行事風景

久留米教会:七つの秘跡part1

久留米教会に入ると、すぐ右手にゆるしの秘跡(告解)のための小部屋があります。

毎週日曜日の朝は、優しい笑顔のジュゼッペ神父さまが、わたしたちのために祈り、待っていて下さっています。

 

 

この笑顔、癒されます。

許可を頂いて写真を撮りましたので、今朝は優しい笑顔も120%です!

 

ゆるしの秘跡とは、司祭のもとで自分の犯した罪(SinとCrime)を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神様からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。
罪がゆるされ、癒しと慰めをいただくことで、これからの生き方の勇気と力になります。

和解の秘跡ともいい、罪を犯したことで神様を悲しませたことを反省し、神様と和解する、ということだそうです。


わたしたちカトリック信者は、少なくとも年に一回はゆるしの秘跡に与ります。

「神様から離れた生活をしてしまった」という気持ちを感じたら、そのことを告解するのも信仰生活の助けになります。


わたしの場合、初めてゆるしの秘跡をいただいたときに神父さまが仰った聖書の言葉は、その後のわたしの信仰生活の指針となり、今でも大切にしています。

『あなたはキリストの良い香りです。あなたの姿が周りを照らしますように。』

20歳の時に神父さまからそう言われ、そのことをずっと心に刻んできました。

 

今日は、神父さまから特別に許可を頂き、もう1つの秘跡についても写真撮影させていただきました。

ご聖体の秘跡

 


このご聖体、ホスチアは洗礼を受けた者だけがいただく、『キリストのからだ』です。


3種類のチボリウム(ラテン語で、食べ物を入れる器)があります。

 

どれがどのように使うもの、という細かい区別はないそうですが、久留米ではこの3種類を使っています。

今年からホスチアの歯ざわり(味も‼︎)が変わったのにお気づきですか⁈

種明かしは、次週、宮﨑神父さまからのお話をお楽しみなさってください。

 

 

 

「聖書に全て書いてある。」

今日は、本をご紹介します。
世界的なベストセラーなので、ご存知の方が多いかと思いますが、
わたしは最近知って買い求め、没頭して一気に読みました。

 

 

1923年に英語で出版されたこの詩集、30数か国語に翻訳されているそうです。
文が美しい。
この携帯サイズの小さな本の中に、カトリックの教えが美しい散文になって凝縮されている気がします。
愛、結婚、自由についてなど26個のテーマに沿って預言者が語る、という設定になっています。

美智子皇后さまもご愛読されているようです。

「レバノンの詩人・哲学者・画家である著者のカリール・ジブラン。
20世紀のウィリアム・ブレイクとも称され、多くの詩人・思想家・政治家のみならず、
サブカルチャーにも影響を及ぼした偉人が、人間の普遍的テーマ…愛、労働、喜びと悲しみ、友情など
26の項目について深く語りかける詩集。」
(amazonの内容紹介より)

本の装丁も美しく、いつもバッグの中に入れて持ち歩くことにしました。
いつでも人に勧められるように。

箴言
好きなのです。
この本を読んでいて、箴言を深く掘り下げて咀嚼されているような気がしたのです。
箴言は、読んでいて心に刺さる言葉が多いし、
何よりも読みやすい。


心を尽くして主に寄り頼み、
自分の聡明さに頼るな(3・5)

口数が多ければ罪は避けられない
しかし、口を慎むものは賢い人(10・19)

寛大な人は満たされる
人を潤すものは自分も潤される(11・25)

心が楽しいと、顔色も晴れやかになり、
心に憂いがあると、気も沈む(15・13)

率直な戒めは、ひそかな愛に勝る(27・5)


『ソロモンの箴言』と言われる10章~22章、25章~29章は
さらりと読めるこうした名言ばかりでお勧めです。

曽野綾子さんの本に書いてありました。

「人生に必要なことは、聖書に全て書いてある。」

本当にそうなのです。

もう一か所、聖書の好きな箇所を。

ぶどう酒は程よく飲めば人にとって命に等しい。
ぶどう酒のない人生とは何であろうか。
時に応じて程よく飲むぶどう酒は、
心の楽しみであり、魂の喜びである。

シラ書31・27~28

 

