行事風景

教会でのさまざまな役割

久留米市は、全国ニュースでもよく取り上げられるほどの猛暑が続いています。

教会の中は空調が効いていてとても過ごしやすいのですが、秋の訪れが待ち遠しいですね。

 

教会外観2018.8.26-1

 

教会外観2018.8.26-4

 

教会外観2018.8.26-2

 

昨日も、ギラギラとした日差しを浴びて、教会が美しい夏の姿をしていました。

毎月第4日曜日のごミサの後に、教会委員会が開催されています。
久留米教会も、他の組織、会社などと同様に、様々な役割を担ってくださっている信徒がいて、運営されています。

耳が不自由な方のために新しいイヤホンシステムを作って導入してくださった営繕委員会や、
納骨堂を管理してくださる委員会などがあります。

その中で、昨日議題として上がったのが、納骨堂の管理規約をタガログ語に翻訳したい、という件。
納骨堂の購入を検討しているフィリピン人信徒が多くなり、「ルールをきちんと理解できるようにわたしが翻訳したいのですが、いいですか」とフィリピン人のある女性から申し出があったと。

みなさんがそれぞれの役割を自覚し、対応されている姿に感動しました。

 

久留米は耳納連山と筑後川に囲まれた地形のために暑さが厳しいようですが、
その大自然の恵みに感謝したくなる風景です。

素敵なゲスト:山頭神父様

久しぶりに、日曜日のごミサに山頭 原太郎神父様がお越しくださいました。
いつも、大人気の神父様です。

大正13年9月20日生まれで、来月で94歳になられます!!!
若い頃、ローマに留学されていたので、イタリア語が堪能。

「ホームページに載せるから神父様の周りに集まって~!」

と声を掛けたら、あっという間にたくさんの子どもたちが集まってくれました。

 

山頭神父2018.8.20-1

 

山頭神父2018.8.20-2

 

山頭神父2018.8.20-3

 

普段は福岡市浄水通りの司祭の家にお住まいですが、
久留米教会には時々来てくださいます。

昨日も、家から最寄りのバス停まで歩き→バスで駅→電車で久留米駅→駅から教会まで歩き!という長旅をお一人で。

何度も書きますが、もうすぐ94歳です。杖もお使いになっていません。

「神父様は時々いろいろな教会へこうして行かれるのですか?」と伺ったら

「最近は人気がなくなってきて、どこにも呼んでもらえないんです。。。。」と。

「久留米教会はいつもお待ちしていますし、涼しくなってきましたからまたいらしてください!」とみんなでお伝えしました。

 昨日のごミサで歌った聖歌はまさに、神父様とその周りに集まった信者たちの様子を表しているような気がしました。

  『幸せな人
   神の恵みを受け
     その喜びに
         生きる人』

山頭神父2018.8.20-4

 

 

恒例:夏の大納涼祭!

毎年恒例の、皆さんが楽しみにしている日がやってきました。

この夏の大納涼祭には、神父様の思いも込められています。

「土曜の夜のミサ、日曜の早朝ミサ、9時のミサ、この3つの主日ミサに参加している信者同士の親睦の場になれば、と思っています。
横のつながり、わたしたち久留米教会共同体のコミュニケーションの場に。」

と宮﨑神父様がおっしゃっていました。

 

納涼祭2018-1

納涼祭2018-2

 

日本人、フィリピン人、インドネシア人、ベトナム人、そして我らがイタリアン・ジュゼッペ神父様。

グローバルな集いとなりました。

ベトナム出身のピーター神父様による歌とダンスもあり、

ジュゼッペ神父様は手品と歌、お得意のサンタルチーアとオーソレミーヨを熱唱してマイクを握り続け。(笑)

 

納涼祭2018-3

納涼祭2018-4

納涼祭2018-5

 

コレジオの学生と船津神学生も駆けつけてくださり、歌を披露してくれたり、子どもたちも大喜びでした。

ヨゼフ会と女性の会が企画から準備、買い出しと大活躍で、酷暑の中、いろいろな国と年齢の信者同士の素晴らしい親睦の場となりました。

久留米教会:海外通信~ボリビアより~

久留米教会の信徒には、海外でボランティア活動や仕事をしながら
布教活動の一端を担っている方が数名いらっしゃいます。
そのお一人である、ボリビア在住の女性からの海外通信をお届けします。

 

ボリビアマリア1

 

ボリビアは、信仰の自由を認めた上でカトリックを国教に制定し、
国民の9割がカトリックを信仰していると言われています。

コチャバンバという町で、ボリビアで最も重要な宗教的な祭典、
ウルクピーニャが8/14~16まで開催されます。
聖母マリアを讃えるお祭りで、もともとは土地の肥沃さを象徴する
聖母カウィリャカというアンデスの女神を祝うもので、
この地に入ったカトリック、聖母マリアへの信仰と結びついたのが、
現在のウルクピーニャなのだそうです。

 

ボリビアマリア2

 

まだ本番まで日があるのですが、7月末からすでにマリア行列などが始まり、
町はお祭りムードに包まれているそうです。

 

ボリビアマリア3

 

ボリビアマリア4

8/15本番の際には、前の日から町が歩行者天国になり、
歌に踊りに、と夜通しパレードが盛大に行われるようです。

 

