行事風景

七つの秘跡:Part4

今回は、結婚の秘跡についてです。
3月10日に結婚式が執り行われました。
わたしも参列させていただきましたが、やはり教会の結婚式は素敵です。

最近は結婚式場に教会のようなチャペルが併設されている場合が多いので、
多くの方がキリスト教的な式を挙げられるのが普通のことになっていますね。
若い方々が教会での式に憧れるのは当然です。

だって、こんなに美しい!!

 

結婚は男女の交わりを強めるものであることから、叙階の秘跡とともに「交わりの秘跡」と呼ばれています。
結婚の秘跡を授けるのは、司祭ではなく夫婦同士です。
司祭は司式を執り行う立会人です。

式次第の後半に、誓約の儀の一連の流れがあり、誓いの言葉ののち、
指輪の祝福と交換が行われます。


新郎は司祭から新婦の指輪を取り、「この指輪は私たちの愛と忠実のしるしです」と唱えながら
新婦の左手の薬指にはめます。
続いて新婦も同様にして、新郎の左手の薬指に指輪をはめます。

指輪の円は継ぎ目なく続く永遠のシンボル。
それを神様の前で交換し、誓いをたてることで永遠の愛情を互いに約束するのです。

 

この、結婚指輪の風習は、カトリックが起源であることをご存知でしたか?
古くは、神様との誓いをたてた証しとして指に紐を結んだことに由来するそうです。

また、カトリック教会における結婚の秘跡は、どちらか一方だけが信者の場合、準秘跡とされています。
ヨーロッパなどのカトリック国では、信者が未信者と結婚することは原則としては認められておらず、
日本のように布教国である場合は認められています。
その場合、司祭が特別に許可をする『ディスペンザチオ』(ラテン語)=特別の免除が与えられます。

以前ご紹介した、ジブランの『預言者』に書かれている結婚について。

◆二人のあいだにも、自由な空間を置きなさい。
 そして、そこに、天からの風をそよがせなさい。

◆愛し合っていなさい。しかし、愛が足かせにならないように。
 むしろ二人の魂の岸辺と岸辺のあいだに、動く海があるように。

◆おたがいの杯を満たし合いなさい。
 しかし、同じひとつの杯からは飲まないように。

◆一緒に歌い、一緒に踊り、共に楽しみなさい。
 しかし、おたがいに相手をひとりにさせなさい。

◆一緒に立っていなさい。しかし、近づき過ぎないように。

深いですね。 

 

ここで、宮﨑神父様からのお願いです。
教会で結婚式をしたいと思われている方は、

①日程を決める前に神父様に相談に行ってください
②必ず、お二人揃って数回の結婚講座に参加してください。

大輝さん、綾乃さん、ご結婚おめでとうございます!

 

「信仰」とは何か。

四旬節が始まり、第一主日のごミサは、3人の司祭と2人の神学生と共にという贅沢なものでした。

 

神父様がたの祭服、ストラも、ご聖体が安置されている 祭壇の幕も紫色です。

カトリックに限らず、その行いの尊さ、素晴らしさ、社会に及ぼした影響などから、尊敬され続けている人は本当に多くいらっしゃいます。そこで、現在バチカンに正式に聖人として登録されている聖者は何人いるのだろう、と思い調べてみました。

結論。
「カトリック、ギリシャ正教合わせて1万人以上の聖人・福者がいるが、厳密に数え上げられてはいない」

ちょっと驚きでした。
聖人ではありませんが、今日はある一人の日本人についてです。

杉原千畝さんについては、ご存知の方が多いかと思います。
「数千人の命を救った男」というタイトルのホームページ、そして実際に記念館もあります。

http://www.sugihara-museum.jp/

リトアニアの日本領事館に押し寄せた、ナチスに追われて逃げてきたユダヤ難民たち。
日本政府が認めなかったのに、6千人もの難民にビザを発給した杉原千畝。

そこまではよく知られている話しだと思います。
でも、杉原が発給したビザは、あくまでも「日本を通過するためのビザ」であり、長くても10日間ほどしか日本に滞在できないものでした。
難民たちは、アメリカなどを最終目的地としており、その10日間の間に日本で目的地と交渉し、船便を確保するのは実際には不可能でした。

杉原の「命のビザ」を引き継ぎ、難民たちの日本での窓口となり、日本政府と様々な形で交渉し、ビザの延長を実現した日本人がいました。

小辻節三という人です。

杉原千畝と違い、彼のことはあまり知られていないようですし、記念館もありません。
かれは、のちにユダヤ教に改宗し、現在はイスラエルに埋葬されています。

「命のビザ」を繋いだ彼に興味を持ち、ほとんど日本には資料がない中、イスラエルやアメリカで資料を集め、取材を重ねて本にしたのは俳優の山田純大さん。
そう!
杉様(スギちゃんではなく、杉良太郎さん)の息子さんです!

