2022年5月の記事一覧

自分の主張

先週から、宮﨑神父様が新しいミサ式次第の解説と練習をしてくださっています。

まだ全てを理解したわけではありませんが、とても心を動かされた変更箇所があります。

主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、
あなたをおいて、だれのところに行きましょう。

これが、↓

主よ、わたしはあなたをお迎えするのにふさわしい者ではありません。
おことばをいただくだけで救われます。

これは、マタイ8章の百人隊長のことばに基づいた文で、規範版ではこちらの式文が用いられてきたようです。

すると、百人隊長は答えた。
主よ、私はあなたをわが家にお迎えできるような者ではありません。
ただ、お言葉をください。そうすれば、私の子は癒やされます。
(マタイ8・8)

ただし、これまでのとおりに唱えてもよい、となっています。

控えめな態度、言葉が美しい箇所です。

・・・・・・・・・・・・・・・

安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。
そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。
ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。
そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。
(使徒言行録16・11~15)

この積極的な態度、面白いですね。
旧約、新約、どちらの聖書も、自分の主張をハッキリとさせるタイプの女性が多く登場します。

21世紀の現代とは違い、女性の社会的地位はとても低かったはずです。
自分の意見や意志をしっかりと持っていた女性が多くいたことよりも、そうした彼女たちの様子が聖書にイキイキと物語られていることに関心があります。

 

マルタとマリア姉妹のエピソードがあります。

イエス様が弟子たちとともに姉妹の家を訪問した際、食事を用意して給仕してせわしなく立ち働くマルタと、弟子たちに交じってイエス様の教えに耳を傾けるマリア。
そのことをイエス様に率直な言い方で「手伝うように、妹になんとか言ってください!」と迫るマルタ。
(ルカ10・39~42)

『マルタとマリアの家のキリスト』フェルメール作

『マルタとマリアの家のキリスト』ベラスケス作

 

兄のラザロが病気になったとき、人を遣わしてイエス様を呼びます。
イエス様が来られた時、マルタは迎えに行きますが、マリアは家の中に座っています。
二人とも、同じ気持ちだったのでしょう。
「ここにいてくれたら、もっと早く来てくれたら、兄は死なずに済んだのに、、、」
マルタはそれを直接ことばにして伝えますが、マリアは沈黙のうちに抗議したのかもしれません。

 

有名な絵画にも、意図的に「口うるさい姉」と「観想的な妹」として表現されているとおり(ベラスケスの絵は明らかにふてくされた顔の姉)、古代から西洋世界ではマリアの方が優れた人間性の持ち主だという解釈がなされていたようです。

じつはわたしも、「長女は家のために働いて、だいたい口うるさいものよ。わたしみたいに、、、。妹は気楽でいいよね~。」と思っていました。

 

福音宣教6月号の本多峰子さんの連載に、こう書いてあります。

「マルタはイエスを敬愛し、イエスを精いっぱいもてなそうとしていますが、同時にイエスには、全く隔てのない近さで接しています。
これはマルタが、すべての思いを包み隠さず、イエスに完全に心を開いていることの表れです。」

「ほとんどイエスをとがめるような言い方をしています。
でも同時に、イエスに行動を求め、ラザロの救いをあきらめようとはしません。

これは、マルタの信仰の強さです。
マルタはとことんイエスに食い下がります。
イエスが神に願うことは何でもかなえられると信じるマルタは、同時に、自分が心からイエスに願うことをイエスはかなえてくれると信じているのです。」

気が強く、男性にも負けずに食い下がる女性。
昔も今も、こういう女性はめんどくさいと思われるかもしれません。

 

「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」二人は言った。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。
まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。
この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。

(使徒言行録16・22~34)

真夜中なのに、洗礼を授けてもらい、家に連れて帰って食事まで。
やや強引とも思える行動です。

信仰を持つ、ということは、ときには「強引に」自分を主張してもよいのだ、とも思えます。
めんどくさいくらいに自分の主張を神様にぶつけることも、時には必要でしょう。

リディアのように積極的で、マルタのように意志が強く、妹のマリアのように秘めた強さを持ち、

「はいはい、わかりました」

そう神様に言われるくらいまで、強い信仰を貫いて生きて行ってもいいのです。 

 

 