佐久間神父様の翻訳の『預言者』の中から、一部ご紹介します。

愛があなたがたをさし招いたなら、愛に従いなさい。
たとえ、その道がどんなに厳しく険しくても。
愛があなたがたに語りかけたなら、愛を信じなさい。
たとえ、その声が、庭を荒らす北風のように、あなたがたの夢を打ち砕いても。
なぜなら、愛は、あなたがたに栄冠を与えると同様に、あなたがたを十字架につけるのです。
愛はあなたがたを育て、また刈り込みます。

夜明けに目覚め、飛び立つ思いで、愛のあたらしい一日のために感謝をささげること。
昼下がりには静かに休らい、愛の恍惚を思い出して味わうこと。
夕暮れには、感謝に満ちて家路をたどること。
そして、心では愛するひとのために祈り、
唇では賛美の歌を歌いながら眠りにつくこと。

とてもとてもお勧めの本です。

オルガンと聖歌

信徒会館のオルガンを修理に出していたのが戻ってきました。

このオルガン、1880年製のフランスのもので、日本には3台しか残っていない貴重なものです。
この、職人さんの手作りのオルガンは、これまでも何度も修理を重ねて大切に使われてきました。
今回は、長野県の吉倉オルガン工房の吉倉さんが長い時間をかけて丁寧に修理してくださいました。
職人の技が見える素晴らしいオルガンのようです。
長年にわたり何度も修理してきているため、元の状態がどのようであったかもわからず、
埃を取ることだけでも、とても大変な作業だったそうです。

 

 

 

早速、ごミサの演奏に使われています。

 

ミサで聖歌の伴奏をしてくださっているのは彼女たちです。


いつも、素敵な演奏でわたしたちの歌声をリードしてくれている、幸子さんと望さんです。(お名前も素敵!)

 

ごミサにおける聖歌、カトリックではとても大切にしている祈りのひとつです。
上手に歌うことが大切なのではなく、みんなが声をひとつにして心を込めて
「祈り」として歌うことを心がけたいと思っています。

ニューヨークに住む妹に会いに行くと、近くのカトリック教会のミサに行くのですが、
その教会では参列者はあまり歌いません。
なんと、プロ(?音大の学生?)の男女2名がミサの間ずっと、
立派なパイプオルガンの演奏に合わせてオペラ歌手のように聖歌を歌ってくれるのです。
侍者もたいてい、女の子が務めています。

 

 

 

旅先で現地の教会を訪ねるのは、旅の楽しみのひとつです。
久留米教会にもそうした方がごミサに参列されているのかもしれませんね。

正しい者たちよ
主の故に喜び歌え
心のまっすぐな者たちよ
主を賛美するのは麗しい
新しい歌を主に歌い
喜びの声に合わせて
巧みに琴をかき鳴らせ
詩編33・1~3

オルガンに合わせて、心を込めて祈り、歌いましょう。

 

今年の祈り

新しい一年が始まりました。

今年はどんなお恵みや出会いがあるでしょうか。

考えるとワクワクします。

 


以前読んだ祈りの本に書いてありました。

「朝起きて1番最初に心に浮かぶ考えで1日が決まる」

一年の始まりも同じではないかと思うのです。

どんな一年にしようか

どんなふうに過ごしていこうか

前向きな明るい気持ちで始めるほうが、お恵みが多くなる気がします。

 

パパ様カレンダーの1月のメッセージは

『澄んだ目と、信頼や希望に満たされた顔でわたしたちを見つめる子どもたちの笑顔を守るために、わたしたちは何をしているでしょうか?』

 

わたしには4人の姪、甥がいます。

毎日、彼女たちのことはお祈りしていますが、

今年はこのパパ様のメッセージを心に刻み、

いつも以上に子供たちのために祈ろう、と誓いました。

皆さまは、今年はどんなお祈りを抱負とされますか?

 

 

教会にしばらく来れていないという方を誘いませんか?