命のビザを繋いだ男(NHK出版)

こうした背景があったことを、わたしは全く知りませんでしたので、大変興味深くこの本を読みました。

一見、カトリックとは関係のない話しのようにも感じられるかもしれません。
ですが、信仰を持つ人の行動はやはり何かが違う、と思ったのです。
プロテスタントの教育を受けて育った小辻氏でしたが、ユダヤ教に興味を持ち、実際にユダヤ人たちのために働いた彼の強い信念は、やはり「信仰」からくるものだったのではないでしょうか。

 

昨日のミサでは、来月受洗される方々の洗礼志願式が行われました。
信仰を持つことを決められた方々です。

 

わたしたち自らの信仰について考えを深める良い機会です。
「わたしの信仰とは何か。」
「何のためか。」
思い返してみましょう。

 

七つの秘跡:part3

今回は、洗礼の秘跡についてです。
みなさんは、いつ洗礼を受けられましたか?幼児洗礼?大人になって?結婚を機に?
よく、ミサの際に思うのです。
ここにいらっしゃる信者さんは、どんなきっかけで受洗されたのだろう?
どのようなエピソード、ストーリーをお持ちなのだろう?と。

そう思われたことはありませんか?

わたしの場合について、今日は書いてみたいと思います。
洗礼、これは本当に素晴らしい秘跡です。

キリスト教の入信の秘跡と呼ばれるものには3つの秘跡があります。
洗礼、堅信、聖体の秘跡です。
この3つの入信の秘跡が、私たちキリストを信じる者の生活全体の土台となっているものです。

 

これは、わたしが27年前のご復活の際に洗礼を受けた時の写真です。

平成3年、まだ昭和の香りがしますね!

代母は、出身高校のシスターにお願いしました。

今よりもずっと、ヴェールを着用している方が多いですね。

当時は久留米教会のステンドグラスもシンプルなカラーのガラスです。

わたしの隣は亡くなった母です。今のわたしの年齢よりも若いです!
(間瀬先生もお若い!!)

この時、21歳でした。
20歳の時、骨肉腫を患いました。
苦しい抗がん剤の治療も、大手術も、長い入院生活も、義足での困難なリハビリも、全く苦ではありませんでした。
なぜだかうまく説明できないのですが、若さと、単純で楽天的な性格のわたしは、「退院したら新しい楽しみを見つけなければ!」と考えていました。
それよりも、新宿の都庁の隣の高層病院の窓から見える大都会の景色の中に、どれだけの病院があって、どれだけの病気の方が苦しい思いをされているのだろう、とよく思っていました。

そんなわたしを、東京の姉妹校のシスター方がよくお見舞いに来てくださり、
「あなたは神様の子です。神様の子に間違いない!」
と、何度も言ってくださり、退院と同時に洗礼を受けるのはごく当然の流れでした。
わたしが小さいころから信仰を持っていた母の喜びは大変なものだったようです。

ギリシア語で「洗礼を行う」という「バプティゼイン」という言葉は、「沈める」という意味をもっている言葉です。
洗礼は、「聖霊によって、新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗い」とも呼ばれるものです。
また、洗礼は、「照らし」とも呼ばれています。
洗礼を受けることによって、このキリストご自身のみことばを受け、照らされ、今度は洗礼を受けた人自身が、「光の子」となり、「世の光」となるのです。

参考

https://www.pauline.or.jp/catechism/catechism072.php

わたしは、本当に生まれ変わりました。
義足での新しい生活と、信者としての新しい人生が、同時に始まったのです。
あのような大きな病気をしてなければ、信者として生きる今のわたしはなかったと確信をもって言えます。

「世の光」「神のインフルエンサー」として生きる喜びは、秘跡としか言いようがありません。
数年前には、洗礼を受ける友人の代母となることもできました!

今年のご復活の前夜祭でも、久留米教会では数名の方が受洗されます。来週のごミサでは洗礼志願式が行われます。
新しく生まれ変わって「光の子」として歩まれる方々のために祈りましょう。

 

祈りの必需品

みなさまは、一日の中でいつ、どのように「祈り」をされているでしょうか。

リビングに祭壇を設けていらっしゃるお宅もあるでしょう。

ロザリオを手に祈るというかたもいらっしゃるでしょう。

わたしは昔、「祈り」の仕方がわからず、模索していた時期がありました。

「祈り方」を説いた本を読み漁りましたが、自分の祈りのスタイルを、
確信をもって「こうやって祈っています」と言えるようになったのは、つい最近の様な気がします。

思いついたらいつでも、どこででもお祈りはしますが、寝る前にベッドで祈る時の必需品はこれ!

