カテゴリ:復活節
一致した祈り
ミサで1番好きな時間は、皆さんが一緒に『主の祈り』を唱える時です。
新しい典礼になり、完全に覚えられていないセリフもありますし、まだ、「また司祭とともに」と唱えていらっしゃる方も多いのですが、ミサの中で、『主の祈り』を唱える時は、集っている信徒が一致して、神様に感謝の祈りを捧げている実感があるのです。
毎週、二人の司祭と神学生によるごミサに与れる久留米教会は、本当に恵まれています。
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先日、叔父が亡くなりました。
わたしもとても可愛がってもらいましたし、何より父とは仲の良い兄弟でしたので、突然の死にただただ呆然としました。
あまりにも急なことでしたから、お通夜も葬儀も、家族親戚一同、涙に暮れるというよりも、お正月にさえ一同に会することのない人々が集まり、賑やかな優しい時間を過ごしました。
葬儀の際にお坊さんが唱えるお経を聞きながら、皆さんと共に手を合わせて「南無阿弥陀仏」と唱える瞬間に、「あ、これはミサの時に感じるのと同じだ」と思ったのです。
おそらく、会場にいたほとんどの方が、熱心な仏教徒というわけではなかったと思います。
ですが、叔父のために参列してくださり、葬儀の際にしか手にしないであろうお数珠を指にかけ、叔父の安息を願って「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と何度も共に唱えるのです。
わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光に輝く父が、神を深く知るための知恵と啓示との霊をあなたがたに与えてくださいますように。
そして、あなた方の心の目が照らされて、神の招きに伴う希望がどのようなものであるか、聖なる人々が相続する、約束されたものの栄光が、どれほど豊かであるか、また、神の力強い威力ある働きかけに従って、信仰をもつわたしたちに及ぼされる力が、どれほど偉大なものであるかを、あなた方が知ることができるように祈っています。
教会はキリストの体です。
このキリストこそ、教会のすべてのものが、すべてにおいて満たされていくもので満ちておられる方です。
(エフェソ1・17〜19、23)
この、パウロの祈りでパウロが言う「すべてのものが、すべてにおいて満たされていくもの」とは、わたしたちが心を合わせて祈る気持ち、キリストに結ばれたわたしたちの一致した祈りではないかと思います。
G7が広島で開催されました。
平和公園で並んで献花をし、目を閉じて黙祷を捧げた各国の首脳たちも、あの瞬間は「犠牲になられた皆さんの安息」を一致して祈っていたことでしょう。
あくまでもへりくだりと優しさをもち、広い心で、愛によって互いに耐え忍び、平和という絆で結ばれて、霊のもたらす一致を大切に保つよう熱心に努めてください。
(エフェソ3・2〜3)
ウクライナのゼレンスキー大統領が広島についてすぐ、「平和はさらに近づくだろう」とツイートされたそうです。
実際には「もっと武器を、もっと戦車を。戦闘機も!」と言うために来られたのかもしれません。
それでも、広島という地で多くの国の首脳たちが、「平和に向かって一致団結して行こう」という姿勢を見せることには感動しています。
聖霊による一致のうちに、あなたとともに神であり、世々とこしえに生き、治められる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって、戦禍に苦しむ人々の憂いと悲しみが一日も早く取り去られますように。
アーメン
3年ぶりに、女性の会によるコーヒーバザーが開催されました。