カテゴリ:聖書

詩編で祈る

12日の第一朗読と答唱詩編にハッとさせられました。

まことに、天から雨や雪が降れば、地を潤し、これに生えさせ、芽を出させ、
種蒔く者に種を、食べる者に糧を与えずに、天に戻ることはないように、
わたしの口から出る言葉は、わたしが望むことを行い、
わたしが託した使命を成し遂げずにむなしくわたしに戻ることはない。
(イザヤ55・10~11)

あなたは地を訪れて、潤わせ、それを大いに豊かにされました。
天の水路には水が満ちています。
あなたは彼らに麦を用意されました。
あなたはこのように大地を整えられました。
畝間を豊かに潤し、土塊をならし、夕立で大地を柔らかにし、
芽生えたものを祝福されました。
(詩編65・10~11)

恵みの雨を降らせてくださる神に感謝する祈りの詩編です。

今この時だからこそ、この詩編を祈りとして唱えることが必要だ、と感じました。

 

 

黙想会に参加すると、(安易な表現ですが)心も身体もデトックスされたような気持ちになります。

「さあ、静かなところへ行ってしばらく休みなさい。」
マルコ6.31

黙想の家を、英語ではRetreat House(リトリートハウス)といいます。
Retreatには「退く」と言う意味があります。

日常生活からひとまず退き、離れ、独りになって静かに祈りの時を持つ。
そして、こころに語りかける神のことばに耳を澄まします。
(カトリック福岡黙想の家 ホームページより抜粋)

 

「詩編で祈る」 というテーマでの黙想勉強会に参加しました。

詩編についてこれほど深く考えたのは初めての経験でしたし、詩編が「使える」ことに目からウロコでした!

聖書は神から人への語り掛けですが、唯一詩編だけは、人間が神に語りかけている言葉、詩です。

 

自分のなかに渦巻く様々な思い、怒り、嘆き、痛悔、あるいは信頼、感謝、賛美といった思いを、神様に向かって、詩編にのせて「注ぎ出す」ことで、神様との関係が循環し、生き生きと生きることが出来るのです。

人間のあらゆる思い、それらを偏らずに祈ることによって、自分の心という畑をまんべんなく深く耕し、肥沃なものにしていくことができるのです。


神様には何を言っても大丈夫なのです。

怒りに任せて、祈りかどうかもわからず、不安や不満をぶちまけることさえも受け止めていただけます。

 

詩編には「嘆きの詩編」「怒りの詩編」などと呼ばれている詩があります。

たとえば、あなたが今苦難を抱えていて嘆き悲しんでいるとしたら、その詩編(ex.102)に乗せて嘆き抜いてみるとよいでしょう。

嘆きの詩編102は、こう神に語りかけます。

 

不幸なものが心挫け、その憂いを主の前に訴える時の祈り。
主よ、わたしの祈りを聞き入れ、
わたしの叫びをみ前に至らせてください。
わたしの悩みの日に、あなたの顔を隠さず、
わたしに耳を傾け、わたしが叫び求める日に速やかに答えてください。
(1~3)

父が子を憐れむように、主はご自分を畏れる者を憐れまれる。
主は、わたしたちの造られた有様を知り、
わたしたちが塵にすぎないことを想われる。
人の日々は草のようにはかなく、
その栄えは野の花のように短い。
風がその上を通り過ぎると跡形もなく、その場所さえ知る由もない。
しかし、主の慈しみは主を畏れる者の上に、とこしえからとこしえに。
(13~17)

 

このポケットに入るサイズの祈りの本は、数年前の御復活祭の時にプレゼントでいただいたものです。

 

バッグに入れて持ち歩き、ふとした瞬間に開くだけでお祈りが出来るという優れものです!

 

嘆いて嘆いて、嘆きの底までたどり着いて、その底に足がついたら蹴り上げて上昇するのだ。
底までいかずに途中で上昇しようとすると、中途半端な気持ちのままに嘆きがくすぶり続ける。
嘆きたいときは、神に嘆き尽くすほうがよい。

黙想を指導してくださった神父様がおっしゃっていました。

詩編65の恵みの雨に感謝する詩は、この水害の時だからこそ、唱えなければならないと思うのです。
雨は本来、神からの大地への、わたしたちへの恵みなのです。
そのことを、災害時には忘れてしまいます。
雨を、恵みとして降らせてください。
被災された方々に一日も早く心の平安をお与えください。

そう祈りたいと思います。

 

祈りに求めるものは何でしょうか。

「安らぎ」が得られる祈りができることは、喜びでしょう。

ご自分のもとに来る者を「休ませて」くださると、イエスは言います。
キリストが疲れた者、重荷を負う者に与える「安らぎ」は、単なる心理的な慰めでも、施しでもありません。
それは、福音を知り、新しい人類の構築者となった、貧しい人たちの喜びです。
イエスご自身があたえる喜び、それが安らぎです。

(7/5 教皇フランシスコのお説教より)