日本カトリック平和旬間と子どもたち

平和を守るために、願望としてだけでなく行動することを勧めるため、もっとも身近で忘れることのできない、広島や長崎の事実を思い起こすのに適した8月6日から15日までの10日間は「日本カトリック平和旬間」と定められています。

日本カトリック平和旬間とは?
https://www.cbcj.catholic.jp/faq/heiwajunkan/

久留米教会では、ミサの聖体拝領の時、子どもたちが聖歌を歌ってくれます。

 

子ども聖歌隊2018.7.29-1

子どものための聖歌集もあり、子どもたちは、歌い終わってからご聖体をいただきます。

子ども聖歌隊2018.7.29-2

子ども聖歌隊2018.7.29-3

 

平和を子どもたちに残したい、そう強く思います。

平和旬間の期間に久留米教会では、広島の原爆で被爆し、12歳で亡くなった佐々木禎子さんにちなんで、千羽鶴を折ることにしました。

佐々木禎子さんについて
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0107/exh01071.html

女性の会が折り紙を準備します。
みなさん、心を込めて祈りを込めて、千羽鶴に平和を託しましょう。

 

久留米教会における召命

久留米教会から、2人の神学生が召しだされています。

神学生2名2018.7.22

 

☆船津 亮太さん(35) 久留米市長門石出身
日本カトリック神学院 福岡キャンパス 神学科3年
「2年の哲学科を終え、神学科に進んで3年になりました。
このままうまくいけば、あと半年で助祭に叙階されることになります。
いつもお祈りいただき、ありがとうございます。」

☆横山 智さん(17) 久留米市善導寺町出身
長崎カトリック神学院在籍(高校3年生)
「まだまだ道のりは長いですが、
これからもよろしくお願いします。」

召命は、わたしたち久留米教会のみならず、日本のカトリック信徒にとって

素晴らしい、大きなお恵みです。

これからも、一人でも多くの志願者が神の招きに応えることができるよう、

祈りを捧げましょう。

神学生2人2018.7.22-2

(どうしても一緒に写りたかったジュゼッペ神父様)

 

『召命を求める祈り』
主イエス・キリスト、魂の牧者よ
この困難の多い現代社会の中に生きる若者が
内と外のさまざまな声の中から、
「わたしに従いなさい」という優しく力強いあなたの呼び声を
聞き分けることができるよう彼らの心を開いてください
一人ひとりの心をあなたで満たしてください
人生における真に善いこと、美しいことへのあこがれ、
福音を完全に生きたいとの望み、人々の救いを求める情熱を、
多くの若者の中に燃え立たせてください
おとめマリア、特にあなたの御子により近くから従うようにと
招かれている若者を委ねます
あなたが天使のお告げを受けた時になさったように、
彼らが神の招きに「はい」と言えるよう助けてください

(ヨハネ・パウロ2世教皇様の祈りより、福岡司教認可)

 

西日本豪雨 被災者のための祈り

いつくしみ深い神よ、

平成30年7月に起こった豪雨とその二次災害によって、

いのちを奪われた方々を、あなたの家に迎え、永遠の安息を与えてください。

あなたは、また、苦しみの中にある人々とともにいて、慰めてくださいます。

すべての被災者を顧み、必要な助けの手を差し伸べ、

遭遇している困難を乗り越える勇気と力で強めてください。

そして、周りの善意の人々が互いに協力して、

支援の輪を広げていくことができるよう、助け導いてください。

すべての被災者が一日も早く平穏な生活に戻ることができますように。

わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

(広島教区 白浜司教 認可)

神と自然の営み~災害時に思う~

この度の西日本豪雨で被害にあわれた方々のために祈ります。

(わたしたちの多くがこうした災害時に感じることについて、宮﨑神父様にお話を伺いました。)

 

このような自然災害に襲われた時、「神はなぜ人々にこのような苦難を」という気持ちを抱いてしまいます。

自然は神が造られました。自然の営みは神の計らいのうちにあります。

ですが、神はご自分が介入されるのではなく、自然に任せておられるのです。

わたしたち人間は、人工的快適さを過度に求める生活を見直し、

これまでの多くの災害から学び、被害を最小限にとどめる知恵を得る努力を重ねていく以外ないのです。

 

『シオンは言った、「主はわたしを見捨てられた。主はわたしを忘れてしまわれた」と。

女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の腹にいた子を憐れまないだろうか。

たとえこの女たちが忘れても、このわたしはお前を忘れない。』

イザヤ書 49・14~15

 

女性の会の有志によって手入れが行き届いた久留米教会の花壇。

わたしたちの心を癒してくれます。

自然の営みと人間の共存を思い起こさせる風景でもあります。

久留米教会の花壇1

久留米教会の花壇2

女性の会巡礼の旅『福者ペトロ・カスイ岐部』

年に2回、女性の会で巡礼の旅に出かけます。今年1回目の巡礼は、日本人で初めて聖地・エルサレムに行き、ローマで司祭となった福者ペトロ・カスイ岐部の出身地である国東市。
その後、城下町・杵築に佇む杵築カトリック教会を訪れ、ごミサを捧げました。ここには、世界に5体しかないと言われている、聖ピオ神父様が聖別したマリア像の1体があります。
日常の喧騒から離れ、こうして他の教会で祈りを捧げる機会は豊かな信仰の糧となります。
苦難の時代に信仰を深めて殉教した、多くの先人たちのためにも祈りました。

 

 

