カテゴリ:御ミサ
沈黙のうちに
2024年10月の祈りの意向は、「使命を担い合う」ために。
教皇様は次のようにおっしゃっています。
わたしたちキリスト者は皆、教会の使命に責任を負っています。
すべての司祭が、すべての人がです。
信徒たち、洗礼を受けた人たちは、教会の中に、自分の家にいます。
そして、その家の世話をしなくてはなりません。
それはわたしたち司祭や修道者にとっても同じです。
一人ひとりが自分に得意なことをとおして貢献するのです。
わたしたちは教会の使命における共同責任者です。
わたしたちは教会の交わりの中で、参加し、生きています。
主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」。
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。
人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。
(創世記2・18、21~22)
この箇所は、女性は男性の一部から造られたものであり、男性より劣っている、などという意味ではありません。
教皇様のお考えでは、こうです。
最初のアダムを深い眠りに落とされた後に、神が彼の脇腹からエバを引き出したように、十字架上での死の眠りに落ちた新しいアダムの脇腹からは、新しいエバである教会が生まれたのです。
(使徒的書簡「わたしはせつに願っていた」14)
わたしたちキリスト者は、いつも、旧約に書かれていることがどのようにイエス様によって成就されたのか、という並行的な読み方で聖書を理解する必要があります。
必要がある、というより、その方が何倍も、聖書を身近で面白いものに感じられるはずです。
新しいエバである教会の一員として、冒頭の10月の祈りの意向のように、教会に集うわたしたち皆が、その使命における共同責任者であることに誇りと喜びを感じることができますように。
教皇様の使徒的書簡「わたしはせつに願っていた」は、70ページほどの薄い本ですが、毎週ミサに集うわたしたちが理解しておくべき教えがぎっしりつまっています。
イエスは言われた。
「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた」。
(ルカ22・15)
過越の食事であるミサ、その『祭儀の美』としての典礼について、教皇様の教えが述べられています。
その中でわたしが特にご紹介したいと感じたのが、ミサにおける「沈黙」の重要性についてです。
洗礼を受けた時、代母であるシスターから「ミサ中に何度か『祈りましょう』という場面があるから、その時は目を閉じて頭を少し下げて、静かに祈るのよ」と教わりました。
ミサのなかでの所作については、以前このページに書いたことがありますが、わたしはミサの中で特に大切にしているのが、この『祈りましょう』の時間です。
会衆全体に属する儀式行為の中で、沈黙は絶対的な重要性をもっています。
感謝の祭儀全体は、それに先立つ沈黙と、展開する儀式のあらゆる瞬間を特徴づける沈黙に浸されているのです。
回心の祈りの中に、「祈りましょう」という招きの後に、ことばの典礼の中に、奉献文の中に、そして聖体拝領の後に、沈黙が存在しています。
典礼的な沈黙とは、祭儀の行為全体にいのちを吹き込む聖霊の現存と働きのシンボル(象徴)なのです。
だからこそ典礼的な沈黙は、聖霊の多面的な働きを表現する力を持っているのです。
沈黙はみことばを聞く心構えを呼び覚まし、祈りを目覚めさせます。
そして、沈黙はわたしたちを、キリストの御からだと御血への礼拝へと向かわせます。
これらすべての理由から、わたしたちは細心の注意を払って沈黙と言うシンボリック(象徴的)な動作をするように呼ばれているのです。
沈黙を通して、聖霊はわたしたちを磨き、形づくります。
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ミサのなかでの沈黙は、ある意味で「間(ま)」とも言えるかもしれません。
展開する儀式、シンボリックな所作、みことばの連続の中に織り込まれた「間」。
聖霊の働きを、わたしたち一人ひとりが体感するための「間」。
形式的に祭儀を進めない(受けない)ように、ミサの先唱をする際にわたしが特に気を付けているのも、「間」です。
ひとつひとつの典礼が進むたびに、わたしなりにごく小さな時間を置くようにしています。
久留米教会では、ミサの5分前までロザリオの祈りを行います。
そして、ミサまでの5分間、それぞれが静かに沈黙し、祈っています。
ミサが終わると、(すぐに立ち上がって帰る方もいますが)ほんの少しの時間だけ、皆がまた座り、沈黙の時間を持ちます。
沈黙にはじまり、祭儀中に訪れる沈黙を守り、沈黙のうちに終える。
次のミサで、これまでよりもう少しだけ、この沈黙を意識してみませんか?
