初聖体の喜び

世界各地の教会でも、この日曜日は初聖体の子どもたちを祝福するミサが行われたことでしょう。

久留米教会でも、3人の子どもたちの記念すべき日をお祝いしました。

彼女たちの晴れやかな顔を見て、喜びに溢れた幸せな日曜日となりました。

 

初めて聖体拝領した日のこと、覚えていらっしゃいますか? 

わたしは、うっすらとした記憶ですが、「嬉しい!」と感じた気持ちを思い出しました。

生きておられる父が、
わたしをお遣わしになって、
わたしが父によって生きているように、
わたしを食べる人もわたしによって生きる。
これは天から降ってきたパンである。
先祖は食べたが、
それでも死んでしまったようなものではない。
このパンを食べる者は、永遠に生きる。
(ヨハネ6・57〜58)

コロナ禍は、ご聖体をいただくことが出来なかった日々がありました。
そして今、以前の教会の姿に戻りつつあります。

間違いなく、以前いただいていたご聖体と、今日いただいたご聖体は、違った意味合いを持っているような気がしています。

習慣的に口にしていたご聖体が、今はまるで、話しかけてくるような存在になったのです。

「いただいているお恵みに感謝します。
いただいている役割に感謝します。
お導きくださっていることに感謝します。」

そう心の中で唱えながらご聖体を味わうことが、一週間の始まりの記念として、ようやくわたしの中で定着してきました。

当たり前のことだ、と思われるかもしれませんが、今日の子どもたちの様子を見ていて改めてそう感じています。

今日からの一週間も、神様のお導きを信じて、穏やかに、優しい気持ちで過ごしたいと思います。