ペトロ岐部と187殉教者(カトリック中央協議会HP)
https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/kibe187/

熊本地震の復興支援・田植え

熊本地震から2年が経ちました。それ以来、福岡教区でも、当時の久留米教会主任司祭であった森山信三神父様を筆頭に復興支援ボランティアが続けられてきました。

昨年に引き続き西原村にて、久留米教会の信徒も参加して70名ほどで田植えのお手伝いをしてきました。

地元の方がいろいろと準備をしてくださり、心温まるおもてなしまで受け、子どもたちとともに賑やかに楽しい一日でした。

 

田植え20180610-1

田植え20180610-2

 

田植え20180610-3

父の日とヨゼフ会

「ヨゼフ会」という、40歳以上の壮年男性のグループがあります。

ヨゼフ様の生き方に学び、奉仕と会員同士の親睦を深めることが目的です。

昨日は父の日でした。わたしたちはいつも「父である神を信じます」と唱えています。

わたしたちにとっては父とは神様です。そして、神父様方もまた、お父さんです。

日頃、感謝を上手に表せないことを反省し、父である神、家族であるお父さんのために祈りました。

 

ヨゼフ会のお父さんたちが、お茶やお菓子をふるまってくれることもあります。

ヨゼフ会のお茶

 

ヨゼフ会のお茶2

 

さまざまなミサのかたち。

毎月第2日曜日の9時のミサでは、手話通訳が行われています。

現在、「主和の会」として5名の方が従事してくださっています。

また、毎月第2日曜日の15時からはベトナム語で、

毎月第3日曜日の15時からは英語で、ミサが捧げられています。

久留米教会には、さまざまなかたちで、そして多くの方々に参列していただけるミサがあります。

 

手話によるミサ

 

手話によるミサ2

『キリストの聖体』主日ミサ・聖体拝領の様子

カトリック信者は、ミサでご聖体をいただきます。

日曜日ごとに心を一つにしてご聖体をいただくことは、キリストの愛をいただくことです。

久留米教会は900名を超える信徒数の教会で、主日のミサは毎週400名ほどが参列します。

 

6/3/2018聖体拝領に並ぶ信徒

 

 

6/3/2018聖体拝領の様子

三位一体の主日の聖母祭

5/27(日)のミサの後、幼稚園の園庭にあるマリア像を囲んで、

大勢の信徒が共にロザリオを唱えて祈りを捧げました。

ミサの中で宮﨑神父様から、三位一体の神との一致の大切さについてお話がありました。

「信仰は一人ではぐくみ生かすものではなく、教会共同体の繋がりの中で深まるものです。」

共同体の多くの信徒とともにロザリオを唱えながら、このことを深く考えることが出来ました。

 

いつくしみの聖母像

 

祭壇奉仕者選任式

祭壇奉仕者の選任にあたって

ペトロ 船津 亮太

  

 「自分をささげる」神学院の授業で耳にしてメモしていた言葉である。これを黙想し、その意味を深められたなら、わたしは祭壇奉仕者選任を前にして準備万端、安心だろうと思っていた言葉である。
 考えてみたら、信徒の皆さんはすでに教会に自分をささげておられ、先輩信者としてキリスト者の道を歩んでおられることに、すぐに気づかされた。わたしたちは皆、飼い主であるイエス・キリストに従って歩むのだ。そうであるなら、イエス様がわたしのことも導いてくれるから、わたしは行く。飼い主イエス様が自分をささげたように、わたしも自分をささげてみたい。この一生を賭けてみたい。わたしはご聖体をあずかることの尊さ、その重みをひしひしと感じつつ、選任にあたってこのように決意を固めた。
 祭壇奉仕者の選任まで来られたのは、自分の力ではなく、常日頃、祈り、ささえてくださった方々のお陰だとあらためて感じる。その祈りに応えたいと思い、わたしはまた一歩、歩みを進める。選任式で「奉仕にふさわしい人になってください」とお願いされ、わたしは「アーメン」、つまり「そうなりますように」と答える。これからもふさわしい者となれるよう、努力していきたい。しかしイエス様のように「自分をささげる」ためには自分の力だけでは限界があり、充分ではないとも感じている。そんなわたしのために、これからもお祈りいただければ幸いです。

 

ヨゼフ会の発足式

 久留米教会の壮年男性(40歳以上)で構成される「ヨゼフ会」は、ヨゼフ様の生き方に学び、教会共同体の中で積極的に奉仕し、祈りと会員同士の親睦を深めることを目的に発足しました。これら使命と役割を遂行していくために『ヨゼフ会会則』も作りました。たくさんの壮年男性の方々が参加し、久留米教会の発展のために尽力してくださることを心より期待しています。

