ある、主日のミサ
昨年、教皇フランシスコ様が新しく制定された「神のみことばの主日」は
典礼歴「年間第3主日」、つまり1/26でした。
昨年の聖ヒエロニモ(ヒエロニムス)の日にパパ様は
『聖書を知らぬことは、キリストを知らぬこと』という彼の言葉を引用し、
みことばに捧げた日曜日が、神の民に聖書に対する宗教的で熱心な親しみを育むことを願って、この新しい典礼歴を発表されました。
毎週の主日のミサの一時間余りの時間に、わたしたちは多くの聖書のみことばにふれています。
26日のごミサの集会祈願がとても美しいと感じ、ここに記しておきたいと思いました。
天の父よ、冬の寒さのなか、あなたを賛美するためにわたしたちは集まりました。
きょうも御子キリストは、神の国の福音をわたしたちに語りかけてくださいます。
わたしたちの集いがあなたの光を受けて輝き、世界のやみを照らすものとなりますように。
イザヤ書9・1
闇の中を歩んでいた民は、大いなる光を見た。
暗闇の地に住んでいた者の上に、光が輝いた。
闇があるから、光が美しいのです。
わたしたちの日々に、さまざまな困難が与えられているから、
より強く神様のことばに耳を澄ませることができるのです。
詩編27・4
わたしは主に一つのことを願う。
わたしは一つのことを請い求める。
命あるかぎり、日ごとに主の家に住み、
主の麗しさを仰ぎ見、神殿の中で暁に目覚めたい。
1コリント1・17
キリストがわたしをお遣わしになったのは、洗礼を授けるためではなく、
福音を宣べ伝えるためでした。
それも、キリストの十字架が無意味なものとならないように、
知恵に溢れた雄弁に頼らずに伝えるためでした。
わたしたちは、福音を周囲に宣べ伝えているでしょうか、その行いを通して。
マタイ4・17
この時から、「悔い改めよ。天の国は近づいた」とイエスは宣べ伝え始められた。
ミサの司式をしてくださった青木神父様がおっしゃいました。
「神様のわたしたちへの働きかけ、神様の愛に気づくことが、悔い改めるということです。」
マタイ4・23
イエスはガリラヤ全土を巡り、会堂で教え、天の国の福音を宣べ伝え、民のすべての患いや病気を癒された。
人々の軛をともに背負い、患いや病気を抱えている人々と心を一つにして歩んで行かれたイエス様のお姿が、ガリラヤ湖の景色とともに目に浮かんできます。
青木神父様は、こうもおっしゃいました。
「日曜日のミサの聖書のことばを日曜だけのものにせず、
聖書を日々の生活に、つまり信仰の旅路にあてはめながら大切にしてください。」
天の父よ、あなたはわたしのうちに、いのちと力をおくってくださいました。
わたしたちがこの力に生かされて、
新しい一週間をあなたとともに歩むことができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
今日のこの記事を、教会から遠ざかっている方、
事情がありなかなかミサに参列できない方、
教会に来る勇気がまだ持てない方、
みなさんに捧げます。