神様に留まる

お薦めの海外ドラマがあります。

医療もののアメリカの作品で、毎回、様々な病気(それもかなり難病)の患者が、研修外科医とそのチームによって治療を受け完治したり時には亡くなったり、という内容です。
主人公は「チャーリーとチョコレート工場」のチャーリー君。(もう30歳!)
自閉症でサヴァン症候群(アスペルガーのなかでも特に、ある分野の能力だけが際立っている症状)という設定です。

主人公が自閉症であることを受け入れながら人間的に成長していく様子、周囲の人々があるがままの彼を受け入れていく様子が感動的なドラマです。

 

わたしはあなたがたを友と呼ぶ。
(ヨハネ15・15) 

ドラマの中で度々出てくるキーワードが、「友だち」です。

自閉症のため、人の気持ちを慮ることが難しい主人公は、友だちをなかなか作ることができません。
ですが、周囲は彼を友だちとして受け入れていくのです。

たとえ自分が孤独だと感じても、イエス様は「友」としてわたしたちのことを受け入れてくださっている。

ヨハネの福音書には、「わたしを受け入れなさい」というイエス様のことばがたびたび出てきます。 

よくよくあなた方に言っておく。
わたしが遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れるのであり、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。
(ヨハネ13・20)

わたしを見た者は、父を見たのである。
(ヨハネ14・8)

当時のファイサイ派の人々や神殿祭司たちは、イエス様のことを受け入れることがどうしてもできませんでした。
多くのユダヤ人も、全面的に受け入れていたわけではないと思います。

「神を信じなさい、そして、わたしをも信じなさい」

この世は仮の住まいであり、死後の心配はしなくていいのだ、と言われても、恐らくピンと来なかったのでしょう。

■自分のことを受け入れる

■人のことを受け入れる

これは、現代人が最も難しいと感じていることではないでしょうか。

わたしも時々、どうしても自分を好きになれない、人の言動を受け入れられないことがあります。
すぐに自分の不甲斐なさに失望し、人の小さなミスを許せないと感じてしまいます。

 

わたしのうちに留まっていなさい。
そうすれば、
わたしもあなた方のうちに留まる。
(ヨハネ15・4)

あなたが方がわたしのうちに留まっており、
わたしの言葉が、
あなた方のうちに留まっているなら、
望むものを何でも願いなさい。
そうすれば、かなえられる。
(ヨハネ15・7)

わたしの愛のうちに留まさい。
(ヨハネ15・9)

自分のことも人のことも受け入れられないのに、神様に願いごとばかりしていることを痛感させられます。

神様のうちに留まる、神様の愛に留まる。
イエス様と一致している(信仰を持っている)ならば、自分と人のことを受け入れたいという祈りも聞き入れられるのだ、と思えます。

 

イエスさま、どうかわたしのことを覚えていてください。
わたしは善い人になりたいのです。
善い人にはなりたいのですが、自分には力がないので、できそうにありません。
わたしは罪びとなのです。
しかし、わたしのことを覚えておいてください。
イエスさま!
あなたはわたしのことを思い出すことができます。
あなたは、あらゆるものの中心におり、まさにあなたの王国にいるからです。
主よ、どうかわたしを覚えていてください。
あなたの王国では、あなたが全てを決定できるのです。
(教皇フランシスコとマルコ・ポッツァ師との対話「CREDO」より)

 

いつのまにか、美しく咲いていました。

 

 

 

「ありがとう」

15日は、ローマへ出発される前日にもかかわらず、船津神父様が久留米の信徒たちに旅立ちのご挨拶も兼ねてミサに来てくださいました。

.

.

.

弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。
(使徒14・23)

長老とは今の司祭のことです。
アベイヤ司教様から、わたしも神様に任されたのだと思っています。
「神様、船津のことをあなたに任せます」、と。
司教様から、「学びに行くことは奉仕することです」というお言葉をいただきました。
マザーテレサの詩にこうあります。
「信仰の果実は愛
  愛の果実は奉仕」

そう、船津神父様がお話くださいました。

 

「おめでとうございます」

「お身体に気をつけて頑張ってください」

わたしたち信徒は、心からそう思って簡単に口にしてきましたが、船津神父様のお気持ちを深く考えてみると、気安く「頑張って」とお声をかけるのは少し違うような気がしています。

「知り合いの神父様から『ありがとう』と声をかけてもらいました。」

そうおっしゃっていました。

「ありがとう」

確かに、1番相応しい言葉だと思います。

わたしたちのために勉強しに行ってくれてありがとう
大変な任務を引き受けてくれてありがとう

そういう意味なのだと思います。

 

