カテゴリ:復活節
他者とのかかわり
GW後半は初夏のような陽気ですが、皆さま少しはゆっくりお休みされましたか?
福岡教区報の5月号に掲載されていた「司教、花祭りにお寺を訪問」の記事、大変興味深く読みました。
4/8のお釈迦様の誕生を祝う仏教行事に際して、教皇庁諸宗教対話評議会(←この会そのものに興味津々‼︎)からのお祝いメッセージを持ってお寺を訪問されたそうです。
以前から、こうした他宗教やプロテスタント教会とカトリック教会のかかわりについて、とても関心を持っています。
宮﨑神父様は昨年、プロテスタントの日本基督教教団の筑後地区研修会において講和を依頼され、「隠れキリシタンと潜伏キリシタンについて」というテーマでお話しをされました。
明治時代に創設された教団のため、そのテーマについてよく知らないので勉強したい、との要望があったからだそうです。
久留米教会では毎年12/25の夕方、色々な宗派のプロテスタント教会の信徒と合同で、久留米のメインストリートでクリスマスキャロリングをしています。
ブッダの教えの中に「此あれば、彼あり」というのがあります。
これがこのようなのは、かれがあのようであるからだ、というシンプルな教えです。
他の波があるから、この波が存在する。
哲学的ですが、水は波の存在の基盤なので、波は自分が水そのものであることに気づくのです。
作家の若松英輔さんによると、
「私たちカトリックは」と言ったとき、普遍を意味するカトリックの本来の、すべての人たちと何らかの形でつながろうとする営みどころかむしろ、「わたしたちは選ばれたもの」という立場に立つことになる。それはカトリックの霊性に離反することだ。
わたし自身、他者、他宗教の方々に少なからず偏見を持った気持ちをもってしまうことがあります。
司教様のお寺訪問の記事から、とても考えさせられました。