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信仰を持つという強さ

ドイツのメルケル首相の16の講演とインタビューをまとめた一冊の本があります。

『わたしの信仰 キリスト者として行動する』
という素晴らしいタイトルがついています。

 

この本は、彼女のキリスト者としての信念を根底に置いた力強い指導力を垣間見ることができます。

現在、わたしたちは困難な時代の中にあると言えるのではないでしょうか。
そんなときに、メルケル首相のこの本を読んで、力づけられました。


「紀元前5世紀前半、イスラエルの歴史においては困難な時代でした。
でも、イスラエルとユダヤ民族の歴史において「困難」でなかったときがあるでしょうか。
何千年にもわたるイスラエルの歴史は、大きな苦しみの道でしかなかったようにも読めます。
平和で幸せな時期もごくわずかに混じっていますが、ほとんどは苦難と痛みと悲劇の連続のようでした。

ユダヤ人の何千年もの歴史のなかで、彼らの希望と生命力の強さを目の当たりにするならば、大いに畏敬の念に襲われるでしょう。
この民族は常に、神が歴史の本来の主であるという信仰の掟を守り続けたのです。

この世界が直面する脅威や不安、破滅の淵を目にして、日ごとにおかしくならずにいられるでしょうか。」

 

2020年の春、まさに世界がそのさ中にあります。

お前たちは、『神に奉仕するのはむなしいことだ』と言う。
『その戒めを守ったからといって、
万軍の主の前に慎んで歩んだからといって、何の益があるだろう。
(マラキ3・14)

 

人生の方向や価値観を見失いそうな深刻な危機のなかで、現代のわたしたちにとってもこのマラキの問いは縁のないものではありません。

メルケル首相は、マラキの関心は、神を思い出させることにあった、と言います。
方向を見失って分裂した社会において、神を想起するように促し、
よき人生の支えであり最終的に人生を決めるものでもある、人間の存在理由を考えるように呼び掛けたのだ、と。

しかし、わたしの名を畏れるお前たちには、
正義の太陽が輝き、その翼には癒やしがある。
お前たちは外に出て、肥えた子牛のように跳ね踊る。
(マラキ3・20)

 

彼女の政治家としての信念は、キリスト教的な人間観に基づいています。

あらゆる人(ドイツ人だけではなく)の尊厳を守ろうとし、「被造物」に対する責任を全うしようとする姿勢。
次世代の繁栄に配慮し、スピードを増していく社会変化に取り残される人のないよう気を配り、高齢化社会への努力を続ける誠実さ。

政治家がキリスト教の信仰に基づいて行動する、というのは日本人には違和感があるかもしれませんが、現代の困難に立ち向かうためには、彼女のような確固たる信仰、ぶれない信念があることは最大の強みなのかもしれません。

この状況を、イスラエルの歴史と重ねるのは強引だとわかっています。

それでも、どうしても感じるのです。
希望と生命力の強さは、信仰というゆるぎない信念からくるのだ、と。

日本にいると、いえ、久留米で生活していると、この今の、恐怖に飲み込まれそうな現実から遠い世界に生きているようにも思えます。
ニューヨークとカリフォルニアに住んでいる知り合いは、不自由な生活の中、不安な日々を過ごしています。

強い信仰心があっても、この危機から逃れられるわけではありません。

今こそ、神様への信頼を見失わないように、心を鍛えるときでしょう。

 

パパ様は3/20のビデオメッセージで、こうおっしゃっていました。(意訳しています)

「イースターを前に告解したくても、教会に行けない、神父はどこに?
 家から出れないのにどうすれば?

 そういう人の声を聞きます。

 いまこそ、神様と直接向き合いなさい。」