普段は「ありがとう」と言ってもらえると、気恥ずかしいような、嬉しい気持ちになります。

船津神父様のお話を聴いて、その言葉の持つ意味がより深いものであることを感じながらお御堂を出たところで、一人の方に声をかけられました。

「いつもありがとう」

わたしが「?」という顔をしていると、その方はこうおっしゃいました。

「今日もずっと写真を撮ってくれていたのを見ていました。
ホームページに載せるためでしょ?
いつも記事を書いてくれて、ありがとう。
教会のために働いてくれて、ありがとう。」

 

 

この日のミサも、7人の子どもたちが侍者を勤めてくれました。

船津神父様も、「これまで、こんなに大勢の侍者が奉仕してくれたミサは、与ったことも司式したこともありません。
久留米教会は本当に恵まれています。」と。

聖体拝領のお手伝いをしてくれたのは、神父様の甥の壱騎くんです。

 

 

いつくしみ深い父よ、わたしたちは新たないのちに満たされ、今、派遣されていきます。
御父への道であるキリストを、喜びをもって伝えていくことができますように。

 

母の日に、お母様に感謝を伝えましたか?
お子さんから「いつもありがとう」の気持ちが届きましたか?

わたしは、母の祭壇の大掃除をしました。

イエスの十字架の傍らには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアがたたずんでいた。
イエスは、母とそのそばに立っている愛する弟子とを見て、母に仰せになった、「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です」。
それから弟子に仰せになった、「見なさい、あなたの母です」。
その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

(ヨハネ19・25〜27)

 

The descent from the Cross ジェームズ・ティソ

もし、福音書がヨハネだけだったら、わたしたちはイエス様の母親の名前がマリアだとは知らないのです。

ヨハネは「彼の母」「婦人」と記しています。

 

西暦30年4月7日午後。
イエスは腰布以外の何ものをも持っていなかったのだ。
「彼の者達・弟子群」は母を助けて十字架の下に立った若者をのぞき、みな逃げ去っていたから、彼イエスは弟子たちからも友からさえも「棄てられた」者となっていた。 

だから、最後の最愛の「わがもの」はイエスにとって、足もとに立ちつくす母だけ。
その母を、原始の創造期と同じ「女」の語で呼び、「おまえの子」として万人にあたえた!
われわれに最後のときに与えられたのは「母」だった。
われらの女性(ノートルダム)。アヴェ・マリア。
刃を万人のため心に受けた母。
悲哀の限りを体験して知っている母・マリア。

(聖書を旅する4 女性と聖書 犬養道子 著)

 

「母」でいつも頭に浮かぶのは、アウグスティヌスの母モニカです。

ある日私が不在のとき、母は私の友人のある者たちと、この世のむなしさ、死の善きことなどについて母親らしい確信をもって語りあい、彼らがこの女性の勇気ーーあなたがそれを与えたーーに驚いて、故国からそんなに遠く離れたところに身体をのこすのはこわくないかとたずねると、「神さまからは遠くありません。世の終わりに神さまが、どこからよみがえらせたらよいかご存じないとこまるなどと心配する必要はありませんよ」と答えたそうです。
(告白第9巻 11章) 

母親という存在は、心強いものです。

昨日、妹と話していたら、「毎日ママと話してる」と言っていました。
わたしは、毎日母に話しかけていますが、言葉が返ってきたという感覚はあまりありませんでしたので、妹を羨ましく感じていました。
ですが、ミサで「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」(ヨハネ10・27)という箇所を耳にしたとき、わたしは神様と母の声を聞き分けて生きるように努めることができているかもしれない、と思えたのです。 

 

マグニフィカトに、「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう」という一文があります。
聖書学者の本多峰子さんによると、この「幸いな」と言う言葉は、「神がどのような方であるかを身をもって味わい知っている」と言うような意味なのだそうです。
イエス様が貧しい人、今飢えている人、今泣いている人を「幸い」とおっしゃったのもこの意味なのです。

控えめで優しくて、柔和な思慮深い方、であるだけではなく、力強い母の一面を垣間見ることができます。

 

ウクライナから各国へ避難している人々の映像を見ていて、いつも思います。

男性は国を守るため残る、として、その姿は避難民の中にはほとんど見られません。
幼い子どもを抱き、手をひいた母親たち。
高齢の母親を気遣う女性の姿。

聖書のストーリーが描かれた名画には、ヘロデ王による幼児虐殺をモチーフにしたものが数多くありますが、どの絵も、泣き叫ぶ母親や兵士たちに立ち向かう母親の姿が描かれています。
母子を守るために立ちはだかる父親の姿はありません。

