みこころレター

カトリック久留米教会誌 第9号

言葉遣いを大切に主任司祭

ペトロ 宮﨑 保司

 だいぶん前の話になるが、先般、亡くなった落語家の桂歌丸さんが次のようなことを言っていた。寄席に来てくださるお客さんが噺の内容を良く理解し、楽しんでくれるように、本筋に入る前に、小話や洒落を言って反応を見るのだと。
 専門用語で『枕・マクラ』というそうだが、実は、古典落語ではこのマクラが重要な意味を持っていると強調されていた。マクラによって本編に登場する人物や時代背景がそれとなく説明され、洒落が入るので、お客さんから返ってくる笑いの反応によって噺についての知識度が分かる。場合によっては、臨機応変に表現や言葉遣いなどを変えるときもあると言っていた。それが寄席に来てくれるお客さんに対しての礼儀であり、噺の醍醐味を深く味わってもらうためのサービスであると。さすがに、客の心を熟知し、配慮を怠らない名人(真打ち)だと私は感心した。
 さて、話は変わるが、昔から日本では言霊(ことだま)といって「ことば」には不思議な霊力が宿っていると信じられている。それ故に、話し手はことば遣いに特別の注意を払うことが要求される。話す相手によっては、謙譲語、敬語、丁寧語…など、ことばを遣い分けて話さなければ、社会生活のうえで失敗することにもなる。
 例えば、会社などで上司に対して間違った言葉遣いをすれば、それによってその人の常識が疑われ地位にも影響することになる。
 イエス様も、「口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚す」と、言葉によって人を傷つけることのないように諭されている。
 いつも、同じ目線に立って、話し聴くことを心掛けている人は、ことばのキャッチボールが上手な人だと思う。
 教会活動のなかで大事なことは、批判や陰口を言わない、ことばのキャッチボールが上手で、慎み深い信者になるように努めることだと思う。


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