行事風景
聖書の読み方
イスラエル巡礼後、今までと違った感覚で聖書を読めるようになりました。
特に、旧約聖書を読みたい!とよく思うのです。文中に地名が出てくる箇所を読んでいると
「あぁ、あそこのことだ」と思い出しながら読め、
そこで言われていることが実感として伝わってくるように感じます。
聖書は特別な「本」であり、
同時に、人生に必要なことがすべて書いてある「本」です。
英語で【 the Book 】 は、「聖書」を意味します。
ある信者さんは、自分がまだ洗礼を受けていなかった頃に、高校生だった娘さんに、
「一生のうちに一度は読んでおくべき本だ」と言って聖書をプレゼントされました。
それから20年後、娘さんはその本を手に教会に通うようになり、
聖書の勉強に行き始め、洗礼を受けました。
そしてその後、お父様も聖書講座に通い始め、
3年後に洗礼を受けることになりました。
聖書に求めるべきは、真理であって、雄弁ではない。
われわれは聖書を、それが書き記された精神に従って読まなければならない。
われわれは聖書を、著者の権威や、その文学的評価にかかわりなく、
真理に対する純粋な愛をもって読むべきである。
誰がこれを言ったのかを問題にせず、
どういうことが言われているかに注意しなければならない。
人は過ぎ去る。
しかし主の「まことは代々に及ぶ」(詩編117.2)
神はだれかれの差別なしに、われわれ人間に、いろいろな方法で語りたもう。
われわれが聖書を読むにあたってしばしば邪魔になるのが好奇心である。
われわれが素直に読み進めるべきところを、詮索し、議論じようとするからである。
もしあなたが聖書から利益を汲み取りたいと望むならば、
へりくだって、単純で、敬虔な信仰をもって読むべきであり、
学識があるなどという評価を得ようなどと望んではならない。
自由に質問し、聖人たちの言葉を黙って聞き、
また年配者たちの言うことを拒否してはならない。
彼らは、理由なしには、そのように語ってはいないからである。
わたしの愛読書のひとつ、
「キリストを生きる」(デ・イミタチオネ・クリスティ)からの一説です。
トマス・ア・ケンピスの原書が「キリストに倣いて」というタイトルで何種類か訳されていますが、わたしが何度も読み返しているこの本は、2017年に新しく翻訳されたものです。
聖書と同じように、何度読んでも新しい気づきと発見がある
素晴らしい本です。
万寿会:お元気な先輩方!
やはり、我が家である久留米教会は落ち着きます!
8日に、恒例の万寿会(75歳以上の先輩信徒の皆さん)のお祝いのミサと懇親会が開催されました!
今年も山頭神父様、ジュゼッペ神父様、キッペス神父様もお見えになり、夏休み中の船津助祭と一緒に賑やかなごミサでした。
お一人づつ祝福の按手を受ける皆さん。
列に並んで祝福を受ける神父様!
最後はお互いに祝福しあってらして、教会中が優しい笑いに包まれました。
今年は51名のご参加があり、女性の会や日曜学校の子供たち、フィリピン・ベトナムの皆さんによって、
心温まるおもてなしの会となりました。
ジュゼッペ神父様は、満をじして新ネタを披露‼️
先輩信徒の皆さんの積み上げを引き継いでいるのが教会です。
わたしたち、キリスト教の教会の起源は、
ユダヤ教のシナゴーグです。
洞窟のシナゴーグ跡に建てられたキリスト教の祭壇です。
そのシナゴーグは、エルサレムの第一神殿
(ソロモンによって築かれた最初の神殿)が崩壊し、
バビロン捕囚によってほとんどのユダヤ人がバビロニアに連れていかれたときに
その原型ができました。
それまでの神殿礼拝ができなくなったユダヤの人々が、
信仰を保つために会堂(初めはだれかの家)に集まり、
会堂礼拝を始めたことに起因するそうです。
先輩信徒の皆さん、
それも2000年以上もの積み上げを引き継いでいるのが今のわたしたちです。
巡礼の旅の間もずっと、
「教会」「信徒の集まり」のことを考えていました。
ユダヤ教の人々の敬虔な祈りの姿、信仰を守る姿を見ていて、
彼らには4000年以上の積み上げがあり、
先祖たちへの敬意、教えへの畏敬の念を持ち続けているのだと痛感しました。
