、あなたがたを十字架につけるのです。
愛はあなたがたを育て、また刈り込みます。
夜明けに目覚め、飛び立つ思いで、愛のあたらしい一日のために感謝をささげること。
昼下がりには静かに休らい、愛の恍惚を思い出して味わうこと。
夕暮れには、感謝に満ちて家路をたどること。
そして、心では愛するひとのために祈り、
唇では賛美の歌を歌いながら眠りにつくこと。
とてもとてもお勧めの本です。
オルガンと聖歌
信徒会館のオルガンを修理に出していたのが戻ってきました。
このオルガン、1880年製のフランスのもので、日本には3台しか残っていない貴重なものです。
この、職人さんの手作りのオルガンは、これまでも何度も修理を重ねて大切に使われてきました。
今回は、長野県の吉倉オルガン工房の吉倉さんが長い時間をかけて丁寧に修理してくださいました。
職人の技が見える素晴らしいオルガンのようです。
長年にわたり何度も修理してきているため、元の状態がどのようであったかもわからず、
埃を取ることだけでも、とても大変な作業だったそうです。
早速、ごミサの演奏に使われています。
ミサで聖歌の伴奏をしてくださっているのは彼女たちです。
いつも、素敵な演奏でわたしたちの歌声をリードしてくれている、幸子さんと望さんです。(お名前も素敵!)
ごミサにおける聖歌、カトリックではとても大切にしている祈りのひとつです。
上手に歌うことが大切なのではなく、みんなが声をひとつにして心を込めて
「祈り」として歌うことを心がけたいと思っています。
ニューヨークに住む妹に会いに行くと、近くのカトリック教会のミサに行くのですが、
その教会では参列者はあまり歌いません。
なんと、プロ(?音大の学生?)の男女2名がミサの間ずっと、
立派なパイプオルガンの演奏に合わせてオペラ歌手のように聖歌を歌ってくれるのです。
侍者もたいてい、女の子が務めています。
旅先で現地の教会を訪ねるのは、旅の楽しみのひとつです。
久留米教会にもそうした方がごミサに参列されているのかもしれませんね。
正しい者たちよ
主の故に喜び歌え
心のまっすぐな者たちよ
主を賛美するのは麗しい
新しい歌を主に歌い
喜びの声に合わせて
巧みに琴をかき鳴らせ
詩編33・1~3
オルガンに合わせて、心を込めて祈り、歌いましょう。
今年の祈り
新しい一年が始まりました。
今年はどんなお恵みや出会いがあるでしょうか。
考えるとワクワクします。
以前読んだ祈りの本に書いてありました。
「朝起きて1番最初に心に浮かぶ考えで1日が決まる」
一年の始まりも同じではないかと思うのです。
どんな一年にしようか
どんなふうに過ごしていこうか
前向きな明るい気持ちで始めるほうが、お恵みが多くなる気がします。
パパ様カレンダーの1月のメッセージは
『澄んだ目と、信頼や希望に満たされた顔でわたしたちを見つめる子どもたちの笑顔を守るために、わたしたちは何をしているでしょうか?』
わたしには4人の姪、甥がいます。
毎日、彼女たちのことはお祈りしていますが、
今年はこのパパ様のメッセージを心に刻み、
いつも以上に子供たちのために祈ろう、と誓いました。
皆さまは、今年はどんなお祈りを抱負とされますか?
教会にしばらく来れていないという方を誘いませんか?
教会に行ってみたいというお知り合いを誘いませんか?
久留米教会は今年も、開かれた活気ある、お恵みの象徴のような共同体でありたいと思います。
未来の教会
今年も残すところ数時間となってしまいました。
みなさま、どのような一年をお過ごしになったと感じていらっしゃいますか?
わたしは、幸せを感じることばかりではなく、大変なことや辛いこともあった2018年でした。
それでも、大晦日を迎えた朝、心の底から
「神様、今年も一年、本当にどうもありがとうございました。」とお祈りですることができました。
『すべての思い煩いを神に委ねなさい。
神があなた方を、顧みてくださるからです。』
1ペトロ5・7
何かトラブルが起きた時などは、この聖書のことばを呪文のように唱えています。
馬小屋での出来事について、宮﨑神父様から説明を聞く子どもたちの様子です。
彼らの姿を見ているだけで、幸せを感じることができます。
未来の久留米教会を担ってくれる子どもたちです。
子どもたちのクリスマスパーティの準備をしてくださった、若いお母様方。
そして、進行してくれたのは青年会の若いメンバーたち。
この一年、子どもたち、若い信者さんたちが久留米教会の力となってくれていることに、
広報の取材を通して接する機会が多かったのは、わたしにとっても大きなお恵みでした。
パーティに参加させていただいたわたしの甥も、
「とっても楽しかった!」と喜んでくれ、
それだけで幸せいっぱいの気持ちになることができました。
未来の久留米教会は彼らがいるからきっと大丈夫!と
この記事を書くために写真を見返していて、改めて確信しています。
『酒盛りで大騒ぎしたり、酔いつぶれたり、
身を持ち崩したり、争ったり、妬んだりすることなく、
日中歩くように、慎み深く生活しましょう。
主イエス・キリストを身にまといなさい。』
ローマ人への手紙13・13~14
お正月、大人はこのことばを呪文のように唱えましょう!
皆様、良いお年をお迎えください。