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上智福岡高校の生徒たちが、夏休みに行ったカンボジアでの研修の報告をしにきてくれました。
毎年実施されている研修だそうで、多数の応募者の中から選抜された12名が参加したとのことでした。
久留米教会から派遣されている中島 愛さんとの交流もあったようで、貴重な体験をした高校生たちの生き生きとしたレポートに、多くの質問が投げかけられました。
人生
2024年の全国の100歳以上の高齢者は、2023年から3000人近く増えて9万5000人あまりで、女性が8万3958人(全体の88%)、男性が1万1161人との統計が発表されました。
1924年(大正13年)は、シャネルがリップスティックを初めて発表した年であり、日本初の大規模多目的野球場である甲子園球場が竣工し、越路吹雪・淡島千景・竹下登・相田みつを・力道山などが誕生した年でもあります。
1924年生まれの山頭原太郎神父様は、9/20に100歳を迎えられました。
まだまだお元気で、相変わらずお茶目で、みんなの人気者です。
以前は時々久留米教会のごミサに来てくださっていましたし、現在は久留米の施設にいらっしゃるということもあり、久留米教会で100歳記念ミサを開催しました。
アベイヤ司教様、森山司教様を始め、神父様方が各所からお越しになり、盛大なお祝いのミサとなりました。
山頭神父様がお説教で、色々なお話をしてくださいました。
365日前の、まさに今日、救急車で病院に運ばれました。
悪魔にやられた、と思うほどの痛みに苦しみました。
そのちょうど1年後に、司教様から「ミサで説教をしなさい」と言われてこの場にいます。
神様がこうして、また司祭としての道に帰してくださいました。
今、聖母の家という施設で、なんでもやってもらえて何不自由ない生活をしているのに、やはり寂しいです。
ステーキもトロも、何にもいらない。
ただ、どこかの教会で信者と過ごして、ミサを捧げたい。
それだけが望みです。
カトリック教会は今、衰え始めているのかもしれませんが、イエズス様は全く衰えていません。
司教や司祭だけではなく、あなたたち一人ひとりにイエズス様が力を与えてくださっていることを忘れないでください。
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人生100年時代、と言われて久しいかと思いますが、自分がまだ折り返したばかりなのかと思うと、、、、(;'∀')
人の生とは、語り尽くすことのできない、100人100様の生き様です。
お前は白髪の人の前で起立し、老人を敬い、お前の神を畏れなければならない。
(レビ記19・32)
白髪は栄光の冠。
それは正義の歩みによって得られる。
(箴言16・31)
ヤコブの家よ、わたしに聞け、イスラエルの家のすべての残りの者よ、母の胎にいた時からわたしに担われてきた者たち、腹にいた時からわたしに背負われてきた者たちよ。
お前が老いるまで、わたしはその者である。
白髪になるまで、わたしは担う。
わたしは造り、わたしは背負う。
わたしは担い、わたしは救う。
(イザヤ46・3〜4)
このイザヤの言葉は、こうして書いていて、涙が出そうになります。
あと残りの人生がどのくらい与えられるか、見当もつきませんが、背負って救って頂かなければ。
山頭神父様の人生は、県内各地から集まってくださった、この参列者の溢れんばかりの愛が物語っています。
わたしが今すべきこと
お盆休みの間、皆さんも、ご家族が帰省されていたり、ご家族の元を訪ねて遠出されたりと、それぞれの過ごし方をされていたことでしょう。
お盆、というのは仏教に起源がある風習なのかもしれませんが、日本の夏の習慣として定着しています。
改めて家族のことを深く想う、日本の美しい季節です。
わたしも、横浜に住む甥を預かって、美味しいものを食べに行き、宿題を見てあげたりお買い物をしたり、と、楽しい時間を過ごすことができました。
子よ、すべての行いに注意し、すべての振る舞いに節度を守りなさい。
お前自身が嫌うことを他人にしてはならない。
(トビト4・14)
信仰を持たない家族に、自分の生き方を示して理解してもらうのは、そう難しいことではないと思っています。
わたしは、妹と、亡くなった母が信仰を持っていますが、姪・甥は洗礼を受けていません。
だからこそ、機会あるごとに、「人からしてほしいと思うことを、人にもしなさいね」と伝えるようにしています。
小さな頃から、機会があればごミサに連れて行き、一緒に祈って一緒に歌って、そうやって大きくなった姪と甥です。
カトリックの教義や信仰の意味については、おそらく全く理解していないでしょうが、わたしは彼らとミサの時間を共にすることが大切な喜びです。
