行事風景
神の母マリア 成人のお祝い
6名の新成人が祝福された。新成人の中には学生として勉強している方や、社会人として働いている方がおられた。主任司祭から「現在興味のあることは何か」と質問されると、それぞれに大学で勉強していることや、将来のことについて語られていた。看護師など医療系の職を選んでいる方が数人おられ、それぞれに自分の道を堅実に歩んでおられる印象を受け、たのもしく心強い思いがした。ミサの中で新成人のこれからの歩みに神様の豊かな祝福があることをお祈りした。
ミサ後は信徒会館で茶話会を開き、おのおの懐かしい面々と顔を合わせ、昔の教会学校のときの思い出話や、近況などについて会話がはずみ、皆で新成人との交わりのひと時を楽しんだ。
夜半のミサ
クリスマスの夜半ミサが12 月24 日19 時より行われた。聖母幼稚園の園児達は聖歌を大きな声で歌い、教会学校の聖歌隊も幼子イエス像の前でお祝いの聖歌を捧げるなど、子ども達とともに主の降誕をお祝いする御ミサとなった。祭壇前に置かれた飼い葉桶のなかに、すやすやと眠るその幼子は、私たち一人ひとりに「幼子のようになる」ことがどんなことかを今一度思い起こさせるようであった。クリスマス以降も降誕節中は御子像が祭壇前に置かれており、御子様に向かって静かに黙想のひと時を過ごす信徒の姿もたびたび見られた。
タグレ枢機卿をお迎えして
11 月30 日、国際カリタス会長並びにマニラ大司教のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿が、久留米教会英語ミサ参加者の聖書分かち合いグループ(KPEMP-BSG)の創立15 周年をお祝いするため久留米教会を訪問された。12 時半頃に久留米教会に到着され、まるでスターの到着のような熱狂的な歓迎を受け、祭壇の前に跪いて会衆と一緒に祈られる姿は印象的だった。そして、13 時から講演会が始まって、その後英語で10 名ほどの司祭とともに主日ミサを司式された。
タグレ枢機卿の講演会は2 つの大きな部分に分けられている。第一部は、「あらゆる場でキリストの福音を告げ知らせる」というわたしたちの共通の使命で、第二部は、「神のいつくしみの良い知らせ(福音)をもたらす」ことであった。
第一部では、枢機卿は「洗礼を受けたすべてのキリスト者はみんな宣教師だ」と語り、イタリアで働くフィリピン人の出稼ぎ労働者たちのお話をされた。海外で働くフィリピン人たちにとって、家族のために働くことはもちろんのことだが、実はもう一つの使命が一人ひとりに与えられている。その使命は「自分の信仰を周りの人(特に現地の人々)に伝える」ことである。信仰を伝えるために絶対不可欠なこと、それはキリストを知り、キリストに出会い、キリストを体験していなければならない。福音では、イエスとサマリアの女の出会いがそのモデルとなっている。イエスと出会った後、イエスとのかかわりを深めるために、祈りの生活を育む必要がある。
また、キリスト者であることをキリストをまだ知らない人々に伝える必要がある。しかし、キリスト者って何?病院で働くある韓国人の女性が、いつも明るく、あふれる笑顔で昼食をとるフィリピン人の医師と看護師たちの姿を見て、興味を持った。彼らがキリスト者だと分かって、韓国人の女性は「キリスト者であることがこんなに幸せなら、わたしも信者になりたい」と言い、勉強をして、洗礼を受けた。現在、この女性は自分の所属教区の神学的相談役(lay theological consultant)として活躍している。
タグレ枢機卿はネーパル地震の後、国際カリタスの会長として、現地に赴き救急活動に参加された。食べ物がないかと待っていたとき、現地のネーパル人たちは自分で作曲した歌を歌っていた。「地震が起きたばかりで、食料が全くなくて、キリスト者の皆さんに歌しかあげられない」と現地の人々は言った。キリスト者が一人もいない現地の人たちにとって、キリスト者とは、「他人を愛してくれる人で、たとえ、キリスト者でない人も愛してくれる人」だと認識されていると、枢機卿は涙を流しながら、皆に分かち合ってくださった。
