カトリック久留米教会

 

・ミサ中止のお知らせ (2021/5/7 緊急のお知らせ)

 

新着情報
06/14
その他
教皇様が日本に来てくださり、長崎でごミサに与った2019年11月24日のことは皆様もいまだ鮮明な記憶として残っているでしょう。 . 現在のコロナ禍においては信じられないような密集具合です。 当日の長崎県営スタジアムには3万人の信徒が集まり、パパ様のお姿に熱狂しました。 COVID19という正式名称は、コロナウィルス感染症2019の略です。つまり、2019年のこの教皇様の来日の際にはもうウィルスがまん延を始めていたのです。事実、このタイと日本への旅の後は教皇様は外国訪問を控えられ、2021年3月のイラク訪問が久しぶりの旅となりました。 このパパ様の訪日の目的として日本の司教団が意図していたのは次のポイントでした。 ◆被爆地からの平和メッセージ◆東日本大震災の被災者へのことば◆若者へのメッセージ◆諸宗教対話◆福音宣教への鼓舞 これらのことが挙げられていました。 メインテーマとして掲げられたことば「すべてのいのちを守るため」は、回勅『ラウダート・シ』の中の祈りの言葉から引用されました。 すべてのいのちを守るために、人間一人ひとりの尊厳を守ることと同時に、環境も大切にしなければならないという教皇様のお考えを表していると思い...
台湾へのワクチン提供に関する一連のニュース、涙が出ました。純粋なお互いへの思いやりだと信じたいと思います。ワクチン外交などという報道もありましたが、、、。 宗教間、人種間の対立が世界各地で長い間続いています。わたしはよくNetfrixで外国のドラマを観ますが、偶然なのか現在の世界情勢を鑑みた意図で配信が多いのか、最近よくイスラエル発のドラマが目に留まります。イスラエルが製作しているので仕方ありませんが、例えばイラクへの諜報活動が正当性をもって描かれていたり、ハマスが起こす終わりのないテロへの闘いであったり、ハラハラドキドキで(誤解を恐れず書くと)面白いドラマばかりです。ですが、ハリウッドのありえない設定のアクション映画と違い、おそらくかなり現実に近いストーリーばかりでしょう。   除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこ...
05/31
教会行事
併設する聖母幼稚園の園児たちによって、聖母祭が静かにお祝いされました。 緊急事態宣言の延長に伴い、久留米教会の閉鎖期間も6月20日まで続くことになりました。 そうした中,こうして園児たちが教会で祈りの時間を教えてもらっていることはとても嬉しいニュースでした。 . よくここに、教皇様のメッセージをご紹介させていただいています。以前、どのようなことを書いていくかについて宮﨑神父様とお話していた時に「教皇がどのようなメッセージを発信しているか、ぜひ紹介してみなさい。教皇の考えや教えを信徒が知ることも大切なことだから。」そうおっしゃったことがきっかけです。   教皇フランシスコが5月24日、バチカンの広報省・バチカン放送局を訪問、というニュースがありました。 「この席で教皇は、教会のメディアの仕事に関わる人々に感謝を述べ、どれだけ多くの人にイエスのメッセージが届いているかを常に意識しながら、これからも仕事に励んでほしいと述べられた。」 わたしはイエス様のメッセージを発信する末端に過ぎませんが、こうして情報を発することの責任を痛感させられました。   シラ書の51章とマタイの28章はとても...
05/24
その他
コロナ禍において、世界中の人々の様々な生活様式が大きく変わりました。 ミサの在り方もそのひとつですね。 誰もいないお御堂です。 わたしはどうも「youtubeでごミサに与る」というのがしっくりこないのですが、先日お話したおばさまは、「以前は、決まった祈りの言葉を口にして、聖歌を一生懸命に歌って、という感じだったけれど、今はパソコンの前でごミサに与り、神父様の動きひとつひとつの細部までじっくりと見ることができて新しい発見があるのと、いろいろな教会のミサに与れるのが嬉しい。」とおっしゃっていました。 もうひとつ、わたしがよく感じるのは葬儀の執り行い方についてです。 仕事の関係上、「訃報」の連絡がファックスで届くのですが、この1年は決まって「なお、通夜葬儀はすでに近親者で執り行いました。ご供花、ご香典などは固く辞退申し上げます。」と書いてあります。 以前であれば、会社の代表者が亡くなられた際は、大きな広い斎場で多くの参列者が一堂に会し、並んでお焼香や献花をしていました。 わたしが最近参列した葬儀では、「お焼香は13時から随時ご自由にお願いいたします」とご案内がされ、会場に同時間に人が集まることは...
今年はとても早い梅雨の季節となりました。自然の営みには驚かされます。我が家でも、はやくも紫陽花がとても美しい。(知ってたのか?!もう自分の季節が来たことを!と思わず口にしたわたし。) . . 初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。(創世記1・1~2 新共同訳) 聖書のこの有名な出だしの一文は、地の混沌とした状態は神の創造行為の後にできたように理解されています。 しかし、現在のヘブライ聖書学者たちは「神が天地を創造され始めた時、世界は混沌であった」という訳を支持しているそうです。つまり、『混沌からの創造』であり、全ての物事は神に抗うことのできる自由意思を持つのだ、と言うのです。 たしかに、なるほどだからこんなに人間とは成長しない愚かな存在なのだ、、、とも思えてきます。 良きものとして創造されたのに、自由意思をはき違えてしまう歴史を繰り返す生きものです。 先月からのイスラエルの、まさに混沌とした、戦争ともいえる民族間の争いに心が苦しくなります。 . 聖書学者の本多峰子さんによると、プロセス神義論では「この世にある悪や人間の苦しみを...
0 0 5 2 6 2 5