力づける言葉

今週は、初夏を思わせるような陽気でした。

だれか人の役に立つ、というのは本当にうれしく、幸せを感じることが出来ます。

「必要とされること」「それに応えること」は、人間関係の構築においてとても重要な要素だと思っていて、いつも「わたしにできることがあれば」と行動するよう、心がけています。

先日お会いした方が、「人のためになること、人が喜んでくれることをすること、これがわたしのモットーです」とおっしゃっていました。 

 

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
身を慎んで目を覚ましていなさい。
あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。
信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。
あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。
それはあなたがたも知っているとおりです。
しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。
力が世々限りなく神にありますように、アーメン
(1ペトロ5・6~10)

わたしが大好きな聖句のひとつです。

「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい」

思い煩ったことの無い人はいないと思います。
不安や心配事を抱えている人に、自分の経験から「神様にお任せするといいよ」と伝えてあげられるのも、わたし自身がそう言ってもらったことがあるからです。

強め、力づけ、揺らぐことのない気持ちを得ることができた経験があるから、必要としてくださる方にわたしができること、その方が望むことをすることで、また、わたし自身が強められる気がします。

 

わたしは常に主を思い浮かべる。
主がわたしの右におられるので、わたしは揺らぐことがない。
この故に、わたしの心は喜び、はらわたは楽しみ、わたしの身は安らかに憩う。
あなたはわたしの魂を陰府に捨て置かれず、忠実な者に墓の穴をお見せになりません。
あなたはわたしに命の道を示してくださいます。
あなたの前には溢れる喜び、あなたの右には永遠の楽しみ。
(詩編16・8〜11)

23日のミサで、この聖句が引用された使徒言行録が読まれました。

「主がわたしの右におられるので、わたしは揺らぐことがない」

強められ、力づけられる御言葉です。
宮﨑神父様がお説教でおっしゃったように、「御言葉に勇気をもらい、ご聖体をいただくことで力をいただくのがミサ」ということを、心から実感できた日曜日でした。

 

久留米教会にはいろいろな活動グループがありますが、そのひとつ、そして一番期待されているのが青年会の存在です。

 

井上つばさくん、中園ふみやくん、この2人が、新生・久留米教会青年会を率いてくれることになりました。

みんなのはじけるような笑顔、どうですか!?

そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。
「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。
それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。
彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」
一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。
使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。
(使徒6・2~7)

自分にできること、自分が周囲の人から求められていること、どうすれば隣にいる人を喜ばせることができるか。

そう考えながら生きることができるのは、最高の幸せではないでしょうか。