神学院祭

 マイクロバス2台で毎年恒例の神学院祭(旧「召命の集い」)に参加しました。

今年の野外ミサは京都教区の大塚司教様が司式されました。

司教様は講演会され、神学生の劇まで御覧になっていました。

九州だけの集いから全国規模にまで拡大されたようで歴史を感じます。

懐かしい神父様たちに逢える楽しみが、また来年も!・・・という気持ちにさせてくれました。

大分トラピスト修道院巡礼

 月曜日の秋晴れの朝、湯布院ICを降りて由布岳の裏手にある大分トラピスト修道院を訪ねました。

山奥の静けさの中でミサに与り癒されました。

売店では、ここでしか買えない「超レアなお土産」をたくさん購入しました。

「お告げの祈り」の時間になり、院長様のご厚意で聖堂へ移動し、修道士たちが座られる席で祈ることが出来ました。

たくさんのお恵みを頂いた小巡礼でした。

ポルチウンクラ全免償ミサ

 夕刻、ミサの前に告解をする人の列が見られ、告解の時間が足りずに、ミサ後に告解する人もいた程みな熱心でした。

全免償が得られる貴重なこの日は、75名程が7時からミサに与りました。


2ツ星免償について2ツ星

主任司祭 宮崎 保司

 教会は伝統的に赦しの秘跡を受ける信者に対して罪を許す代償として、償いの祈りを課しています。そして、それらの償いを定められた善行や祈りに変えてもらうこともできます。一部とか全部を免除されることを免償と呼びます。通称、部分免償と全免償と呼びます。全免償は果たすべき償いを全部ゆるされ、部分免償は一部ゆるされます。但し、免償を受けるには3つの条件が必要です。

 

 第一には大罪を犯していないこと。犯していれば赦しの秘跡が必要です。

 第二には免償を受けたいという強い意志が必要です。

 第三には教会が定めた事柄を果たすことが必要です。

 

 以上の三つの条件を踏まえた上で、例えば叙階された新司祭の初ミサに与ったり、銀祝、金祝、60周年ミサに与るなどすれば、全免償がいただけます。また、小教区の保護の聖人祝日ミサや8月2日のポルチウンクラの祝日にミサに与るなどがそうです。部分免償は、聖体訪問や司祭からの祝別されたロザリオやスカプラリオの信心用具を使って祈ったり、十字架の道行の祈りを唱えることがそうです。罪が許されるのではなく、償いの一部や全部が免除されることを意味しますので、間違いのないようにご注意ください。


 ※久留米教会で受けられる全免償は、ポルチウンクラ全免償ミサと6月30日の至聖なるイエズスの聖心の祝日です。

信徒総会

 宮崎保司神父の祈りと挨拶があり、議長、書記が選出され議事が進行しました。

教会委員長が挨拶され、新役員、監査役が紹介され宮崎保司神父により承認と認証がなされました。

 審議事項として2016年度の教会行事活動報告と決算報告及び監査報告がなされ、2017年度の教会行事活動予定と会計予算案が提出され、承認。ほか、新納骨堂の案内と納骨堂管理規則の一部改定が説明されました。

 信徒より、若者の悩みに対応することが教会としてできないだろうかという旨の発言がありました。

「より活発な教会を目指して」と題した文章を配布され、日本の信者数が伸びていない現状を鑑み、教会を活性化する様々な提案をされた。この中で、初めて教会を訪れる人に対応できるように受付を置いていただきたいと提言があった。

宮崎師の霊名ペトロ記念日

祝辞 信徒会長

 宮崎神父様、6 月29 日(木)は聖ペトロ聖パウロ使徒の記念日でした。遅ればせながら、御祝い申し上げます。この聖人の霊名を頂いている人は、久留米教会内にもたくさんおられると思いますが今日は、宮崎神父様が代表されてお受け下さい。

 久留米教会に赴任されて2ヶ月ほど過ぎましたが、印象は如何でしょうか?都会の組織的な教会運営から見れば、久留米教会はまだまだの状況でしょう。私たち久留米教会の信徒は、急激な変化に付いて行けないところがあり、少しもどかしいかもしれませんが、ゆっくりでも御指導に従って付いて行きます。

 毎日、久留米教会信徒のためにお祈りを捧げて下さっている宮崎神父様、本当にありがとうございます。私たち久留米教会は「祈る共同体を目指す」というコンセプトを持っています。宮崎神父様と共に祈って行けば、これからドンドン良くなって行く事でしょう。

 蛇足ではございますが、神父様が赴任されると知った人たちの中に、ネットで検索して「私に良く似ている」と言って話題になりました。メガネを外してミサをしていても解らないんじゃないか?・・・等と冗談を言っていました。来られる前から神父様に親近感を持っていた事は確かです。宮崎神父様、どうぞ信徒の中にどんどん入って来て下さい。

 後は、神父様の健康が心配です。独自の健康管理術をお持ちのようですが、早めの受診または、信者さんの中におられる医療関係の方々に御相談下さい。

宮崎神父様、これからもどうぞ宜しくお願いします。

 

至聖なるイエズスの聖心の祝日

 夜7時より至聖なるイエズスの聖心に奉献された久留米教会の献堂62周年を記念しミサがささげられました。

 

80名程の信徒が参加されましたが、久留米教会の特別な記念日ですので来年度は多くの信徒の方の参加をお待ちしています。

天草へ日帰り巡礼

 快晴に恵まれたこの日(月曜日)、女性の会では恒例の日帰り巡礼へ行ってきました。

今年は、熊本県天草の教会を巡ってきました。

崎津教会でミサをささげ、大江教会を訪ねて、渡辺神父様から教会について迫害時代の信仰の歴史などについてお話を伺いました。

 明治時代から大正時代にかけて、九州の教会建築史にその名を馳せた鉄川与助氏作の両教会は、ゴシック建築様式の崎津教会とロマネスク様式の大江教会と、違った建築法であることを学びました。また、教会堂の支柱が地上と天国を結ぶ重要な意味を持っていることの説明に一同感動を覚えました。

