カテゴリ:聖週間
これまで、これからの日々
マルコによる福音書は、イエス様の最後の一週間を一日ごとに追って、日記的に描写しています。
そして、マルコだけが、日曜日、月曜日、木曜日の朝と夕の出来事を詳細に語っていて、ローマ軍の時間区分と同じ、3時間ごとに金曜日の出来事を追って書いています。
マルコ福音書が書かれたのは、エルサレム神殿が崩壊したころです。
神殿の崩壊によって、当時のユダヤ教のあり方が一変しました。
ユダヤ人は供儀を捧げる場所を失い、祭司職の役割は薄れ、ユダヤ教の中心は聖典と会堂へと移行しました。
神殿崩壊、つまり戦時下に書かれたこの福音書では、その時代背景もあってエルサレムが中心的な役割を果たしています。
書かれた当時、AD1世紀の教会にとって、十字架は2つの意味を持っていました。
ひとつは、ローマ帝国による処刑。
もうひとつは、死と復活につながる生き様=古い命に対して死んで新しい命にいたる道、の象徴です。
マルコとパウロ書簡では、十字架を新生(新しく生まれ変わる、生き方を刷新する)への道と捉えています。
そして、これはとても大切なことですのでしっかりと理解しておきたいのは、イエス様の十字架刑の原因である衝突についてです。
イエス様とユダヤ教の衝突と安易にとらえていた過去の歴史が、その後のユダヤ人迫害へとつながっていったことはご存じのとおりです。
イエス様の声は、当時のユダヤ人たちが発した声のひとつであり、神の名を用いて正当化された支配構造への抵抗、ユダヤ教の神に対する敬神の思いを訴えるものだったのです。
棕櫚の聖日に神殿に集う熱狂的な群衆と、その後の数日間の出来事を時系列で追って理解することで、イエス様の死とご復活の意味をより深く正しく捉えることができます。
聖週間の1日1日を噛みしめながら、大切に日々を歩みましょう。
日曜日(11・1,11)
一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。
・・・
二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。
そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。
我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。
いと高きところに、ホサナ。」
月曜日(11・12,19)
『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』
ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしてしまった。
火曜日(11・20)
「神を信じなさい。はっきり言っておく。
だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。
だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになる。
また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。
そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」
水曜日(14・1)
さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。
彼らは、「民衆が騒ぎ出すといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。
木曜日(14・12,17)
除酵祭の第一日、すなわち過越の子羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。
・・・
弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
金曜日(15・1,22)
夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。
・・・
そして、イエスをゴルゴタという所に連れて行った。
没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
土曜日(15・42~43)
すでに夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤ出身のヨセフが、思い切ってピラトのもとへ行き、イエスの遺体の引き取りを願い出た。
この人は高名な議員であり、自らも神の国を待ち望んでいた人であった。
日曜日(16・1~8)
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。
そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。
・・・
若者は言った。「驚くことはない、あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。
さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われた通り、そこでお目にかかれる』と。
春は、イエス様の足跡を振り返る季節です。
この春を、新しい環境で迎えた方も多いかと思います。
これまでの日々に思いを馳せながら、同時に、これからの新しい人生に不安や戸惑い・期待と希望といった思いが絡み合う、そんな季節でもあります。
4月から、ホン・チャン・キ神学生が司牧実習に来てくださっています。
韓国出身の、神学校3年生です。
意外と、おちゃめな一面がある49歳です。
船津神父様は、もうすぐローマへ旅立たれます。
久留米教会で司祭叙階式を終えられた時のお写真です。
この笑顔にはいつも癒され、心が和みます。
久留米教会に2017年まで赴任していらした森山神父様が、6月から大分教区に司教として着座されることが先日発表されました。
ガリラヤ湖で、小魚に足をつつかれて喜んでいらした時のお写真です。
「司教様」というと、なにか遠い、恐れ多い存在のように感じてしまいますが、こうした笑顔を思い出すと「同じキリスト者」でいらっしゃるのだ、とじわじわと感じます。
ホン神学生、船津神父様、森山新司教様へお祈りを贈りましょう。
わたしたちが心をこめて力強く祈り続け、多くの祈りに支えられながら、これからの日々を強く歩むことができますように。
友のために祈る
宮﨑神父様から聞かれました。
「あなたは一日にどのくらい祈りますか?」
「友のために祈っていますか?」
祈りの時間と言えるのは寝る前くらいですが、朝起きてすぐから一日中、しょっちゅう神様に話しかけるように祈っています。
でも、友だちのために祈っている、とは言えないとハッとさせられました。
・
『人はだれも自分ひとりだけが幸せになる権利はない。』という名言でも知られるラウル・フォレロー(1903~1977年)は、ハンセン病患者の支援と差別の撤廃に尽力したフランスの人物です。
詩人でもあった彼の、『ともに生きる恵みを願う祈り』という有名な祈りがあります。
主よ、教えてください。
自分だけを愛さないことを、
身内だけを愛さないことを、
仲間だけを愛さないことを。
人のことも考え、
だれからも 愛されない人を優先して愛することを。
主よ、教えてください。
わたし自身も苦しむことを、
人と共に苦しむことを。
主よ、あわれんでください。
苦しむ人々をいわれもなく退けた、このわたしをゆるしてください。
幸せをひとりじめにすることを、わたしにさせないでください。
全世界の苦悩を、わたしにも感じさせてください。
主よ、利己主義からの解放こそ、あなたはお望みになるのです。
(抜粋)
自分自身のため、家族のために祈ることは誰にでもできますが、友だち、ましてや他人のために祈るとなると、わたしは形式的な祈りになってしまっていると分かっていました。
キリスト教一致祈祷週間について2回にわたり書いてみましたが、そのさなかに神父様から冒頭の質問をされ、よく考えてみる機会となりました。
この聖週間の間、特にひとりの友人のために祈り続けています。
彼女は旦那様が病気で早くに天に召され、ひとりで2人の子どもを育てています。
家族の問題や子育ての悩みを抱えていて、わたしは聞くことしかできませんが、とにかく聞き役に徹してきました。
その彼女のために祈っています。
「多くのストレスを抱える彼女が、うまく問題と向き合い、少しでもストレスが軽くなるようお恵みをお与えください。彼女をお導きください。」
友のために祈りを続けてみて、「会って話を聞きたい」 「会いに行きたい」という気持ちを強く抱いています。
コロナ禍にあって、自由に気軽に遠方の友人に会いに行くことは躊躇われ、LINEで会話することを「話した」と錯覚し、随分あっていないのに分かってあげていると思い込んでいました。
アウグスティヌスが「神の国」でこう述べています。
憐れみとはわれわれの心のうちで他人の苦しみmiseriaを共に苦しむことcompassioであり、それによってわれわれは、もし可能であれば、助けにおもむくようにかりたてられているのである。
「憐れみ」misericordiaは、ある人が他人の苦しみについて「苦しい心」miserum corを抱く、というところから来ている。
最近、気に入って唱えている祈りです。
『自己からの解放』
主よ、わたしは信じきっていました。
わたしの心が愛にみなぎっていると。
でも、胸に手を当ててみて、本音に気づかされました。
わたしが愛していたのは他人ではなく、
他人の中の自分であった事実に。
主よ、わたしが自分自身から解放されますように。
主よ、わたしは思いこんでいました、
わたしは与えるべきことは何でも与えていたと。
でも、胸に手を当ててみて、真実がわかったのです。
わたしのほうこそ与えられていたのだと。
主よ、わたしが自分自身から解放されますように。
主よ、わたしは信じきっていました、
自分が貧しいものであることを。
でも、胸に手をあててみて本音に気づかされました。
実は思いあがりとねたみの心に、
わたしがふくれあがっていたことを。
主よ、わたしが自分自身から解放されますように。
主よ、お願いいたします。
