2019年2月の記事一覧

祈りの必需品

みなさまは、一日の中でいつ、どのように「祈り」をされているでしょうか。

リビングに祭壇を設けていらっしゃるお宅もあるでしょう。

ロザリオを手に祈るというかたもいらっしゃるでしょう。

わたしは昔、「祈り」の仕方がわからず、模索していた時期がありました。

「祈り方」を説いた本を読み漁りましたが、自分の祈りのスタイルを、
確信をもって「こうやって祈っています」と言えるようになったのは、つい最近の様な気がします。

思いついたらいつでも、どこででもお祈りはしますが、寝る前にベッドで祈る時の必需品はこれ!

 

この、手のひらにすっぽり収まる木製の十字架。

 

 

絶妙なカーブがあって、握りしめると心地よく手に収まるのです。
数年前に、仲良しのおば様にプレゼントしていただきました。

(大名町教会のサンパウロでお求めいただけます。)

祈りの助けになっています。
手の中でギュ~っと握りしめていると、とても心が落ち着き、
神様と天国の母に心とからだを明け渡して話しかけることができるような気がするのです。

「神様に全てを明け渡す」

これが、わたしの祈りのスタイルです。
これは、教会の大切な友人が言ってくれた言葉です。

いろいろと悩んでいた時期に、彼女に相談しました。
同じように、彼女もその時悩んでいることを抱えていて、
その結論として自分で導いたのが、「神様に全てを明け渡す」ということだったと話してくれました。

 

パパ様の本、使徒的勧告「喜びに喜べ」の中に書いてあります。

自分の中にある攻撃的で利己的な傾きと闘い、そうした傾向が根づかないうように用心しなさい。
「怒ることがあっても、罪を犯してななりません。
日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」
エフェソ4・26

流され沈みそうになっても、わたしたちはいつだって、祈りという錨(いかり)にすがることができます。
祈りの錨は、わたしたちを神の腕の中に、平和の源のそばに、引き戻してくれます。

 

神の腕の中に引き戻してもらえるように、神様に全幅の信頼を寄せ、今日も、いつも祈りましょう。

 

イエス様はどのようなお顔をしていたのか⁈

みなさんそれぞれにイエス様のお顔のイメージをお持ちだと思います。

それは、馴染みのある教会のご像、見たことのある絵画や映画で演じた俳優の顔など、実は多くの連想させるお顔から各人が確固たるイメージを持っているのではないでしょうか。

久留米教会のイエス様

(十字架のイエス様を左右から照らす照明の位置と光の具合が変わったことにお気付きですか⁈)


その中でも、十字架上のイエス様のイメージについて考えてみました。

12世紀までのイタリアのキリスト像は苦痛や苦悩を超越した表情で描かれていました。
「勝利のキリスト」と言われています。

13世紀になると、首をうなだれ、苦痛と悲しみの表情を浮かべた「苦悩のキリスト」が主流となってきます。
それは、アッシジの聖フランチェスコが要因を作ったとされています。

フランチェスコの体に聖痕が現れたと言われるほど厳格な生活を徹底していたその姿勢は、イエス様の受難について語る際にも反映されます。
聖フランチェスコの説教には鳥も耳を傾けたというエピソードのとおり、人々への共感が広がり、絵画においても人間的な苦悩が強調されることにつながったのです。


グリューネヴァルトは16世紀に活動したドイツの画家。

ドイツ絵画史上最も重要な作品の1つであるのが、このイーゼンハイム祭壇画

 

 

磔刑図は数多く描かれていますが、肉体的な苦痛をここまで表現したものとしてはこの作品に匹敵するものはない、と言われています。
イーゼンハイムの聖アントニウス会修道院付属の施療院の礼拝堂にあったもので、患者が自らの苦痛を十字架上のキリストの苦痛と感じ、救済を得るために、このような凄惨な磔刑像が描かれたと言われているそうです。

