時代に沿った祈り
今年のご復活祭はいつか、ご存じでしょうか。
なんとなく3月末から4月上旬、という固定概念がありますが、今年は4月20日とかなり遅いご復活なのです。
1/18から1/25までの期間は、キリスト教一致祈祷週間となっています。
1968年以来、教皇庁キリスト教一致推進評議会と世界教会協議会が、毎年テーマを決めてともに祈る期間として続けられてきたものです。
その冊子には次のように書かれています。
今年は、西暦325年に二ケアで最初の公会議が開かれてから1700年目にあたります。
この会議には、伝承によれば、318人の教父が出席しました。
そのほとんどが東方教会の教父だったようです。
教会は、異なる文化的・政治的背景の中で同じ信仰を共有することがいかに難しいかを経験し始めていました。
二ケア公会議は復活祭の日付の計算方法を定めましたが、その後さまざまな解釈が生じたことにより、東方教会と西方教会では大抵は異なる日に復活祭が祝われるようになりました。
わたしたちは、毎年共通の日に復活祭を祝う日が再び来ることを待ち望んでいますが、偶然にも2025年の記念の年は、同じ日にこの大祝日を祝うのです。
キリスト教一致祈祷週間は、二ケア公会議当時のキリスト教世界よりもさらに多様化している、現代の文化に沿ったかたちで再解釈する機会です。
聖年の今年に、二ケア公会議から1700年の記念の年に、なんということでしょう。
今年の四旬節は、こうした大きな意味があることを心に刻んだうえで過ごし、例年以上に有意義な日々としたいものです。
二ケア公会議までの数十年の間に、キリスト者は意見の相違による対立が深刻になっていました。
一致祈祷週間の冊子によると、次のようなことで対立が深まっていたそうです。
・父なる神との関係におけるキリストの本性
・復活祭を同じ日付で祝うこと
・ユダヤ教の過越祭との関係について
・異端とみなされる神学的見解にたいする異議
・初期の迫害時代に棄教した人を再び教会に迎え入れる手順
イエス様は、こうしたことについてひとこともおっしゃってはいなかったのに、、、、。
イザヤは言った、「ダビデの家よ、聞け。あなたたちは、人間を煩わせるだけでは足りず、わたしの神までも煩わせるのか。それ故、主ご自身が、あなたたちに徴を与えられる。
見よ、おとめが身籠って男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
その子は、悪を退け善を選ぶことを学ぶまで、凝乳と蜂蜜を食べるであろう。
(イザヤ7・13〜15)
「聖書」(わたしたちが旧約と呼んでいるもの)は、当時のイスラエルの人々が待ち望んでいる救い主が必ず現れると言うことを預言しています。
その解釈がユダヤ教とは異なったため、「キリスト教」という新しい教えが確立されました。
わたしたちが信じている「カトリック」の教えも、この2000年以上もの間にさまざまに発展してきました。
わたし、主は、正義をもってお前を呼び、お前の手を取り、お前を守り、お前を民の契約、諸国の光とした。
見えない目を開き、囚われ人を牢獄から、闇に住む人々を獄舎から連れ出すためである。
(イザヤ42・6〜7)
主は仰せになる、「お前がわたしの僕として、ヤコブの諸部族を立ち上がらせること、イスラエルの生き残った者を帰らせることだけでは足りない。
わたしはお前を諸国の光とし、地の果てに至るまでの、わたしの救いとする」。
(イザヤ49・6)
この救いは、あなたが万民の前に備えられたもの、異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの栄光です。
(ルカ2・31〜32)
イザヤ書の中で、40〜55章の第2イザヤと呼ばれる箇所は、キリスト教ではメシア預言とされていて重視されています。
わたしたちの信仰の根底にユダヤ教の教え、旧約聖書があることを忘れてはいけないといつも思います。
つまり、西方教会も東方教会も、カトリックもプロテスタントも、大切にしている教えは同じ源流であることを忘れてはならないのです。
現代において、キリスト教のさまざまな宗派が一致して祈る、しかも同じ祈祷文を使って祈る期間が設けられていることは、本当に素晴らしいことです。
特に、今のように各地で世界を巻き込んだ戦争が起きている時には、なおさら宗派で争っている場合ではありません。
キリスト教一致祈祷週間については、↓こちらをご覧ください。
https://www.cbcj.catholic.jp/2024/12/19/31132/
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かなり余談
西序二段70枚目の醍醐桜(16歳)は、円形脱毛症により髪がほとんど抜けてしまったため、きれいに頭をそり上げて今場所に臨んでいます。
相撲協会の「相撲規則」では、頭髪について「十枚目(十両)以上の力士は、出場に際して大銀杏(おおいちょう)に結髪しなければならない」と記載されていますが、厳密にこれに準ずるなら、スピード出世で今場所初めて大銀杏を結った大関大の里も規則違反だったことになります。
伝統を重んじる相撲界も「まげのない力士も個性だ」と、多様性を尊重する時代となったようです。