教会に行ってみたいというお知り合いを誘いませんか?

久留米教会は今年も、開かれた活気ある、お恵みの象徴のような共同体でありたいと思います。

 

 

未来の教会

今年も残すところ数時間となってしまいました。
みなさま、どのような一年をお過ごしになったと感じていらっしゃいますか?
わたしは、幸せを感じることばかりではなく、大変なことや辛いこともあった2018年でした。

それでも、大晦日を迎えた朝、心の底から
「神様、今年も一年、本当にどうもありがとうございました。」とお祈りですることができました。

『すべての思い煩いを神に委ねなさい。
神があなた方を、顧みてくださるからです。』
1ペトロ5・7

何かトラブルが起きた時などは、この聖書のことばを呪文のように唱えています。

 

 

馬小屋での出来事について、宮﨑神父様から説明を聞く子どもたちの様子です。
彼らの姿を見ているだけで、幸せを感じることができます。

未来の久留米教会を担ってくれる子どもたちです。

 

 

 

 

子どもたちのクリスマスパーティの準備をしてくださった、若いお母様方。
そして、進行してくれたのは青年会の若いメンバーたち。

この一年、子どもたち、若い信者さんたちが久留米教会の力となってくれていることに、
広報の取材を通して接する機会が多かったのは、わたしにとっても大きなお恵みでした。

パーティに参加させていただいたわたしの甥も、
「とっても楽しかった!」と喜んでくれ、
それだけで幸せいっぱいの気持ちになることができました。

未来の久留米教会は彼らがいるからきっと大丈夫!と
この記事を書くために写真を見返していて、改めて確信しています。

 

『酒盛りで大騒ぎしたり、酔いつぶれたり、
身を持ち崩したり、争ったり、妬んだりすることなく、
日中歩くように、慎み深く生活しましょう。
主イエス・キリストを身にまといなさい。』

ローマ人への手紙13・13~14

 

お正月、大人はこのことばを呪文のように唱えましょう!

皆様、良いお年をお迎えください。

 


 

久留米のクリスマスミサ

クリスマスおめでとうございます。

昨夜のイブのごミサと今朝の降誕ミサには、とても多くの参列者がありました。
毎年とても盛大にご降誕のお祝いができることは大きな喜びです。

日曜学校を卒業した青年たち、おなかの大きな子、、お母さんになった子
あか抜けした新社会人、普段の日曜日のごミサにはなかなか与れないという信者だけでなく、
ミサはクリスマスだけは必ず!という信者さん、
初めて教会を訪れる方も大変多いのがクリスマスミサの醍醐味ではないでしょうか。

 

イエス様がお生まれになった意味を、すべての人と分かち合う時間です。

宮﨑神父様は
「信じる者はすべてを神にゆだねるのです。
クリスマスを、信じることの喜びを改めて見つめなおす機会にしてください。」
とおっしゃいました。

 

 

昨夜のミサまでの間、多くの方がいろいろな役割を担って準備に取り組んできました。
この祭壇のお花もそのひとつです。
女性の会のみなさんが、丁寧に活けてくださいました。

 

 

 

信徒会館の中の飾りつけは、ベトナムの青年たちの手によるものです。

イブのミサのあとに振る舞われた軽食も、女性の会のみさなんのお手製です。

 

ミサの中で演奏されたハンドベル
猛練習の成果を発揮してくれた青年会のみんな!

 

こんなに多くの若者までもが、積極的に教会での役割、使命に喜んで応えてくれている久留米教会、
自画自賛ですが、とても素敵な自慢の教会です。

昨夜のミサのあと、敷地内の木の下でベトナムの青年たちが
クリスマスソングに合わせてダンスをしていた姿もとても素敵な光景でした。

クリスマス会の子どもたちの様子も、また改めてご紹介します!

今夜は、恒例となった、筑後地区のプロテスタントの各教会と合同でのキャロリング
(久留米市内を歩きながら聖歌を披露します。)が行われます。

 

喜びの主日

なんてステキな呼び名でしょう!

