行事風景

今年の祈り

新しい一年が始まりました。

今年はどんなお恵みや出会いがあるでしょうか。

考えるとワクワクします。

 


以前読んだ祈りの本に書いてありました。

「朝起きて1番最初に心に浮かぶ考えで1日が決まる」

一年の始まりも同じではないかと思うのです。

どんな一年にしようか

どんなふうに過ごしていこうか

前向きな明るい気持ちで始めるほうが、お恵みが多くなる気がします。

 

パパ様カレンダーの1月のメッセージは

『澄んだ目と、信頼や希望に満たされた顔でわたしたちを見つめる子どもたちの笑顔を守るために、わたしたちは何をしているでしょうか?』

 

わたしには4人の姪、甥がいます。

毎日、彼女たちのことはお祈りしていますが、

今年はこのパパ様のメッセージを心に刻み、

いつも以上に子供たちのために祈ろう、と誓いました。

皆さまは、今年はどんなお祈りを抱負とされますか?

 

 

教会にしばらく来れていないという方を誘いませんか?

教会に行ってみたいというお知り合いを誘いませんか?

久留米教会は今年も、開かれた活気ある、お恵みの象徴のような共同体でありたいと思います。

 

 

未来の教会

今年も残すところ数時間となってしまいました。
みなさま、どのような一年をお過ごしになったと感じていらっしゃいますか?
わたしは、幸せを感じることばかりではなく、大変なことや辛いこともあった2018年でした。

それでも、大晦日を迎えた朝、心の底から
「神様、今年も一年、本当にどうもありがとうございました。」とお祈りですることができました。

『すべての思い煩いを神に委ねなさい。
神があなた方を、顧みてくださるからです。』
1ペトロ5・7

何かトラブルが起きた時などは、この聖書のことばを呪文のように唱えています。

 

 

馬小屋での出来事について、宮﨑神父様から説明を聞く子どもたちの様子です。
彼らの姿を見ているだけで、幸せを感じることができます。

未来の久留米教会を担ってくれる子どもたちです。

 

 

 

 

子どもたちのクリスマスパーティの準備をしてくださった、若いお母様方。
そして、進行してくれたのは青年会の若いメンバーたち。

この一年、子どもたち、若い信者さんたちが久留米教会の力となってくれていることに、
広報の取材を通して接する機会が多かったのは、わたしにとっても大きなお恵みでした。

パーティに参加させていただいたわたしの甥も、
「とっても楽しかった!」と喜んでくれ、
それだけで幸せいっぱいの気持ちになることができました。

未来の久留米教会は彼らがいるからきっと大丈夫!と
この記事を書くために写真を見返していて、改めて確信しています。

 

『酒盛りで大騒ぎしたり、酔いつぶれたり、
身を持ち崩したり、争ったり、妬んだりすることなく、
日中歩くように、慎み深く生活しましょう。
主イエス・キリストを身にまといなさい。』

ローマ人への手紙13・13~14

 

お正月、大人はこのことばを呪文のように唱えましょう!

皆様、良いお年をお迎えください。

 


 

久留米のクリスマスミサ

クリスマスおめでとうございます。

昨夜のイブのごミサと今朝の降誕ミサには、とても多くの参列者がありました。
毎年とても盛大にご降誕のお祝いができることは大きな喜びです。

日曜学校を卒業した青年たち、おなかの大きな子、、お母さんになった子
あか抜けした新社会人、普段の日曜日のごミサにはなかなか与れないという信者だけでなく、
ミサはクリスマスだけは必ず!という信者さん、
初めて教会を訪れる方も大変多いのがクリスマスミサの醍醐味ではないでしょうか。

 

イエス様がお生まれになった意味を、すべての人と分かち合う時間です。

宮﨑神父様は
「信じる者はすべてを神にゆだねるのです。
クリスマスを、信じることの喜びを改めて見つめなおす機会にしてください。」
とおっしゃいました。

 

 

昨夜のミサまでの間、多くの方がいろいろな役割を担って準備に取り組んできました。
この祭壇のお花もそのひとつです。
女性の会のみなさんが、丁寧に活けてくださいました。

 

 

 

信徒会館の中の飾りつけは、ベトナムの青年たちの手によるものです。

イブのミサのあとに振る舞われた軽食も、女性の会のみさなんのお手製です。

 

ミサの中で演奏されたハンドベル
猛練習の成果を発揮してくれた青年会のみんな!