信仰の対象や大切にしている教えが違っていたとしても、
わたしたちが彼らから学ぶことは少なくありません。
久留米教会も、万寿会で健康をお祝いさせていただいた先輩方の積み重ねてこられた祈りと信仰の歴史があるからこそ、
今の信徒の集まりがあるのです。
先祖たちの信仰
先月のごミサは、第二朗読でヘブライ人への手紙が読まれました。
わたしは、11章の出だしの一文が大好きで、カードに書いて手帳に挟んで持ち歩いているくらいです。
「信仰は、希望していることを保証し
見えないものを確信させるものです。」(フランシスコ会訳)
「信仰とは、望んでいることを確信し、
見えない事実を確証することです。」(新共同訳)
この11章のサブタイトルが『先祖たちの信仰』です。
聖墳墓教会
11.2 昔の人々は、この信仰の故に称賛されました。
信仰によって生きた旧約時代の人々を思い起こすのが11章です。
11.13 これらの人々はみな、信仰を抱いて死にました。
彼らは、約束されたものを受けませんでしたが、
遥かにそれを望み見て歓呼の声をあげ、
自分たちが、この世では異邦人であり、
旅人にすぎないことを表明しました。
11.39 これらの人々はみな、その信仰のために称賛されましたが、
神が約束されたものを受けませんでした。
神は、さらに善い計画を、わたしたちのために、あらかじめ立てておられました。
そして12章には、
イエス様が『信仰の導き手であり、その完成者』であると書かれています。
アルケゴス、導き手であり草分けであるイエス様がこの地上において神への信頼を持ち、我々の先頭に立ってくださったのです。
ガリラヤ湖畔の風景です。
ここを実際にイエス様が歩かれたのです。
公生活を始められたイエス様が初めて大衆の前で、しかも、体の不自由な人ややもめ、虐げられている人々が多く集まったと思われるあの日、この山の上で山上の垂訓と言われるお話をされたのです。
この場所であの言葉が語られたのだ、と実感しました。
本当に声が聞こえた気がしたのです。
ゲッセマネの園の教会でごミサに与りました。
創始者であり導き手であるイエス様の生きた地を見たい、と思い、イスラエルに行きました。
わたしたちキリスト者に先立って固い信仰に生きた先人たちの思いを感じ取ることが少しはできた、そんな旅でした。
信仰を旅する。
わたしには受けなければならない洗礼がある。
それが成し遂げられるまでは、
わたしはどんなに苦しい思いをすることであろう。
ルカ12.50
とても心を打たれる箇所です。
「エルサレムはイエスにとって受難と死が与えられる壁です。
しかし神の栄光のためにイエスはその壁を引き受けます。
それは弟子たちに復活を示し、愛の知らせを延べ伝えるためです。」
8/18のごミサの聖書と典礼の最終ページに寄稿されていた、
松村神父様の文章の一部です。
働く(生きていく)上で様々な壁が与えられるけれど、
それを喜ん引き受けて行かねばならない、というようなお話でした。
わたしが初めて聖書を読んだ思春期の頃、強烈に印象に残り、
最初に聖書にマーカーを引いた箇所があります。
「狭い門から入りなさい。
滅びに至る門は広く、その道は広々としていて、
そこから入る人は多い。
しかし、命に至る門は何と狭く、その道は細いことか。
そして、それを見出す人は少ない。」
マタイ7.13~14
アンドレ・ジイドの「 狭き門」を買い求め、
この聖書の箇所を理解したいと思い、何度も読み返したりもしました。
当時のエルサレムの神殿には城壁が張り巡らされ、
いくつもの門がありました。
大きくて立派な門は、祭司や裕福なものだけが出入りに利用でき、
貧しい人や体の不自由な人は、小さな目立たない門から入ることを強いられていました。
現在の修復された城壁にも、いくつかの門があります。
今日も明日も、その次の日も、わたしは旅を続けなければならない。
預言者がエルサレム以外の地で死ぬことはあり得ないからである。
ルカ13.33
狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。
