行事風景

至聖なるイエズスの聖心の祝日

 夜7時より至聖なるイエズスの聖心に奉献された久留米教会の献堂62周年を記念しミサがささげられました。

 

80名程の信徒が参加されましたが、久留米教会の特別な記念日ですので来年度は多くの信徒の方の参加をお待ちしています。

天草へ日帰り巡礼

 快晴に恵まれたこの日(月曜日)、女性の会では恒例の日帰り巡礼へ行ってきました。

今年は、熊本県天草の教会を巡ってきました。

崎津教会でミサをささげ、大江教会を訪ねて、渡辺神父様から教会について迫害時代の信仰の歴史などについてお話を伺いました。

 明治時代から大正時代にかけて、九州の教会建築史にその名を馳せた鉄川与助氏作の両教会は、ゴシック建築様式の崎津教会とロマネスク様式の大江教会と、違った建築法であることを学びました。また、教会堂の支柱が地上と天国を結ぶ重要な意味を持っていることの説明に一同感動を覚えました。

 当日は宮崎神父様と森山神父様も参加され、総勢35名の巡礼団となりました。予定通り無事に楽しく巡礼ができたことを、神に感謝しました。

女性の会会長

教会学校の黙想会

 3月26〜27日に「かみさまの愛」というテーマで教会学校の黙想会が行われた。森山神父様により、神の愛を証したコルベ神父様やダミアン神父様、オスカー・ロメロ司教様の話がなされた。子ども達は「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネ15:13)」や「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことである(マタイ25:40)」などの聖書の言葉を覚え、神様の愛について黙想し、学びを深める良い機会となった。

四旬節黙想会(3月22日~24日)

指導:十時伸治神父(武雄、多久教会)

 

 今年の黙想会のテーマは【教会は神様の家族】でした。

やはり、お手本となるのは聖家族ですが聖書に詳細な記述はありません。そこで神父様は、聖書の文言から書かれていない部分を思いめぐらし、イエス様の御言葉に耳を傾け、「祈り」という共に対話する時間を黙想するよう勧めておられます。家族には父親的、また母親的な役割に加えて、祖父母といった熟練者の知恵も必要であると聖書から引用されました。

 核家族が増え、仕事に追われる現代の家族が病んでいる要因の一つに家庭の崩壊があります。母親が子供に教える最初の言葉が「祈り」であったらどんなに良いことでしょう。しかし、様々な問題が山積する現代の家庭は複雑で、混沌としています。

 教会は信仰を共にするものが集い、共に祈り、分かち合い、御聖体を頂いて光を受け、そして主に派遣されていく処・・・すなわち【教会は神様の家族】だったのですネ。

 ニューヨークという人種の坩堝・・・現代は人種のサラダボールという表現を使うそうですが・・・その傷ついた街、傷ついた人々、国家や宗教そしてマスコミなどのフィルターを通して見ることよりも、人として、同じ人間として心から触れ合う大切さを、聖書を通してお話くださいました。

 そして3日目の夜の今夜・・・「ありがとう」、「ごめんなさい」・・・このシンプルな言葉を心から素直に言えているだろうか? 特に神様に対して・・・この気持ちを持ってミサに与ります。そして力を頂き、また明日から頑張りたいと思います。十時神父様、お疲れ様でした。(謝辞より)

日本の信徒発見の聖母ミサ

 夜7時から荘厳なラテン語聖歌とともにミサが捧げられた。

森山神父様の説教の中に殉教も厭わなかった禁制時代のキリシタンに思いが込められていた。

船津亮太神学生朗読奉仕者選任式

 四旬節に入った3月5日、宮原司教の司式のもと、二人の助祭、神学生も奉仕者として駆けつけ、ペトロ船津亮太神学生の朗読奉仕者選任式が行われました。

  

 式の中で名前を呼ばれた船津神学生は、前に進み出て、司教の訓話を受け、さらに聖書を手渡され、正式に朗読奉仕者として選任されました。司教は説教の中で、「神さまは、その民の中から、民のためによろこんで奉仕する人を求めておられる。日々聖書を読み、よきみ言葉の奉仕者となってください」と励まされました。また、船津神学生は、式後の挨拶の中で、「久留米に帰ってくる度に、この教会に守られていると感じる。3年間ここまでやってこられたのは、皆さんのお祈りに尽きる」と述べました。さらに選任にあたり以下ようにその思いが寄せられました。「朗読奉仕者として新たな一歩を始めるにあたり、これまでわたしとともに歩んできた一人ひとりのお顔が思い浮かんでいる。頼るべき親や家族と別れ、ひとり孤独の悲しみにうちひしがれる方。自分にはどうしようもない現実を前にただ泣き叫ぶしかない子。病の苦しみの中にあって生きる希望が見出せない人。子の命の危機にあってただ一心に祈りをささげる親。選任式でわたしは名前を呼ばれ『はい』と返事する。それはラテン語で“adsum”。『わたしはここにいます』。そのとき神はわたしを民の中から呼ばれ、みことばをゆだねられる。ここにいるわたしたちが神のことばによって生きる力を得るために、わたしはみことばを黙想し、それを生きる朗読奉仕者として一歩を踏み出す」と。式後は、信徒会館に場所を移して、なごやかに茶話会が催されました。

 

 

今村信徒発見150周年ミサ

 この日に今村でカトリック信徒が発見されて150 年を迎える。記念ミサ(祝賀行事)に参列することが出来、感謝の気持ちで心高ぶるものがありました。記念ミサ司式は駐日教皇大使チェノットゥ大司教、宮原司教様、竹森主任司祭ら6名ほどの共同ミサで盛大に催されました。ミサ前に地元の大刀洗混声合唱団による宗教音楽で花を添えて下さいました。

 長崎の大浦天主堂の信徒発見から2年後に、4名の浦上地区の信徒が商売人になりすまして会話する中で、宗教の話題に触れた時に同じ信仰に通じる点を発見されるお恵みをお互いに見出しました。

 今村カトリック教会は長崎県内の国指定の教会群の設計者である鉄川与助氏の設計で最大級の建立物であります。私達も近郊の久留米市に在住していますが今村カトリック教会を全国に誇れる教会と自負しています。

ペトロ 浦