カテゴリ:聖書

落穂拾いにみる憐れみ

ミレーの落穂拾いという絵をご存知でしょう。

 

刈り入れが終わった後の畑に残った麦の穂を拾い集める3人の貧しい農婦が描かれており、背景には穀物がうず高く積まれ、豊かな地主が馬に乗って監督するもとでのにぎやかな収穫風景と対比して描いている。(wikipediaより)

レビ記19・9~にはこう書かれています。

お前たちが自分の土地の刈り入れをするとき、お前は畑の隅まで刈り尽くしてはならない。
またお前の刈り入れの落ち穂を拾ってはならない。
お前のぶどう畑の実を取り尽くしてならない。
お前のぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。
それらは貧しい人や他国の者のために、残して置かなければならない。
わたしはお前たちの神、主である。

去年の刈り入れの時期に、我が家の近くの田んぼの一角に、
刈り取られないまま残された束がありました。
もしかして、聖書の教えを守ってるの?!ととても気になり、
作業されている方に聞いてみました。
「特に意味はありません」と言われ、一人で笑ってしまいましたが。。。

 

miserere nobis

【我らをあわれみたまえ】

 

ミレーは同時期に、ルツ記2・6~に由来する『刈り入れ人たちの休息(ルツとボアズ)』も描いています。

 

 

レビ記19・33~

もし他国の者がお前とともに、お前たちの土地に在留するなら、その人を虐げてはならない。
お前たちのもとに在留している他国の者を、お前たちの国に生まれた者と同じようにみなし、お前自身のように愛さなければならない。
お前たちもエジプトの地において他国の者であったからである。
わたしはお前たちの神、主である。

 

miserere nobis

【我らをあわれみたまえ】

 

われらが主にあわれみを受けたように、貧しい人、他国の者をあわれみなさい。

ユダヤ教の人々は、モーセ五書のなかでも特にこのレビ記を規範としています。

モーセ五書のなかには、落穂拾いの原則、ユダヤ人がエジプトで他国の者であったことを忘れるな、という記述が何か所もあります。
ユダヤ教徒でなくても、こうした考え方を世界中の人々が心に留めているなら、難民や国境の壁といった問題は現在のようにこじれることはないのに、と思ってしまいます。

 

自己愛について

昨日のごミサの時間の時点でもう30℃超えの久留米です!

 

時折吹く風が心地よい中、幼稚園の園庭のマリア様を囲んでロザリオを唱えました。

 

福音書には、愛についてのイエスさまのお言葉が多く書かれています。

26日のごミサの第2朗読のヨハネによる福音書の箇所を、フランシスコ会訳で引用します。

 


 

「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。

わたしの父はその人をお愛しになり、

わたしたちはその人の所に行き、

ともにそこに住む。」

ヨハネ14•23


注釈には、イエスは自分を愛する者の内に父(神)とともに来て居を定める、とあります。


カトリック信者の哲学者の山本芳久さんによると、

「神が私に愛を注いでくれるということは、この世界の根源である神が私自身を肯定してくれていることに他ならない。

そして、神から肯定されているという事実を受け入れることによって、自己を自分自身によって肯定することができる。

これが自己愛の出発点になる。」


自己愛

なかなか難しい問題だと思っています。

トマス•アクィナスは、自己愛が基盤にあってはじめて他者への愛も成り立つのだと言っています。


自己愛、つまり

自分を愛する

自己を大事にする

この愛が基盤にあってはじめて隣人愛が成り立つというのです。


約450年前のキリシタンたちは、宣教師からカリタス(神の愛)というラテン語を「御大切」と訳して教わりました。

愛とは大切にすること、というのはわたしたち日本人にはしっくりくる表現ではないでしょうか。

自己愛、というと自己本位なニュアンスを感じてしまうし、自分を愛する、自分自身を肯定するというのはなかなか出来ないと思ってしまいます。

ですが、自分を大切にするという教えだと捉えれば受け入れやすい気がします。 


「わたしを大切に想う者は、わたしの言葉を守る。」


そう読んで、自己愛の大切さについて深く考えた日曜日でした。

 

Thank

 

 

「聖書に全て書いてある。」

今日は、本をご紹介します。
世界的なベストセラーなので、ご存知の方が多いかと思いますが、
わたしは最近知って買い求め、没頭して一気に読みました。

 

 

1923年に英語で出版されたこの詩集、30数か国語に翻訳されているそうです。
文が美しい。
この携帯サイズの小さな本の中に、カトリックの教えが美しい散文になって凝縮されている気がします。
愛、結婚、自由についてなど26個のテーマに沿って預言者が語る、という設定になっています。

美智子皇后さまもご愛読されているようです。

「レバノンの詩人・哲学者・画家である著者のカリール・ジブラン。
20世紀のウィリアム・ブレイクとも称され、多くの詩人・思想家・政治家のみならず、
サブカルチャーにも影響を及ぼした偉人が、人間の普遍的テーマ…愛、労働、喜びと悲しみ、友情など
26の項目について深く語りかける詩集。」
(amazonの内容紹介より)

本の装丁も美しく、いつもバッグの中に入れて持ち歩くことにしました。
いつでも人に勧められるように。

箴言
好きなのです。
この本を読んでいて、箴言を深く掘り下げて咀嚼されているような気がしたのです。
箴言は、読んでいて心に刺さる言葉が多いし、
何よりも読みやすい。


心を尽くして主に寄り頼み、
自分の聡明さに頼るな(3・5)

口数が多ければ罪は避けられない
しかし、口を慎むものは賢い人(10・19)

寛大な人は満たされる
人を潤すものは自分も潤される(11・25)

心が楽しいと、顔色も晴れやかになり、
心に憂いがあると、気も沈む(15・13)

率直な戒めは、ひそかな愛に勝る(27・5)


『ソロモンの箴言』と言われる10章~22章、25章~29章は
さらりと読めるこうした名言ばかりでお勧めです。

曽野綾子さんの本に書いてありました。

「人生に必要なことは、聖書に全て書いてある。」

本当にそうなのです。

もう一か所、聖書の好きな箇所を。

ぶどう酒は程よく飲めば人にとって命に等しい。
ぶどう酒のない人生とは何であろうか。
時に応じて程よく飲むぶどう酒は、
心の楽しみであり、魂の喜びである。

シラ書31・27~28

 

佐久間神父様の翻訳の『預言者』の中から、一部ご紹介します。

愛があなたがたをさし招いたなら、愛に従いなさい。
たとえ、その道がどんなに厳しく険しくても。
愛があなたがたに語りかけたなら、愛を信じなさい。
たとえ、その声が、庭を荒らす北風のように、あなたがたの夢を打ち砕いても。
なぜなら、愛は、あなたがたに栄冠を与えると同様に、あなたがたを十字架につけるのです。
愛はあなたがたを育て、また刈り込みます。

夜明けに目覚め、飛び立つ思いで、愛のあたらしい一日のために感謝をささげること。
昼下がりには静かに休らい、愛の恍惚を思い出して味わうこと。
夕暮れには、感謝に満ちて家路をたどること。
そして、心では愛するひとのために祈り、
唇では賛美の歌を歌いながら眠りにつくこと。

とてもとてもお勧めの本です。