新着情報
2月になり、立春とはよく言ったもので、春めいた暖かさが続いています。昔の人は、季節を素晴らしいタイミングで暦に表したものだと感心しますね! 差し込む光も、気分的に柔らかなものに感じます。 . これこそ、わたしが選ぶ断食ではないのか。不正の鎖を解き、軛の結び目を解き、虐げられた人を解放して自由の身にし、軛をすべて、打ち砕くこと。飢える人にお前のパンを分かち与え、家のない貧しい人々に宿を与え、裸を見れば、着物を着せ、お前の同胞に対してみて見ぬ振りをしないこと。その時、お前の光は暁のように輝き出で、お前の癒しは速やかに生じる。お前の正しさがお前の先を行き、主の栄光が背後の守りとなる。その時、お前が呼べば、主は応え、叫べば、『わたしはここにいる』と仰せになる。お前の光は闇の中に輝き出で、お前の暗闇は真昼のようになる。(イザヤ58・6~10) (これが本来の「断食」を意味する箇所である、と教わりました。) わたしは悩みの中から主を呼び求め、主は答えて、わたしを広々とした所に移してくださった。主はわたしの味方、わたしには恐れがない。人はわたしに何をなしえよう。主はわたしの味方、わたしの助け。主に寄...
02/05
今週のお知らせ
⭐︎主任司祭より 日曜6:30、9時ミサ後(清掃後)に新しくなった聖歌の練習を行っています。お時間の許す方は、どうぞご参加ください。 ⭐︎女性の会より 本日(5日)9:00ミサ後、聖堂にて例会を行います。 ⭐︎日曜学校より 2月12日(日)9:00のミサ後、保護者分かち合いを行いますので、お集まりください。
寒い寒い一週間でした。最低気温が氷点下という日が続き、高騰する電気代を気にしながらも、エアコンをつけ続けて過ごしました。 そんな中、考えていたのは「ウクライナの人たちは日本よりずっと極寒の中、電力の供給が制限されているのだ。」ということでした。 そして、最近よく考えます。おそらく今回の戦争を将来歴史に記す際には、『ある種の第三次世界大戦であった』となるのではないか、ということを。武器や戦車を供与しているだけで参戦しているわけではない、というのには疑問を感じています。 1日も早くこの戦争が終わることを願うばかりです。 ・・・・・・・・・・・・・・ 自分の気持ちや考えを人に伝える、というのは難しいことです。特に最近は、SNSなどで一方的に、しかも安易に自分の価値観による主張を発信することで人を傷つけ、追い込み、裁判にまでなるケースあります。 教皇様は今年の世界広報の日について、これまでの「来て、見なさい」、「心の耳で聴く」といったテーマに続き、今年は「『愛に根差した真理に従い』心を込めて話す(参照 エフェソ4・15)」(仮訳)を選ばれました。 「心を込めて伝えるとは、読む人、聞く人に、今日の...
01/29
今週のお知らせ
⭐︎主任司祭より ①今日(29日)は、『世界こども助け合いの日』です。 世界中の子どもたちの為にお祈りと献金をお願いいたします。 ②日曜6時半、9時ミサ後(清掃後)に、新しくなった聖歌の練習を行っています。 お時間の許す方は、どうぞご参加ください。   ⭐︎フードドライブより 12月に行いましたミニバザーの売り上げは、17,892円でした。 緊急時の際の物資調達などの活動資金に充てさせていただきます。 皆様、ありがとうございました。 また、女性の会の皆様には、販売のお手伝いしていただきありがとうございました。   ⭐︎女性の会より 2月5日(日)9:00ミサ後、聖堂にて例会を行います。   ⭐︎日曜学校より 2月12日(日)9:00のミサ後、保護者分かち合いを行いますのでお集まりください。   ⭐︎教会委員より 私たちの教会は、私たちみんなの手で清掃し、きれいにしたいと思います。 毎日曜9時ミサ後、15分程度の清掃にご協力をお願いいたします。  A列→聖堂内 絨毯は掃除機、フローリングはモップをかけてください。 B列・C列→外掃 掃き掃除、トイレ掃除 D列→信徒会館1階 掃除機、トイレ掃除 日曜学校(子どもたち...
ACジャパンのこのCM、大好きです。 「たたくより称えあおう それが優しい世界」 ラップが心地よく聞こえます。 ACジャパンのホームページには、このCMの意図をこのように解説されていました。 多様性が求められる時代、世代を問わず、自分と異なる立場や考え方に対する不寛容な行動が社会的に問題になっています。攻撃し合うのではなく、相手を尊重し認め合うことの大切さ、そこから生まれる交流を伝えます。 特にこのコロナ禍になってから、SNS上での誹謗中傷やすべてを政治の責任にしようとする風潮がエスカレートしているように感じます。 久留米教会では、毎月第2日曜日のミサで手話通訳を行っています。 以前もここに書きましたが、「耳の不自由な人が参列しているわけでもないのに、何の意味があるんだ」という意見があったことは事実です。 手話通訳ミサは、久留米教会がさまざまな方に開かれている教会であることのひとつの表れです。そして、手話通訳をしている信徒は、教会共同体のために働いてくれているのです。   わたしは久留米教会で洗礼を受けましたが、受洗後すぐに東京の大学へ戻り、イグナチオ教会に通っていました。イグナチオ教...