行事風景

不完全なわたしたち

梅雨とはいえ、朝晩は空気が澄んでいて日中はカラッと暑く、とても気持ちの良い初夏の久留米です。

先週ご紹介した本には、星野富弘さんについて書かれている箇所があります。

星野さんは、大学を卒業してすぐに体育教師となり、24歳の時に授業中のケガが原因で頚髄損傷を負います。
首から下が完全にマヒしますが、2年後、口にくわえたペンで字を書く練習を始めます。
初めは、紙に点を書くだけで精いっぱいだったそうですが、「口で字を書くことをあきらめるのはただ一つの望みを棄てることであり、生きるのをあきらめることのような気がした」と。

次第にキリスト教に惹かれていくのですが、すぐに全てを信じることはできなかったといいます。
ですが、同じ病室で、病気の治る日に備えて懸命に努力している人をみて、少しずつ考えが変わっていったのです。

「いつかは分からないが、神様が用意していてくれるほんとうの私の死の時まで、胸を張って一生懸命生きようと思った」のです。

ケガから3年半後、病室で洗礼を受けます。
「私のいまの苦しみは洗礼を受けたからといって少なくなるものではないと思うけれど、人を羨んだり、憎んだり、許せなかったり、そういうみにくい自分を、忍耐強く許してくれる神の前にひざまずきたかった」と述べています。

 

主のすべての業は何と慕わしいものであろう、見ることのできるのは火の粉にすぎなくとも。
これらすべてのものは生き、永久に残り、すべての用を果たし、もろもろの必要に応じる。
万物はことごとく対をなし、一つは他の一つに対応する。
主が造られたもので不完全なものは何一つなかった。
一つのものは他のものの長所をさらに強める。
誰が、主の栄光を見飽きる者があろうか。
(シラ42・22~25)

 

わたしは、以前も書いた通り、20歳で大病をしたことをきっかけに洗礼を受けました。
後に、ある方から「成人洗礼の人は、病老苦死が洗礼の理由になる場合が多いよね」と言われたことがあります。

まるで、病気の苦しみから逃れるために受洗したと言われた気がして、若かったわたしは傷ついたものです。

ご紹介している本の著者は、星野さんについてこう書いています。

彼は、自分の状況について神を恨むとか、神を疑うとか、そのようなことは一切口にしていません。
彼は、むしろ神に惹かれていったのです。
決して神にすがりはじめたのではありません。
そうではなく、神に感謝する気持ちを持ち始めたのです。
(石川明人 著『宗教を「信じる」とはどういうことか』より)

星野さんやわたしのように、ケガや病気をきっかけに信仰に惹かれていった方は、おそらく多くの場合、同じ気持ちだと思います。

ケガや病気が治ったことへの感謝、ではなく、「与えられた、新しい自分の人生を生きることを受け入れることができた」ということへの感謝です。

シラ書には「主が造られたもので不完全なものは何一つなかった。」とありますが、わたしなりの解釈では、「ひとりでは完全ではなく、互いに補い合い、神を信じることで完全なものになれるよう造られた」と考えます。

旅をした人は多くのことを知っており、
経験豊かな人は知識をもって語る。
試練に遭ったことのない人は僅かなことしか知らない。
しかし、旅をした人は賢さを増す。
(シラ34・9〜10)

星野さんは教会に通えないので、ザアカイを思っていちじくの木の下までお散歩をして考える、と詩にされています。
彼は自分で動けないのですが、日々、旅をされているのだ、と詩画集を見ていて感じるのです。

わたしも入院中に、母校の修道会のシスター方が代わるがわるお見舞いに来てくださっていました。
その際にいただいた星野さんの詩画集は、今でも大切にしています。

福音書、という詩画があります。

毎日見ていた
空が変った
涙を流し 友が祈ってくれた
あの頃
恐る恐る開いた
マタイの福音書
あの時から
空が変った
空が私を
見つめるようになった 

不完全な存在だからこそ感じ取ることができる、素直に信じる気持ち。
星野さんの詩から、そのような、忘れてはいけないものを感じます。