 当日は宮崎神父様と森山神父様も参加され、総勢35名の巡礼団となりました。予定通り無事に楽しく巡礼ができたことを、神に感謝しました。

女性の会会長

教会学校の黙想会

 3月26〜27日に「かみさまの愛」というテーマで教会学校の黙想会が行われた。森山神父様により、神の愛を証したコルベ神父様やダミアン神父様、オスカー・ロメロ司教様の話がなされた。子ども達は「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネ15:13)」や「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことである(マタイ25:40)」などの聖書の言葉を覚え、神様の愛について黙想し、学びを深める良い機会となった。

四旬節黙想会(3月22日~24日)

指導:十時伸治神父(武雄、多久教会)

 

 今年の黙想会のテーマは【教会は神様の家族】でした。

やはり、お手本となるのは聖家族ですが聖書に詳細な記述はありません。そこで神父様は、聖書の文言から書かれていない部分を思いめぐらし、イエス様の御言葉に耳を傾け、「祈り」という共に対話する時間を黙想するよう勧めておられます。家族には父親的、また母親的な役割に加えて、祖父母といった熟練者の知恵も必要であると聖書から引用されました。

 核家族が増え、仕事に追われる現代の家族が病んでいる要因の一つに家庭の崩壊があります。母親が子供に教える最初の言葉が「祈り」であったらどんなに良いことでしょう。しかし、様々な問題が山積する現代の家庭は複雑で、混沌としています。

 教会は信仰を共にするものが集い、共に祈り、分かち合い、御聖体を頂いて光を受け、そして主に派遣されていく処・・・すなわち【教会は神様の家族】だったのですネ。

 ニューヨークという人種の坩堝・・・現代は人種のサラダボールという表現を使うそうですが・・・その傷ついた街、傷ついた人々、国家や宗教そしてマスコミなどのフィルターを通して見ることよりも、人として、同じ人間として心から触れ合う大切さを、聖書を通してお話くださいました。

 そして3日目の夜の今夜・・・「ありがとう」、「ごめんなさい」・・・このシンプルな言葉を心から素直に言えているだろうか? 特に神様に対して・・・この気持ちを持ってミサに与ります。そして力を頂き、また明日から頑張りたいと思います。十時神父様、お疲れ様でした。(謝辞より)

日本の信徒発見の聖母ミサ

 夜7時から荘厳なラテン語聖歌とともにミサが捧げられた。

森山神父様の説教の中に殉教も厭わなかった禁制時代のキリシタンに思いが込められていた。

船津亮太神学生朗読奉仕者選任式

 四旬節に入った3月5日、宮原司教の司式のもと、二人の助祭、神学生も奉仕者として駆けつけ、ペトロ船津亮太神学生の朗読奉仕者選任式が行われました。

  

 式の中で名前を呼ばれた船津神学生は、前に進み出て、司教の訓話を受け、さらに聖書を手渡され、正式に朗読奉仕者として選任されました。司教は説教の中で、「神さまは、その民の中から、民のためによろこんで奉仕する人を求めておられる。日々聖書を読み、よきみ言葉の奉仕者となってください」と励まされました。また、船津神学生は、式後の挨拶の中で、「久留米に帰ってくる度に、この教会に守られていると感じる。3年間ここまでやってこられたのは、皆さんのお祈りに尽きる」と述べました。さらに選任にあたり以下ようにその思いが寄せられました。「朗読奉仕者として新たな一歩を始めるにあたり、これまでわたしとともに歩んできた一人ひとりのお顔が思い浮かんでいる。頼るべき親や家族と別れ、ひとり孤独の悲しみにうちひしがれる方。自分にはどうしようもない現実を前にただ泣き叫ぶしかない子。病の苦しみの中にあって生きる希望が見出せない人。子の命の危機にあってただ一心に祈りをささげる親。選任式でわたしは名前を呼ばれ『はい』と返事する。それはラテン語で“adsum”。『わたしはここにいます』。そのとき神はわたしを民の中から呼ばれ、みことばをゆだねられる。ここにいるわたしたちが神のことばによって生きる力を得るために、わたしはみことばを黙想し、それを生きる朗読奉仕者として一歩を踏み出す」と。式後は、信徒会館に場所を移して、なごやかに茶話会が催されました。

 

 

今村信徒発見150周年ミサ

 この日に今村でカトリック信徒が発見されて150 年を迎える。記念ミサ(祝賀行事)に参列することが出来、感謝の気持ちで心高ぶるものがありました。記念ミサ司式は駐日教皇大使チェノットゥ大司教、宮原司教様、竹森主任司祭ら6名ほどの共同ミサで盛大に催されました。ミサ前に地元の大刀洗混声合唱団による宗教音楽で花を添えて下さいました。

 長崎の大浦天主堂の信徒発見から2年後に、4名の浦上地区の信徒が商売人になりすまして会話する中で、宗教の話題に触れた時に同じ信仰に通じる点を発見されるお恵みをお互いに見出しました。

 今村カトリック教会は長崎県内の国指定の教会群の設計者である鉄川与助氏の設計で最大級の建立物であります。私達も近郊の久留米市に在住していますが今村カトリック教会を全国に誇れる教会と自負しています。