わたしの中で天の国と、この世の国ぐにとがまぜこぜになってしまうとき、
あなたの中にのみ、真の幸福と力添えを見出しますように。
キリスト教一致祈祷週間のこの機会に、キリスト者だけでなく、もっと身近な人々のために祈りを捧げていこうと思っています。
自分を試してみる
キリスト教一致祈禱週間は明日から25日までの8日間です。
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主なる神はご自分の民とともに歩み、彼らを保護し、昼も夜も見守っておられることが、聖書には何度も記されています。
道は必ずしも真っすぐとは限りません。
同じ道をたどったり、違う道を通って戻ったりするよう仕向けられることもあります。
いかし、生涯を通じて旅を続ける間中、わたしたちは「まどろむことなく、眠ることもない」神が、わたしたちの足がよろめき倒れてしまわないよう、見守ってくださると信じることができます。
(キリスト教一致祈祷週間 小冊子40ページ)
この聖週間の最終日、8日目の黙想の祈りは「別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」(マタイ2・12)博士たちがテーマです。
帰り道が行きと違っても、彼らの旅を照らした同じ光が別の道・別の選択肢を示したのだ、と小冊子に書かれています。
あわれみ深い神、
わたしたちが一つの道しか知らず、
同じ道を戻らなければならないと思っているときにも、
すべての道が行き詰まり、絶望しているときにも、
あなたはいつもいてくださいます。
約束を新たにされる神よ、
あなたは、わたしたちには思いもよらない道を切り開いてくださいます。
あなたに心から感謝いたします。
わたしたちの期待をはるかに超えてくださることを。
(47ページ)
朝起きてからのすべての行動にルーティンを設けていて、それをこなすのが好きなわたしにとって、行きと帰りの道が違うのは不安でしかありません。
小さなことですが、例えば教会の帰り、行きと違うルートを試してみる、というのは好きな楽しみでもあります。
また、思い通りにいかない時に普段は好まない別の選択肢を選んでみると、思いがけない気づきを得られること、思いもよらない展開に恵まれることもあります。
労働が人間生活にとって本質的要素であると同時に、聖性への道でもあることは、あまり理解されていない。
働くとは、生計を立てるためだけではなく、自分自身を表現し、人に役立ち、具体性を学ぶ場として、霊的生活を助けるものである。
また、仕事は、人と関わることを必要とするその性質によって、わたしたちの人間性を表すと同時に、それぞれの創造性を活かす場でもある。
イエスご自身も働き、まさに聖ヨセフから仕事を学んだということ、それは素晴らしいことに思われる。
今日、わたしたちは、仕事の価値を取り戻すために何ができるかを、考えなくてはならない。
仕事が利益だけの論理から解放され、人間の尊厳を表し高める、基本的な権利・義務として体験されるよう、努力しなくてはならない。
(教皇フランシスコ 1/12一般謁見でのお説教より)
現代の若者のなりたい職業のトップ5に入るのは、ユーチューバーだそうです。
最近は、ティックトッカーという仕事も脚光を浴びています。
わたしが子どものころにはなかった職業です。
仕事をする、というのは、会社に勤めたり商店を営むことだという固定概念を持っていましたが、もうそのような時代ではないのです。
ですが一方では、イエス様の時代から「働くとは生計を立てるためだけのものではない」ものだ、と教皇様はおっしゃいます。
自分自身を表現すること
人の役に立つこと
具体性を学ぶ場
さらに、人と関わることである、という点も重要なのです。
ひとりきりで自分の部屋で編集したビデオをオンライン上に公開する、そういうユーチューバーであっても、誰か、他者に向けて自分の表現を発信して相互のコミュニケーションを求めているのですから、人と関わるということなのでしょう。
成人の日に取材を受けていた新成人たちをテレビで観て、間違いなくわたしがハタチの頃よりもみんなしっかり自分を持っているな、と思いました。
「最近の若いもんは・・・」、は少し前は否定的な言い回しの枕詞でした。
「最近の若者たち」は、自己表現に長けていて、人の役に立ちたいという意志を持ち、具体的な仕事を望む傾向が強いように感じます。
自分の可能性を試してみる、という冒険を恐れない勇気は素晴らしいお恵みです。
親の価値観を押し付けられた子どもが反発し、親の望みとは全く違う人生を歩んでいる、という話はよく聞きます。
すべてがそうではないとしても、違う道、別の選択肢に神様のお導きがあることに気づくことができるのも、それ自体が素晴らしいお恵みでしょう。
☆たとえ自分たちのやり方や道が行き詰っても、永遠の神、光を与えてくださるかたが、つねに前に進む道を見つけてくださると信じる。
☆いつでも新たに出発できる。
☆新しい方向を探して未来に目を向ける。
☆新たな熱意をもって福音の光を輝かす。
(46ページ)
行きと帰りの道が違うと普通は不安に感じるものですが、試してみる価値はあると思いませんか?