 

この、手のひらにすっぽり収まる木製の十字架。

 

 

絶妙なカーブがあって、握りしめると心地よく手に収まるのです。
数年前に、仲良しのおば様にプレゼントしていただきました。

(大名町教会のサンパウロでお求めいただけます。)

祈りの助けになっています。
手の中でギュ~っと握りしめていると、とても心が落ち着き、
神様と天国の母に心とからだを明け渡して話しかけることができるような気がするのです。

「神様に全てを明け渡す」

これが、わたしの祈りのスタイルです。
これは、教会の大切な友人が言ってくれた言葉です。

いろいろと悩んでいた時期に、彼女に相談しました。
同じように、彼女もその時悩んでいることを抱えていて、
その結論として自分で導いたのが、「神様に全てを明け渡す」ということだったと話してくれました。

 

パパ様の本、使徒的勧告「喜びに喜べ」の中に書いてあります。

自分の中にある攻撃的で利己的な傾きと闘い、そうした傾向が根づかないうように用心しなさい。
「怒ることがあっても、罪を犯してななりません。
日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」
エフェソ4・26

流され沈みそうになっても、わたしたちはいつだって、祈りという錨(いかり)にすがることができます。
祈りの錨は、わたしたちを神の腕の中に、平和の源のそばに、引き戻してくれます。

 

神の腕の中に引き戻してもらえるように、神様に全幅の信頼を寄せ、今日も、いつも祈りましょう。

 

イエス様はどのようなお顔をしていたのか⁈

みなさんそれぞれにイエス様のお顔のイメージをお持ちだと思います。

それは、馴染みのある教会のご像、見たことのある絵画や映画で演じた俳優の顔など、実は多くの連想させるお顔から各人が確固たるイメージを持っているのではないでしょうか。

久留米教会のイエス様

(十字架のイエス様を左右から照らす照明の位置と光の具合が変わったことにお気付きですか⁈)


その中でも、十字架上のイエス様のイメージについて考えてみました。

12世紀までのイタリアのキリスト像は苦痛や苦悩を超越した表情で描かれていました。
「勝利のキリスト」と言われています。

13世紀になると、首をうなだれ、苦痛と悲しみの表情を浮かべた「苦悩のキリスト」が主流となってきます。
それは、アッシジの聖フランチェスコが要因を作ったとされています。

フランチェスコの体に聖痕が現れたと言われるほど厳格な生活を徹底していたその姿勢は、イエス様の受難について語る際にも反映されます。
聖フランチェスコの説教には鳥も耳を傾けたというエピソードのとおり、人々への共感が広がり、絵画においても人間的な苦悩が強調されることにつながったのです。


グリューネヴァルトは16世紀に活動したドイツの画家。

ドイツ絵画史上最も重要な作品の1つであるのが、このイーゼンハイム祭壇画

 

 

磔刑図は数多く描かれていますが、肉体的な苦痛をここまで表現したものとしてはこの作品に匹敵するものはない、と言われています。
イーゼンハイムの聖アントニウス会修道院付属の施療院の礼拝堂にあったもので、患者が自らの苦痛を十字架上のキリストの苦痛と感じ、救済を得るために、このような凄惨な磔刑像が描かれたと言われているそうです。

 
グリューネヴァルトの絵の背景の闇をさらに濃密にし、風景も他の人物も排除して祈りのための「像」として描かれたのが、スルバラン1627年作の『十字架のキリスト』

 

 

その5年後に描かれたのが、同じくスペインのベラスケスの『十字架のキリスト』

 

 

闇に浮かび上がる十字架によって、神の子としてのイエス様の崇高さを表現すると同時に、リアルな描写で人間イエスの肉体の痛みをも描き出しています。
ちなみに、頭上に書かれているのは、3か国語での「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」
前述のグリューネバルトのように、16世紀ごろまでは「INRI」(ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語)と書き表すのが普通でしたが、このころから絵画も世界的な広がりを見せてきたことを反映し、3か国語表記が主流となったそうです。


わたしたちの持つイエス様のイメージは、このあたりの作品が近いのでは⁈ 

 

ここで告白!!
すべて、わたしが調べたのではなく、種明かしはこの本!!

 

 

西岡文彦さんの「名画でみる聖書の世界」新約編
(旧約編、は書かれていないようです。)

創世記から最後の審判までの世界中の名画の背景と解説が書かれていて、とっても読み応えがあります!

少し古い本なので、残念ながら本屋さんに新品はありませんが、アマゾンで中古本をお求めいただけます。

(久留米教会の方はわたしにお申し付けください!)


四旬節に向け、十字架上のイエス様に思いをはせ、穏やかに過ごしていきたいと思います。