カトリック久留米教会誌「みこころレター」 第15号
『司祭叙階45年目を迎えて』
主任司祭 宮﨑 保司
司祭に叙階されて45年目を迎え、『光陰矢の如し』の喩えが実感として湧く年齢になりました。外見上は健康そうに見える私ですが、最初に派遣された(44年前)東京教区吉祥寺教会で、持病の十二指腸潰瘍を悪化させ大量に吐血し、救急車で搬送された病院では「医者がさじを投げる」という状態になりました。新司祭として着任して3週間目の出来事でした。お医者さん逹の賢明な治療と信者さんたちの祈りに支えられて、九死に一生を得ることが出来ました。あと何年、司牧奉仕ができるかわかりませんが、45年という節目を励みに生涯をかけて司祭職を全うしたいと思っています。詩編(23編)のことばに、『たとえ死の陰の谷を歩んでも、わたしはわざわいを恐れない。神がわたしと共におられ、そのむちと杖はわたしを守る。』とありますが、九死に一生を得た私にとって、神の恵みといつくしみの豊かさを常に心に銘記しています。
私は長崎の神の島(=潜伏キリシタンの島だった)出身なので、小さい時からサツマ芋にはたいへんお世話になりました。実家から少し離れた小高い山に畑があり、貧しい家庭であったことも重なり、小学生の頃から芋掘りの時季になると手伝いに駆り出されました。サツマ芋をリュックに詰めて畑と家を何回も往復し、手伝いをするのが日課でした。私が小学生の頃まで、未だ、米の配給制度というものがありました。貧しい半農半漁の家にとってお米は高嶺の花で米ご飯を食べたことはありませんでした。麦飯の中に芋が入っている芋ご飯やカンコロ飯を良く食べました。しかし、 芋はビタミンやミネラルなどの栄養素が豊富に含まれているので、時代が変わっても人気がある食べものです。芋チップ、芋金時、芋天ぷら、焼き芋…等々、子どもからお年寄りまで年齢を問わず誰からも愛され続けられています。最近は品種も多様になり、ベニハヤト、ジョイホワイト、ベニアズマ、サツマヒカリ、サニ-ヒカリ、エレガットサマ-…など、何だか競馬のサラブレット名を連想させるような、かっこう良い名前の品種まであると聞きます。芋の歴史は17世紀に中国から沖縄を経て九州に伝わったといわれています。鹿児島で開花したことからサツマ芋と言われ、以前は寒冷地では育たないといわれていましたが、温暖化の影響で、現在では北海道の道南から道央地方でも栽培できるようになったそうです。尚、国内における生産量第1位は鹿児島県になっています。
やせた土地や荒地など何処でも出来て、栄養価に富み、食糧難で苦しんでいる人々を救うことのできる芋。私も、子どもからお年寄りまで誰からも親しまれ愛されるサツマ芋のように、芋神父になれたら良いなと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
みこころレターVol.15を発行しました。
聖堂に置いておりますので、様々な事情で教会に来ることのできない方々にも、ぜひお渡しください。