「悲しみ」の意味
コロナ禍においては、信仰の有無に関わらず、多くの人が「生と死」について考えを巡らせたでしょう。
今はどうでしょうか。
あれほど世界中が大混乱に陥れられ、見えない感染症に怯えて暮らしていたのが、もう過去のことのような気がしてしまいます。
コロナウィルスで亡くなられる方が、家族に看取られることなくお骨になって自宅に戻る。
これは、今現在も少なからず起きている、旅立ちの現実です。
これまでに、全世界で658万人の方がこのウィルスの犠牲になったと報道されていました。
家族や大切な友人の最期を見送ることができる、見送ってもらえることは、とても恵まれたことです。
終活、という言葉がありますが、自分がいつ天に戻されることになっても良いように備えておけることも、また恵まれた状況でしょう。
残される人をできるだけ悲しませないように、煩わせないように、と準備しておくことと同様に、日頃からわたしたち自身が心と生活において豊かに構えることが必要です。
わたしたちは皆何らかの形で悲嘆を経験しているだろう。
問題は、それにどのように耐えるかである。
なぜなら、悲しみにもわたしたちにとって重要な意味があり、そこから性急に逃れようとするならば、その意味を見失う恐れがあるからである。
悲嘆や心痛を望む人はいない。
誰もが常に喜びにあふれ、陽気で、満足した生活を望んでいる。
しかし、それは不可能であるばかりか、わたしたちのためになることとも言えない。
「悲しみを読む」ことを学ぶのは大切である。
今日、それはどちらかというとネガティブなことのように考えられている。
ところが、悲しみはわたしたちの人生に不可欠な非常ベルのようなものであり得ると同時に、より豊かな心の風景を旅させるものでもある。
わたしたちが孤独と悲嘆を開かれ目覚めた心で体験するならば、人間的・霊的により強められてそこから脱することができるだろう。
わたしたちの限界を超える試練はない。
(教皇フランシスコ10/26のバチカン一般謁見での講話より)
悲しみを読む。
その中に意味を見出す作業もまた大切なことなのだ、というパパ様のお言葉に感動しました。
悲しみはたいていの場合、突然わたしたちを覆い尽くします。
悲しさに支配されないようにするには、普段の生活の仕方が大事なのだと教えられています。
「いつも目を覚ましていなさい。」
イエス様がそうおっしゃっていたとおり、いざという時のために日頃から備えておきたいものです。
明日から11月、死者の月です。
個人的に、一年で一番大切に想っている祈りの月です。
「亡くなった人のことは心配しなくていい。
神様のところにいるのだから。」
11年前、そう言ってもらったことで心の底から救われました。
それから数年後、悲しみがようやく癒やされたと感じることが出来た時から今日までの、豊かな心の風景の旅路を振り返りながら感謝する、そんな時がわたしの11月です。
御前では、全宇宙は秤をわずかに傾ける塵、
朝早く地に降りる一滴の露にすぎない。
全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、
回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。
あなたは存在するものすべてを愛し、
お造りになったものを何一つ嫌われない。
憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
あなたがお望みにならないのに存続し、
あなたが呼び出されないのに存在するものが
果たしてあるだろうか。
命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、
あなたはすべてをいとおしまれる。
あなたの不滅の霊がすべてのものの中にある。
主よ、あなたは罪に陥る者を少しずつ懲らしめ、
罪のきっかけを思い出させて人を諭される。
悪を捨ててあなたを信じるようになるために。
(知恵 11・22〜12・2)
「暗闇からの祈り」と題された詩編88を、死者の月に心に留めたいと思います。
わたしの救いの神、主よ、わたしは叫びます。
昼も夜も、あなたに向かって。
わたしの祈りをみ前に至らせ、わたしの叫びに耳を傾けてください。
わたしの魂は悩みに満ち、わたしの命は陰府に近づきました。
わたしは穴に下る者のうちに数えられ、
力尽きた者のようになりました。
わたしの床は死者のうちにあり、わたしの寝床は墓の中にあります。
わたしは刺し殺された者のようです。
あなたはもはや死者を心に留められず、彼らはあなたの愛から切り離されています。
主よ、わたしは日ごと、あなたに呼び求め、
あなたに向かって手を伸べました。
あなたは死者のために不思議な業を行われるでしょうか。
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どこにも出掛けられなくて悲しいな、、、、と思っていたら、イタリアに出張中の妹がたくさん写真を送ってくれました。
少し旅行に行けたような、幸せなお裾分けでした。
Basilica di Santa Maria Novella(サンタマリアノヴェッラ聖堂)
Duomo(ドゥオモ)
Basilica di San Lorenzo-Cappelle medicee(メディチ家の礼拝堂)
マリア像byミケランジェロ
このマリア像は初めて見ました!
心豊かな一週間になりますように。