ルカ13.23
久留米教会の仲間たちとイスラエル巡礼の旅に来ています。
ここに来て強く感じています。信仰とは、人生の旅のような気がしてなりません。
『神の国』はいつ、どこに。
先週の納涼祭の記事を書いていて、『神の国』についてまた考えさせられました。
イエス様は30歳になるまで、ヨゼフ様のお仕事を手伝いながら暮らしておられました。
お生まれになった時には、「神の子、メシアだ」と有名だったはずなのに、です。
30歳になったころ、大衆を魅了した洗礼者ヨハネが現れました。
500年以上の空白ののちに現れた預言者でした。
彼は、民に罪の赦しを得るための回心を勧め、
「天の国は到来した」と述べ広めたのです。
多くの人が彼から洗礼を受け、その一人がイエス様でした。
その後、ヨハネは彼が起こした大衆運動の結果として逮捕されてしまいます。
イエス様にとって、ヨハネの逮捕は神の国が到来したしるしでした。
マルコの福音書には
「ヨハネが捕らえられた後、イエスがガリラヤへ行き、神の福音を延べ伝えて、
『時は満ち、神の国は到来した。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」
とあります。
イエス様はヨハネの宣教を継続したのです。
18日のごミサのルカの朗読にもありました。
「イエスのメッセージは人々に神の国を受け入れるか否かの決断を迫るので、必然的に分裂が起こる」
『神の国』とはなんなのでしょうか。
その当時の人々は神の国の到来を待っていました。
しかし、それぞれが違った考えでそれを待っていました。
神の国の到来とは、彼ら自身の努力によるものと考えられていました。
イエス様は全く反対に、
あなたがたの努力とは関係なく、神の国はもうそこにある、と言われました。
「神の国は目に見える形で来るのではない。
神の国は、実にあなた方の間にあるのだから。」
ルカ17・20~21
フランシスコ会訳の聖書の解説には
神の国はイエスと弟子たちの働きによって、
すでに「あなた方の間」に現実に存在する、解釈できる。
と書かれています。
皆が待っていたものは、すでに民の間にあったけれど、
彼らはそれを知ることも、気づくこともなかったが、
イエス様はそれを感知していました。
そして、人々の間にあった神の国の隠された現存をこそ、
彼は自分の故郷のガリラヤの貧しく、除外された人々に述べ伝え、
啓示しようとしたのです。
『神の国』
わたしたち、現代のカトリック信者は、なにを待っているのでしょうか。
あなたにとっての神の国は実現していますか?
何を信じ、何を頼みに祈りますか?
わたしたちの間にも『神の国』は現存しているはずです。
この本を神父様から頂いて読んで、納涼祭での皆さんの平和な様子を見て、
そのことをずっと考えています。
記事中の青い文字は、この本からの引用です。
改めて、イエス様の声に耳を澄ませてみたいと思います。
久留米教会の夏!
今年も納涼祭が賑やかに開催されました!
8/11は、月に一度のベトナム語のごミサでした。
その後の納涼祭にもたくさん参加してくれ、いつも静かな感じの彼らも、踊ったりして楽しそうに過ごしてくれました!
フィリピンコミュニティの方々もダンスを披露してくれ、途中から観客の信者さんも混じり一緒に踊っていました。ベトナムの子も日本のおばさまも混じって楽しそうでした。
平和を感じたひと時。
もちろん聖歌隊チェチリアも頑張りました。
そして恒例のジュゼッペ神父様の手品オンステージ。
設営の準備はベトナムのみんなも手伝ってくれていました。
女性の会のおばさま方が今巷で話題のタピオカドリンクを100円で振舞っていたり、おにぎりやお素麺の準備も。
ヨゼフ会のおじさま達がせっせとお肉や焼そばを焼いてくださり。
お手製の竹を割って作ったそうめん流しもありました。
カキ氷や、わたあめ、ヨーヨー釣り、水にうかんだオモチャのヒヨコすくい、恒例のクジ引きは青年会のみんなが仕切ってました。
今年の納涼祭は、おそらく過去最高の人出でした。
大人だけでも200人は参加してくれました。
これが、久留米教会です!
