行事風景

カトリックと女性たち

久留米教会の、わたしの一番好きな光景です。

 

ミサの後、気持ち良い陽射しの下、年代も国籍も様々な信徒がこうしてコーヒーや温かいスープを片手におしゃべりして笑い、交流し。

ベトナムのみんなも、彼らの飾り付けのお手入れに余念がありません!

 

昨年、ハリウッドの世界で盛り上がりを見せた運動に、#meetooというものがありました。

女性であるがゆえに軽んじられてきた地位の向上や、
セクハラによる被害を訴えていく活動をハリウッドの有名女優たちが行ったことで、
とても大きく取り上げられました。

先週の報道では、「サウジアラビア政府は、レストランなどに設けられている男女別の入り口を撤廃すると発表」とありましたし、エルサレムでは神殿の西の壁(ユダヤ教徒の祈りの場)では壁は男女別に祈るよう分けられていました。

このように、宗教の世界では、男女の区別(差別ではなく)が色濃く残っている現実があります。

 

歴史を振り帰ってみると、イエス様のお墓を最初に訪問して遺体がなくなっているのを発見したのが女性だった ように、
目を引く、女性が成し遂げた活躍や転換点があったと思います。

 

ルイーザ・ロルダン作
The Entombment of Christ(「キリストの埋葬」一部)

 

また、ローマ帝国の皇帝があれほど迫害していたキリスト教を結局認め、
ローマ帝国の国教にまで格上げしたのはなぜか。

その理由の大きなひとつとして考えられるのが、
皇帝の母親や妻たちの存在であったと言われています。

コンスタンティヌス帝の母ヘレナ

 

313年に皇帝コンスタンティヌス1世がキリスト教を公認しました。

母ヘレナが320年ごろにエルサレムを巡礼し、イエス様の処刑に使われた十字架や釘を発見したことで聖墳墓教会が建てられた、と言われています。

長い伝統と既成宗教によって、イエス様の生きた時代から先もずっと、当時の女性たちはとても抑圧されていました。

ですが、初期のキリスト教(といっても宗教としてではなく、イエス・キリストの教えそのもの)は、
規制や戒律といった堅苦しい義務を語らず、
「夫が妻を離縁する」などという一方通行の男女関係はありえない、とまで言いました。

女性に支持されたのは当然でしょう。

 

バチカンでも、女性の活躍がめざましいようです。

首長も政府の首脳も全員がカトリックの聖職者(=独身男性)のみ、という特異な国、バチカン市国。

2014年の統計では、バチカンの公務員として働く一般女性は全体の19%を占めています。

修道女の場合でも、観想型修道会のシスターと違い、世界中をまわるアクティブな修道会のメンバーが多いそうです。

実際に、各国政府の招聘するさまざまなテーマの国際会議にバチカン代表として出席するシスターもいらっしゃるのです。

1983年には、一般信者が男女の区別なくバチカンの職員になれることが、
教会法の中に正式に書き加えられました。

 

わたしたちにとって一番身近な教会共同体を取ってみても、女性(おばさま方!)の活動なしには語れません。

これは、どこの教会でも異論のないところでしょう。

昨日の女性の会のバザーも大盛況でした。

久留米教会も、素敵なおばさま方が精力的に様々な役割を引き受けてくださっています。