 

こんなに多くの若者までもが、積極的に教会での役割、使命に喜んで応えてくれている久留米教会、
自画自賛ですが、とても素敵な自慢の教会です。

昨夜のミサのあと、敷地内の木の下でベトナムの青年たちが
クリスマスソングに合わせてダンスをしていた姿もとても素敵な光景でした。

クリスマス会の子どもたちの様子も、また改めてご紹介します!

今夜は、恒例となった、筑後地区のプロテスタントの各教会と合同でのキャロリング
(久留米市内を歩きながら聖歌を披露します。)が行われます。

 

喜びの主日

なんてステキな呼び名でしょう!

喜びの日に相応しく、待降節第3のロウソクはピンクが灯されました。

 

今日に合わせ、ピンクの実が追加されています。

  

みこころレターのこと、ホームページの記事のことを褒めてくださったり感想を聞かせてくださる方が何人も声をかけてくださり、嬉しい日曜日の朝だわ、と思っていたら。

ジュゼッペ神父様の最初のお言葉が

「今日は喜びの日曜日です。

主があなたたちの内に、あなたたちと一緒におられ歩んでおられることを喜びなさい。」

 

喜びその1

 

日曜学校の子どもたちが、いつも神父様に教わっていることをいつくか、わたしたちにも聞かせてくれました。

「朝昼晩、神様に感謝しましょう!」

「毎日何回も、ありがとうを言いましょう!」

大人も大切にしなければならない習慣ですね。

 

喜びその2

 

 

青年会という20名ほどのグループがあります。高校生以上の若者たちが、クリスマスミサで披露するハンドベル演奏の猛練習中です!


(メンバーのIさんは、わたしが洗礼を受けたときに一緒に幼児洗礼を受けたのです。

こんなにステキな女性に成長して、感無量です(涙))


今日は、ミサの後、馬小屋の飾り付けをしてくれました。


 

そして、完成‼︎

 

 

喜びはいつも、そこにあります。

神様がいつも横にいてくださるのと同じように。 

 

 

神様とインターネット

久留米教会にはこのホームページと、「みこころレター」という広報誌、
2つの広報ツールがあります。

みこころレターの第8号を発行しました。

 

 

この半年の久留米教会の活動だけではなく、
4つの国出身の信徒によるアドベントの過ごし方の記事、
神学生2名のご家族による「わが子の召命」についての寄稿、
海外で活動する信徒の報告など、
いろいろとお伝えしたいこと盛りだくさんの内容です。

 


クリスマスは多くの場合、ハロウィンの様にイベント化し、
新聞を取るのをお止めになるご家庭も多くなり、
来年からは年賀状出すのをどうしようかと考えていらっしゃる方もいるようです。

現代は紙離れ?神離れ?なのでしょうか。

 

広報誌、つまり手に取っていつでも好きな時にゆっくり読める媒体と、
ホームページのように、情報を得るために自主的に検索してから見る媒体とでは、
その役割は全く違います。

たとえば、わたしもこのホームページに聖書の言葉を引用したいと思った時、
それが、どの福音書の何章だったか知りたい場合、
すぐにインターネットで検索します。

そのあと、自分で聖書を開いてその箇所を読み返します。(ここ大事!)

神様はインターネットで自分のことを検索されるなど、
想像もされなかったでしょう!

 

先日、ある神父様がおっしゃっていました。

「信仰は、”神と、神に祈るわたし” だけの関係だけではありません。
わたしたちをとりまく社会、家庭の問題など、
さまざまなことが絡まっているのが現代社会の信仰の姿です。
たとえば、現教皇は、カテキズムから『死刑制度容認』の文言を削除したのです。
長年、カトリック教会は死刑制度を容認してきましたが、
今、教会は反対の立場へ変わったのです。」

聖書の教えは本質的には変わらないはずなのに、
信仰も、時代とともに変化している、ということなのでしょうか。

 

世界中、わたしたちの身近なところでさえ、いろいろな問題が起こっています。

他者の意見に耳を傾け、インターネットにあふれる「だれか、個人」の意見に振り回されず、
検索するよりも、日常に神様を感じた暮らしをしたいものです。

 

広報誌は、近隣教会の信者さん、教会を初めて訪れる方にも手に取っていただきたく、
たくさん印刷しておいてあります。
(近隣教会にはお送りしています。)

どうぞ、遠慮なくどんどんお持ち帰りください!