カテゴリ:待降節

ことば、沈黙

久留米教会の建物正面に、新しいステンドグラスが設置されました。

久留米市の市木のひとつである椿と、伝統工芸の久留米絣をモチーフにしたものです。

教皇フランシスコのお告げの祈りでのお言葉です。

沈黙と祈りを通してのみ、わたしたちは御父のみことばであるイエスに耳を傾け、空虚なことばやおしゃべりから自由になることができるだろう。
それは、キリスト教生活の本質的要素である。

声は、わたしたちの考えや心の思いを表す道具である。
ならば、それが沈黙と大変関連していることがわかるだろう。
なぜならば、声は自分の内部で成熟したもの、聖霊の促しに耳を傾けることで得たものを表現するからである。

沈黙できないならば、意味ある言葉を話すのは難しいだろう。
それに対し、より注意深く沈黙すればするほど、言葉はより力あるものになる。

さあ、自問しよう。
自分の一日において、沈黙はどういう位置を占めているだろうか。
それは虚しい、あるいは重苦しい沈黙だろうか、それとも傾聴と祈りの空間、心を守る場所だろうか。
わたしの生活は節度を保ったものか、それとも無駄な物ごとであふれているのか。

 

わたしは父との二人暮らしですので、実際に家の中が静寂に包まれる時間があります。
小さなお子様のいるご家庭では難しいことですが、そうした静寂の中で沈黙し、じっくりと自分を見つめることも好きな過ごし方です。

パパ様のおっしゃる、「声は、わたしたちの考えや心の思いを表す道具である」ということについて考えました。

最近は、人とのやり取りはもっぱらLINEで、というのが当たり前になっています。
わたしも、よほど緊急でなければ、友人との連絡はLINEばかりです。

もちろん、実際に会って顔をみて話をするのが、人と人とのコミュニケーションとしては理想です。

一方で、LINEに伝えたいことを書く際には、少し考えて、言葉を選びながら、できるだけ短く、と心がけることもできます。

現代社会においては、発することばもLINEに書いた文字も、それはわたしたちの「声」です。

わが子よ、わたしの言うことをよく聞け。
わたしの言葉に耳を傾けよ。
それをお前の目から離さず、お前の心のうちに保て。
それを見出す者には、それは命となり、その全身を健やかにする。
用心深くお前の心を守れ。
そこから、命の泉が湧き出る。
ひねくれたことを言う口を、お前から取り去り、曲がったことを言う唇を、お前から遠ざけよ。
お前の目は前を見つめ、お前の視線を、お前の前に注ぐようにせよ。
お前の足の歩みに心を配り、お前のすべての道を堅く固めよ。
右にも左にもそれるな。
お前の足を悪から遠ざけよ。
(箴言4・20〜27)

心を守れ、という表現には、とても深いものを感じます。
心は、わたしたちの生活を支配する中核であり、心の動きによって身体全ての活動が促されるのです。
ひねくれたこと、曲がったことをことばや文字にして発すれば、相手だけではなく自分自身にもダメージがあります。

箴言の著者は、「主の言葉に耳を傾け、常に前を見つめ、歩みを強固にすることで、命の泉が湧き出る」と教えてくれています。

口数が多ければ罪を避けられない。
しかし、口を慎む者は賢い人。
(10・19)

人は、その口から出る言葉によって、善いものに満ち足りる。
(12・14)

慰めの言葉は命の木。
乱暴な言葉は魂の痛手。
(15・4)

言葉に心を留める人は喜びを見出す。
主により頼む人は幸い。
(16・20)

言葉を慎む者は知識ある人。
冷静な心を保つ者は理性ある者。
(17・27)

直接会って、適切なことばで会話ができない不安があるならば、黙って見守ることも時には必要かもしれません。

わたしはかなりズバッと相手に言うタイプなので、この格言を書いた紙をお財布に入れて持ち歩いていた時期があります。

Wisdom has two parts,having words to say and not saying it.

知恵には二つの面がある。
言うべきことを持つこと、それを言わないこと。

どこで見つけたものかは忘れましたが、今思えば、おそらく聖書から来ているのではないかと。

本当に大切だと思うことは、一度沈黙し、言うべきことを相手に伝えるかどうかを吟味し、できれば顔を見て伝えるように心がけています。

率直な戒めは、ひそかな愛に勝る。
友人の与える傷は真実なもの、敵の口づけは偽り。
(27・5〜6)

マタイ26・48にある、ユダのイエスへの口づけを想起させる箇所だ、と教わりました。

自分に対して友人がそうしてくれるように、わたしも、相手に伝えるべきだと思ったことは丁寧に対応するようにしているつもりです。

冒頭のパパ様のお話を、是非もう一度お読みください。

空虚なことばやおしゃべりに支配されないよう、沈黙の時間を大切にしたいものです。