わたしも、今年はもう少し自分を試す行動を取ることを抱負として掲げてみました。
いつもと同じ、ばかりではなく、人との関係においても、教会での役割への熱意においても、神様のお導きをもっと強く感じて信じて、今年は新しい方へも進んでいこうと決意したところです。
わたしたちの願い
あけましておめでとうございます。
2022年も、いただくお恵みを見逃すことなく日々を大切に生きていくことができますように。
新年のごミサでは、成人のお祝いを受ける9名の若者たちの祝福の場を、可愛い小さな子どもたちが侍者としてお手伝いしてくれました。
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この青年たちの未来が明るいものとなるよう、わたしたちは祈り、そして彼ら自身が切り拓いて行ってくれますように。
毎年1月18日〜25日は(北半球では)キリスト教一致祈祷週間が行われます。
南半球では各地で日程が変わるそうですが、この聖週間には世界中の様々な伝統や信条を持つキリスト者が、洗礼を受けたすべての人の一致のために祈りを捧げる習わしです。
今年のテーマは、
わたしたちは東方でそのかたの星を見たので、拝みにきたのです
(マタイ2・2)
このテーマを含め、世界で使われるこのテキストは、中東教会協議会が担当して作成されました。
(この小冊子は、中央協議会にリクエストすると送付してもらえます。)
この困難な時代にあって、わたしたちはこれまで以上に暗闇の中に輝く光を必要としています。
そして、その光はイエス・キリストのうちに示されたと、キリスト者は宣言します。
(10ページ)
礼拝式の文章から、祈りの言葉をご紹介します。
ひとつの星が、キリストのもとに博士たちを導きました。
その星は今も、キリストのおられるところを指し示しています。
キリストがわたしたちに示され、キリストの光はわたしたちの上に注がれています。
博士たちが星を追ってベツレヘムに向かったように、今日、わたしたちはこの星の下に集い、空に自分たちの星を加え、教会の目に見える一致のために、自分たちのたまものと祈りを一つにします。
その目標に向かって旅をするわたしたちの生活が、キリストを知るよう人々を導く、輝かしいあかしとなりますように。
(20ページ)
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冊子に書かれている8日間の黙想のためのことばはどれも、社会的にも精神的にも葛藤を抱えるキリスト者の心の底からの祈りだと感じています。
中東と言う、政治も社会も大変な状況にさらされ続けている地域のキリスト者が編纂した深い現実的な祈りの言葉が、心の奥にささります。
年末の銀座で、オシャレをしてショッピングを楽しんでいる人がインタビューで
「来年こそはいいことがある幸せな年になるように」と答えていました。
中東のキリスト者たちは、「今」の正義と平和を求めています。
コロナ禍であっても安寧な日常が、わたしも含め、日本のキリスト者の心を鈍らせている気がしています。
2022年1月の教皇フランシスコの祈りの意向は、「人類の真の友愛」がテーマです。
宗教的な差別や迫害に苦しんでいるすべての人々のために祈ります。
人間家族の兄弟姉妹であることに裏付けされた一人ひとりの権利と尊厳が認められますように。
身近に「宗教的な差別や迫害」を受けている人がいない。
中東地域の紛争はイスラム教徒の問題だ。
わたしたちがそのように単純に考えてしまうのは当然のことですが、この機会に、中東で活動するキリスト者たちのことを知り、思いを馳せてみませんか?
中東教会協議会は、イラン、ペルシャ湾、地中海、エジプトという範囲の広い地域で、福音派、オリエント正教会、東方正教会、そしてカトリック教会の4つの教会によって構成されています。
それぞれの教会の偏見と障害を取り除いて架け橋となる活動はもとより、ムスリムとの対話と結びつきの強化にも努めています。
そして、なによりも彼らの最大の問題は、中東地域におけるキリスト教の存続です。
以前、このページで難民問題を取り上げた時にも触れましたが、長引く紛争・政治的混乱により、キリスト者は国外へと逃れ続けています。
彼らは、「西側の考え方」に基づいた「東側への介入」はキリスト者や地域の人々の考え方を反映していない、と考えています。
中東におけるキリスト教の未来そのものを案じ、自らが率先して使徒的役割を果たしていこうと奮闘しているのです。
平和な日本であろうと混迷の最中の中東であろうと、わたしたちの願いはひとつです。
キリスト者として、星座や輝く星のようにキリストの光を分かち合う存在として。
キリストを知るよう人々を導く、輝かしいあかしとなるよう。
今年も、それぞれの召命を真摯に見つめて生きましょう。
応えていく信仰
受難の主日からのこの聖なる一週間、どのような祈りの日々にするか決意したところです。
枝の主日には、一昨年までは聖堂の前に信徒が大勢集まり、共に聖書を朗読し、枝を掲げて祝福を受けて行進して入場していました。
今年は静かに、前もって祝福していただいていた枝をいただきました。
女性の会、ヨゼフ会の皆さんがこうして毎年準備をされているのをご存知でしたか?