 
グリューネヴァルトの絵の背景の闇をさらに濃密にし、風景も他の人物も排除して祈りのための「像」として描かれたのが、スルバラン1627年作の『十字架のキリスト』

 

 

その5年後に描かれたのが、同じくスペインのベラスケスの『十字架のキリスト』

 

 

闇に浮かび上がる十字架によって、神の子としてのイエス様の崇高さを表現すると同時に、リアルな描写で人間イエスの肉体の痛みをも描き出しています。
ちなみに、頭上に書かれているのは、3か国語での「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」
前述のグリューネバルトのように、16世紀ごろまでは「INRI」(ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語)と書き表すのが普通でしたが、このころから絵画も世界的な広がりを見せてきたことを反映し、3か国語表記が主流となったそうです。


わたしたちの持つイエス様のイメージは、このあたりの作品が近いのでは⁈ 

 

ここで告白!!
すべて、わたしが調べたのではなく、種明かしはこの本!!

 

 

西岡文彦さんの「名画でみる聖書の世界」新約編
(旧約編、は書かれていないようです。)

創世記から最後の審判までの世界中の名画の背景と解説が書かれていて、とっても読み応えがあります!

少し古い本なので、残念ながら本屋さんに新品はありませんが、アマゾンで中古本をお求めいただけます。

(久留米教会の方はわたしにお申し付けください!)


四旬節に向け、十字架上のイエス様に思いをはせ、穏やかに過ごしていきたいと思います。

 

神のインフルエンサー

今年の11月に広島、長崎、東日本大震災の被災地を訪問されることを表明されているパパ様。
もちろんお目にかかったことはないのですが、以前もご紹介したように、ツイッタ―でのお言葉を毎日聞いているので、とても身近に感じているのはわたしだけではないのではないでしょうか。

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その「はい」という答えで、マリアは史上もっとも影響力のある女性となりました。
ソーシャル・ネットワークなしで、マリアは最初の「インフルエンサー」、神の「インフルエンサー」となりました 。
With her “yes”, Mary became the most influential woman in history.
Without social networks, she became the first “influencer”: the “influencer” of God.

神のインフルエンサー!!
このツイートはとても印象的でした。
わたしが目指しているのはこれだ!と。

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人生を上手に航海する秘けつは、イエスが船に乗ってくれるよう招くことです。
イエスに、人生の舵を渡すべきです。
そうすればイエスは道を示してくださいます。
The secret to navigating life well is to invite Jesus on board.
The helm of life should be given to Him, so that He can direct the route.

イエス様に人生の舵を渡す。
なんとわかり易い言い回しでしょうか。

 

久留米教会の信徒の中にいろいろな奉仕活動をされている方がいることは度々ご紹介していますが、
炊き出しボランティアに参加していらっしゃる方も。
NPOホームレス支援久留米越冬活動の会というNPO法人が主催するボランティアで、代表はプロテスタントの信者の方です。
キリスト教の各教会、仏教のお寺が持ち寄り(すべて寄付された食材)で炊き出しされています。
シスター、若い信愛学院学生、元ホームレスの方の参加もあるそうです。

 

「人生を上手に航海する」

その航海することそのものが困難な方が多くいらっしゃるのも現実です。
炊き出しボランティアのことを伺うまで、久留米にそんなに多くのホームレス生活の方がいるとは全く知らず、大変なショックを受けました。
4~11月は月1回の炊き出し(小頭町公園にて)とパトロールの夜回り、12~3月は月2回の炊き出しと夜回りが行われています。


上智大学が2017年12月に主催した「教皇フランシスコと話そう」という企画でのパパ様のご発言を、少し抜粋してご紹介します。

「宗教というのは、創造された『劇』ではないということです。
宗教というのは、もともと人間の心が持っているもの。
あらゆる宗教は人を成長させます。他者のために奉仕しない人は、宗教的な人とは言えない。
ただ単純に何かの見返りを求める人なのでしょう」
そして、ガンジーや、長崎で被爆しながらも救援活動を行ったクリスチャン医師の永井隆博士、多くのユダヤ人を救った杉原千畝を例にあげ、
「これらの人々は、宗教によって成長した人々。
宗教は人を、他者に奉仕する人に成長させる。
キリスト教の啓示とは、神を信じ、他者のために奉仕するということ」

https://www.christiantoday.co.jp/articles/24986/20171226/sophia-university-pope-francis.htm

