カトリック久留米教会

 

・緊急事態宣言の延長に伴う対応について (2021/9/10 緊急のお知らせ)

・公開ミサ中止のお知らせ (2021/8/20 緊急のお知らせ)

 

新着情報
秋晴れの、美しい、気持ちの良い季節です。 . 家のあちこちに、十字架、マリア像を置いています。 寝る前に祈るときも、小さな手の中に納まるサイズの十字架を握りしめています。 みなさんもそうではないでしょうか。つい、お気に入りの十字架やマリア像の前で手を合わせて祈ってしまう、そういう習慣が身に付いている信徒は多いかと思います。 以前、ある神父様がお説教でおっしゃいました。 「イエスの十字架は、首から下げるダイヤモンドの入ったアクセサリーではない。」   教皇は訪問先のスロバキア東部プレショフで、十字架や(キリストの)磔刑像はしばしばキリスト教徒によって表面的に使用されていると講話した。 欧州では、東欧の複数の極右政党を含む多数の政党が、十字架を党旗やシンボルに取り入れている。 教皇は、多くのキリスト教徒が十字架を首にかけたり、家の壁にかけたり、自動車やポケットの中に持つなどしているが、実際にイエスとつながっていないと指摘。「十字架上のイエスを見つめるために立ち止まり、キリストに心を開くのでなければ、何の意味があるだろう。十字架を奉献の対象におとしめるのはやめよう。ましてや、政治のシ...
1980年代の内戦状態のエチオピアから、モサド(イスラエルのユダヤ諜報機関)のエージェントたちが1万人近いユダヤ人難民をイスラエルに避難させたという実話をもとにした映画を観ました。. 船で紅海を渡って逃がす「モーセ作戦」と、飛行機(先月のアフガニスタンからの脱出の映像のように)での「ヨシュア作戦」が実際に行われたのだそうです。 映画の中で、スーダンの難民キャンプに偽装難民として連れてこられたうちのひとりが、エージェントに文句を言います。 「わたしの父は、ここに来る途中で死んだ。夫とは途中ではぐれてしまった。子どもは病気だ。ここでは食事もまともに食べられない。約束の地イスラエルに連れていくと言われて信じたのに。」 どこかで聞いたようなお話ですね。 モーセを信じ、それなりに安定していたエジプトでの暮らしを自ら捨て、主が約束された「乳と蜜の流れる」豊かな地を目指して40年もの間、旅をしました。(途中、「エジプトの暮らしの方が良かった」「食べるものもない」「肉が食べたい」とか文句を言いながら。) 彼ら、古代のユダヤの人々もある意味では難民と言えるかもしれません。 しかし、現代の難民と言われる人々...
福岡県の緊急事態宣言が9月30日まで延長となりました。 新型コロナウィルスの感染状況に おける福岡教区の取り組みに従い、引き続き、緊急事態宣言下での公開ミサ、および、入門講座、要理講座を中止いたします。 宣言期間中は、主日のミサがオンラインでカテドラルより配信されます。 なお、26日に予定しておりました「敬老祝福式」は、再度延期いたします。 皆さまのご理解と感染防止へのご協力をお願いいたします。   主任司祭 宮﨑 保司
09/06
秘跡
聖堂は閉められていますが、5日の日曜日は2組の結婚式が執り行われました。 参列者はごく限られたご家族などで、ささやかな中にも優しい幸せに包まれた素敵なお式でした。 . 1組目は、新郎側のご両親が緊急事態宣言ということで久留米に来ることが叶いませんでした。2組目は、ご家族がベトナムから日本に来ることができませんでした。 ということで、youtubeでライブ配信をすることになったのです。 便利な世の中です。 このようなことが、2年前に想像できたでしょうか。結婚式に親が参加できない。友人をたくさん招いてパーティを開くことはしない。 このような世の中になり、本来ならば一世一代の大イベントであるはずの結婚式と披露宴は、新しいカタチになりました。 . カトリック教会に於いて、結婚は7つの秘跡のひとつとされています。 厳密には、新郎新婦共に洗礼に与っている場合が秘跡とされますが、人生のある時に偶然出会った二人が家族になるという結婚は、神様の計らいであるとしか思えません。 現代人にとって、結婚とは「制度」にすぎない、という考え方もあるでしょう。 もちろん今でも、民族や宗教によっては親が結婚相手を選ぶ、という...
パラリンピックが行われています。 わたしは、これまでの人生で「こうすればよかった」と思わないように努めて生きてきましたが、唯一思うこと。 「パラリンピックを目指して何かスポーツを極めればよかった!」 これだけは後悔しています。 わたしの個性で一番自慢できる点は、障害があることです。 これは、障害を持つすべての方を代弁しているわけではありません。わたし個人の思いです。 わたしのことをご存知の方には、おそらくこう思ってくださっている方がいらっしゃるでしょう。「体が不自由だとは思えない、バイタリティのある人」だと。わたしにとって、片足が義足であるということはわたしの「強み」なのです。   . イエス様の時代、精神的に障害がある人には悪霊がついていて、身体的に障害がある人は前世や本人が犯した罪による穢れ、罰だと考えられていました。 旧約の時代には、サムエル記下5章にあるエピソード(「ダビデの命を憎むという足の悪い者、目の見えない者を討て。」という記述とそのことにまつわるエブス人との争い)があり、このことから、目や足の不自由な人は神殿に入ってはならないとされたのです。 レビ記では、イスラ...
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