ペトロ 浦

命の尊厳についての講演会

 9時の主日ミサ後に生命山シュバイツアー寺(玉名市)の僧侶、古川龍樹氏による講演が行われた。古川龍樹氏は1947 年の福岡事件のような冤罪を訴える死刑囚の再審請求運動を、父であり僧侶である古川泰龍氏から引き継いで活動しておられる。講演では半世紀の歴史を熱情込めて話されていた。死刑となった人の名誉を回復するために粘り強く行動されている。寺の名は感銘を受けた方よりシュバイツアーの遺髪を贈られたことによる。

ベトナム語によるミサ

 12時よりベトナム語によるミサが捧げられ、久留米地区及び福岡県内から約100名の青年が参加して交流を深めた。

 司式は、茶山教会主任のドミニコ会司祭のピーター師によるものであった。福岡地区は浄水通教会にて月一回ベトナム語ミサがあげられており、今回はそのコミュニティが久留米地区のベトナム人にインターネットのフェイスブックなどを通じて呼びかけ、実現したものである。

ベトナム人の青年は20代前半の若者ばかりであり、就労研修として来日している人や、日本の大学に留学するために日本語学校に通っている方などがいた。3~5年のビザ期間中に就学や就労で学び、帰国後のキャリアに生かすようだ。

縁あって来日中の彼らに何かできることはないだろうか?ととりあえず笑顔で挨拶しようと思う。

幼児洗礼式

 2月5日のミサの中で、2名の幼児洗礼式が行われました。

 

森山師の霊名のお祝い

 1月15 日(日)のミサにて森山師の霊名スルピスのお祝いが行われた。森山師は今年叙階29 周年を迎える。今後の師の健康と司祭職の完遂を願い、霊的花束が贈られた。森山師からは若い人達への「司祭職への呼びかけ」があり、終始和やかなセレモニーとなった。

韓国より巡礼団ミサ

 司祭を含め13名の信徒が来られ、韓国語によるミサが捧げられた。回心の祈りで胸を3度打つ伝統的なしぐさを見ることができた。日本人の方も数名参加し、国は違えども、ともに同じ信仰を共有し、ミサを祝う貴重な機会となった。

神の母マリア 成人のお祝い

 6名の新成人が祝福された。新成人の中には学生として勉強している方や、社会人として働いている方がおられた。主任司祭から「現在興味のあることは何か」と質問されると、それぞれに大学で勉強していることや、将来のことについて語られていた。看護師など医療系の職を選んでいる方が数人おられ、それぞれに自分の道を堅実に歩んでおられる印象を受け、たのもしく心強い思いがした。ミサの中で新成人のこれからの歩みに神様の豊かな祝福があることをお祈りした。

 ミサ後は信徒会館で茶話会を開き、おのおの懐かしい面々と顔を合わせ、昔の教会学校のときの思い出話や、近況などについて会話がはずみ、皆で新成人との交わりのひと時を楽しんだ。

夜半のミサ

 クリスマスの夜半ミサが12 月24 日19 時より行われた。聖母幼稚園の園児達は聖歌を大きな声で歌い、教会学校の聖歌隊も幼子イエス像の前でお祝いの聖歌を捧げるなど、子ども達とともに主の降誕をお祝いする御ミサとなった。祭壇前に置かれた飼い葉桶のなかに、すやすやと眠るその幼子は、私たち一人ひとりに「幼子のようになる」ことがどんなことかを今一度思い起こさせるようであった。クリスマス以降も降誕節中は御子像が祭壇前に置かれており、御子様に向かって静かに黙想のひと時を過ごす信徒の姿もたびたび見られた。

 

タグレ枢機卿をお迎えして

 11 月30 日、国際カリタス会長並びにマニラ大司教のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿が、久留米教会英語ミサ参加者の聖書分かち合いグループ(KPEMP-BSG)の創立15 周年をお祝いするため久留米教会を訪問された。12 時半頃に久留米教会に到着され、まるでスターの到着のような熱狂的な歓迎を受け、祭壇の前に跪いて会衆と一緒に祈られる姿は印象的だった。そして、13 時から講演会が始まって、その後英語で10 名ほどの司祭とともに主日ミサを司式された。

 タグレ枢機卿の講演会は2 つの大きな部分に分けられている。第一部は、「あらゆる場でキリストの福音を告げ知らせる」というわたしたちの共通の使命で、第二部は、「神のいつくしみの良い知らせ(福音)をもたらす」ことであった。

 第一部では、枢機卿は「洗礼を受けたすべてのキリスト者はみんな宣教師だ」と語り、イタリアで働くフィリピン人の出稼ぎ労働者たちのお話をされた。海外で働くフィリピン人たちにとって、家族のために働くことはもちろんのことだが、実はもう一つの使命が一人ひとりに与えられている。その使命は「自分の信仰を周りの人(特に現地の人々)に伝える」ことである。信仰を伝えるために絶対不可欠なこと、それはキリストを知り、キリストに出会い、キリストを体験していなければならない。福音では、イエスとサマリアの女の出会いがそのモデルとなっている。イエスと出会った後、イエスとのかかわりを深めるために、祈りの生活を育む必要がある。

 また、キリスト者であることをキリストをまだ知らない人々に伝える必要がある。しかし、キリスト者って何?病院で働くある韓国人の女性が、いつも明るく、あふれる笑顔で昼食をとるフィリピン人の医師と看護師たちの姿を見て、興味を持った。彼らがキリスト者だと分かって、韓国人の女性は「キリスト者であることがこんなに幸せなら、わたしも信者になりたい」と言い、勉強をして、洗礼を受けた。現在、この女性は自分の所属教区の神学的相談役(lay theological consultant)として活躍している。