喜びの日に相応しく、待降節第3のロウソクはピンクが灯されました。

 

今日に合わせ、ピンクの実が追加されています。

  

みこころレターのこと、ホームページの記事のことを褒めてくださったり感想を聞かせてくださる方が何人も声をかけてくださり、嬉しい日曜日の朝だわ、と思っていたら。

ジュゼッペ神父様の最初のお言葉が

「今日は喜びの日曜日です。

主があなたたちの内に、あなたたちと一緒におられ歩んでおられることを喜びなさい。」

 

喜びその1

 

日曜学校の子どもたちが、いつも神父様に教わっていることをいつくか、わたしたちにも聞かせてくれました。

「朝昼晩、神様に感謝しましょう!」

「毎日何回も、ありがとうを言いましょう!」

大人も大切にしなければならない習慣ですね。

 

喜びその2

 

 

青年会という20名ほどのグループがあります。高校生以上の若者たちが、クリスマスミサで披露するハンドベル演奏の猛練習中です!


(メンバーのIさんは、わたしが洗礼を受けたときに一緒に幼児洗礼を受けたのです。

こんなにステキな女性に成長して、感無量です(涙))


今日は、ミサの後、馬小屋の飾り付けをしてくれました。


 

そして、完成‼︎

 

 

喜びはいつも、そこにあります。

神様がいつも横にいてくださるのと同じように。 

 

 

神様とインターネット

久留米教会にはこのホームページと、「みこころレター」という広報誌、
2つの広報ツールがあります。

みこころレターの第8号を発行しました。

 

 

この半年の久留米教会の活動だけではなく、
4つの国出身の信徒によるアドベントの過ごし方の記事、
神学生2名のご家族による「わが子の召命」についての寄稿、
海外で活動する信徒の報告など、
いろいろとお伝えしたいこと盛りだくさんの内容です。

 


クリスマスは多くの場合、ハロウィンの様にイベント化し、
新聞を取るのをお止めになるご家庭も多くなり、
来年からは年賀状出すのをどうしようかと考えていらっしゃる方もいるようです。

現代は紙離れ?神離れ?なのでしょうか。

 

広報誌、つまり手に取っていつでも好きな時にゆっくり読める媒体と、
ホームページのように、情報を得るために自主的に検索してから見る媒体とでは、
その役割は全く違います。

たとえば、わたしもこのホームページに聖書の言葉を引用したいと思った時、
それが、どの福音書の何章だったか知りたい場合、
すぐにインターネットで検索します。

そのあと、自分で聖書を開いてその箇所を読み返します。(ここ大事!)

神様はインターネットで自分のことを検索されるなど、
想像もされなかったでしょう!

 

先日、ある神父様がおっしゃっていました。

「信仰は、”神と、神に祈るわたし” だけの関係だけではありません。
わたしたちをとりまく社会、家庭の問題など、
さまざまなことが絡まっているのが現代社会の信仰の姿です。
たとえば、現教皇は、カテキズムから『死刑制度容認』の文言を削除したのです。
長年、カトリック教会は死刑制度を容認してきましたが、
今、教会は反対の立場へ変わったのです。」

聖書の教えは本質的には変わらないはずなのに、
信仰も、時代とともに変化している、ということなのでしょうか。

 

世界中、わたしたちの身近なところでさえ、いろいろな問題が起こっています。

他者の意見に耳を傾け、インターネットにあふれる「だれか、個人」の意見に振り回されず、
検索するよりも、日常に神様を感じた暮らしをしたいものです。

 

広報誌は、近隣教会の信者さん、教会を初めて訪れる方にも手に取っていただきたく、
たくさん印刷しておいてあります。
(近隣教会にはお送りしています。)

どうぞ、遠慮なくどんどんお持ち帰りください!