エクレシアekklēsia
わたしたちの教会共同体です。
寄り添う人、ダミアン神父様
先日、ハンセン病の元患者さんたちとそのご家族の裁判のニュースが話題になっていました。
ダミアン神父様のことを思い出しました。
ダミアン神父様(1840~1889年)は、ベルギー出身の司祭で、ダミアンは修道名、
本名はヨゼフ・デ・ブーステル(Joseph de Veuster)
ハワイ王国のモロカイ島において、当時誰も顧みなかったハンセン病患者たちのケアに志願して生涯を捧げ、
自らもハンセン病に感染し、48歳の若さで亡くなられました。
聖人で、記念日は5月10日です。
ハンセン病の患者のケアをしていて、不運にも感染されたのではありません。
患者たちともっと寄り添うためには、自らも病気にならなければ、
本当の意味で彼らの苦悩を知って寄り添うことはできないのではないか、
と考えてあえて感染することを望んだ、と言われています。
手や顔に病気の兆候が現れた時、神父様は初めて患者たちに向かって
「我々ライ患者は」と言うことができた、と喜んでいたそうです。
長崎の二十六殉教者記念像などで有名な、偉大な彫刻家、舟越保武さんの作品です。
ダミアン神父様がハンセン病患者となったあとのお姿です。
ただ私はこの病醜の顔に、恐ろしい程の気高い美しさが見えてならない。
このことは私の心の中だけのことであって、人には美しく見える筈(はず)がない。
それでも私は、これを作らずにはいられなかった。
私はこの像が私の作ったものの中で、いちばん気に入っている。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/16659/20150821/funakoshi-yasutake.htm
(彫刻の画像と舟越さんの言葉は、こちらの記事から使わせていただいています。)
聖霊の働き、プネウマ「神様の慈愛の息吹」が神父様に宿っていたのでしょう。
わたしたちが誰か助けや励ましを必要としている人に心を寄せるとき、
ダミアン神父様ほどの献身的な愛を注ぐことはできないかもしれません。
ですが、相手の立場に立ち、自分だったらどうしてほしいか、どう言ってほしいか、を
いつも考えて行動することはできます。
人にしてもらいたいと思うことを
人にもしなさい
ルカ 6・31~36
この言葉はわたしの座右の銘と思っている箇所ですが、同時に、
「人にしてほしくないことは、人にもしない」とも心がけています。
イエス様の時代の聖書
夏休みに入り、船津助祭と横山神学生が久留米に帰ってきてくれています。彼らの姿を見ると、いつもとても嬉しい気持ちになります。
宮﨑神父さまがよくおっしゃいます、「聖書を読みなさい」と。
前主任司祭の森山神父様は、「毎週日曜日のミサに聖書を持ってきてください!」とおっしゃっていました。
聖書はいつも、ダイニングに置いています。
信仰に関連した本を読むのが好きなので、気になる箇所があれば聖書を開きます。
ルネサンス期に印刷技術を発明したグーテンベルク、
彼が最初に印刷したのは聖書でした。
カトリックでは旧約聖書46巻と新約聖書27巻をまとめて「聖書」の正典としていますが、
ご存知のように、ユダヤ教では「聖書」といえば旧約(わたし達がそう呼ぶところの)のみを指しています。
そして、その旧約聖書には原本というものは存在せず、
10世紀ごろに筆写された『レニングラード写本』というものが最古の写本とされていました。
ところが、1947~1956年にかけて死海近くのクムラン洞窟で発見された旧約聖書などの宗教書は、
BC200年からAD68年ごろにかけて作られた写本だったのです!
クムラン以外から発見されたものも含め、死海文書と呼ばれる写本の断片は800以上もあります。
この写本は述べ数百人のユダヤ教エッセネ派の人々によって書かれた(諸説あり)、
との研究結果もあり、ほぼ誤字もないそうです。
その時代にこれほどの知性と能力のあった人々が祈りながら共同生活をしていたのかと思うと、
驚きを通り越し、畏敬の念しかありません。
それらはほとんどすべて、イエス様とその弟子たちが生きていた時代に、
彼らが生きていた地の近くで書き写されたものなのです。
http://dss.collections.imj.org.il/
Googleとイスラエル博物館(IMJ)が、デジタル版「死海文書」のオンライン公開をしています。
(サイトは、英語、アラビア語、スペイン語、そして中国語で読むことができます。)
写真は、イザヤ書の一部です。
子どものころから考古学に興味があったわたしにとっては、興奮の映像です。
「デジタル死海文書」は、ユダヤ・キリスト教関連の貴重な考古学的資料として著名な死海文書 (dead sea scrolls) を
高解像度カメラでスキャンし、誰でもアクセスできる形でオンライン公開するプロジェクトです。
https://japanese.engadget.com/2011/09/26/google/
もちろん、わたしもヘブライ語は読めません。
ですが、イエス様が生きていた時代に書かれた文字、
聖書の写本の筆跡を目に刻むだけでも、
4000年以上もの間受け継がれてきた信仰者たちの思いを感じることができると思います。
森山神父様に薦めていただいた、和田神父様の著書からの記事でした。
面白くて、一気に読みました。
とてもお薦めです!!
