行事風景
クリスマスの過ごし方
久留米は初雪の日曜日でした。
朝は吹雪のような降り方でしたが、主日のミサにはいつも通り100名以上の参列がありました。
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先日、ジュゼッペ神父様が「あなたにラブレターです」、とお手紙をくださいました。
先週のごミサで、ジュゼッペ神父様がこうおっしゃいました。
「人を喜ばせるために、努力・苦労していますか?
今年のクリスマスこそは、誰かを幸せにするための努力をしましょう!」
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この前、わたしの前の席に座られていたご年配の女性。
お見かけしたことのない方でしたし、明らかにごミサに与るのは初めて(数回目?)のご様子。
聖体拝領の時に「洗礼を受けておられますか?」とお尋ねしてみました。
「いいえ。両親は信者でしたが、わたしは受洗していません。今日は父の命日なので、教会に来てみました。」
「それでは、神父様の前に行かれた時に、頭を下げてみてください。祝福してくださいますから。」
「本当にいいのですか?」
「もちろんです。お父様も喜ばれますよ。」
席に戻られた時、とても晴れやかなお顔をされていました。
毎年この季節になると、信者ではない方のミサへの参列が増えます。
フラッと入ってこられるだけではなく、ミサに参列してみよう、というのはおそらく勇気のいることではないでしょうか。
そうした方を見つけたら、「はじめてこられた方へ」という教会のパンフレットをお渡ししたり、少しお話を伺ったり。
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ジュゼッペ神父様のおっしゃったように、「この季節だからこそ!」とできることはいろいろとあります。
十戒には、「お前の父と母を敬え」という項目があります。
男性優位社会であったのに、「父に従い、母を尊重」ではなくどちらも同じように「敬え」となっているところがポイントです。
シラ書には、この十戒について解説された箇所があります。
父を敬う者は罪を償い、
母を尊ぶ者は宝を積む者に等しい。
言葉と行いを持って、父を敬え。
そうすれば、父の祝福が、お前の上に臨むだろう。
父の祝福は、子供たちの家を強めるが、
母の呪いは、その土台を覆す。
(3・3〜4、8~9)
心を尽くして父を敬え。
母の産みの苦しみを忘れるな。
お前は、両親によって生まれたことを銘記せよ。
彼らがお前に与えたものに、
何を持って報いることができようか。
(7・27〜28)
箴言23章24~25節には、次のように書かれています。
正しい者の父は大いに楽しみ、
知恵のある子を産んだ人は、その子を喜ぶ。
お前の父はお前とともに喜び、
お前の産みの母はお前とともに楽しむ。
今週は、耳を疑うような事件がありました。
親を大切にする家庭で育っていれば、その習慣は自ずと子どもに引き継がれるものだと思うのです。
「両親を大切にする。」
当たり前のような、誰もが分かっているこの大切な務めは、同時にみんなが「思ったほどできていない」ことではありませんか?
遠く離れて住んでいても、亡くなって天国にいても、できる親孝行はあるものです。
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わたしがモットーにしているのは、次の聖句です。
『天国にいる母のために』
主に従う者は、母に安らぎをもたらす。
(シラ書3・6)
教会で与えていただいている役割を務めていると、母が喜んでいるような気がするのです。
『助け合って暮らす父のために』
子よ、年老いた父の世話をせよ。
その余生を悲しませるな。
たとえ、父の知力が衰えても、これを大目に見よ。
(シラ書3・12〜13)
かなり大目に見ています。
歳と共に優しくなってきているので、これからも大目に見ることとします。
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フランシスコ教皇様は水曜日の一般謁見のお説教で、クリスマスを祝うことは良いことだとしながらも、「しかし、お金をかけずに、もっと質素なプレゼントを用意し、節約した分をウクライナの人々に送ろう」と呼びかけられました。
これもまた、クリスマスのよい過ごし方でしょう。
降誕祭までのあと数日、丁寧に、悔いのないように、大切に過ごしていきましょう。