聖母の被昇天の祝日のごミサに、甥を連れて行きました。
ジュゼッペ神父様のお説教は、今のわたしの心境を表してくださったような、とても大切な教えでした。
マリア様の被昇天については、聖書には全く書かれていません。
1950年に、教皇様が正式にカトリックの信仰として確立されました。
このことは、マリア様がわたしたちの父である神のお母様であることを、改めて「信じるべきこと」として宣言されたと理解するべきことです。
わたしたち信者は、胎内の子が喜んで踊ったように、いつも喜んでいなければなりません。
そして、周りの人も喜ばせなさい。
あなたが出会う人々に、あなたがもらっているお恵みを与えなさい。
そうすれば、イエス様があなたを通してあなたにも周囲の人にも、喜びを与えてくださいます。
わかりやすい、とても心に響くお話でした。
中2の少年にこのお話が響いたとは思いませんが、わたしが受けているお恵みを彼にもお裾分けしていることを、いつか気付いてくれたら、と思っています。
いつもこのことを基本として、わたしが家族の中ですべきことはなにか、を考えています。
こうして、聖書を開きながら書いている横で、甥はイヤイヤながら夏休みの宿題をしています。
この瞬間も、わたしにとっての思い出深いお恵みのひとときです。
すべての思慮深い人から助言を求めなさい。
そして、有益な助言を軽んじてはならない
いかなる時にも主である神をたたえ、お前の道をまっすぐにし、お前の歩みと計画とが栄えるように神に祈りなさい。
ただ主だけが、ご自分の欲する人にすべての善いものを与えてくださるからである。
(トビト4・18〜19)
受けているお恵みを家族にもお裾分けし、わたしの歩み(生き方)と計画(家族の幸せ)を神様が力強く導いてくださるように、と毎日毎日お祈りしています。
神様が、今もいつも、わたしたちの祈りを聞き入れ、導いてくださいますように。
傍島神父様による初ミサ
23日は、神言会の傍島神父様による初ミサでした。
宮﨑神父様が東京の吉祥寺教会に赴任されていた時に、「司祭になりたい」と相談を受け神言会を紹介したという経緯があり、今回の初ミサのお申し出となったそうです。
小神学校に行かれていたのですが、そこが閉鎖されることになり、そのまま一度神学校をお辞めになったそうです。
美大を卒業後、美術教師として働いておられましたが、やはり「司祭になりたい」との思いから、再度挑戦されたのだそうです。
「一度挫折したわたしのことを、神様は諦めてなかったんだと思います。」
少しはにかんだような笑顔で、そうおっしゃっていました。
全免償が与えられるとされている、新司祭の初ミサでの赦しをいただくことができました。
「ミサ後に、個別に免償を授けますので、ご希望の方はどうぞ」
そうおっしゃってくださり、ほぼ全員が並びました。(笑)
9月から、ザンビアに赴任されます。
日本ではなく外国を最初の赴任地に選ばれたのはなぜ?と質問しましたら、「日本での宣教はいつかできるでしょう。だから、最初から選択肢にはありませんでした。」とのお答え。
傍島神父様の実り豊かな宣教を、ご縁をいただいたわたしたちは心から祈りたいと思います。
美大ご出身の神父様の作品を、カードにされました。
初聖体の喜び
世界各地の教会でも、この日曜日は初聖体の子どもたちを祝福するミサが行われたことでしょう。
久留米教会でも、3人の子どもたちの記念すべき日をお祝いしました。
彼女たちの晴れやかな顔を見て、喜びに溢れた幸せな日曜日となりました。
初めて聖体拝領した日のこと、覚えていらっしゃいますか?
わたしは、うっすらとした記憶ですが、「嬉しい!」と感じた気持ちを思い出しました。
生きておられる父が、
わたしをお遣わしになって、
わたしが父によって生きているように、
わたしを食べる人もわたしによって生きる。
これは天から降ってきたパンである。
先祖は食べたが、
それでも死んでしまったようなものではない。
このパンを食べる者は、永遠に生きる。
(ヨハネ6・57〜58)
コロナ禍は、ご聖体をいただくことが出来なかった日々がありました。
そして今、以前の教会の姿に戻りつつあります。
間違いなく、以前いただいていたご聖体と、今日いただいたご聖体は、違った意味合いを持っているような気がしています。
習慣的に口にしていたご聖体が、今はまるで、話しかけてくるような存在になったのです。
「いただいているお恵みに感謝します。
いただいている役割に感謝します。
お導きくださっていることに感謝します。」
そう心の中で唱えながらご聖体を味わうことが、一週間の始まりの記念として、ようやくわたしの中で定着してきました。
当たり前のことだ、と思われるかもしれませんが、今日の子どもたちの様子を見ていて改めてそう感じています。
今日からの一週間も、神様のお導きを信じて、穏やかに、優しい気持ちで過ごしたいと思います。