 タグレ枢機卿はネーパル地震の後、国際カリタスの会長として、現地に赴き救急活動に参加された。食べ物がないかと待っていたとき、現地のネーパル人たちは自分で作曲した歌を歌っていた。「地震が起きたばかりで、食料が全くなくて、キリスト者の皆さんに歌しかあげられない」と現地の人々は言った。キリスト者が一人もいない現地の人たちにとって、キリスト者とは、「他人を愛してくれる人で、たとえ、キリスト者でない人も愛してくれる人」だと認識されていると、枢機卿は涙を流しながら、皆に分かち合ってくださった。

 第二部では、神のいつくしみについてお話をなさった。「優しさがなければ、人間は人間らしさを失ってしまう」と述べ、国際カリタスで扱った人身売買の事例の一つについて語られた。「お金のために、他人を商品のように売ることができる人たちは、もはや人間ではない」と、厳しく指摘された。

家庭でも、夫婦間あるいは、親と子どもたちの間で、優しさが欠けていないかどうか、確かめる必要がある。家族の一人ひとりを課題として見るより、みんなが賜物だと認識すれば、家庭に優しさ、いつくしみなどを取り戻すことができる。

 「他人に責められないために、人間は自分の強さを見せる」という考え方が多くの人々に普通だと思われるが、これは神の道ではない。実は、神のやさしさは十字架にある。旧約聖書では、神のいつくしみは「はらわたがちぎれるほど」の思いを表す言葉であり(MV 6)、子どもに対する母の本能的な愛情に例えられる。例えば、海外でベビーシッターの仕事をしているフィリピン人の母は、雇い主の子どもたちのお弁当を作りながら、フィリピンにいる自分の子どもたちのお弁当を誰が作っているだろうと考えている。だから、自分の子どもに対する愛をもって、雇い主の子どものお弁当を一所懸命このお母さんは作るだろう。彼女が自分の子どものことを忘れたとしても、神様はわたしたちのことを決して忘れることはない。神様のやさしさは、わたしたちの頑な心を和らげることができるでしょう。

 最後に、「どうやって人のために宣教師になるだろう?」と枢機卿は問いかけた。同情だけでは十分ではない。「わたしは助けている貧しい人々の一人ひとりに、イエスの顔が見える」と言うマザー・テレサのように、全世界に特に、病気をしている、あるいはけがをしている人たちに、行いを通して、イエスの優しさといつくしみを示す必要がある。

(エリック神学生翻訳)

七五三おめでとう

 11 月13 日、七五三のお祝いがありました。7 歳以下の子どもたちが招待され、30 人ほどが両親に連れられて、ミサに与りました。和服姿の子どももいて、お祝いに花を添えました。司祭は説教の中で、両親を大切にすること、毎日の祈りを欠かさないことなどをユーモアを交えて話しました。共同司式した山頭神父様とジョゼッペ神父様からメダイをかけられ、飴を頂いた子どもたちの顔は天使のように見えました。

受堅おめでとう!

 10 月23 日、小雨模様の日となりましたが、宮原司教様をお迎えして、堅信式及び公式訪問がありました。小雨の中、信徒一同、マリア様の前で、ロザリオを唱えながら、司教様をお迎えしました。13 名の中学生及び3 名の大人の方も一緒に受堅しました。聖霊の恵みを豊かに受けて、キリストの証人として福音を伝える者となるように、信徒一同祈りを捧げました。

以下は受堅者たちの声です。

 中学生になって堅信式の準備をエリック神学生に手伝っていただきながら、ほかの中学生といっしょに主日のミサ後、2 時間ほどいたしました。はじめはめんどうくさくてあまり行きたくなかったです。しかし、「堅信を受けると7 つの賜物を得ることが出来る」と聞いてその中の「知識」というものは、今も将来も大切なものなので、出来るだけ一生懸命準備して堅信式に臨もうと思いました。いざ、堅信式となると意外とやることが少なく、簡単だなと思いました。それから結構時間が経ったのにまだ実感が湧いてきていません。今回の経験を生かして、自分の将来に役立てればいいなと思いました。(パウロ青木)

 私は堅信を受けて、あんまり何も変わっていないと思います。でも堅信を受ける前に神様について勉強して、もっと教会に行こうと思いました。毎週は行けないけれども、家でお祈りすることはできるので、毎日しています。しかし、神父様はもっとお祈りをしろと言いそうなので、言われる前にしようと思います。勉強した中で一番心に残ったのは、「シンプルに生きましょう。人生はいつもシンプルなのです」というマザー・テレサの言葉をこころにシンプルに生きようと思います。(マリア中島 )

 堅信を受けましたが、正直実感はありません。しかし、堅信という大きな秘跡受けたことはとても誇らしく、嬉しく思います。私の目の前は、高校受験という大きな壁がありましたが、受験勉強も、教会に行くことも大事にしていきたいです。これからもイエス様とともに同じ道を歩めるように頑張ります。(マリア・テレジア古賀)