落穂拾いにみる憐れみ
ミレーの落穂拾いという絵をご存知でしょう。
刈り入れが終わった後の畑に残った麦の穂を拾い集める3人の貧しい農婦が描かれており、背景には穀物がうず高く積まれ、豊かな地主が馬に乗って監督するもとでのにぎやかな収穫風景と対比して描いている。(wikipediaより)
レビ記19・9~にはこう書かれています。
お前たちが自分の土地の刈り入れをするとき、お前は畑の隅まで刈り尽くしてはならない。
またお前の刈り入れの落ち穂を拾ってはならない。
お前のぶどう畑の実を取り尽くしてならない。
お前のぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。
それらは貧しい人や他国の者のために、残して置かなければならない。
わたしはお前たちの神、主である。
去年の刈り入れの時期に、我が家の近くの田んぼの一角に、
刈り取られないまま残された束がありました。
もしかして、聖書の教えを守ってるの?!ととても気になり、
作業されている方に聞いてみました。
「特に意味はありません」と言われ、一人で笑ってしまいましたが。。。
miserere nobis
【我らをあわれみたまえ】
ミレーは同時期に、ルツ記2・6~に由来する『刈り入れ人たちの休息(ルツとボアズ)』も描いています。
レビ記19・33~
もし他国の者がお前とともに、お前たちの土地に在留するなら、その人を虐げてはならない。
お前たちのもとに在留している他国の者を、お前たちの国に生まれた者と同じようにみなし、お前自身のように愛さなければならない。
お前たちもエジプトの地において他国の者であったからである。
わたしはお前たちの神、主である。
miserere nobis
【我らをあわれみたまえ】
われらが主にあわれみを受けたように、貧しい人、他国の者をあわれみなさい。
ユダヤ教の人々は、モーセ五書のなかでも特にこのレビ記を規範としています。
モーセ五書のなかには、落穂拾いの原則、ユダヤ人がエジプトで他国の者であったことを忘れるな、という記述が何か所もあります。
ユダヤ教徒でなくても、こうした考え方を世界中の人々が心に留めているなら、難民や国境の壁といった問題は現在のようにこじれることはないのに、と思ってしまいます。
前田万葉枢機卿様と高山右近
7/7に、今村カトリック教会において、筑後地区信徒研修会として前田万葉枢機卿様の講演会が開催されました。
今村教会は、本当に美しい聖堂です。
レンガ造りの建物と、美しい木製の内部、これぞ日本の教会!!だと誇らしく思います。
テーマは、「福者ユスト高山右近 列福から列聖へ」
この写真からも伝わるように、前田枢機卿様はとても優しいお人柄の方でした。
枢機卿、というととても遠い存在のように感じるのですが、
以前、久留米教会のフィリピンコミュニティの皆さんが招いてくださったタグレ枢機卿様も
とても親しみやすい、明るくて優しい方でした。
高山右近については、皆様もご存知かと思います。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦国大名による天下取りの時代の中で、
「主君はイエス」の生き方を通して神の国を目指した生涯を送って殉教したのが、高山右近でした。
1630年に、右近が流されて亡くなったフィリピンのマニラ大司教によってバチカンに列聖の申請がなされました。
そして昨年、ようやく列福されたのです。
右近忌の 主君はイエス 平和かな
剣に代え 十字架を手に 右近忌や
前田枢機卿様が、右近の命日である2月3日にちなんで詠まれた俳句です。
この句を聞いたとき、とてもあたたかい気持ちになりました。
講演会の最後には、司会の方からの「参加者の家庭の平和のために祝福をお願いします」というリクエストに応えて、
わたしたち全員に祝福を授けてくださいました。
その時は、目から涙が溢れそうになりました。
参加者からの「司教と枢機卿としての仕事の両立はいかがですか?」との問いに
「大変ありがたいことに、補佐司教を2人もつけていただいて、
今までは一人で決断しなければならなかったことも、3人で相談しながら進めることができています。
ですが、一人だったころに比べ、司教の仕事は3倍に増えています。(笑)
枢機卿になったから依頼された仕事は、できる範囲で何でも引き受けるようにしています。
このようなチャンスはなかなかない、と思っているからです。
ですが、中には「フランシスコ教皇様が来た時にこの手紙を渡してください。」とか
「教皇様に直接会わせてほしい」といった申し出がたくさんあります。。。(苦笑)」
「長崎や大阪の信徒だけでなく、皆さんのお祈りがあるから、
こうして大きな病気もせずに役割を果たしていけていると思います。」
ともおっしゃっていました。
神学校時代の先輩後輩の間柄の宮﨑神父様と前田枢機卿様が
これからもお元気でお働きになれますよう、お祈りしましょう。