行事風景

コヘレトの空

「わたしたちの生活をコロナ前に戻す」といった発言を最近よく耳にします。

戻るのでしょうか。
全てが元通りになることを期待しますか?
聖堂中に聖歌の歌声が響き渡る日は、いつでしょうか。

この2年近くの間の日常、信仰生活も含め、確かにいろいろな制約がありましたが、悪かったことばかりではありません。

わたしの場合、かなりよく聖書を開くようになりました。
教会に行けない月日が長くあったので、ミサや行事風景をお伝え出来ませんでした。
ですので、ここを読んでくださる方ともっと聖句を分かち合いたいと思って取り組むようになりました。
それまで以上に、聖書に関係する本もよく読んでいます。

良かったこと、というと語弊があるかもしれませんが、人々が一堂に会したり、わざわざ遠方まで出向かなくてもオンラインでできることが多い、ということが実証されたことは、多くの方が納得されているかと思います。

実はわたしも、先月から大学のオンライン講座を受講し始めました。
以前でしたら、「学びたいけど平日の夕方に大学まで通うのは無理」と諦めていたでしょう。

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二人は一人に勝る。
もし一人が倒れると、その仲間が助け起こす。
二人が一緒に寝れば暖かい。
もし、襲われたとき、一人なら負けるが、二人ならともに立ち向かうことができる。
「三本縒りの紐は、たやすくは切れない」。
(4・9〜12)

コロナ禍にあって、友人や家族がどれだけ大切な存在であるか、わたしたちは痛感させられました。
頼ることのできる友人がいること、互いを心配し合う家族がいること、それがどれほどの幸せか。

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順境の日には喜び、
逆境の日には反省せよ。
あれも、これも、神のなさることである。
それは、将来、何が起きるか、人には見通せないからである。
(7・14)

明日のことを知る人はいません。
今を、毎日を大切に生きること。
日常の小さなことの中に喜びを見出し、自らの至らなさを素直に認めることができますように。

あなたは正しすぎてはならない。
知恵がありすぎてもならない。
なぜ、自分で自分を滅ぼそうとするのか。
あなたは悪すぎてはならない。
愚かすぎてもならない。
自分の時がまだ来ないのに、なぜ、死のうとするのか。
(7・16〜17)

生きることは、自分一人の力でできることではないということを忘れてはいけないのです。

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あなたの生涯の空しいすべての日々の間に、
あなたは愛する妻とともに楽しめ。
神がこれらの空しいすべての日々を、
日の下であなたに与えてくださった。
それが、あなたがこの世にあって受ける分であり、
日の下で苦労するあなたが受ける分である。
(9・9)

わたしがこの世にあって「受ける分」、これは先日書いた主の祈りのことにも通じます。
わたしたちの日ごとの糧をお与えください。
日ごとの糧、生きていくのに必要な、わたしたちに神様から与えられた賜物のことです。

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あなたのパンを水の上に投げよ。
長い年月の後に、あなたはそれを見出すであろう。
あなたの持っている物を、七つ、否、八つに分けよ。
(11・1〜2)

寛大な施しは、後日、その報いを受けるだろう、という旧約の一般的な教えです。
施しに限らず、喜び楽しみも、人と分かち合うことでお恵みは7倍8倍になって帰って来た、という経験がわたしにもあります。

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コヘレトは言う。空の空。
空の空。一切は空。
(1・2)

紀元前250〜200の時代に書かれた、コヘレト。

人間が極端に走り、到達不可能な目的をいたずらに追求するのを諫めています。
ひたすら幸福だけを把握し続ける人間の空しい努力を否定します。
(フランシスコ会訳聖書の解説より)

「空」という言葉はヘブライ語で「へベル」といい、日本語の「空しい」という言葉の持つニュアンスとは厳密には開きがあるようです。

この本によると、「空」は「束の間」という意味が適切であろう、ということでした。

 

この本を読んで、久しぶりにコヘレトを読み返し、今心に留まった箇所を抜粋してみました。
間違いなく、2年前に読んだ時とは違った箇所がわたしを捉えました。

コロナ以前の生活に戻りたい、という人間の希望は「空」のように感じます。
わたしたちが求めるべきものは、そこではないと思うのです。

箴言30・7〜8も、コヘレトと同じようにわたしたちを諭します。

わたしは二つのことをあなたにお願いします。
わたしが死なないうちに、それをかなえてください。
わたしを不実と偽りから遠ざけてください。
わたしに貧しさも富も与えないでください。
ただ、わたしに割りあてられたパンだけで、わたしを養ってください。

この世で与えられた「束の間」を生きるわたしたちにとって、その生きる意味を見出すことは使命です。
コヘレトは「死」があるから「生」に意味があるのだ、と言います。

11月は死者の月です。
わたしも毎年、「死」についてよく考えを巡らせる月です。 

今月は、特に今年天に召された方々のために、日々の祈りを捧げましょう。