熊本地震支援ボランティアへの想い

 平成28 年5 月14 日突然起こった熊本大地震は、熊本県の県庁所在地熊本市その近郊益城町、西原村、南阿蘇地域に多大の被害をもたらしました。日本カトリック教会もカリタス・ジャパンが中心となって支援活動に取り組みはじめ、熊本市近郊の菊池カトリック教会の建物をお借りしてカリタス福岡熊本支援センター(くまセンと略)を立ち上げ、全国へ支援ボランティアを呼びかけました。福岡教区も当教会の森山神父様が責任者として5月から9月末まで、多忙なスケジュールの中で週に2~3回菊池市のくまセンへ移動され、カトリック教会、病院、学校等被害状況を聖堂内に掲示して、信者達への物質的支援、被災者のためにお祈りするように呼びかけられました。私も6月から週1回水曜日に車で1時間半かけて被災地へ8 回ほど行きました。くまセンには高校生から70 代ぐらいの方々が全国から参加していました。ここからカリタスの送迎車で各地域の社会福祉協議会のボランティアセンターまで移動し、支援の必要な被災者のお宅へ10 人ぐらいのグループで向かいました。第1回目のボランティアは建物の被害も半壊の状況でしたが、道路側のブロック塀が50mほど崩落しており、大変な状況でした。

 またボランティア活動後のミーティングの前にカトリック信者としての意識をもってお祈りなり、静かに被災者への想いの時間が必要ではないかと感じました。最後に心残りだったのはカトリック教会や信者さんの被災された方のボランティアが出来なかったことです。久留米カトリック教会からも支援センターを立ち上げる前に私の知人が健軍カトリック教会へボランティアに行かれたと聞き、胸の熱くなる気持ちになりました。久留米カトリック教会から支援ボランティア参加者は少なかったようです。被災者は先の見えない生活がまだ続きますが私達はこれからも支援とお祈りによって被災者を支えていきたい気持ちでいっぱいです。

(ペトロ 浦)

敬老のお祝い

 今年の敬老のお祝いは、130 名の対象者でしたが、ミサに参加されたのは50 名ほどの方々でした。説教の後、森山神父は、参加者に聖水を注ぎ、祝福しました。ミサ後は、信徒会館に場所を移して茶話会が開かれ、昨年に続いて、茶人の点てた抹茶が振る舞われました。お一人お一人、自己紹介と、近況あるいは、受洗のきっかけなどをお話しされる方もありました。聖歌隊の歌声も美しく響き、和やかな雰囲気で閉会し、来年も元気で再会することを約束しました。

みんなで一つになって

 平和旬間の始まった8月7日、連日続いている夕立を気にしながら、納涼会がありました。雷は鳴るものの雨にはいたらず、150 名ほどが参加して、和やかな雰囲気の中での開催となりました。

 今年は子どもたちのためにかき氷や金魚すくいなどもあって、人だかりが出来ていました。納涼会は、子どもたちの聖歌に始まり、楽しいバンブーダンスさらに、ジョゼッペ神父様のカンツオーネ?まで飛び出し、会を盛り上げてくださいました。酷暑の中、汗だくとなって焼き肉や焼きそばを焼いてくださった皆さん、ありがとうございました。最後は華やかに花火を打ち上げて閉会となりました。

 共同体の皆さんが、もっと親しくそして仲良くなれますように。

 

「神さまの夢」について考えた3 日間

 教会学校では、恒例の夏の練成会が7月25 日から27 日の3日間、酷暑のなかで行われました。今年は、初日の参加者が非常に少なかったのですが、例年通り、リーダーの連絡攻勢によって、徐々に参加者が増え、2日目は、30 人ほどの子どもたちが参加してくれました。今年は船津神学生、また横山神学生をはじめ、初日には今村から小神学生がお手伝いくださり、子どもたちと親しく関わってくれました。テーマは「神さまのゆめ」でした。神さまは私たち人間にどんな夢を持っておられるのか、ツツ司教の絵本を基調として3日間、分かち合い、遊び、よく祈った3日間でした。

~4年生の作文より~

 私はこの3日間で「神さまのゆめ」について勉強しました。1日目は神さまに対して出来ることと、人に対して出来ることについて考えました。神さまに出来ることは互いによろこびを分かち合うことだと思いました。人に出来ることは、お祈りをすることだと思いました。

 2日目は自分の将来の夢について考えました。私は歌手になって、聞いている人が笑顔になってほしいと思います。3日目は生き物の幸せについて考えました。3日間で勉強したことを忘れず、神さまが喜んでくれることをいっぱいしたいです。

ボランティアに行ってきました!

 僕たち高校生4人と神父様は早朝、教会を出て菊池のカリタスジャパンのセンターに行きました。そこからボランティアの方々が集うボランティアセンターに行き、被災者からの依頼ごとのボランティアメンバーが召集され、僕たちはコンクリートの塀を壊してそれを撤去するという依頼を受けました。資材を手に、車で依頼人のお宅に行ってすぐに作業開始しました。コンクリートの塀は鉄筋が入っていたので重いハンマーを振るって何度も叩きましたが、びくともしません。しかし大人の方々が叩くとヒビが入り、見事に崩れました。休憩を適度に取りながら交代交代にハンマーを振るって塀を全て崩し終えました。

 その後、鉄筋とコンクリートを分解して、トラックに瓦礫を積み何度も往復して瓦礫を集める場所に持って行き、炎天下での4 時間にわたる作業が終わりました。ボランティアの中では力仕事の依頼だったので非常に疲れましたが、やり終えたあとに達成感がとてもありました。他の高校生にも経験してほしい体験でした。

吉良