重なって見えるのです。

いつの世も、子どもを守るために素手で立ち向かうのは母親なのだ、と思うのです。

  

ペルゴレージのSTABAT MATER、アンナ・ネトレプコの美しい歌声で聴いてみてください。

https://youtu.be/gL1fi_2ya7g

 

連休後半は、「母」について想い、スタバート・マーテルを聴きながらいろいろな本を読んで過ごしました。

 

気にかけてくれる人

穏やかな天候が続くGWですが、皆様はどうお過ごしですか?

わたしは、信者の先輩おばさま方のお宅に必ずある「祈りの空間」に憧れて、祈りのコーナーを作りました。

母が大切にしていたマリア像、わたしが小学生の頃に母がプレゼントしてくれたマリア像、わたしの洗礼式の時の蝋燭などで、神様と母に「わたしの罪をお赦しください」と祈る空間にしました。

福音書に罪人と呼ばれる人たちは何人も登場しますが、実際に具体的な罪を犯したことが書かれているのは弟子たちのイエス様に対する裏切りだけだ、と福音宣教5月号の本多峰子さんの連載に書いてありました。

わたしの感じている罪は、とっくに神様も母も赦してくれていると思いますが、毎日ここで祈る習慣を大切に続けようと思っています。

 

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
身を慎んで目を覚ましていなさい。
(1ペトロ5・7〜8)

あなたの重荷を主にゆだねよ。
主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる。
(詩編55・23)

いと高き主こそ、あなたのために計らう方、あなたを支える恩人
(ウガリト文献訳)

 

いつもこの聖句を心に留めています。

神様がわたしたちのことを心にかけてくださっていることを忘れないように。

 

弟子たちは漁に出ますが、「その夜はなにもとれなかった」(ヨハネ21・3)とあります。 

さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。
その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。
それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。
弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。
主であることを知っていたからである。
イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。
魚も同じようにされた。
(ヨハネ21・9~13)

153匹もの大きな魚がいっぱい取れます。
当時、ガリラヤ湖の魚は153種類いると考えられていたそうですので、これは、全ての人々の救いを象徴しているのです。

仕事を終えて疲れて帰ってきたら、部屋が暖まっていて食事の用意もできており、
「さぁ、食べましょう」と言ってくれる人がいる。

そんなシーンを思い浮かべます。

イエス様が弟子たちを、それも、決して出来の良い弟子たちではなかったのに、捉えられた時には裏切られ、十字架につけられた時は誰もそばにいてくれなかったのに、それでも彼らを気にかけてくださっている様子。

5つのパンと2匹の魚で5000人が満腹になった喩えがあります。

マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ、全ての福音書にこの喩えは書かれていますが、誰も「パンが増えた」とは書いていません。
(タイトルは4つとも「パンを増やす」となっていますが、文中にはどこにも書かれていません。)

雨宮神父様は、福音記者たちはパンの増加に主眼を置いていなかったから、とおっしゃっています。
5つのパンと2匹の魚を食べて満腹になった5000人の男たちは羊に喩えられ、その羊が青草の上に伏して、牧者に養われる、そういうイメージが表現されているのだ、と言うことです。
つまりこの例えで、イエス様は「導き養う神」であることが示されているのに、そのことを弟子たちは当時はまだ全く悟っていなかったのです。

ガリラヤ湖での漁の逸話は、弟子たちが自らの復活体験をした後の出来事でしたので、「誰も、あなたはどなたですか?」と問う必要はありませんでした。

イエス様がいつも自分たちのことを思ってそばにいてくださり、気にかけてくださっていることを、もう彼らははっきりとわかっていたのです。

 

久留米教会のことをいつも気にかけてくださっている東京教区の古市匡史神父様が、初ミサを捧げてくださいました。

 

 

古市神父様は3年前に久留米教会で司牧実習をなさっていたおり、日曜学校のこどもたちの教育にも熱心に携わってくださっていましたので、ミサの後も多くの信者たちに囲まれて大人気でした!
絵もお得意で、素敵なカードをプレゼントしてくださいました。
(左が叙階記念のカード、右は神学生時代に描かれたものです。)

ロザリオの月、マリア様にとりなしの祈りを捧げ、神様がわたしたちのことを心にかけてくださっていることを日々感じて過ごしましょう。