カテゴリ:聖週間
枝の主日2019
4/14は枝の主日でした。
久留米教会でも枝を用意し、教会の外で祈りが捧げられました。
ジュゼッペ神父様の隣のイケメンさんは、4月から久留米教会に着任された古市匡史神学生です!
イエス様のエルサレム入城を記念して、毎年ご復活の1週間前の主日に行われるのが、この枝を使ったごミサです。
エルサレム入場はイエス様が決定的な受難の道に入ったことを意味し、
この時からイエス様の歩みは一直線に十字架に向かいます。
この日は、エルサレム入城にはじまるイエス様のご受難が、復活の栄光に至る道であることを思い起こす日です。
聖書も受難の箇所が読まれることから、枝の主日は「受難の主日」とも言われます。
そして、この日からカトリックの典礼で最も大切な聖週間が始まるのです。
「お前は同じ刑罰を受けていながら、まだ神を畏れないのか。
われわれは、自分のやったことの報いを受けているのだからあたりまえだが、この方は何も悪いことはなさっていない。」
そして言った、「イエスよ、あなたがみ国に入られるとき、わたしを思い出してください。」
すると、イエスは仰せになった。
「あなたによく言っておく。今日、あなたはわたしとともに楽園にいる」。
ルカによる福音書23・40〜43
この、罪人の回心についてはルカだけが伝えています。
ごミサでは宮﨑神父様からこの箇所についてのお話がありました。
カリタスジャパンの四旬節のカレンダー、皆様もご家庭に持ち帰られましたか?
その中のパパ様からのメッセージの一部です。
「祈り」は、偶像崇拝や自力で何でもできるという考えを捨てるために、
また、自分には主と主のいつくしみが必要であることを宣言するためにささげます。
「施し」は、未来は自分たちのものではないにもかかわらず、
その未来を手に入れられると錯覚し、
自分自身のためにすべてを蓄えて生きようという愚かな考えを捨てるために行います。
とてもスッキリと心に響きました。
「祈り」は、惰性的になると「お願い」になりがちなのではないでしょうか。
「施し」は、自己満足になると「上から」になる危険をはらんでいます。
この箇所を読んで、今までの自分の祈りの仕方や施しについて回心する必要があるな、と感じました。
人のために祈ること
誰かのために働くこと
相手のために、というよりも、
その行い自体が自分にお恵みとして帰ってくると思うのです。
「施し」は、自分の時間を割くことも含んでいると考えています。
自分の時間を誰かのために惜しみなく使う。
聖週間の始まりとともに、すべての人のためにご自分を捧げられたイエス様に習い、
自分を人のために捧げることについて、自問を続けたいと思います。
死者の月に想う。
3日の秋晴れの美しい空の下、盛大に行われた神学院祭については、また次回!
今月は、死者の月です。
「死について黙想し、周囲の亡くなられた方が永遠の命に招かれるように祈ることは、
私たちがよりよく生きることに繋がります。」
宮﨑神父様がミサでおっしゃった言葉です。
今日のミサで撮影した写真。
朝日の偶然による光の屈折が美しく、聖霊が、天と教会のなかのわたしたちを結んでいるような気がしました。
こちらは、ボリビアの死者の日の様子。
ボリビアでは死者の日から数日、お仕事はお休みだそうです。
「みなさん、お墓参りに行ったり、もし今年亡くなった方が家族にいたら、その方が好きだったものを準備して、お祈りに来て下さる方々とそれらを分かち合う日となっています。
わたしも、知り合いの家にお祈りに行き、パンとワインをいただいてきました。」
ボリビアのAkikoさんより。
日本のお盆のような感じですね。
午後3時から、久留米教会の全ての死者の追悼のためのごミサが捧げられました。
聖アウグスティヌスは、母モニカが亡くなったとき、悲しみにくれていました。
「私は終日、心の奥底においては、重いかなしみに沈んでいました。
そして、精神をかきみだされ、このかなしみをいやしたまえと、あなたにむかってなしうるかぎり乞いもとめましたが、あなたはその願いを聞きとどけてくださらなかった。」
告白 第9巻 第13章
紛らわすため、入浴したり眠ってみたり、いろいろ試してみます。
そして、アンブロシウスの”夕の讃美歌”を想い出し、敬虔な母の想い出にひたるのです。
かみよ、すべてのつくりぬし
あまつそらを しろしめす
ひるは あかるきひかりもて
よるは めぐみのねむりもて
よそおいたまえば もろびとは
ゆるみしからだ よこたえて
あすのちからを やしなえり
つかれしこころ かろやかに
なやみはとけて あともなし
わたしも、母が亡くなったとき、神様にながいあいだ問い続けました。
なぜ、こんなに早く母を召されたのですか?と。
簡単には哀しみは癒えませんでした。
神様からお返事が聞こえたような気がしたのは 随分時間が経ってからでしたが、いまでも鮮明に覚えています。
「亡くなった人のことを祈るより、
残った家族や友人のために祈るのです。
亡くなった人は神様の元へ行ったのだから、
何も心配することはありませんよ。」
と神父様から言われ、とても心が軽くなりました。
死者の月に、周囲で大切な方が神様の元へ召された全ての方のために祈りましょう。
日本カトリック平和旬間と子どもたち
平和を守るために、願望としてだけでなく行動することを勧めるため、もっとも身近で忘れることのできない、広島や長崎の事実を思い起こすのに適した8月6日から15日までの10日間は「日本カトリック平和旬間」と定められています。
日本カトリック平和旬間とは?
https://www.cbcj.catholic.jp/faq/heiwajunkan/
久留米教会では、ミサの聖体拝領の時、子どもたちが聖歌を歌ってくれます。
子どものための聖歌集もあり、子どもたちは、歌い終わってからご聖体をいただきます。
平和を子どもたちに残したい、そう強く思います。
平和旬間の期間に久留米教会では、広島の原爆で被爆し、12歳で亡くなった佐々木禎子さんにちなんで、千羽鶴を折ることにしました。
佐々木禎子さんについて
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0107/exh01071.html
女性の会が折り紙を準備します。
みなさん、心を込めて祈りを込めて、千羽鶴に平和を託しましょう。
枝の主日
3 月20 日、いよいよ聖週間です。鶯の鳴く春の澄み渡った青空のもと、聖堂前に集まった信徒は、棕櫚の葉を手に取って主のエルサレム入城を記念しました。また、この日の3時半からは英語のミサが行われ、聖堂一杯のフィリピンの方々も、手に手をとって、平和の王をお迎えしました。