受難の主日

久留米教会は美しい。
久しぶりに訪れてみて、その威厳に満ちた佇まいを見て心からそう思いました。

 

5日日曜日は受難の主日(枝の主日)、イエス様のエルサレム入場を記念する日でした。

『集会祈願』
わたしたちが、主とともに苦しみを耐えることによって、復活の喜びをともにすることができますように。

 

久留米教会は、平日の午後のみ、皆さんの祈りの場として開放されています。
聖書と典礼も、4月分が置かれています。

 

以下、教皇フランシスコ 2020年3月27日新型コロナウイルスの感染拡大にあたっての「特別な祈りの時」でのことば(ローマと全世界へ)から抜粋しています。

この四旬節、あなたの差し迫った呼びかけが聞こえます。
「回心せよ」、「今こそ、心からわたしに立ち帰れ」(ヨエル2・12)。
主はこの試練の時を選びの時とするようわたしたちに求めておられます。
それはあなたの裁きの時ではなく、わたしたちの判断の時です。
何が重要で、何が一過性であるかを識別し、必要なものとそうでないものを見分ける時です。
人生が向かう方向を、あなたと他者に向けて定め直すときです。

主はわたしたちに呼びかけておられます。
この嵐の中で目覚めるよう、イエスはわたしたちに招いておられます。
そして何もかもが難破しそうに思える今このときに、堅固さと支えと意味を与えることのできる連帯と希望を促すよう呼びかけておられます。


「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、岩のように固いペトロの信仰を物語るこの場で、今夜わたしは皆さんを、嵐の海の星であり民の救いであるマリアの取り次ぎのもとに、主にゆだねたいと思います。
ローマと世界を抱きしめるこの広場から、神の祝福が皆さんに、なぐさめに満ちた抱擁として注がれますように。

主よ、世界を祝福してください。
人々のからだに健康をもたらし、心を慰めてください。
恐れてはいけないと呼びかけてください。
けれども、わたしたちの信仰は弱く、わたしたちは恐れてしまいます。
それでも主よ、どうか嵐のなすがままに、わたしたちを放っておかないでください。

もう一度「恐れることはない」(マタイ28・5)とおっしゃってください。
そうすれば、わたしたちはペトロとともに、「思い煩いを、何もかも神にお任せします。
神が、わたしたちのことを心にかけていてくださるからです」(一ペトロ5・7参照)。

 

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教会でミサに与れる日がいつまた訪れるのか分かりません。

ですが、祈りはどこででも、いつでもできます。

わたしたちは、祈りの力を信じています。

福岡教区では聖週間の過ごし方として、次の祈り方を薦めています。

新型コロナウィルス感染の終息と、これに苦しむ人々への慰め、そして主が自らのもとへ呼び寄せられた人々の永遠の救いを全能の神に祈願する人は、
ロザリオ、十字架の道行き、聖体訪問、聖体礼拝、最低30分の聖なる読書のうちのいずれかを行い、神への信仰と隣人へのいつくしみと愛をもって、次の祈りを唱える。

- 信仰宣言
- 主の祈り
- アヴェ・マリアの祈り

 

心をこめてわたしに立ち返れ。
お前たちの衣服ではなく、心を引き裂き、
お前たちの神、主に立ち返れ。
ヨエル2・12~13(フランシスコ会訳)