キリスト者として生きるわたしたちは、他者への思いやり、奉仕の精神を実践することが大切だと改めて気づかされます。
本当の意味での「神のインフルエンサー」としての生き方を目指していきたいものです。

 

七つの秘跡:part2

教会は「病人を癒やす」という務めをとても大切にしています。
『病者の塗油の秘跡』は、7つの秘跡のうち、
病気に苦しむ人を励ますことを目指した秘跡です。

重病の人に授けられ、祝福された油を額と手に塗り
「この聖なる塗油により、慈しみ深い主キリストが聖霊の恵みであなたを助け、
罪から解放してあなたを救い、起き上がらせてくださいますように」
と唱えられます。

 

「あなた方のうちに、病人がいるなら、その人は教会の長老たちを呼び、
主の名によって油を塗って祈ってもらうようにしなさい。
信仰による祈りは、病人を救います。
主はその人を立ち上がらせ、もしその人が罪を犯しているなら、その罪は赦されます。」
ヤコブの手紙5・14~15

これは、当時すでに行われていた病者の塗油のしきたりについて、
公式に説明した箇所とされています。(フランシスコ会訳聖書の注釈より)


イエス様は12人の使徒を2人ずつ宣教に遣わされます。

「そこで弟子たちは出ていき、人々に悔い改めるようにと宣べ伝え、
また多くの悪霊を追い出し、多くの病人に油を塗って癒やした。」
マルコ6・12~13

先日、久留米教会のある信者さんがお亡くなりになりました。
奥様にお話を伺いました。

意識はあるものの意思表示は出来ない状態で、食事も流動食しか食べられなかったのが、宮﨑神父さまがお見舞いに来てくださったあとじわじわと元気を取り戻し、固形物を自分でお箸を使って食べれるようになられたそうです。

最後は眠るように安らかで、主人なりにその時を選んで迎えたのだと思います、とおっしゃっていました。


「病人を見舞う」という奉仕をされている方々がいらっしゃいます。
宮﨑神父様と聖体奉仕者の研修を受けた4名の信者の方が月に数回、信者さんが入院されている病院や施設を訪問してお見舞いし、希望があればご聖体を授けられています。

わたしは東京の大学に行っていた二十歳の時に大病をし、
飛行機に乗ることも出来ない状況でしたので、そのまま東京の病院に入院しました。
家族は頻繁に久留米から来てくれましたが、それ以上にほぼ毎日のように入れ代わり立ち代わりお見舞いに来てくださったのは
出身高校の東京にある姉妹校の修道院のシスター方でした。
このルルドのお水はその時にいただいた(28年前!)ものです。

 


病気で心細い思いをしている信者にとって、
励ましと祈ってくださる方の存在はとても大きなお恵みです。

宮﨑神父様に届いたお手紙を少し抜粋してご紹介します。
(ご了解をいただいています。)

「4月に癌がわかり、リンパ節と脳に転移、ステージ4と言われました。
手術ですべて切除、転移も消え、脳腫瘍も消えました。
昨日、再発なし、抗がん剤も必要なし、今後は定期的に検査をするだけでよいと言われました。
おおいなる奇跡でしかありません。

しみじみと、人の祈りと宮﨑神父様が送ってくださったルルドの水の偉大さに感じ入っています。
神様はきっと患者本人の心も、人のために祈る人の心と祈りも、
何か力になろうとする人の心も行いも、すべてをご覧になっておられると思いました。」

 

病気で入院している方、
施設や自宅で療養をされていて教会に来られない方のために祈りましょう。