祈りのかたち

10月は宣教の月、そしてロザリオの月でもあります。

コロナ前は、10月は聖堂に集ってともにロザリオの祈りを捧げるのが習慣でした。
ですが、今年もそうした集まりは「中止」されています。

(ここにも、ウィズ・コロナの現代には工夫が求められているでしょう。
個人が各家庭で祈ることでもロザリオの意味は変わらないかもしれませんが、
みなが一堂に集まって、声に出して祈ることにも大きな意味があるのです。
ミサに聖歌が欠かせないように。
なにもかも「中止」ではなく、なにか策を考えなければ!)

久留米教会でも、やはり年配の信者さんたちは年中、熱心にロザリオで祈っていらっしゃいます。
そんな先輩方の、敬老のお祝いの祝福がごミサの中で行われました。

ロザリオという言葉はラテン語ではロザリウム、『バラの冠』という意味です。

1571年10月、ヨーロッパのキリスト教を滅ぼそうとするトルコ帝国にキリスト教徒がロザリオの祈りによって勝利しました。
その記念にと、時の教皇ピオ5世はその日を「ロザリオの聖母マリアの祝日」と定めたとされています。
(平和的なマリア様へのとりなしの祈りの起源が「戦争の勝利」だとは、、、。)

ロザリオの祈りは、イエス様の生涯を黙想しながら、聖母マリアの取り次ぎによってわたしたちの救いと世界平和の恵みを求める祈りです。
(女子パウロ会のホームページを参考にしました。)

 ロザリオの祈りには、祈り方の明確な決まりがあります。

一つひとつにちゃんとした意味があり、それはそれで大切な祈り方ですが、祈りにはいろいろなかたち、やり方があってもよいと思います。

わたしは、なにか大きなことがあった時、例えばやっかいな問題が起きた時、苦しい気持ちや痛い目にあった時などには神様にこう話しかけます。

「神様、この出来事を通して、私に何を語りかけていらっしゃるのですか?」

こう神様に問うことも、祈りの一つのかたちかと思います。
このことばを、一日中、とにかく何度も何度も唱えます。
答えが自分で見つかるまで。
神様が答えに導いてくださるまで。

 

 

エルサレムの「嘆きの壁」と呼ばれる西の壁です。

立って壁に向かって祈り、または椅子に座ってずっと旧約聖書(モーセ五書)を読んでいます。
ずっとです。
(え、仕事は?とか思わない思わない。)
ずっと彼らは祈っているのです。

この写真を撮った日はバルミツバ(少年たちの13歳の成人式=毎週行われています)の日でしたので、特に熱心な正統派ユダヤ教の方々が多かったのですが、それでも、彼らの神との誠実な向き合い方にはとても衝撃を受けました。
この壁の様子をテレビで観たことはありましたが、実際に目の当たりにし、祈っている人の崇高さを感じたのです。
「信じる」ということはこんなにも尊い美しさなのか、と。

 

全イスラエルの王となったダビデは、預言者ナタンから王朝の永久を約束された神の言葉を聞き、感謝の祈りをもって応えています。
「主なる神よ、あなたが語られたようになさってください」
(Ⅱサムエル7・25,Ⅰ王8・26)

次のソロモンは、神殿の奉献祭の際に民のために祈りを捧げており、その後の王たちにとっても、民のために祈ることは公的な職務とされていました。

旧約の預言者たちは、神との仲介者として祈っており、エレミヤは次のように讃えられています。
「民と聖なる都のために不断に祈っている神の預言者」
(Ⅱマカバイ15・14)

もしも祈りのためのことばをお探しならば、詩編をめくってみてください。
詩編はもともと、祈りに使用することを目的として編集されています。
イエス様もいつも詩編を祈りの糧とされていました。

パウロは祈りに言及するとき、「いつも」「どんなときも」「絶えず」「昼も夜も」などの言葉で語っています。

「祈る」という行為は、十字架の前で跪いて手を合わせることではなく、「いつでもどこでも神様に話しかける」ことなのだと、色々な方のお話を聞いていていつも思います。

 

福音書には、祈りに際して3つのことを必要とすると書かれています。

① 人を赦すこと(和解すること)
 (マルコ11・25,マタイ5・23~24、6・14)

②他者との一致を実現しようと努めること
 (マタイ18・19)

③自分の過失を思い出して悔い改めること
 (ルカ18・9~14)

 

わたしたちが重視すべきは「何をどこでどう祈るか」ではないのです。
信じているのですから、委ねましょう。
信仰を持っているのだから、人を赦しましょう。
いつも守られていることを、覚えていましょう。

・・・・・・・・・・・・

サルヴェ・レジナ

元后 あわれみの母
我らの命、喜び、希望
旅路からあなたに叫ぶエバの子
嘆きながら泣きながらも
涙の谷にあなたを慕う
我らのためにとりなすかた
憐れみの目を我らに注ぎ
尊いご胎内の御子イエスを
旅路の果てに示してください
おお、いつくしみ、恵みあふれる
喜びのおとめマリア

神の母聖マリア、わたしたちのために祈ってください。
キリストの約束にかなうものとなりますように。