行事風景
人とのつながり
4本目のロウソクが灯されました。
この待降節の日々を心穏やかに過ごし、イエス様のご降誕をお祝いする心の準備は整いましたか?
.
「質の高い睡眠」が大切であるという話を聞きます。
よく眠れていますか?
目覚めは良いですか?
眠れないほど気になることはありますか?
仕事や家事でとても疲れた日、よく寝付けないことがあります。
反対に、何かを頑張れた!と思える疲れ果てた日に、秒で眠りに落ちる日もあります。
今週は、そんな風に眠りにつけた、精神的に充実した嬉しい忙しさの日々でした。
この2年近くの新しい生活の中で人とのつながりが希薄になってしまった気がしていましたが、そうではなかったと気づく出来事がありました。
神父様から依頼されて、3年に渡って支援をさせていただいている方がいます。
いくつかの問題と病気を抱えていて、入退院を繰り返し、生活はとてもすさんでいました。
治療と安定した生活、落ち着いた日常を送ってもらうことが目標でした。
そこにコロナの蔓延があり、しばらく実際に様子を見に行くことができず、ずっと気になっていました。
その方はしっかりとした信仰心をお持ちの方ですし、担当してもらっているソーシャルワーカーさんとは連絡を取り合っていましたので、心配はしていませんでした。
その方が、今まで頑なに拒否していたグループホームへの入所を自ら希望して、入所されることになり、生活の基盤がようやく固まった、との連絡があったのです。
そのこと自体はもちろんとても嬉しいニュースでしたが、それ以上に感激したのは、ソーシャルワーカーさんの言葉でした。
「この3年、神父様とMさんの粘り強い諦めない支援の姿を見て、とても勉強になりました。
諦めずに根気強く関われば、こんな日がくるんだ、と感慨深いです。
本当にありがとうございました。」
人生とは永遠の命に向かい自ら選択していく場です。
「自分のことだけ」という小さな選択は、つまらない人生につながり、慈善の業という選択を重ねるなら、実りある人生になります。
良くも悪くも選択によって人生が決まるのです。
神を選べば、神の愛を受け、隣人を愛すれば、真の幸せを見出せるのです。
(12/13 教皇フランシスコTwitter)
そして、そのソーシャルワーカーさんは、
「コロナ禍に読んだたくさんの本からも多くのことを学んだ。
出かけられず人と会えなかった日々も、たくさんのことを考える時間になったので、自分には無駄ではなかったと思っている。
次のステップに進んで、自分に出来ること、やりたいことにチャレンジしてみようと思う。」
こう話してくれました。
彼のような若い方のこうした意欲的な意思表示は、聞いていてワクワクしますし、清々しい気持ちになりました。
わたしは伏して眠り、また目を覚ます。
主が支えてくださるから。
(詩編3・6)
わたしはみ前で安らかに床に就き眠ります。
主よ、あなただけが、
わたしを安らかに眠らせてくださいます。
(詩編4・9)
立ち返って、落ち着いていることで、お前たちは救われ、
静かにして、信頼することのうちに、お前たちの力がある。
(イザヤ30・15)
すべての思い煩いを神に委ねなさい。
神があなた方を顧みてくださるからです。
(1ペトロ「5・7)
わたしの質の良い睡眠も安らかな日常も、神様への信頼から得られるものです。
支えられていること、落ち着いて信頼すること、すべてを委ねること。
時には忘れてしまいそうになるこれらのお恵み、こうした短い聖句を繰り返し読んでいつも反芻したいと思います。
教皇フランシスコは、「シノドス性」を深める呼びかけを続けておられます。
シノドス性とは、「相手と一緒に生きること」ということなのだそうです。
人間関係が希薄になり、人を安易に信じることが出来ないような世の中ですが、キリスト者として生きることは「神=相手」と一緒に日々を歩んでいくことなのだ、と今年はいくつもの出来事から痛感しています。
12/1バチカンでの一般謁見説教の中からの抜粋です。
手帳に書き留めておきたい、深いお言葉です。
神はわたしたちの世界を広げ、人生のある状況について、もっと広い、異なる視点から見つめさせてくださる。
多くの場合、自分が陥った状況に囚われていても、そこに隠されていた神の御摂理が次第に形をとり、苦しみの意味を照らしてくれるようになる。
わたしたちの人生は想像どおりにはいかないことが多い。
特に愛情関係においては、恋愛の段階から成熟した愛に移ることは努力を伴う。
愛するとは、相手や生活が自分の理想に一致することを要求するものではない。
愛するとは、むしろ与えられた人生に対し責任を負うことを自由に選択することである。
自覚をもってマリアを選んだヨセフは、わたしたちに大切なことを教えてくれる。
・・・・・・・・・・・・・・
エルサレム西郊外のエン・カレムにある訪問教会の正面壁画には、天使に導かれてエリザベトを訪問するマリア様の美しい絵が描かれていました。