 

 

待降節、新しい1年の始まり。

典礼暦では、待降節から新しい1年がスタートします。

久留米教会でも、アドベントの飾りつけを始めました。

 

 

 

これは、待降節の間、毎週1本づつ灯すロウソクを立てるためのもので、
ラテン語で、アドベントゥス クラントゥスと言います。

毎年、一人の有志の方が素敵なものを作ってくださっていたのですが、
今年からは、わたしたち(Team40代!)が担当させていただくことになりました。

 

こちらは、去年のもの。

 

完成度が高く、とてもこんな風にはできませんでした。(^_^;)

それでも、神様を感じながら、戴いた役割を楽しみました。

 

「どんなことであれ、あなた方のうち二人が心を一つにして地上で願うなら、
天におられるわたしの父はそれをかなえてくださる。
二人また、三人がわたしの名によって集まっているところには、わたしもその中にいる。」

マタイ18・18~20

 

この聖書の言葉を思い出さずにはいられませんでした。

「今年から、作るのをお願いできない?」と言われた時、わたしたちはとても嬉しく、
「ほかにもお手伝いできることがあれば、なんでも言ってください!」
と、誰もが口を揃えて言うことができました。

 

 


 

久留米教会にはいろいろな役割があり、お手伝いしてくださる方が必要です。

 

力仕事は20代の「青年会」のみなさんにお願いしています。

バザーをして、収益を支援が必要なところへ送ってくださる
 「ピースナインの会」「女性の会」「フィリピンコミュニティ」の方々。

掃除やイベントの裏方をやってくださる「ヨゼフ会」の男性方。

花壇のお手入れをしてくださっている「女性の会」の方。

ごミサの時、初めて来られる方に案内をしてくださる「教会学校保護者会」の方。

教会の備品を管理してくださっている「役員」の方。

教会学校担当、納骨堂委員、営繕委員、広報委員など。

いろいろな方が、快く役割を担ってくださっていることで成り立っているのが教会です。

その方々すべてに、神様のお導きがあります。

 

「主は彼らの前を行き、彼らが昼も夜も進むことができるよう、
昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされた。
昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。」

出エジプト13・21~22

 

モーセが民を率い、エジプトから紅海に向かう時の様子を書いた箇所ですが、
わたしはこのくだりがとても好きです。

誰もが、神の導きによって、昼も夜も迷うことなく前に進めるように、
という神様の愛を連想します。

 

わたしたちは、教会、家庭、職場、地域社会などでさまざまな役割を担っています。

待降節の期間、今年の残りの日々、周囲の人々への優しさと感謝の気持ちを大切に。

そして、どんな時も神が導いてくださっている、ということを忘れないように過ごしたいものです。

 

 

神学院祭、召命。

少し前のことになりますが、11/3 福岡キャンパスでの開催は今年で最後となった、神学院祭に久留米教会からも大勢で参加してきました。

恵まれた敷地!

 

 

 

素晴らしい環境で、17名の神学生が学んでいます。
われらが誇り、船津神学生もその一人です。

丘の上から神学生の挨拶があり、開会しました。

 

 

 

各教区の神父様方も勢揃いし、美しい秋晴れの空の下、
贅沢なごミサに与ることができました。

 

 

企画ももりだくさんで、大人も子供もとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
丘を利用した草スキー(?ソリ?)、神学生を探してシールを集めてお菓子をもらったり、
神学生によるマジックショー、ウッドビーズでのロザリオ作りなど。

各教会ごとのいろいろな食事やお菓子の露店も出ていました。

こんな面白いランキングも!

 

 

 

 

日本の神学生の数は、年々減少しています。
わたしたち信徒にとっても、カトリック教会全体にとっても、とても深刻な問題です。

聖アウグスティヌスは、自身の放蕩生活やマニ教への入信を振り返り、苦悩していたさなか、
隣りの家の子どもが遊びながら歌う声にハッとします。
「とれ、よめ」
そこにあった聖書を手にし、どこを読むとも意識せずに開いたページが、パウロの回心するくだりでした。


「主イエス・キリストを身にまとえ、肉欲をみたすことに心を向けてはならない」
ローマ人への手紙13・13~14


そして洗礼を受け、修道生活へと入っていきます。

ひとりでも多くの若者が、神の招きに気づき、導かれるように祈りたいと思います。

 

 

この中に、将来の神学生がいるかも!?!