木から枝を落として一本ずつ洗い、トゲを落とします。
拭きあげてから皆さんが持ちやすいサイズにし、持ち手の部分の葉を落とします。
茶色に変色している葉先は一枚ずつハサミでカット。
こうして手間暇かけて準備され、枝の主日の朝には当然のように聖堂入り口に置いてあるのです。
持ち帰った枝は、来年の灰の水曜日前まで大切になさってください。
第一朗読のイザヤ書はわたしが好きな箇所でした。
4つある「僕の歌」のうち、3つ目の「主に応える僕」です。
主なる神は、教えを受ける者の舌をわたしに与えてくださった。
疲れた者を言葉によって支えることを知るために。
主は朝ごとに呼び覚まし、
わたしの耳を呼び覚まし、
教えを受ける者のように聞くようにしてくださった。
主なる神は、わたしの耳を開いてくださった。
わたしは逆らわず、背を向けて退くことはなかった。
(イザヤ50・4〜5)
主に応える生き方ができているか。
よく自問自答します。
楽しみを求めることに執着していたり、金銭欲に囚われてしまったり、わたしたちは弱い存在です。
そのような迷いから目覚めることを表現した詩があります。
わたしは眠り夢見る、
生きることがよろこびだったらと。
わたしは目覚め気づく、
生きることは義務だと。
わたしは働くーーーすると、ごらん、
義務はよろこびだった。
これは、1931年のノーベル賞を受賞したインドの哲学者であり詩人でもある、タゴールの詩です。
生きるということはある意味で義務である、とタゴールは言います。
生きることこそが、たった一つの重大な責務である、と。
よろこびは、得ようとして努めることはできない、
よろこびは、自ずと湧いてくるもの。
しあわせは目標ではなく、目標であってはならない、
しあわせは義務を果たした結果に過ぎないのだ。
厳しいような、難しいような価値観だと最初は思いましたが、この詩を繰り返し噛み締めているうちにスーッと「そうかもしれないな」と考えるようになりました。
朝ごとに耳を澄まして神様からの呼びかけに応える生き方は、わたしの理想とする義務のかたちです。
この聖週間の間、誰のためになんのために祈るのか、神様からのメッセージがわたしの内面に降りてきた受難の主日のミサでした。
こういう瞬間は本当に嬉しいよろこびです。
日曜学校の子どもたちの十字架の道行の様子です。
枝の主日2019
4/14は枝の主日でした。
久留米教会でも枝を用意し、教会の外で祈りが捧げられました。
ジュゼッペ神父様の隣のイケメンさんは、4月から久留米教会に着任された古市匡史神学生です!
イエス様のエルサレム入城を記念して、毎年ご復活の1週間前の主日に行われるのが、この枝を使ったごミサです。
エルサレム入場はイエス様が決定的な受難の道に入ったことを意味し、
この時からイエス様の歩みは一直線に十字架に向かいます。
この日は、エルサレム入城にはじまるイエス様のご受難が、復活の栄光に至る道であることを思い起こす日です。
聖書も受難の箇所が読まれることから、枝の主日は「受難の主日」とも言われます。
そして、この日からカトリックの典礼で最も大切な聖週間が始まるのです。
「お前は同じ刑罰を受けていながら、まだ神を畏れないのか。
われわれは、自分のやったことの報いを受けているのだからあたりまえだが、この方は何も悪いことはなさっていない。」
そして言った、「イエスよ、あなたがみ国に入られるとき、わたしを思い出してください。」
すると、イエスは仰せになった。
「あなたによく言っておく。今日、あなたはわたしとともに楽園にいる」。
ルカによる福音書23・40〜43
この、罪人の回心についてはルカだけが伝えています。
ごミサでは宮﨑神父様からこの箇所についてのお話がありました。
カリタスジャパンの四旬節のカレンダー、皆様もご家庭に持ち帰られましたか?
