話題の映画「国宝」を観てきました。
歌舞伎鑑賞が趣味のわたしは、推しの俳優さんや気に入っている演目があると、歌舞伎座まで出かけていきます。
「先代の勘九郎さんはやはり素晴らしかった」「音羽屋は次の代も安泰だ」
などと、偉そうなことを友人と語り合ったりもしますが、あまり深くその家の歴史について考えたことはありませんでした。
この映画は、血筋か生まれ持った才能か、が大きなテーマですが、伝統を継承して歴史を積み上げていくことの重みをひしひしと感じさせられました。
伝統芸能は守るべきものが明確です。歌舞伎俳優は男性だけですので、息子がいない場合は同じ家系の男子に名前が受け継がれます。その子に才能があるかどうか、ではなく、とにかく精進させるのです。
キリスト教、特にカトリックにおいては、教皇様が変わっても教えが変わることはありません。父親から息子へ継承されるような伝統を受け継ぐのが教皇の役目ではなく、わたしたち信徒の現世での最高の導き手なのです。
29日のごミサで、宮﨑神父様はこうおっしゃいました。「何がこの時代に必要なのかを教えてくださるのも教皇様です」
いま、教区100周年記...
☆主任司祭より
本日(29日)は、『ぺトロ徒座への献金』になっており、本日のミサ献金をその為にお捧げします。皆様のご協力をお願いいたします。
⭐︎営繕委員より
26日(木)より、聖堂正面の階段の改修工事が始まりました。工事期間中は、聖堂右側の階段、および扉は使用できません。ご不便をおかけしますが、ご理解、ご協力をお願いいたします。
⭐︎女性の会より
7月6日(日)9:00ミサ後に、信徒会館にて例会を行います。
⭐︎事務室より
土曜日のお掃除とお花を生ける奉仕者を募集しています。毎週でなくても構いませんので、主日ミサ前に聖堂を綺麗に整える役割にご協力いただける方は、事務室までお知らせください。
その人のことは、簡単なコミュニケーションからある程度わかるものです。
「コミュニケーションするということは、キリストが人間に対してしたように、身を低くすることです」
これは、前教皇フランシスコのお言葉です。
アメリカメジャーで活躍する大谷選手は、毎回打席に入る前に審判に挨拶する、唯一の打者だそうです。多くの選手は最初の打席に入るときにキャッチャーに挨拶をしますが、大谷選手は毎回審判にも挨拶をするのだそうです。さらには、相手チームのベンチにも試合前に挨拶をすると、アメリカのメディアが驚きをもって報じていました。
先週、デッドボールを受けた時、(監督は猛抗議で退場処分となりましたが)ベンチに向かって無事を強調し、「出てくるな」とばかりに手で制していました。1塁に行き相手の選手と笑顔で会話する様子に、NHKの実況は「まるで親善大使のような」と表現していました。
大谷翔平選手、30歳です。
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福岡教区青少年委員会では、11月に仁川教区への訪問が予定されています。仁川教区の青年たちと共に交わり、分かち合い、信仰を強めることを目的とし、18~35歳までの信徒の募集を行っています...
☆主任司祭より
・本日(22日)(キリストの聖体)は、初聖体になっています。初聖体の子どもたちの為にお祈りください。
・27日(金)は、当教会の守護者イエスのみこころのお祝い日です。19:00よりミサを行います。
⭐︎営繕委員より
明日23日(月)より、聖堂正面の階段の改修工事が始まります。工事期間中はご不便をおかけしますが、ご理解、ご協力をお願いいたします。※天候次第では、延長する可能性があります。
⭐︎主和の会より
本日(22日)9時ミサ後に手話の勉強会をします。初心者の方、大歓迎です。信徒会館3階「教会関係書庫室」で行っています。
⭐︎フードドライブより
今月は、28日(土)13:00~15:00です。食品とともに、石鹸や洗剤なども募集しております。皆さん、よろしくお願いいたします。
⭐︎事務室より
土曜日のお掃除とお花を生ける奉仕者を募集しています。主日ミサ前に聖堂を綺麗に整える役割にご協力いただける方は、事務室までお知らせください。
*毎週木曜日と土・日曜日の午後、ならびに祝祭日は、司祭館ならびに事務室はお休みです
宮﨑神父様の所属されている神言会の創立150周年を記念し、管区長のディンド神父様が久留米教会にミサを捧げにきてくださいました。
創立者である聖人の聖アーノルド神父と、聖ヨゼフ・フライナーデメッツ神父、お二人の聖遺骨が収められた十字架をお持ちになり、「神言会の司祭が働く教会に感謝するために訪問し、共にミサを」とおっしゃっていました。
ミサの司式中、言葉を発せられるたびに、正面ではなく全方向の信徒一人ひとりの方に目を向けてくださる様子にとても感動しました。
「愛とは何か。トマス・アクィナスはいつものように簡潔に、『愛するとは、他者のために善を望むことである』と述べている。したがって、神を自分の人生の絶対的な中心に据えることは、自分の人生を愛に適合させることを意味する。あなたが贈り物として受け取ったものは、贈り物として与えなければならない」
ミネソタ州ウィノナ・ロチェスター教区バロン司教は、ご自分の出身校でもあるアメリカ・カトリック大学(CUA)卒業生へのメッセージでこうおっしゃいました。
アメリカだけではく、世界中の国が「自国を守るため」という間違った愛国心からくる政策を次々と打ち出...
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