第二部では、神のいつくしみについてお話をなさった。「優しさがなければ、人間は人間らしさを失ってしまう」と述べ、国際カリタスで扱った人身売買の事例の一つについて語られた。「お金のために、他人を商品のように売ることができる人たちは、もはや人間ではない」と、厳しく指摘された。
家庭でも、夫婦間あるいは、親と子どもたちの間で、優しさが欠けていないかどうか、確かめる必要がある。家族の一人ひとりを課題として見るより、みんなが賜物だと認識すれば、家庭に優しさ、いつくしみなどを取り戻すことができる。
「他人に責められないために、人間は自分の強さを見せる」という考え方が多くの人々に普通だと思われるが、これは神の道ではない。実は、神のやさしさは十字架にある。旧約聖書では、神のいつくしみは「はらわたがちぎれるほど」の思いを表す言葉であり(MV 6)、子どもに対する母の本能的な愛情に例えられる。例えば、海外でベビーシッターの仕事をしているフィリピン人の母は、雇い主の子どもたちのお弁当を作りながら、フィリピンにいる自分の子どもたちのお弁当を誰が作っているだろうと考えている。だから、自分の子どもに対する愛をもって、雇い主の子どものお弁当を一所懸命このお母さんは作るだろう。彼女が自分の子どものことを忘れたとしても、神様はわたしたちのことを決して忘れることはない。神様のやさしさは、わたしたちの頑な心を和らげることができるでしょう。
最後に、「どうやって人のために宣教師になるだろう?」と枢機卿は問いかけた。同情だけでは十分ではない。「わたしは助けている貧しい人々の一人ひとりに、イエスの顔が見える」と言うマザー・テレサのように、全世界に特に、病気をしている、あるいはけがをしている人たちに、行いを通して、イエスの優しさといつくしみを示す必要がある。
(エリック神学生翻訳)
七五三おめでとう
11 月13 日、七五三のお祝いがありました。7 歳以下の子どもたちが招待され、30 人ほどが両親に連れられて、ミサに与りました。和服姿の子どももいて、お祝いに花を添えました。司祭は説教の中で、両親を大切にすること、毎日の祈りを欠かさないことなどをユーモアを交えて話しました。共同司式した山頭神父様とジョゼッペ神父様からメダイをかけられ、飴を頂いた子どもたちの顔は天使のように見えました。
受堅おめでとう!
10 月23 日、小雨模様の日となりましたが、宮原司教様をお迎えして、堅信式及び公式訪問がありました。小雨の中、信徒一同、マリア様の前で、ロザリオを唱えながら、司教様をお迎えしました。13 名の中学生及び3 名の大人の方も一緒に受堅しました。聖霊の恵みを豊かに受けて、キリストの証人として福音を伝える者となるように、信徒一同祈りを捧げました。
以下は受堅者たちの声です。
中学生になって堅信式の準備をエリック神学生に手伝っていただきながら、ほかの中学生といっしょに主日のミサ後、2 時間ほどいたしました。はじめはめんどうくさくてあまり行きたくなかったです。しかし、「堅信を受けると7 つの賜物を得ることが出来る」と聞いてその中の「知識」というものは、今も将来も大切なものなので、出来るだけ一生懸命準備して堅信式に臨もうと思いました。いざ、堅信式となると意外とやることが少なく、簡単だなと思いました。それから結構時間が経ったのにまだ実感が湧いてきていません。今回の経験を生かして、自分の将来に役立てればいいなと思いました。(パウロ青木)
私は堅信を受けて、あんまり何も変わっていないと思います。でも堅信を受ける前に神様について勉強して、もっと教会に行こうと思いました。毎週は行けないけれども、家でお祈りすることはできるので、毎日しています。しかし、神父様はもっとお祈りをしろと言いそうなので、言われる前にしようと思います。勉強した中で一番心に残ったのは、「シンプルに生きましょう。人生はいつもシンプルなのです」というマザー・テレサの言葉をこころにシンプルに生きようと思います。(マリア中島 )
堅信を受けましたが、正直実感はありません。しかし、堅信という大きな秘跡受けたことはとても誇らしく、嬉しく思います。私の目の前は、高校受験という大きな壁がありましたが、受験勉強も、教会に行くことも大事にしていきたいです。これからもイエス様とともに同じ道を歩めるように頑張ります。(マリア・テレジア古賀)