その中のパパ様からのメッセージの一部です。
「祈り」は、偶像崇拝や自力で何でもできるという考えを捨てるために、
また、自分には主と主のいつくしみが必要であることを宣言するためにささげます。
「施し」は、未来は自分たちのものではないにもかかわらず、
その未来を手に入れられると錯覚し、
自分自身のためにすべてを蓄えて生きようという愚かな考えを捨てるために行います。
とてもスッキリと心に響きました。
「祈り」は、惰性的になると「お願い」になりがちなのではないでしょうか。
「施し」は、自己満足になると「上から」になる危険をはらんでいます。
この箇所を読んで、今までの自分の祈りの仕方や施しについて回心する必要があるな、と感じました。
人のために祈ること
誰かのために働くこと
相手のために、というよりも、
その行い自体が自分にお恵みとして帰ってくると思うのです。
「施し」は、自分の時間を割くことも含んでいると考えています。
自分の時間を誰かのために惜しみなく使う。
聖週間の始まりとともに、すべての人のためにご自分を捧げられたイエス様に習い、
自分を人のために捧げることについて、自問を続けたいと思います。
死者の月に想う。
3日の秋晴れの美しい空の下、盛大に行われた神学院祭については、また次回!
今月は、死者の月です。
「死について黙想し、周囲の亡くなられた方が永遠の命に招かれるように祈ることは、
私たちがよりよく生きることに繋がります。」
宮﨑神父様がミサでおっしゃった言葉です。
今日のミサで撮影した写真。
朝日の偶然による光の屈折が美しく、聖霊が、天と教会のなかのわたしたちを結んでいるような気がしました。
こちらは、ボリビアの死者の日の様子。
ボリビアでは死者の日から数日、お仕事はお休みだそうです。
「みなさん、お墓参りに行ったり、もし今年亡くなった方が家族にいたら、その方が好きだったものを準備して、お祈りに来て下さる方々とそれらを分かち合う日となっています。
わたしも、知り合いの家にお祈りに行き、パンとワインをいただいてきました。」
ボリビアのAkikoさんより。
日本のお盆のような感じですね。
午後3時から、久留米教会の全ての死者の追悼のためのごミサが捧げられました。
聖アウグスティヌスは、母モニカが亡くなったとき、悲しみにくれていました。
「私は終日、心の奥底においては、重いかなしみに沈んでいました。
そして、精神をかきみだされ、このかなしみをいやしたまえと、あなたにむかってなしうるかぎり乞いもとめましたが、あなたはその願いを聞きとどけてくださらなかった。」
告白 第9巻 第13章
紛らわすため、入浴したり眠ってみたり、いろいろ試してみます。
そして、アンブロシウスの”夕の讃美歌”を想い出し、敬虔な母の想い出にひたるのです。
かみよ、すべてのつくりぬし
あまつそらを しろしめす
ひるは あかるきひかりもて
よるは めぐみのねむりもて
よそおいたまえば もろびとは
ゆるみしからだ よこたえて
あすのちからを やしなえり
つかれしこころ かろやかに
なやみはとけて あともなし
わたしも、母が亡くなったとき、神様にながいあいだ問い続けました。
なぜ、こんなに早く母を召されたのですか?と。
簡単には哀しみは癒えませんでした。
神様からお返事が聞こえたような気がしたのは 随分時間が経ってからでしたが、いまでも鮮明に覚えています。
「亡くなった人のことを祈るより、
残った家族や友人のために祈るのです。
亡くなった人は神様の元へ行ったのだから、
何も心配することはありませんよ。」
と神父様から言われ、とても心が軽くなりました。
死者の月に、周囲で大切な方が神様の元へ召された全ての方のために祈りましょう。
日本カトリック平和旬間と子どもたち
平和を守るために、願望としてだけでなく行動することを勧めるため、もっとも身近で忘れることのできない、広島や長崎の事実を思い起こすのに適した8月6日から15日までの10日間は「日本カトリック平和旬間」と定められています。
日本カトリック平和旬間とは?
https://www.cbcj.catholic.jp/faq/heiwajunkan/
久留米教会では、ミサの聖体拝領の時、子どもたちが聖歌を歌ってくれます。
子どものための聖歌集もあり、子どもたちは、歌い終わってからご聖体をいただきます。
平和を子どもたちに残したい、そう強く思います。
平和旬間の期間に久留米教会では、広島の原爆で被爆し、12歳で亡くなった佐々木禎子さんにちなんで、千羽鶴を折ることにしました。
佐々木禎子さんについて
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0107/exh01071.html
女性の会が折り紙を準備します。
みなさん、心を込めて祈りを込めて、千羽鶴に平和を託しましょう。
枝の主日
3 月20 日、いよいよ聖週間です。鶯の鳴く春の澄み渡った青空のもと、聖堂前に集まった信徒は、棕櫚の葉を手に取って主のエルサレム入城を記念しました。また、この日の3時半からは英語のミサが行われ、聖堂一杯のフィリピンの方々も、手に手をとって、平和の王をお迎えしました。